-----ハピネス-----



 ・・・聖なる夜に、想うこと。


  もっと きみにあえたら いいのになあ
  ずっと その手に触れたい


 室井は時計を見上げてため息をついた。
 定時を過ぎて何時間か経ったことを示す針は、無情にも動きを止めることはない。
 もう一度ため息をついて机の上を見遣る。
 片づけても片づけても減らない書類の山は、ここと決めた所で帰るべきだということを告げていた。
 本来なら仕事を残したままでは退庁できない性格の室井だったが、ここ数週間の殺人的な忙しさにさすがに疲れていたこともあり、重い腰を上げる。
 タクシーを拾い官舎の住所を告げてシートに身を預けたところで、深夜には不似合いな明るさで横顔を照らされ、そちらを見遣った。
 真っ暗なウィンドウの中、そこだけスポットを当てられて輝くイルミネーション。
 赤と緑、それから金色の色彩で埋められた、切り取られたような空間を見て日付の変わった今日が何の日だったかを思い出す。
 同時にある姿が浮かんでしまい、それでも疲れているのだからと一応自分に向かって無駄な抵抗を試みて。
 いくら忙しい歳末とはいえ、もう帰ってしまったに違いない。
 もしかしたら誰かと飲みに出かけているかもしれない。
 それとも・・・。
 思いつく限りの悪い可能性を考えて考えて、結局室井は口を開いた。
「・・・台場の湾岸署に行き先を変更してもらえますか」


 仕事中にふと息をついた時。
 正面玄関から出て外の空気に触れた時。
 逢いたいと思う存在ははじめてだった。
 自分にもこんな感情が芽生えることがあったのかと、いつも驚きにも似た新鮮な気持ちに包まれる。

  そばにいてほしい あともう少し
  君だけが僕を癒してくれる

 けれどそれは室井にとって心地良い驚きだったのは確かなことで。


 前を、そのうちに視界に現われるはずの湾岸署の建物を見据えていた室井はふと視線を歩道に移した。
 蛍光灯もまばらな、暗く、人けのない、周囲は空き地だらけの道。
 一瞬で通りすぎそうになる真横に、モスグリーンの、今は黒とも見紛う色が翻る。
「止めろ!」
 とっさに口をついて出た命令で、運転手が急ブレーキをかけた。
「ここでいい。釣りはいらない」
 一歩間違えれば冷酷とも聞こえそうなそっけない声で運転手に告げて、しかしそんなことを考えている余裕は室井にはなかった。
 ドアを閉めて、どんどん小さくなる後ろ姿を確認する。
 車がエンジン音を響かせて立ち去るのと同様に遠くなる足音。
「青島!」
 急ぐ様子から何か用事があるのかもしれないと思ったが、次の一瞬には気持ちに衝き動かされ、室井は思わず叫んでいた。
 常にないその大声で、軽い足取りで走っていた背中がぴたりと止まる。
 たっぷり5秒は固まってから、恐る恐るといった体で青島は振り返った。
 信じられないものを見たというその表情から呼び止めたことを不安に思う室井の前で、またもや5秒固まってから青島は一気に破顔する。


 やりきれないことがあった時。
 信じられなくなりそうになった時。
 いつも響いてくる力強い声色が背中を押す。
 今の自分には何よりも大事な、大切な、失えないただひとつのものがある。

  大切なことを 易しい言葉で
  ささやいてくれる

 例え進む道の妨げになると誰に言われても、もう手放せない。


「室井さん!」
 心底嬉しそうに自分の名前を呼び、更に全速力で駆け戻ってくる青島を見て、室井は不意に胸が熱くなった。
「どーしたんすか? なんでこんなとこいるんすか? あ、仕事はもう終わったんすか?」
 息を切らしながらもにこにこと笑う青島が矢継ぎ早に問いかけてくる。
「いや・・・」
 ここまで至って初めて、この状況をどう説明すればいいのか焦ってしまう室井が言葉を繋げる前に、青島が先回りして真剣な表情になり。
「あ、じゃあまさかなんか事件が起こって湾岸署に向かうとことか?」
 更に焦った室井は違うとも言えずに黙り込んでしまう。
 そんな室井をどう思ったのかは判らないが、青島はすぐにポケットに手を突っ込み、首をすくめて笑ってみせた。
「まあ、でも、何にしても室井さんが呼び止めてくれて良かったかな」
「・・・?」
 眉をひそめると、へへっと鼻をこすってはにかむような笑みを浮かべる。
「俺、室井さんとこ行くつもりだったんすよ」
 予想もしなかった台詞に驚いて目を見開く室井には構わず、青島は更に言を紡いだ。
「今日はクリスマスだから」
 室井さんに逢いたいと思って。
 何のためらいも見せずに告げてみせてから急に気恥ずかしくなったのか、青島がぽりぽりと頬を掻き視線を外す。
 それから黙りこくったままの室井をちらりと見遣り、普段より更に深く刻また眉
間の皺を見て慌てて顔の前で手を振った。
「いや、あの、その室井さ・・・っ!」
 弁解しかけたであろう言葉を遮って、コートの襟を掴み寄せ、唇を重ねる。
 ほんの数秒だけそのままで。
 温もりから無理やり自分を引き剥がすように青島から離れた室井は視線を逸らし、小さくつぶやいた。
「・・・私もだ」
「・・・え?」
 室井本人でさえ意外だった行動でよほど驚いたのか、凍りついていた青島が数瞬遅れて問い返してくる。
 きっと今の自分は怒ったような顔をしているに違いないと確信しながら、室井は丸くなった瞳に向き直った。
「私も君に逢いたかった」
 ますます見開かれた大きな瞳が次の瞬間には細められ、青島はくしゃくしゃの笑顔で室井に抱きつく。
 まるで足元にまとわりつく犬のように肩口に頬を擦り寄せる青島の首と腰を抱きしめて、ようやく室井も口元に笑みを浮かべた。
「メリークリスマス。室井さん」
 笑いを含んだ、けれど忍ぶような青島の囁きが耳をくすぐる。
 同じ言葉を、世界中の誰より伝えたい存在に告げるために。
 きっと間近にあるであろう、目を奪われるような笑顔を見るために。
 抱きしめた腕はそのままに室井はゆっくりと、少しだけ、離れて---------


  迷いのないスマイル よどみのないヴォイス
  そういうのがハピネス


 ・・・聖なる夜に、逢いたいひと。





クリスマスにクリスマス気分で書きました。
B'zの「ハピネス」を聴いて。
この曲がこんなにあの二人にハマるとは思わなかったです。
私的にツボだったのが、ココ。

  そばにいてほしい あともう少し
  君だけが僕を癒してくれる
  迷いのないスマイル よどみのないヴォイス
  そういうのがハピネス

これってめちゃめちゃ室井さんだよなぁ!とか思いました。
私はけっこう室井→青島かもしれないと思ってるので。
室井さんにとって大事なのは、何より青島くんのような気が。
もちろん青島くんにとってもそうなんですけどね。
ちょっとその捉え方に差があるんじゃないかな。
この続きは青島くんサイドの方で。




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