-----青碧-----



 仕事の合間に何とか時間を見つけた室井は、久し振りに病院の廊下を歩いていた。
 背筋を伸ばし、室井はよどみない足取りで青島の病室へと向かう。
 ただ窓を大きく取った明るい廊下にさしかかった時だけ、室井の口元に微かな笑みが浮かび、靴音がゆったりとしたものに変わる。
『ケリ入れてね、追い返してやるんすよ』
 そう言い切って遠くを見ていた青島が嬉しそうだったのは、室井の欲目だったろうか。
 一瞬、青島が倒れ込んだベンチを見た室井が元の歩調に戻る。
 すぐに目的の扉にたどり着いて、小さくノックをした。
 返ってこない返事を待たずにドアを開ける。
 あまり時間がないせいと、もし青島がこの前のようにリハビリに出ているのでは、という危惧があったせいだ。
 しかし、青島はちゃんと病室にいた。
 規則的な寝息を乱さないように、室井はそっと扉を閉める。
 限られた時間が勿体ないような気もしたが、見る機会の少ない寝顔を見ているのも悪くないと、室井はそう思った。


 目を開けた時に最初に見えたのは、夕方の色に染まった白い天井。
 あぁそうか、ここは病院なんだっけ、と毎回思うことをまた考えてもう一度目を閉じる。
 が、その閉じる寸前の視界の端、何もないはずの空間にあるはずのない影が見えた気がして青島はぱちりと目を開いた。
「む、室井さんっ!?」
 素頓狂な声で叫んで思わず勢いよく起き上がろうとすると、慌てた室井に両肩を押さえつけられる。
「急に起き上がるな。傷にひびく」
「は、はい・・・って何で室井さんがこんなとこいるんすか」
 何だか信じられなくて何度も目をぱちぱちさせる青島を見て、室井が怒ったように眉間のシワを深くした。
「いたら悪いのか」
「いや、その・・・悪いってワケじゃないすけど・・・」
 そんな室井を見て驚きから覚めてきた青島が、いつもの悪戯っぽい瞳をつくる。
「もしかして、わざわざお見舞にきてくれたんすか?」
「・・・・・・・そうだ」
「・・・・・・・そうっすか」
 たっぷり10秒はためらった後に、それでもはっきりと肯定する室井の言葉に、青島の頬が自然に綻んだ。
 そんな青島の表情を見て、何故か室井は余計に怒ったような顔になる。
 普通の人間、例えば室井の部下である警視庁の刑事達や、湾岸署の管理職の面々ならばここで恐る恐るといった体になるのだろうが、青島にはあまり関係のないことだった。
 それにずいぶん前二人で捜査した時に、切れた電話に向かって演技をしてみせた室井の表情と今のそれがとてもよく似ているような気がして。
 あの時の室井さんの演技はケッサクでしたねー、などとツッコミを入れてみようとした青島の言葉は、しかしその前に問いかけてきた室井に遮られる。
「・・・傷の具合はどうだ」
 俺が言いたかったことバレたかな、と心で考えつつ、それでも心配してくれるのが純粋に嬉しくて青島はまた微笑んだ。
「あぁ、まぁなんとか。実は明日っから大部屋移るんす」
「・・・そうか」
 それは良かったな。
 言いながら室井が複雑そうな表情を見せる。
 が、すぐに怒ったような顔に戻って起き上がろうとした青島の肩をまた押さえた。
「起きなくていい」
「でも俺、室井さんと同じ視線で話したいっすよ」
 笑って言うと、またもや室井が複雑そうな表情に逆戻りする。
 今日の室井さんはなんか変だなー、と思いながら、怪我をかばった青島はまず右側を下にして横を向き、それから肘をついて起き上がろうとした。
 が、姿勢が変わったせいか目に映る光の加減が変わり、青島は室井を見上げて途中で動きを止める。
「・・・? どうした」
 そろそろ夕方が夕闇に変わる時間帯。
 窓を背にする室井も、次第に輪郭が背景に溶け込んで行くように見えて。
「・・・青島?」
「あ・・・。いや、なんか不思議っすよね」
「?」
 たった今自分が感じたままを口にした青島は、不可解な表情になった室井を見て慌てて言葉を足した。
「空気に色なんかついてないのに、なんで全部水色に染まって見えるんでしょね」
 室井が周囲を見回し、青島も改めて狭い部屋を見渡した。
 明りのまだついていない白い病室も、庭にある木々も、空も。
 全てが白みがかった水色に染まっている。
 シンとして動かない、まるで水彩絵の具で描かれたような背景。
「そういや夜になる前はもっと青が強くなるし・・・」
 目を細めて青島が言うと、室井も頷く。
「ああ、そうだな。・・・だが今までそんなこと気にしたことがなかった」
 しかめ面で、まるで自らを責めるような言い方をする室井に、青島は笑い出してしまう。
「俺だってそうっすよ、室井さん」
「じゃあなんで急にそんなこと言い出したんだ」
「え? ・・・さぁ。なんででしょ」
 考えようとして、無理な姿勢が次第に苦痛になってきていることに気付き、とりあえず青島はきちんと起き上がることにした。
 室井がすかさず枕の位置を変えて寄りかかれるようにしてくれる。
「・・・すんません」
 言って、笑いかけたその時に思いついて、青島はぽんと手を叩く。
「なんだ?」
「室井さんといるからっすよ」
「・・・何?」
 青の壁を見回して、にこりと微笑んでみせる。
「室井さんといるからっすよ、きっと」
 自分で導き出した答えに満足して室井に視線を戻すと、思ったより近くにその瞳があって。
 驚いたように凝視してくる瞳を青島は魅入られたように見返し、一瞬固まっていた身体はどちらからともなく近づき、唇を重ね合った。
 そのまま相手を抱きしめたら、と。
 止まらなくなることが分かっていて、強く強く抱きしめ合う。
 青島は、室井の肩に額を当ててその身体にしがみつき。
 室井は、右手で傷を優しく包みこむようにしながら左腕で青島を抱きしめ、トレーナーから覗く首筋にそっとくちづける。
「・・・室井さん・・・」
 思わずぴくりと反応してしまう自分に戸惑い、青島は掠れた声で室井を呼んだ。
 室井の腕が更に力を込める。
「・・・青島」
 抱き合う強さはそのままに間近で視線を合わせ。
 もう一度深く唇を合わせて、二人の体重が枕にかかろうとした所で、ノックの音がした。
 慌てて離れた室井が椅子に座った途端に、看護婦がにこやかに病室に入ってくる。
「青島さーん、検温ですよー」
 あれ、どうして電気つけないんですか?
 にこにこしたままの白衣の天使に、いやその実は空気の色を見てたんっすよなどと得意の営業スマイルで答える横で、小さなため息が聞こえた。
 振り返ると、疲れたような怒ったような顔で室井が立ち上がる。
 自分も似たような顔をしているに違いないと思って、青島は苦笑を浮かべた。
 一瞬だけ真剣にこちらを見遣った室井が置いてあった鞄と封筒を手に取る。
「また来る」
「来なくていいっすよ。室井さんにはもっと上に行ってもらわなきゃ」
 もうすでに歩き出している背中ににやりと笑って告げると、室井は下手をすれば睨みつけているかのような強い目でベッドに座った青島を見下ろす。
「私はその為にできる限りの力を尽くしている。その他の自分の時間をどう使おうと勝手だろう」
「そりゃ・・・そうすけど」
「・・・また、来る」
 口元だけで小さく笑ってみせた室井に、青島もつられて微笑んだ。
「・・・はい」
 真剣な顔で脈を取っている看護婦にちらりと視線を走らせてから、青島は口の動きだけでこっそり囁いた。
『・・・待ってます』
 思わずこぼれた、といった笑顔になる室井が振り返らずに病室から出て行くのを、これも清々しく笑顔で見送って。
 それから我に返った青島はおもむろにひとりごちた。
「・・・・・・・でも明日から大部屋なんだっけ」


「・・・本庁へまわしてくれ」
 待たせてあった車に乗り込んですぐに運転手に告げ、室井はシートに身体を預けた。
 知らず知らずのうちに詰めていた息をようやく吐き出して、目を閉じる。
 心臓が止まるかと思ったが、あの瞬間に看護婦が現れてくれて正直な所助かった。
 今の室井には時間がない。
 青島との約束に一刻でも早く報いるために、高みへと上り詰めなければならないからだ。
 たった一つの、自分達の理想を実現するためのポストはまだまだ遠い。
 それでも実際青島を前にしてしまえば、そんな想いさえも霧散してしまう。
 触れたくて、確かめたくて、止まらなくなる。
 驚いた顔も、いたずらを思い付いた子供のような顔も、自分を信頼しきって微笑む笑顔も全て腕の中に。
「・・・待ってます、か・・・」
 けれどそこで最後の青島の眩しいほどの笑顔を思い出して、室井はほんの少し笑みを浮かべた。
 切ないくらいの想いは、言い表せない愛おしさに昇華する。
「・・・何かおっしゃいましたか?」
「・・・いや。何でもない」
 視線を上げて運転手に返事をする室井の瞳は、しかし前方を真っ直ぐに見据えていた。
 確固たる信念と、すでに譲れないものとなった理想を改めて心に刻み込んで。
 誰にも聞こえない声で、室井は呟く。
『・・・絶対上に行ってやる』





ふたつめに書いた「踊る」小説。
なんだかすっかりらぶらぶのような気がしてますが、
どんなもんでしょうか。←聞くなって
私は青島くんや室井さんのおかげで、
今まで気がつかなかったことに気づいたりしてます。
何かを好きって、誰かを好きって、ほんとにスゴイこと。
(ただ、仕事中に同人的ネタ考えるのはやめようね自分)
でもそれ、上手く表せなくて申し訳ない!←何その態度!
書けたらこれの室井さんバージョン書きたいっす。



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