Broadband Edge!

見えなかった未来。
筆者が光ファイバーに病的に固執する理由とは何なのか?。
ここでは自分が光ファイバーの導入を考えるまでの経緯を書いてみた。


1995〜1996年
パソコン通信時代

自分のインターネット暦(っつーかパソコン通信暦も含めて?)は、改めて考えるとあまり長くないかもしれない。
学生時代に友人から2400bpsのモデムを譲り受けたのがキッカケだ。1995年の段階で2400bpsのスピードである。当時としても遅い。遅すぎる・・・。(笑)
最近パソコンを始めた人は「2400bpsのスピード」といってもピンと来ないかもしれないが、56kbpsのアナログモデムの23分の1、最近の12メガのADSLの5000分の1である。今考えるとホント信じられないよ・・・。(^^;

・・・といっても、当時は文字だけの情報のやりとりが主だったため、この速度でも全く問題はなかった。
(むしろ画面に流れていく文字を目で追うことが出来たスピードだったので便利だったかも?)

画像やファイルのダウンロードの時には「ちょっと遅いなー」と思った事もあったけど、当時の画像やフリーソフトのサイズは現在と比べて小さかったため、これでもあまり困らなかった。


1997〜1998年
インターネットへ接続開始

そしてインターネットである。
世の中はWindows95の発売と共にインターネットブームも始まったように思うが、そう考えると自分はちょっと遅れていたのかもしれない。自宅でインターネットに接続するようになったのは1997年の3月だった。

凄かった。ステキだった。ゴーヂャスだった。でもって、ちょっと感動した。
しかし、「時代の流れ」とか「テクノロジーの進化」とか言われているものは、時として無情である。

インターネットでWebサイトを見たりファイルをダウンロードする、いわゆる「Webサーフィン」は、以前の文字だけのやりとりだったパソコン通信時代と比べて情報の転送量が格段に増えた。そんなわけで今までの2400bpsのモデムでは歯が立たないので、28000bpsのモデムを購入。
しかし、パソコンの接続速度の限界が19200bpsだったので、いくら28000bpsで接続しても、実際には19200bpsでしか通信できない。(泣)
っつーかさ、28800bpsのモデム買ったんだから、それが使える程度のパソコンぐらい買えよ、オレ。
当時は就職して間もなかったせいか、まとまったお金がなかったらしいです。(伝聞形)

初めてインターネットに接続した時、電話線に乗って送られてくる美しい画像や、検索エンジンを使った情報の探索などに感動したのはもちろんだが、それと同時に頭の奥底でボンヤリと感じたのは、
「・・・・・遅っせーな」
だった。


1999年
モデムの買い替え

2年後、とうとう我慢できなくなり、新しいパソコンに入れ替えたと同時に56kbps(56000bps)のモデムに買い替えて、ついでにプロバイダも変えた。

早かった。ステキだった。ゴーヂャスだった。でもって、ちょっと感動した。
しかし、「時代の流れ」とか「テクノロジーの進化」とか言われているものは、時として無情である。

巷に溢れる様々なWebサイトは、インターネット利用者の接続速度の向上と共に、画像を多用した表示に時間のかかるページ、いわゆる「重い」ページになっていった。しかも一部企業のページには「まくろめでぃあ・ふらっしゅ」などと言われる、文字や絵がウニウニと動くギミックが仕掛けられたサイトも現れ始め、僕のゴーヂャスな56kbpsの高速回線を見事に喰い潰してくれる。(泣)

それと同時に、当時は電話料金を節約するために「テレホーダイ」というNTTが行っていたサービスを利用してインターネットに接続していたため、午後11時以降、すなわち、「お子様は寝なきゃいけない時間。っていうかとっくに寝てる時間。」に接続をしなければならなかった。

・・・テレホーダイ、そして微妙に早くない通信速度。
昼間、仕事中に襲ってくる睡魔と戦いながら、オレは執念でネットに接続し続けた・・・。(早く寝ろよ>オレ)


2000〜2001年
ISDN時代

1年後、とうとう我慢できなくなり、電話回線をISDNに変えた。そう、ロクヨン・ロクヨン・イチニッパである。(古っ!)

2000年当時はまだNTTのフレッツ(定額接続サービス)が自分が住んでいる地域に来ていなかったため、「INSテレホーダイ」というサービスを利用していたが、翌年2001年には、晴れて1日中時間を気にせず接続できる「フレッツISDN」のエリアに入り、早速切り替えた。各社のADSLが激安で利用できる現在と比較すれば決して安くない料金だったが、一定料金で時間を気にせず64kbps(64000bps)で安定した通信が出来るというのは画期的だった。もう夜11時を待たなくても、夕食を食べてからすぐにインターネットに接続できる。そしてイザとなれば、(料金は高くなるけど)64kbpsの回線を2本使って128kbps(128000bps)での通信も可能だ。

ステキだった。ゴーヂャスだった。でもって、普通に感動した。
しかし、「時代の流れ」とか「テクノロジーの進化」とか言われているものは、時として無情である。

遅い・・・いや、遅いというのが言い過ぎであるならば「速くない」と言った方がいいだろうか?。
現在でもISDNやアナログ回線でインターネットに接続している方には大変申し訳ないが、2001年当時でも、64kbps〜128kbpsという速度は既に画期的とは言えない通信速度になりつつあった。企業のWebサイトはもちろん、個人のWebサイトも以前と比べて更に重くなり、またフリーソフトやWindowsの不具合修正プログラムも肥大化していった。64kbpsでは気軽にファイルのダウンロードが出来ない状況だったのである。「高速・快適」というのは既にISDNのウリではなくなってきたのだ。

時を同じくして、首都圏では、「ADSL」というテクノロジーを使って、普通の電話線でISDNとは比べ物にならないくらいの速度で通信ができるサービスが開始されたと聞いていた。また、一部の地域で光ファイバーを使ったインターネット接続のサービスが始まった事も知っていた。

しかし、自分が住んでいるのは長野県である。しかもウチは海から一番遠い、山に囲まれた所に住んでいる。
ADSLも光ファイバーも、所詮自分にとっては海の向こうの遠い国での出来事のようだと感じていた。


2002年
ADSL時代

そして翌年2002年の始め、信じられないニュースが飛び込んできた。長野県でもADSLのサービスが開始されるというのだ。

実は長野県は以前から地元の業者が独自に(それもかなり早い時期から)ADSLのサービスを提供していた。しかしそれはプロバイダ込みのサービスだったため、現在使っているプロバイダに不満がない・・・というかむしろ満足していた自分は乗り換えに躊躇していたのである。しかし、この2002年、ついにNTTの「フレッツADSL」が長野県に来る!。ついにブロードバンドがやってくる!。オレは感動に打ち震えた・・・。(大袈裟)

2002年3月にフレッツADSLの1.5メガタイプを導入。フレッツスクエアで接続速度を測定してみたところ、結果は700kbps(700000bps)!。ISDN時代の10倍だぜ!。Webサイトの表示もダウンロードの速度も1ケタ違う速度だぜ!。ISDN時代には見ることが出来なかったストリーミングコンテンツの視聴もできるぜ!。未来がオレの家にもやってきたんだぜ〜!!!。(←大袈裟過ぎです)

最高だった。ゴーヂャスだった。でもって、かなり感動した。
しかし、「時代の流れ」とか「テクノロジーの進化」とか言われているものは、時として無情である。

上にも書いた通り、Webサイトの表示はかなり高速で、現在でもストレスはさほど感じていない。しかしながらインターネット上に溢れる情報は、徐々にではあるものの今まで以上に高速な通信速度を要求するようになっていった。
例えば、上に挙げたストリーミングコンテンツもその一例である。大抵のサイトではナローバンド用に40〜50kbpsのコンテンツとブロードバンド用に200〜500kbps程度のコンテンツが用意されている。「700kbpsで接続できているなら、200〜500kbsのコンテンツの再生は余裕じゃないの?」と思われるかもしれないが、実際には「結構ギリギリで一杯一杯」なのである。ちょっとでもネットワークが混雑して情報の転送が途切れると映像も途切れるという問題が発生する。とてもコーヒー片手にテレビを見る感覚で気軽に楽しむ事はできない。いつ途切れるかドキドキしながら、途切れない事を祈りながら見ている状況だ。例えるなら、テレビが珍しかった時代に街頭テレビや近所のテレビを、かじり付いて見ているような状況だと言っても過言ではないだろう。(その頃はまだ生きてないけど)

更に自分を襲った問題は、原因不明の肩こり・・・・ではなく「通信の安定性の低さ」だった。ADSLは一般的に電話局(交換機)からの距離が遠い所に住んでいるほど通信速度が遅くなり、不安定になるという性質があるが、ウチは電話局から5610mも離れている。これはかなり「危険」な距離だ。事実、ADSLの申し込みをした時にも、NTTのオペレーターから「速度が遅かったり、通信が途切れたりする事があるかもしれません。」と言われていた。

覚悟は出来ていたはずだった。しかし、現実は凄かった。
まずは天候。天気によって通信速度が変わるのだ。理由はわからないが、天気が悪い時よりも、快晴の時の方が通信速度が微妙に下がる。(笑)
そして雷。稲妻が近くで光ると、そのノイズが電話線に乗ってしまうのか、回線が切れてしまう。更に、何日か使っていると徐々に通信速度が下がってきてしまうため、できるだけ速い速度で通信をするためには数日に1度ADSLモデムの電源を入れ直さなければならない。
ノイズの影響を抑えると言われているシールドされた電話線を使用したり、モデムの設置場所の変更したり、そしてパソコン自体のチューニングなど、様々な手を施したが、問題は改善されなかった。

・・・よく考えれば極めて当たり前の事なのだ。
分かる人なら分かるかもしれないが、我が家は線路長が5610mなのに加え、伝達損失が63dBもある。そもそもADSLで接続が出来ている事自体が凄いのである。「首の皮1枚で繋がっている」とはまさにこの事なのだろう。以来、高速な接続環境の恩恵に預かりながらも、どこかモヤモヤとした気分でインターネットに接続する日々が続いた。

そして更に私の心をモヤモヤさせてしまったのは、「goo スピードテスト」や「ブロードバンドスピードテスト」等の、「自分の接続速度は全国のユーザーの中でどの程度の位置に居るのか?」が分かる速度測定サイトの存在だった。

それらのサイトで測定した結果は悲しいものだった。
これらの速度測定サイトは、自分の通信速度が速いと感じているユーザーが測定する事が多く、また自分の通信速度が明らかに遅いと感じているユーザーは測定を行わないと考えられるため、集まっている情報は必ずしも無作為に抽出されたサンプルでは無いと考えることが出来る。
しかし、それは自分を慰めるだけの言い訳に過ぎない。「700kbps」という速度はいつも下から10〜20%の範囲に含まれていた。

自分が高速な回線に憧れるのは、上に挙げたような「実用上の問題」が一番であるが、「オレよりも早い速度で通信をしているヤツがいる。オレも何とかして追いつきたい。」という気持ちが無かったと言えばウソになる。

・・・確かに以前と比べれば速度は速い。しかし、この微妙な速度と不安定さから、頭の中に「これはブロードバンドと言えるのか?」という押さえる事の出来ない不満に火がついてしまった。


2003年
そして光へ・・・

そして2003年の3月、自分の住んでいる地区も「フレッツADSLモア」のエリアに入り、それと同時に切り替えた。上に書いたような「通信の安定性の低さの解消」と「通信速度の向上」を狙っての事だ。しかし、結果的に状況が劇的に変わる事は無かった。

巷では、「フレッツADSLモア」「Yahoo!BB 12M」等のサービスに続いて「フレッツADSLモア24」「Yahoo!BB 26M」等の、更に高速に通信が出来るサービスも開始されていた。しかしそのどれもが、電話局から1〜2km以内に住んでいる利用者でないと高速な通信が行えないものばかりだった。
そう、我が家では電話局の近くへ引越しでもしない限り、普通の電話回線を利用して700kbps以上の速度で通信を行う事はどうあがいてもムリなのだ。

「・・・本当のブロードバンド環境を手に入れるには、もう光ファイバーしかない。」
自宅の窓から遥か下に見える、電話局のある方角の街の明かりを眺めながら、そう決心した。(←やっぱり大袈裟)


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