-----獣と少年-----
「…もう、ここへは来ないよ」
そう言い残し、少年は男の元を去った。笑うような、泣いているような、不思議な表情で。
あの計画が成功した夜の事だった。男が家へ戻ると、少年は電気も点けずに、暗い表情で膝を抱え、佇んでいた。
本来なら、2人で金の海に溺れ、手を叩いて喜び、計画の成功を祝ってもいい筈だった。自分達は、今日3億円という大金を手に入れる事に成功したのだから。
だが、少年はそんな陽気な気分とはかけ離れた表情を…放心したような、虚ろな表情を、浮かべていた。
出会った時と同じ目をしていた。凶暴で、それでいて傷ついた、悲しい目。どれだけ獲物を捕らえても捕らえても、決して満たされる事のない、獣のような瞳。
玄関際で、男は少年を見送った後、彼が残した合鍵を見つめた。彼の手のぬくもりが、まだ残っている。男は、それを強く握り締めると、その拳を胸に当て、目を閉じた。
「誠!! 危ないから止めなさいよ!!」
甲高い少女の声が聞こえる。
―――どうして止める。
虚ろな目で、少年は少女を見上げた。
それが、彼を見た最初だった。
男は、その店のカウンターで一人酒を飲んでいた。
周囲を見渡す。何かにとり憑かれたように踊りつづける若者達、その輪から離れた位置に、一人の少年がいた。
少年は、壁に無気力に凭れかかり、ナイフの刃を握り締めていた。赤い血が、ぼたぼたと床に流れ落ちるのを、遠目に伺う事が出来た。
―――何もかも気に入らない。
そんな顔をしていた。自分も、世間も、何もかも壊してやりたい、そうとでも言いたげだった。
そこに少女が現れ、まず手始め、とばかりに自分を壊す少年を、止めたのだ。
少女は、手のひらの傷に自分のハンカチを巻いてやる。労わるような、寂しげな顔をしていた。少年は、傷の手当てが終わると、仲間たちと何処かへ消えた。
男は、それを追いかけるように、店を後にした。
「警察でも何でも呼べよ」
少年は、男の車の運転席で、そう言った。
自分の車の側で、少年達が何やらごそごそやっている。店を出た男は、その様子を見守った。
少年が、にやり、と笑いドアを開く。周囲の若者は歓喜の声を上げ、次々に車に雪崩れ込んだ。
事もあろうに、少年達は男の車を盗もうとしていたのだ。
男は呆れたような表情で、それに近づいた。彼らの乗りこんだ自分の車のドアを開く。車のキーを、彼らに示す。
他の若者達は男に驚愕の表情を浮かべ、逃げるように車から出た。
だが、少年は逃げなかった。
刺すような目で男を一瞥すると、のろのろと視線を逸らし、シートに体重を預ける。
自分自身の身ですら、どうでもいい、そう言っているようだった。
―――…面白い。
男は、少年を乱暴に助手席に蹴やると、運転席に乗り込みハンドルを握る。少年が、初めて、驚いたような表情を見せる。構わず、少年を乗せたまま、男は車を発進させた。
自分の店へと戻った。場末の、小さなうらぶれたバーだ。
カウンターに、隣り合って腰掛ける。
酒を注いでやると、少年はそれを一気に飲み干した。
「18か…? 19か…?」
年齢を尋ねる男に、少年は酒に潤んだ、半開きの瞳を向け、口元を僅かに吊り上げる。
少年のグラスに、酒を注ぎ足す。彼はまたしても、それを滅ぼすのが自分の使命であるかのように、あっという間に空けた。
たん、と大きな音を立て、グラスをカウンターに戻す。同時に、少年はがくりと頭を垂れる。荒い息遣いが,男まで伝わった。
「金でも女でもない…欲しいものは、闇の彼方だ」
男の言葉に、少年は顔を上げた。首を捻り、カウンターに斜めに凭れかかって、男を見遣る。虚ろな、嘲るような笑みを返す。
「説教か?」
「生憎、説教は柄じゃない…お前が懐かしいから連れてきた」
男の返答に、少年はその顔から笑みを消す。訝しむような瞳を男に向けた。
耳が痛くなる程の沈黙が、2人を包んだ。
やがて、少年は、男から目を逸らす。左手をカウンターのボトルに伸ばした。
―――まだ飲むつもりか?
男は、その手に自分の手を重ね、押し止める。少女のハンカチを巻きつけた、少年の傷ついた手を、強く押さえつけた。抗おうと、男の手から逃れようと、少年は手に力を込める。
男の力に抵抗し、小刻みに震える少年の手のひらから、ハンカチに真っ赤な血がじわり、と滲んだ。
鉄錆の、匂いがする。
ふっ、と少年の手から力が抜けた。ごん、と派手な音を立ててカウンターに頭を突っ伏す。もやもやと曇る頭を晴らすように、首を左右に動かす。酒が回ってきたらしい、古ぼけたカウンターに頬をつけ、ぜえぜえと熱い息を漏らしていた。
「畜生…」
少年は、荒い息混じりに、小さく呟く。男を、酒を、全てを呪うかのような、叫びにも似た声だった。
どれ位こうしていただろうか、男は拳を胸に押し付けたまま、薄暗い部屋に立ち尽くしていた。
手を胸から離す。硬直した指を解きほぐすように、ゆっくりと開いた。
ぎざぎざした、鍵の跡が、赤くくっきりと手のひらに残っていた。
―――俺はどうしてあいつを拾ったかな。
じんじんと鬱血した手のひらを見つめ、男はにやり、と笑った。
―――面白い奴だと思ったから?
―――懐かしかったから?
―――昔の自分を見ているようだったから?
…いや。
―――全てを憎むような、それでいて…
―――救いを求めるような、傷ついた目をしていたから。
「ほら、しっかりしろ」
酔い潰れた少年を抱え、男は自分の部屋に戻った。力なく男に凭れかかる少年を、薄暗い部屋のベッドに投げ捨てる。
「う…」
横倒しに、ベッドに寝転がり、少年は低い呻き声を上げた。
男は流し台に向かい、口の欠けたガラスのコップを手に取る。蛇口を捻り、2、3度すすぎ、生温い水を満たす。
「…飲め」
ベッドに腰掛け、隣の少年に水を差し出した。
「ん…」
少年は目を薄く開け、横たわったまま手を伸ばす。ふらふらと、その手が宙を泳いだ。手は、コップに届かない。
「全く…酒の飲み方も知らないのか?」
わざと呆れた表情を作る男に、少年は首を捻り、力なく答える。
「うる…せえ…」
コップを側のテーブルに置き、男は少年を見下ろす。少年は、血の気の引いた顔を歪め、精一杯の気力を振り絞って男を睨み返した。
少年の額に手を乗せる。酒の熱は引き、うっすらと汗で湿っている。優しく、少年の短い髪を撫でてやる。
「…何…の…つもり…」
「別に」
そのまま、彼の首の下に腕を回し、上体を持ち上げ、起こしてやる。少年は抗う気力もないようで、全体重を男に預ける。
重い頭を男の胸に埋め、辛そうに肩を上下させる。その体が冷え切っているのが、Tシャツ越しにも分かった。
どうやら男の思っていたより、ずっと酷い状態らしい。急性アルコール中毒寸前といったところか。
「…飲めるか?」
片手で少年の肩を抱き、もう片手でテーブルのコップを手に取った。透明な液体を、彼の目の前に突きつける。
「…ああ…」
男からコップを受け取ろうとする少年、だが、相変わらずふらふらした手は、それをうまく掴む事が出来ない。
「危なっかしいな…ほら、口出せ」
「…何だよ」
コップのふちを、少年の唇にあてがい、少し傾けた。初めはどうしていいのか分からない、といった表情だった少年も、男の意図を理解したのか、ゆっくりと液体を口に含む。
静かに喉を上下させ、それを飲み下す。唇の端から、零れた水が、銀色の糸の様に少年の喉を、胸を伝う。次第に意識がはっきりしてきたのだろうか、コップの水が半分くらいになったところで、少年はそれを男から奪い取ると、一息に空にした。
大きく息をつくと、少年は再び男に凭れかかった。コップを持った右手を、だらりと下げる。
「少しは落ち着いたか?」
肩を抱く手に力を込める。少年は、男に頭を預け、はあはあと、肩で息をする。
やがて、少年が小さく、途切れ途切れに言葉を口にした。
「何だ…そういう事か…」
嘲るような、響きがあった。男は首を捻り、少年に問いかける。
「そういう事?」
少年は、頭をずらし、男の顔を下から睨めつけた。小刻みに肩を上下させ、さもおかしそうに笑う。
「ははは…何だよ、わかった風な顔して…声かけて…そういう事かよ」
少年は男に顔を近づける。
「いいぜ…俺は…」
「…」
表情無く見つめる男に、少年は左腕をゆっくり持ち上げ、首に回した。
「別に…かまわねえよ…どうなっても」
男の首に、唇を這わせる。挑発するように、首に回した左手で、男の項を撫で上げる。手のひらから滲む、少年の血液を、ハンカチ越しに感じた。
「あんたも…そうしたいんだろ?」
瞬間、男は、少年の髪を後ろから掴んだ。
硝子の割れる音がした。
大きく目を見開く少年の頭を、後ろに逸らせ、マットレスに押しつける。もう片方の手で、少年の左腕を抑えつけ、乱暴に覆い被さった。
自らの唇を、少年のそれに重ねる。
床には、砕け散ったコップの破片が、僅かな月明かりを浴びて、鈍い光を放っていた。
どれ程そうしていただろうか。男は、少年に唇を合わせたまま、彼の体を押さえ続ける。少年は、じたばたと乱暴に手足を動かし、抵抗する。呻くような抗議の声を喉の奥から搾り出す。その目は、見開かれたまま、男を凝視している。手負いの獣のような目だった。
―――…ったく、「いいぜ」、と言ったのはどこのどいつだ。
男は面倒くさそうに考える。
酔っているからなのか、本当に自分がどうなってもいいと思っているのか、とんでもない事を言うガキだ。しかし、どちらにせよ…この様子だと、そこの少年が「こういう事」にそれほど慣れているとは思えない。
少年の右手が、男のシャツを力なく掴んだ。抵抗する力も無くなったのか、覚悟したように瞼を閉じる。その体から、力が急速に失われるのが分かる。
先程まで、固く結ばれていた…だが、今は力を失った唇に、強引に侵入する。半開きになったそれを、強く吸う。
「…う…」
少年が、小さくそれに答えた。男のシャツを掴む拳を、固く握る。
抑えつける力を緩め、その手に、自分の手を重ねる。強引に…だが、優しく、舌を絡める。くちゃ、と湿った音がした。
少年は、再び体を硬直させた。びくり、と背筋を痙攣させる。肩が、小さく震えていた。
唇を僅かに浮かせ、ゆっくりと少年の唇を、端から端まで舌でなぞる。
「…ん…」
彼は瞼を固く閉じたまま、喘ぐような吐息を漏らした。
男は、もう一度少年に深く口付け、それから…ゆっくりと、その唇を離した。
少年は目を開き、驚いたような、不満そうな、それでいて安心したような…複雑な表情で男を凝視する。
男は、にい、と濡れた唇の端を上げ、正面からその視線を受けとめる。
「…と、まあ、こんな事になるかもしれんからな。滅多な事は言わない方がいい」
「…ん…なっ…」
頭の回転は速いのかもしれない、男の言葉を瞬時に理解した少年は、脊髄反射的な速さで怒りを顕にする。
「…からかったのか?」
「だったら何だ」
怒りのせいか、羞恥のせいか、その顔を真っ赤に染める少年。屈辱の思いを、その視線に込め、男を刺すように睨む。
それに構わず、男はにっこり笑い、少年の頬に手を触れた。
「…やめろ!!」
少年はその手を跳ね除けようと、右手で男の手首を強く掴んだ。だが、男の腕はびくともしない。
「離せ!!」
「無理するな、具合、悪いんだろう?」
微笑む男に、少年は更に激昂する。自由な左手を握り締め、男の胸を殴りつける。しかし、ナイフの傷のせいだろうか、それとも酒のせいだろうか、うまく拳に力が入らない。その証拠に、眼前の男は涼しげな顔をしている。
「…畜生…」
少年は、それでもぽすぽすと、力の抜けた拳を、男に打ちつけた。
「…」
「…畜生、畜生、畜生…畜生!!」
手首を握る、少年の汗で湿った右手が、ぶるぶると震えている。無念そうに目を閉じ、眉根を寄せる。
「………馬鹿野郎………」
か細い声で、少年は低く叫んだ。打ちつけた左拳をそのまま男の胸に押し付け、くしゃり、とシャツを握る。男のシャツに、少年の傷から、血が染み込む。
「…馬鹿野郎……馬鹿野郎……」
少年はそのまま、男の胸に顔を埋め、肩を上下させ、嗚咽を漏らした。
男は、その頭を抱き寄せ、髪をゆっくりと、何度も、何度も優しく、撫でた。
「…くそぉ…ちく…ょう…」
男は、少年を抱きとめる。少年は、胸の中で、行き場のない感情を、男にぶつけ続けた。
少年の嗚咽と叫びはやがて小さくなり、やがて、静かな寝息が、男の耳に届いた。
―――もう、ここへは来ないよ。
男は少年の言葉と、その表情を思い浮かべる。
合鍵を手でつまみ、窓にかざして月明かりに照らしてみた。
玄関から寝室に戻り、ベッドの上に合鍵を放り投げると、その隣に腰を下ろした。
ベッドのシーツを、ゆっくりと撫でる。
「誠…お前は、どこに行くんだろうな」
入り口の見えぬトンネルを、まっすぐに走り続ける汽車のように、闇雲に駆けてゆく少年。
彼が懐かしくもあり、少し、羨ましくもあった。
癒される事のない、深い悲しみをたたえた瞳に、強く惹かれた。
…一緒に、走ってみたいと思った。
男は、白いシーツを何度も何度も、静かに撫でた。
「…誠、お前は、いつまで、走り続けるんだろう」
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<じぞうさんのコメント♪>
…いきなしこんなもん送りつけてすみませぬ(笑)。
しかも中途半端だし。最期までいけませんでした意気地なしで
ごめんなさい(大笑)。どおやら私にはコレが限界のようで。
しかしまあ…原作ドラマの彼らは既に行き着くとこまで
行っちまってるでしょうしのう…(何て事を言うのかね)。
なんとなんとこのお部屋に戴き物が! 「新説・三億円事件」ネタっす!
しかもマスター×誠! すげえ、王道やん!(←だから他に誰もいないって)
なんちゅーか・・・もうコメントのしようがないくらい感動してるワタシ。
掲示板にてちらりとおっしゃってた言葉尻をつかまえ、無理矢理脅して・・・
げふげふん、いやお願いして書いてもらった甲斐があったというモノです(ニヤリ)
しかもえろえろよりえっちくさいと思うのは私だけ? 個人的に、
何もしてないのにえっちくさいというのはかなり好きなのでするよ(←変態)
そんな私の判り難いツボにジャストミートな小説をくださって
本当に本っ当にありがとうございました!>じぞうさん
・・・ところでワタシ、えろえろも好きなんだけど・・・そんな話のネタは
ないのですかのぅ・・・?(すりすり)>じぞう様(急に様付けかよ俺)
ほら原作ドラマの彼らは行き着くとこまで行っちまってる訳だし!(オイオイ)
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