☆ ときどき日記 ☆ 松本to葛飾 24時間耐久ラン

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 9月4日から、東京葛飾の実家までチャリで行くぞ、という計画を立てました。松本から距離にして250km余り、途中で1泊は必要です。宿をとるか、テントを持ってくか、駅寝にするか。日本一決断力のない私は、それが決められないままいつしか夢の中。
 ……翌朝14時半に起床。あれ? また予定を断念するのか。まぁいいや、ゆっくりしよう−。
 
 その3時間後、夕日を背にして最初の難関、塩尻峠を登っていました。そう、24時間耐久サイクリングという選択肢が残っていたのです。夜昼ぶっとおし、不眠でそんな距離走れるのか、わかりません。しかし実現すれば、自分史(んなもんあるか)に残る無茶になるでしょう。
 思えば、たまに「東京に行く」と人に言う度に「中村君、自転車で!?」と聞き返されてました。んなわけあるかい。しかし一度ぐらいはやっておきたかったのです。
 塩尻峠を越えて、どんどん暗くなっていきます。諏訪の塩天丼という店で塩天丼を食べ、ここからまたゆるやかな上り坂。第二の難関、富士見峠をクリア。ここからまさかの雨に降られます。まぁカッパを着れば問題ありません。やがて止みました。
 わりといいペースで甲府に着いたのがちょうど零時。さらにひたすら甲州街道を東に進みます。勝沼のぶどう園あたりからまた長い上り坂。ペースもだいぶ落ちました。そういえば先日テレビで、山田花子だったかが24時間マラソンしてた気がします。あれに比べればチャリは楽です。ただし誰かが応援してくれるなんてことはなく、ただ暗闇を黙々と進むのみです。それにしても長く感じる上り坂。どこまで、いつまで走ったらいいの?「死ぬまで走ってろ」。そうか、死ぬまで走ってりゃいいんだ。
 中間地点、甲斐大和。ここの道の駅で、背中の汗が乾くまで長めの休憩を取ってから、大和発進! いよいよ最大の難関、笹子トンネルへ。何が怖いって、高速道路に負けじとビュンビュン飛ばすトラック達は、こんな真夜中にちゃんと私をよけてくれるのだろうかと。痛い死に方はしたくないっす。
 −−無事通過、もう大丈夫です。山深い闇の中、下り基調でスピードも復活。しかし前輪パンク、針が刺さってました。んもう。
 終夜営業のコンビニで度々補給しつつ、出発から12時間後、大月市の猿橋にいました。日本三奇橋とのことですが、いつも電車で近くを通過してしまう度に気になってました。歴史を感じさせる、木の橋でした。 
 ここらへんからいよいよ朝焼けが始まり。頭ン中、CASIOPEAのASAYAKEです。私が塩尻峠からわずかここまでの距離を走ってる間に、太陽は地球の裏側をぐるっと回って、今正面に昇る。奴はすごいなぁ。
 四方津駅から北側の台地に登る謎のパイプ! いつも電車で通過してしまう度に気になってました。今日は自転車だから寄り道し放題。念願のそれは、中に斜めエレベーターとエスカレーターが通ってました。台地上のニュータウン「コモアしおつ」と四方津駅を結ぶ通勤・生活路で、私のようなヨソ者が喜々として乗っていいものじゃなかった気がしますが、これで思い残す事が一つ減りました。上の世界に辿り着いた時は、小学生の頃遊んだドラゴンクエストIIというゲームで、初めてロンダルキア台地に登ったような気分でした。またはギアナ高地の紀行番組を見てる気分(言い過ぎ)。その台地上では自転車も使われてるようですが、それで下界に降りることはまずないのでしょう。あるとすれば、それこそドラゴンクエストのような大冒険だな。…てなことを考えつつぶらぶらしてました。それにしてもこんな朝も早うから都心へ通勤・通学の方々ご苦労様です。
 最後の難関、大垂水峠をやんわり越えて、東京入り。オラ本当にチャリで東京きちまっただ。でもここはその西の端っこ。東の果て葛飾はまだまだ先です。高尾山麓でゆっくり涼んだ後、4車線化した都内の甲州街道を行きます。これが走りづらい。車道は渋滞で隙間もなし、歩道は狭くて走れない。信号も多い。まぁ覚悟していたことですけど。
 ああ、府中より調布の方が都心側なんだな、とか確認しつつ、新宿着。すっかりお上りさん気分。新宿駅南口前を通ります。多くの都民や埼玉県民にとって、甲州街道といえばこの地点を指すのではないでしょうか。
 さらに都心へ。皇居の堀と緑がまぶしい。日本橋も一応通過して、朝ドラの聖地浅草もお参り。時間調整しつつ、出発から丁度24時間後に、葛飾の実家にゴールしました。意外にも、眠気に襲われてどうしょうもなくなるなんてことはなく、足もよく回ってましたが、体の要所要所が痛かったりします。ともかく積年の課題だった帰省ランを、こういった形で実現できました。翌日、18きっぷの余りを使って松本へ戻りました。
 
 終わってしまえばそんな無茶なことでもなかった気がします。寄り道をしながらの余裕の旅路でしたし。しかしこの夏の終わりに、小さいけれど大きな事が出来た、これでよしとします。さようなら、2003年の夏。

[2003年9月9日]
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