Copland Track Day 1 & 2

 当日 Wanaka を出た時は曇り、 Haast に着いたら小雨が降っていた。DOCに寄ってハットチケットを買い、今日明日の天気予報を聞いてみた。"drizzle" と言われた。意味は霧雨とか小雨とかそういった感じ。"rain" とか "shower" と言われたのなら諦めていたかもしれない。ここまで来て小雨なら・・・そう思って強行することにした。小雨といっても雨には変わりは無い。このトランピングはスタートからゴールまでずっと雨に打たれることになった。
【Copland River】
 スタート直後にまず大きなクリークを渡渉する。川の上流30分のところに大雨の時のための橋があるが時間の節約のため、岩を選んで川を渡り始めた。結局靴を濡らさずに渡るのは無理でいきなり足元が水浸しとなった。しかしこの先幾度も川を渡り、湿地を歩くことになるので濡れる事は避けられない。またそのたびに履き替えるのも面倒だ。

 ちょうど1週間前に Kepler Track を歩いた後だった。Great Walk といわれる整備の行き届いたコースというのが実感して分かった。とにかくここは、はい上る、またぐ、飛び越える、そして濡れるという歩くだけのコースとはちょっと違っていた。

【Architect Creek】
 いくつかの大きなクリークには橋がかかっている。一番大きな橋は Architect Creek に架かる吊り橋。今日のルートのちょうど半分くらいのところにある。一度に渡れるのは一人で他の人は待たなければならない。足元には川がどうどうと流れている。橋は揺れるし、なかなかエキサイティングな橋だ。

 Welcome Flat の手前にもう一つ難所があった。Shiels Creek だ。川自体は大きくないが、水の流れが急ですぐ下流が滝のようになっている。もちろん橋は無い。大雨やその直後は増水で危険なので渡らないようにとなっている。またそのために川の手前にはビバークする場所があるくらいだ。(といっても雨をよける岩があるだけだが。)しっかりと踏み場を選んで渡らないと、流されてしまうかもしれない。ひざ上くらいまでは水に入る覚悟がいるのだ。

【温泉への入口】
 たっぷり6時間かかって目的地の Welcome Flat Hut に着いた。山の中なのに結構立派な山小屋だ。温泉は小屋から歩いて3分のところ。山の中に4つほど小さい池があって、そこから湯気が立っている。水は源泉とおもわれる上の池から順番に、下の池に流れていく。これでお湯の温度の調節がされている。まわりには明かりは無いし、仕切りはないし(混浴!)、ただ脱いだ衣類をおくための屋根つきの棚があるだけだ。霧の合間から向かいの沢に残雪がちらちら見える。この日は我々パーティ以外には誰もいなかったが、温泉には辺りが暗くなってからゆっくり入る事にする。
 この天然温泉に入るときの注意がある。これは DOC のリーフレットにも載っているし、山小屋にも注意書きがあった。温泉では穴を掘ってそれ以上池を作らないこと。それと温泉には決して頭をつけないこと。アメーバによる髄膜炎にかかる恐れがあるからだ。病原となるアメーバが鼻や耳から脳に入って引き起こされる病気である。 これはここだけでなく、NZにある天然温泉には共通して言える事のようだ。
【比較的ぬるめの池】
【お湯が池に流れ込む】
【源泉】

 一日中雨に打たれ、疲れきった全身に天然温泉は非常に心地よかった。もちろん日本の温泉やお風呂のようには身体を洗ったりはできない。でもゆっくりと時間をかけてつかると、夜寝袋に入っても身体かぽかぽかと暖かいのだ。6時間のトレッキングに値するかどうかは行ってみてわかること。ここ、Welcome Flat では他にも思わぬ出会いがあった。まず土蛍、夜温泉に行く途中暗がりにきらっとひかるのを見つけた。そして朝小屋の傍を飛べない鳥 Weka が近寄ってきていた。

 翌日は少し雨がきつくなっていたが、きた道をまた戻っていった。霧が深く景色はよく見えなかったので、ずっと足元を見ていたような気がする。

 雨で全身が濡れて、幾度も川を渡り靴の中で足が泳いでいるようだった。流れの急なクリークで足を滑らせ危うく川に流されるところだった。寝袋を入れていたビニール袋に穴があいていて寝袋が湿っていた。腰をおろして休憩するもサンドフライの大群に襲われ早々に立ち去った。
 もう一度行きたいかと聞かれれば迷わず「行きたい」と答えるだろう。この先もこの後もこれまでで一番条件が悪く、装備も不十分で辛くしんどいトレッキングだった。でも温泉に浸かった時の達成感、無事帰ってきて立ち寄ったホテルで食べたハンバーガーとコークの味は忘れられない。辛い思い出があるからこそ、次行く時はもっといい方法でもっといい天気を選べば、さらにいい思い出が出来るのではないかと思ってしまうのだ。