「ちょっ……先輩っ、あぶなっ……あちちちっっ」 飛んできた火花の塊を避けきれず、思いきり被弾してしまった僕を見て、それをしでかした犯人――言わずもがなの先輩だけど――は事もあろうに大笑いした。 「馬っ鹿だな、オマエ、避けなきゃ危ないだろ?」 「そんなこと言うならこっち向けないで下さいよ!」 必死で叫んでも、ちっとも聞いちゃいない先輩は新しい手持ち式の連続打ち上げ花火にチャッカマンで火をつける。 「えーと、今度は15連発だってさ。頑張れよー」 楽しそうににんまり笑いつつ、先輩がひらひらと手を振って。 所詮、子供のおもちゃ。不発だって必ずある。あるけれど。 「それだって最低10発は飛んでくるってことじゃないか〜!」 情けない声で頭を抱えて先輩から逃げ出す僕のことを誰も笑えないだろう……と思うのは僕だけなんだろうか、やっぱり? 事の起こりは3日前。 とあるデパートで張り込みの末に被疑者を無事確保し、和久さんと雪乃さんがそいつを引っ張って行くのを無線で確認した僕と先輩はそのまま署に戻ろうとした。 が、その時、そこの1階でばかでかいスペースを使って大々的に売り出していたのが、そろそろ時期も終わろうかという花火の数々だったのだ。 手持ちから打ち上げまで、色とりどり、様々な種類の花火なんてものを見て――おまけに安売りときて、更には僕が一緒だったんだから――先輩が黙って通り過ぎる訳がない。 給料日前だってのにロケット花火やらネズミ花火まで買わされて、おまけに珍しくも仕事が定時を2時間ばかりしか過ぎない時間に終わった今日、ここ湾岸署管轄内の空き地に無理矢理引っ張られて来たのだった。 僕としてはこんな夜は、どこかお洒落なシティホテルの最上階で豪華とまではいかなくてもちゃんとしたディナーをとって、それからスウィートとまではいかなくてもまっさらな白いシーツの上で甘い夜を過ごして……なんて期待したいってのに(給料日前だけどそんなのカードで何とかなるだろうしさ〜)、なんでこんなことになってるんだろう。 ちょっと情けない気持ちで溜め息をつくと、その隙に先輩が今度はネズミ花火を3つも投げてくる。 ……ほんっとに容赦ないんだからこの人は……。 「あー、面白かった〜」 思わず、そりゃあ後輩であれだけ遊べば面白かったでしょうね、と嫌みが口から出かかるのを僕はかろうじて飲み込む。 そんなこと言ったら最後、今日はせっかく上昇しっぱなしの先輩の機嫌が急転直下、底辺にまで下降するのは今までの経験からいったら確実だし。 実はまだ夜明けのコーヒーを諦めていない――だって先輩は明日非番だったりする。しかも滅多にないことに非番の前の日に僕と逢ってくれてるなんて! 僕は明日休みじゃないけど、先輩と一緒に一晩過ごせるなら寝不足だろうが何だろうが構わないに決まってるじゃないか!――僕は、そんなことはおくびにも出さずににっこり微笑んで見せる。 「そうですね」 「じゃあ、またやろうな」 が、物分かりの良い後輩を演じてみせる僕の心のうちはしっかり読まれていたようで、先輩が意地の悪い顔で笑いながら即答する。 僕は思わずがっくりとうなだれたりして、それを見た先輩がますます嬉しそうに、弾むような足取りでこちらに近寄ってきた。 「今度は20連発で」 「……はいはい」 「はいは一回」 「…はい」 しゃがみ込んでコートのポケットをごそごそ探る先輩には気づかれないように、僕はひとつ溜め息をつく。 …なんか先輩に出逢ってから、僕はやたら辛抱強くなったような気がするのは気のせいだろうか、いや。 我ながら自分のケナゲさにちょっと泣けてくる回数が増えてきたのも、気のせいじゃないはずだよな……。 「よし。じゃあコレで締め、な?」 はあぁ、と音にならない息を漏らしつつ、でも今度は子供みたいな無邪気な表情で笑う先輩につられて頬を緩めてしまい、これはやっぱり惚れた弱みだよなぁなんて呑気に考えて僕はその向かい側に陣取る。 先輩がポケットから取り出した――花火の最後と言ったらこれで決まりと何故か日本全国お決まりの――線香花火を手渡してくれた。 「ほら」 「どうも」 大の男が二人で線香花火やってる姿はどうだろう、とか考えつつも、おとなしく1本ずつ持って火を点ける。 火の熱さに煽られた火薬が次第に集束し、丸い、大きな塊になった後、そこから種が弾けるような勢いで火花が飛び散り出して。 かと思うと、もうすでにそれを落としてしまったらしい先輩が、恨めし気に僕の手許を見遣り、それからいきなり、 「わっっっ!」 「ぅわぁ!」 大声で叫ぶもんだから、驚いた僕のものまで地面に落ち、すぐに吸い込まれるみたいな儚さでオレンジ色の光は消えてしまった。 「もう……何すんですか先輩」 「…………。」 「自分が落としたからって巻き添えにしないで下さいよ」 「…………。」 「落ち着きないから落ちちゃうんですよ?」 聞いてます?と覗き込むと、むすっと引き結ばれた口元が、今の先輩の心情を表わしていて。 「……まあ、次のやりましょか。ね?」 下手に口を開かせて喧嘩になっても困るので、僕はまるで子供にしてあげるように、新しい線香花火を取り出し、先輩の右手に握らせ、左手に持っていたチャッカマンを取って火を点けてあげた。 そんな扱いが気に入らなかったのか先輩はますます不機嫌な、眉根を寄せるような表情になり、それでもおとなしく花火に見入る。 僕も新しい一本を取って、同じように手に持った。 ぱちぱちと音をたてるそれはまるで夏の夜空を染め上げる、実体のない巨大な球体のミニチュア。 無言のままじっと見つめていると自分が宇宙を外から覗き込んでいるような、そんな変な気分になってくる。 ふと、気配を感じて顔を上げると、先に終わったらしい先輩が僕を見ていた。 「な、なんですか?」 花火に意識を取られてて気づかなかったうちに、先輩は向かいから真横に移動していて。 無表情なその目に僕は思わず少し後ずさるような動きをしてしまい。 「……もしかしてほんとに怒っちゃったんですか……?」 びくびくしながら窺うと、ますます表情を消した冷たい瞳が、僕をねめつける。 かと思うと先輩はにっかり笑ってしゃがみ込んだまま体当たりをかましてくれた。 「……まあいいや。風除けになってくれたから許してやる」 「え……」 簡単に転がって、それから慌てて起き上がった僕は、先輩がぼそりと呟いた内容にびっくりして目を見開いた。 確かに風上を確認してからしゃがみ込んだけど……気づいてた素振りなんか見せてなかったくせに。 先輩を出し抜こうなんて、僕には100年早いってか? なんだかいつまで経っても敵わないと思わされてるみたいで、ちょっとカナシイかも…。 「…ところでお前さ、もしかして戦争やんの初めて?」 ぐるぐると考える僕のことなんかもう忘れたみたいに、今度は2本一緒に持って火を点けてた先輩が急に話しかけてきた。 「戦争……ですか? 僕は戦争には行ったことないですけど…あいたぁっ」 答えた途端頭を殴られて、僕は抗議体勢に入ったけれど。 「ちょっと先輩!何もグーで殴ることないでしょ!?」 「馬鹿かお前は!誰だって行ったことある訳ないだろーがっ」 俺が言ってんのは花火の戦争だよさっきやったろ!? と、再び殴りそうな勢いで、先輩が拳を振り上げて怒るから、僕は情けなくもあっけなくホールドアップ。 「せっ、先輩っ、ちょっと待ってブレイクブレイクッ!」 白旗ぶんぶん振り回す僕の仕草に、先輩が手をいったん降ろしかけ、また持ち上げて脅しをかける。 それに対して僕が亀のように首を縮こませるのを見て、ようやく満足した顔で地面の花火の束に向き直って。 「で? 初めてなのかよ?」 ……絶対、この人は僕をおもちゃにして遊んでる。 僕の気持ちも全部知ったうえで、こんな風に毎日遊んでるんだ……。 「ました?」 「はっ、はいっ!?」 なんて思わずまたもやぐるぐるし始めた時に先輩に間近から覗き込まれ、その何でも見透かす瞳から逃げるように僕は思わずあることないこと口走ってしまった。 「あ!あぁえと初めてですよ僕はしたことも見たこともないですあんな野蛮な楽しみ方……」 そこまで形にしてはっと気づき、慌てて口を塞いだけれど、僕のそんな動作は当然の如く間に合わず。 「野蛮で悪かったな野蛮で」 とりあえず目を細めた凄味のある先輩に、死なない程度に首を絞められるという事態にしばらく陥るしかなかった。 げほげほと涙目で咳き込む僕を尻目に、先輩は線香花火を今度は3本まとめて持ち、案の定大きくなりすぎた火の玉があっという間に落ちてしまったのを見て面白くなさそうに投げ捨てる。 「……しっかし、ほんとに坊ちゃんなんだねぇ、オマエ」 「え?」 「……住む世界違うってカンジ」 最初は何を言われてるのかも分からなかったくせに、胸だけが、ずきん、と痛みを訴えた。 そしてそれは理解が及ぶにつれて、目の奥とか喉とか、そんな場所にも伝染されていく。 さっき探ってたのとは違う方のポケットから煙草を取り出した先輩が、ふう、と煙を吐き出した。 それがまるで溜め息のようで、薄い瞳からは何の感情も読み取れず、思ってもみなかった先輩のその言葉の羅列に僕はちょっと、どうしたらいいのか分からないくらい切なくなる。 「あと一本」 「え…?」 「オマエやんなよ。ちっともやってないだろ?」 「あ、…はい」 僕は先輩に言われた通り、最後の一本を手に取って、のろのろと火を点けた。 時間をかけて、暖かい色の火花が、少しずつ舞うように散っていく。 それから、まとまった火の玉が、弾け始めて。 いつもはあんなに綺麗だと思ってたものが、こんなに悲しく見えることがあるなんて思いもしなかった。 知らないことを、知らなくても良かったかもしれないことを、僕は先輩と一緒にいると沢山覚えていく。 イイコトも悪いコトも。 やっぱり、先輩にとって僕は面白くない存在なのかもしれないと思ってしまう。 ちょっと構えば尻尾振ってついてくる、でも時にはうざったいだけの同僚で、恋人のような振りをしてくれてるだけなのかもしれない――の割に冷たすぎる気もしないでもないけど。 でもきっと、今日だって本当は僕なんかじゃなくて、すみれさんや雪乃さんとロマンチックに花火したかったのかなぁ……なんて。 考え始めて止まらない僕の腕に何かが当たった。 「……先輩?」 見遣ると、先輩が僕に寄りかかりながら地べたに直接座り込んでいる。 僕が持つ線香花火をじいっと見遣って、それから僕の目を真っ直ぐに見て。 「でも今は一緒だろ?」 「…は?」 唐突な言葉に目をぱちぱちさせる僕の視線を奪うように、にっこり笑った先輩が人差し指で舞い散る火花を指して言う。 「同じモン見て、聞いて、感じて、キレイだと思って」 僕に視線を戻して、滅多には見れない柔らかい優しい瞳で笑う。 「同じコトで、笑ったり泣いたりして」 呆然としたままの僕から掠めるようなキスを奪って、先輩が。 「……好きだって思ってさ」 前言撤回。 かなり辛抱強くもなったけど、情けないとこばっかり晒してるけど、僕は以前より確実にシアワセな日々を過ごしてる。 先輩がいるから、イイコトも悪いコトも教えてくれる先輩がいてくれるから、僕の日常は花火が地面に落ちて消えるようには、きっと、――終わらない。 |