中途半端な時間だけれど、なんだかふと、目が覚めた。 半分寝ぼけたままぼんやりと部屋を見渡すと、まだまだ薄暗いカーテンの向こう。静かな静かな、朝の空気。 けれど目を閉じれば不意に、そうしていなかった時には気づけなかったモノたちに気がつくことができて。 俺は冴えてきた自分の頭の中の真っ暗な世界で、微かに届いてくる沢山の音に耳を澄ます。 人の気配がないせいか、控えめに、けれどいつもより存在を主張する鳥のさえずり。朝の挨拶なのかな。それとも人間よりも随分早起きな彼らだから、もう10時のおやつくらいの感覚でおしゃべりしてんのかも? で、そこにかぶって聞こえるのは、さらさらという水の音。これって……もしかして裏の小さな川の流れ? 見ためはあんなに汚いのにこうやって響いてくる音は清冽で、そのイメージはなかなか結びつかない。なんか不思議。 それから……しばらく聞こえてたかと思うと止んで、止まったかと思えば再び始まる金属音。きいきいと文句を言うような、何かが擦れるようなこれは……自転車だ。きっと新聞配達のおにーさん。って、おじさんなのかもしれないけど。どっちにしろ朝早くから大変だよなぁ……ウチも今度取った方がいいかなぁ……でもそもそも家にいないんだから取っても仕方ないような気もするし……。 そこまで考えて、寄せられた眉と、ムッと尖らされた唇と、新聞くらいちゃんと読め、とかいう面白くなさそうな台詞が頭を掠め、俺は思わず口元を緩めた。 ……うん、ぜーったい言うだろうな。もし俺が『やっぱ新聞取った方がいいすかね?』なんて聞こうものなら、まずは『今まで取ってなかったのか?』ってわざとらしく驚いたように、しかも俺に問いかけるんじゃなくて呟くみたいに言って、それからさっきの台詞を口にするはず。 大体、ウチに何度も来てて、家に帰れない、休みの時くらいしか掃除できない俺の部屋の何処にも古新聞なんてものがないのを知ってるくせに、わざわざ確認するみたいに言うんだもんな。結構性格悪いよな。……まだ言われた訳じゃないけどさ。 と、不意にシーツから出てた肩とか背中にぞくりと寒気が走って、俺は目を開けた。なんか、気づけば肩から腕の辺りとか、背中の方とかがちょっと冷たくなってるかも。 そういえば……昨日は夜はものすごく暑くて、たぶん降り出した雨のせいで湿度が高かったせいだと思うんだけど、それで窓を開けたまま寝たんだった。いつの間にか雨は止んで、先行しがちな暦にもぴったりの微かな冷気が、揺れるカーテンの下からほんの少しずつ入り込んできている気がする。 なんか、ものすごく今さらながらに気がついたけど……そっか、もう秋なんだっけ。よく気をつければ窓の外、たぶんベランダの下にあるはずの草むらから、昔動揺で歌った覚えのある虫の声が遠慮がちに空気を震わせてる。 いつでも仕事に追われて、空いた時間はできる限り恋人のために使いたくて、毎日をそれこそ全力疾走するような勢いで過ごしてる俺だから、全然気づかなかった。ちょっと日本人として情けないけど。 でも、そっか。こうやって秋がきて、そしてその短い季節が終われば……。 ……あ。くしゃみ出そう。ていうか、出ちゃった。 思わず口を押さえてそっと視線を上げたところに、彷徨うような探るような不確かさで指先が頬に触れてくる。暖かいその手に安心を覚えて息をつくと、その持ち主も同じことを考えたのか、目の前の表情がわずかに緩んで。 寝てる時にまで眉間にしわ寄せなくても、と俺が笑い出しそうになるのを堪えてると、もう片方の腕が冷たくなりかけた肩を引き寄せて、抱き込んでくれた。 両腕で、まるでそこに感じる冷たさを払うように、ゆっくりとしっかりと抱きしめてくれるその存在に甘えたくなって、俺は猫のようにすりよる。肩口に顔を埋めた形の頭を抱え込んで、優しい手が守るように髪の中に差し入れられて。 自然と大きく息を吐いてから、俺は自分が女の子のようにうっとりとしかけているのに気づいてちょっとだけ苦笑した。少しだけ俺の方が体格イイ訳だけど。そんなこの人に、こんな風にされるのは全然嫌じゃなかった。むしろ心地よくて、いつまでもこうしていたいなんて、普段からしたら信じられないようなことまで考えたりもしてしまう。 それはきっと、こんな時だけ、いつも張り詰めている糸が緩むのを感じるから。この人の前ではどんな自分でいてもいいんだと思えるようになったからで。 さっきより明るくなった部屋の中、目を開けた俺の耳に聞こえるのは、自分と、自分を包み込んでくれる人の呼吸だけ。 頬をすりよせた首筋にひとつ、触れるだけのキスをして、少し顔を離す。未だ夢の世界の住人のまま柔らかく抱きしめてくれる人の頬や額、鼻先にも小さくくちづけ、微かに寄せられる眉を見て声には出さずに笑ってから、俺はその唇に、自分のそれをそっと重ねた。 たぶん無意識にきつくなる腕に、同じ強さでしがみついて、抱き寄せて、抱きしめて、ぎゅっと目を閉じる。 今日はもう少しだけ、こうやって、いろんな音を聞いていよう。もう少し経って、この人が起きたら、促して、抱きあったままそんなモノたちを一緒に聞いて。それからきっと、俺の前では自然に浮かべてくれるようになった笑顔を見せてくれるであろうこの人に、同じ笑顔で告げよう。 こうやって秋がきて、きっとすぐにその短い季節は終わるけど。 でもそしたら……、ねえ分かってんの? 三度目の冬が来るよ。俺達が出逢った、冬が。 ねえ、室井さんてば。 |