時々。ほんとに時々なんだけど。俺はなんでこんなことに拘ってんだろ、とか思うことがある。 それは俺の譲れないものに関してだったり、他人から見たらくっだらないことだったり、色々で。 ……でも今日のコレは……なんなんだろね、ホント。 当直明けの朝。ぼけっと煙草をくゆらせてると、ばたばたと慌ただしい足音がした。 どうせ主は分かってるし、振り返ることでもないから、俺はそのまま自分の机で煙草をふかす。 すぐに真下が姿を現わして、真っ直ぐに俺の机に駆け寄ってきて、おもむろに叫んだ。 「先輩! 誕生日おめでとうございます!」 「……はいはい。どーもありがとね」 やる気のない俺の返事に、さすがの真下もむっとしたのかわざわざ横から覗き込んでくる。 「なんでそんなに投げやりなんです? 三十路が今更ツライんですか?」 「……ほんっとにやさしー後輩だよねーましたくんっっっ」 ぐいっとその首を抱え込んで、ヘッドロック。 何故だか知らないけど朝から、いや、昨日の夜からか? とにかくやけにイライラするような、何もやる気が起きないような、そんな状態の俺は悪いけど容赦しないよ真下。 「せっ……せんぱっ……ぎ、ぎぶぎぶ〜っ」 息を詰まらせて叫ぶ真下の声を聞きながら、ぎりぎりと腕の力を強める。 キャリアのコイツがあんまり調子に乗っても困るかんな、たまには誰かがシメてやんないと。 言い訳をいろいろ頭に浮かべつつ、とりあえず俺はそのままどうしてこんなに調子が乗らないのか考えてみた。 まあ、確かに、昨日は当直だった。……でもそんなめんどくさいような事件は起きなかったよな。 昨日の昼間も、あちこち走った。……でもそんなの毎日のことだし。 今日はこれから当然帰宅。……イイコトじゃないか。ゆっくり寝られるだろうし。 「……うーん……」 じゃあ、ほんとに何でこんなにもやもやすんだろ。 「まあ、いっか」 「何がいいの?」 帰って寝よ、とか思ったのと同時くらいに、すみれさんが刑事課に入って来る。 「あ、おはよ」 「おはよ。そっか、昨日は青島くんが当直だっけ?」 「そう。そろそろ帰ろうかと思って」 真下も来たことだしね。そう言うと、すみれさんが、何とも複雑そうな表情を作ってこっちを指差す。 なに? 「……でもコレ、使い物になるの?」 へ? と見下ろすと、もはや言葉もなくぐったりする未来の警察官僚が約一名。 「あ、やば。ごめん、真下生きてる?」 きゅうっと締めてた腕を外すと、真下がふらふらと倒れ込みそうに……なったかと思えば机に手をついていきなり復活を果たし、俺の目の前に立ちはだかる。 「先輩っ! 先輩は僕が可愛くないんですかっ!」 どうやら怒ってるらしいと思いつつも、更には自分が危うく無意識に犯してしまいそうになった犯罪のことはまあ見ないようにしつつも、俺はついつい正直に答えてしまう。 「お前のドコがどう可愛いのよ」 「失礼な…このつぶらな目とか愛らしい唇なんかよく可愛いって言われるんですよ?」 「……誰が言うんだよ」 「そりゃあそんなこと言うのは……って、じゃなくてー! 何言わせんですか!」 「真下くんが勝手に言ってんじゃないの」 「そうだよねぇ」 「以前から思ってたんですけど、先輩もすみれさんも僕のこと誤解してません?」 「ドコが誤解?」 「ナニが誤解?」 「僕だって本店だと結構モテてるんですからねっ。あっち戻ったら先輩よりも合コン行く回数多くなっちゃいますよきっと!」 「……じゃあ本店帰れば真下くん」 「……それってお前がモテてんじゃなくて方面本部長の息子だとか一応キャリアだとか、外側だけがモテてんじゃないの?」 「誤解してんのは、あたし達じゃなくて、真下くん」 ぴっ、と人さし指でその顔を差し示し、あっさりとその場を締めて、すみれさんはコーヒーメーカーに朝の一杯を取りに行った。 会話が一段落したってことで、俺も帰ろっかな、と髪をぐしゃぐしゃと掻き回しながら立ち上がる。 だけど本当にしゅーんと情けない顔をする真下がちょっとだけ可哀想になって、俺は横から覗き込んで一生懸命フォローしてやった。 「まあ元気出せよ真下。それしか取り得がなくても、何もない人間よりかはずっとマシじゃん」 「……先輩」 僕に何か恨みでもあるんですか、と恨めし気に呟く真下を左手で押し止めて鞄を肩にかける。 「じゃ、俺帰るから。あとよろしく」 「先輩ってば〜」 けれどコーヒーを持って戻ってきたすみれさんに手を振りつつ、泣きついてくる真下は足蹴にしつつ、今にも刑事課の扉を潜ろうとしたその瞬間。 「!」 耳をつんざく音と共に、嫌になるほど聞いてきた冷静な声色のアナウンスが辺りに響き渡る。 思わず振り返ると、一瞬で刑事の顔になった真下と、小さく頷くすみれさん。 はあぁ、と天を仰ぎ、ばかでかい溜め息をついた俺は、視線を戻して前を見るのと同時に大声で叫んだ。 「行くぞ真下!」 「はいっ!」 帰って寝て、あるイミ平和に、あるイミ空しく、32回目の誕生日をたぶん無為に過ごすはずだった俺はまたもや何故か。 「ちょっと青島くんちゃんと飲んでんの!?」 「はいはい先輩ぐぐーっと!」 正面と右隣から脅されたり乗せられたりしながら、都合……何杯目だっけ??の杯を勢い良く空けてたりする。 あー……俺、ほんと、何やってんだろ、当直明けなのに。 思わずこっそり溜め息をつくと、それをしっかり見咎めたすみれさんに叱られた。んなこと言ったってさ……。 結局あの後も立て続けに細かい事件が起こって、強行犯係総出でも人が足りなくて、俺が緒方くんや森下くんと一緒になってその処理に飛び回ったの、知ってんでしょ? ま、昼もだいぶ過ぎた頃になってようやく課長に大小様々の事件の報告をしに署に戻ってきた後、ついつい応接室で前後不覚に寝入ってしまったのは俺の今日の最大の不覚かも。 その数時間後には帰る準備万端のすみれさん達に叩き起こされ、あたし達が祝ってあげるんだから当然行くわよね?とかいう、脅しにも近い誘いに何度も頭を縦に振って、……それで結局いつものメンバーで飲んでたり。 ……ま、やっぱ何だかんだ言って自分の誕生日を一緒に祝ってくれる人がいるのは嬉しい。 「…ここっておつまみ美味しいって聞いてたのにー。普通じゃなーい」 ちょっとだけ怖いけど、よく、さりげなく助けてくれたりするすみれさん。 「そうですか? この唐揚げなんか結構イケると思いますけどねぇ」 …いいもの食べてないのねお坊ちゃん、なんて言われてもにこにこしてる、ちょっと頼りないけど人はイイ真下。 「青島さんて思ったよりはお酒、強いですねぇ」 「雪乃さん。俺のこと何だと思ってんの?」 真下とそう変わらない量を飲んでるはずなのに、見ためは普段と全く同じ、それだけじゃなく実はすみれさんよりも大物かもしれないと最近こっそり思わざるを得ない雪乃さん。 本当に俺はイイ仲間に恵まれてんだと、シアワセな気持ちになる。 俺が正しいと思うことをする、それを止めるでもなく、怒るでもなく、呆れながら、苦笑しながら、方向修正だけしてくれたりする彼等がいて、更にはそんな俺達を否定することなく肯定してくれるずっと上の立場の人が俺にはいてくれて。 ……あれ? 「ところで先輩っ。今年も僕が一番ですねっ」 何だか分からないうちに思わず眉間にしわが寄っていた俺の右隣から上機嫌な真下が肩を叩いてきた。 「……何が?」 「何がってあれですよあれ! 誕生日のオメデトウ!」 …一瞬の後。ばこん。という音と、……何故か、手がイタイ。 「いったぁ! 何すんですか先輩ーっ!」 「あ。ごめん、つい」 「ついって何ですかついってー!」 「…今のは真下くんが悪いわよ。ねえ、青島くん?」 にっこりと、こちらも上機嫌な顔ですみれさんが微笑む。 無意識に取った行動の裏さえ読まれてるような気がして、俺は思わず立ち上がった。 「青島さん?」 「…俺、トイレ行ってくるね、トイレ」 「いってらっしゃーい」 「なんで僕が悪いんですかすみれさーん」 「はいはい真下さんも飲みが足りないみたいですよー」 勢い良く動いたせいばかりではなく、たぶん後ろから聞こえる複数の声のせいでも多少ふらつく頭を押さえて、俺は洗面所へと向かう。 広く壁面を使った鏡を覗き込むと、世にも情けない顔をした自分がこっちを見つめていた。 「……ほんと、何やってんだろ」 とりあえず酔いで火照った手を洗ってみる。冷たくて、気持ちいい。少しは心が晴れたような気がした。……あくまで気だけだろうけど。 さっき、思い浮かべかけてたこと。 なんだか無性にアタマにきてぶん殴っちゃったこと。 今頃になって、何だけど……その……今日の俺のコレって、……まさかとは思うけど、あの人から連絡ないせいなんだろか? 電話の一本もよこさないのは確かに薄情かもしれないけど……ほんとに、俺って、たかがそんなことでこんなに情緒不安定になってる訳? 「……なんだかな……」 「……ねえ。さっきからもう8回目なんだけど」 はあぁ……と力無い溜め息をついた途端、すぐ横から低い声が響いて、俺は文字通り飛び上がりそうになってしまった。 「す、すみれさん!?」 「署ではずっと見てた訳じゃないけど、知ってる限りでは7回」 「へ?」 一体何のことをそんなにおっかない顔で言われてるのかが全く分からず、思わず間抜けな問いを返すと、すみれさんは腰に手を当てて下からずいっと睨みを利かせる。背が低い彼女得意の、取り調べの時のスタイルだ。 「……ケイタイ」 「は?」 「こうやってみんなでせっかく飲んでるのに、そんな何回も携帯確認しなくたっていいじゃない」 憤慨したように顎をしゃくるすみれさんの視線の先。ハンカチをしまった後のはずの俺の右手には、いつの間にか携帯電話があって。いや、自分で出したんだろうから、いつの間にかじゃないんだけど。 俺はでも、ちょっとの間、呆然とする。全く意識してなかったってのに、……なに、何回見てたって? 「あの、すみれさん、俺、そんなに見てた?」 「無意識なの?」 「……うん」 「……重症ね」 やれやれと息を吐いて、肩を竦めたすみれさんがあっさりと身を翻して戻って行った。残された俺は馬鹿みたいにただそれを見送るだけ。 ……だって。 もしかしたら俺が一気飲みなんてやってる間に着信入ったかもしれないとか。 上着脱いでトイレ行ってる隙に鳴ったかもしれないとか。 言われてみればそんなことばっか頭をよぎってそわそわしてたのは事実だ。 「……なんつーか、ほんと、重症だね」 がしがしと後ろ頭をぐしゃぐしゃにしつつ、仕方なくそれを認めた俺は天を仰ぐ。 去年の誕生日には、全然連絡取らなかった。 俺も忙しくしてて忘れてたから。ていうか、それどころじゃなかった訳だし、実際。 あの人は言うに及ばず。俺なんかにケリ入れられる暇もなく、あの人なりに必死だったんじゃないかと思う。 張り込み行ってた真下がへろへろな状態で病院に来て、今朝と同じように馬鹿でかい声を張り上げて初めて、俺は自分の誕生日が終わってたことを知った。 でも年取ってくればそんなの当たり前だと思う。 自分の誕生日なんて、子供じゃあるまいし、もうみんなに祝ってもらうほどの年でもないし。 ……でも今年はなんでこんなに拘ってんだろ、俺。 ちなみに今年の正月のあの人の誕生日には、俺、ちゃんと逢いに行った。いや、逢いたくて行ったんだから『ちゃんと』って言うのはおかしいか。 遅くになって起きた事件の後処理のせいで日付変わっちゃってたけど、それでも日本酒持って逢いに行った。 ……なのに、あっちは電話すらよこさないなんて、……結構冷たいよな。 忙しいのは分かってるし、実際あの人が仕事より俺を選ぶような人なら、さっさと愛想つかすかもしんないし、それに何より俺達の関係は決して見返りを求めて始まったものじゃないし、……分かってんだけど。 要は結局。 「……まだまだ修行が足りないんだよね……」 もう一度溜め息をついた俺は、頬を両手で思いきり叩いてから何気ない顔を作って席に向かった。 さんざん飲んで、食って、カラオケ行って、すみれさんと雪乃さんを駅まで送り届けてから、もう1件行こうと騒ぐ真下を振り切って、俺は自分のアパートに帰って来た。 遊んで疲れて、でも決してそのせいだけじゃなく重くなりがちな足を引き摺って階段を昇る。 部屋に入り込んで鍵をいつもの本棚の上に置いたところで、また無意識に携帯を確認してる自分に気づいてちょっとだけ苦笑。ここまでくると、我ながらあっぱれってカンジかも。 ちなみに確認した日付は12月13日。時刻は午後11時50分。 ……あーあ、と溜め息が漏れて、やっぱり日付が変わるまで真下と飲んでれば良かったかな、とか、いっそ押しかけて調子のイイ振りでもして「おめでとうぐらい言ったってバチあたりませんよ」なんて言っちゃえば良かったかな、とか。 ぐるぐる頭の中をいろんな想いが駆け巡るのを振り払いたくて頭を振ったその時、留守電の赤いランプが明滅してるのが目に入った。 ……ウソ。……まさか。 思わず一瞬固まって、でもすぐに俺は留守電に飛びつく。 酔ってるせいで足がもつれたけど、そのせいでその辺に転がってた鞄を踏んづけた気もするけど、そんなことどうだっていいから。 早く早くと急かすココロを抑えながらボタンを操作し、メッセージが流れてくるのを待った。 入ってるメッセージは1件。 『……室井、だが』 ピーッとかいう愛想のない音の後に、もっと愛想のない声が流れ出た。 って、ああ、どうしよう、俺嬉しすぎてけなしてる。でも、そんくらい動揺するくらい、嬉しい。 そろそろコタツにしようかと思ってたテーブルに突っ伏しニヤける顔を必死に引き締めようとして、その後に何も続かないことに気がついた。 けれど録音されたメッセージは空しいツーッ、ツーッという音に変わるでもなく、テープはくるくると回って、時間だけが過ぎる。 なんだろう?と俺が思ったその瞬間、息を吸い込む気配がして。 『……誕生日、だったな。……おめでとう』 まるで清水の舞台から飛び降りる時のような重大な声でそれを告げ、また電話する、と繋げたあの人の声はそのまま消えた。 機械的な女性の声が、目を見開いた俺の意識を引き戻す。 メッセージの入れられた時刻は……『12月13日0時1分』? ちょっと、それって、その、つまり、あの……。 そして、ぽかんと口を開けたままたぶん今日一番の間抜け面を晒していた俺の目の前で、いきなり電話が鳴る。思わずびくりと身体が勝手に反応する俺の視線の先、電話の横、毎朝けたたましい音で存在を主張する目覚まし時計の針が指すのは……11時58分。 何かが頭に浮かぶ間もなく、あたふたと滑稽なほど慌てふためいて受話器を取った。 「もしもし!」 夜中にしては近所迷惑なくらいの音量でそう叫ぶと、向こう側で、驚いたような、苦笑したような、そんな風に空気が動いて。 期待しすぎてそれっきり何も言葉にできない俺に、笑いを含んだ声で、室井さんが言った。 『……今年は間に合ったな』 祝ってくれる仲間がいて。自分が心から逢いたいのに、と思える人がいて。 本当はそれだけでも充分なくらい、それ以上を望んだらばちが当たりそうなくらいシアワセなはずなのに。 そんなワガママな俺のこと、室井さんはちゃんと待っててくれた。 どうしよう。蓋開けてみたら、誕生日が、室井さんで始まって、室井さんで終わってたなんて。 今年は……あ、いや、今年はもう終わりだけど、俺の今日からの一年は。 これまでの人生を振り返ってみてもそうはないってくらいにイイコトありそうな予感。 ていうか、絶対イイコトあるでしょ。なかったら、嘘でしょ。 ま、とりあえずは、来月のアタマだね、室井さん。 「終わり良ければ全てよしってね」 『? 何のことだ?』 「あ、いや、何でもないでーっす」 なんか、でも、なんで俺が今日って日にあんなに拘ってたかなんて考えるまでもないことだったかも。 分かってみれば、馬っ鹿じゃないのとか言いたくなる。ただ単に、こんなにもあの人のこと、俺が好きだと思ってるからに決まってんじゃないの。 |