-----Snow Steps-----




 はらはらと舞い落ちる、それ。
 見上げれば、それは『あるべき筈』の向こう側の空間をも覆い尽くしていた。頬を掠める感触。それは羽毛のように優しく触れては、余韻だけ遺して消えていった。何度も何度も繰り返される柔らかな口付けに意識が遠退く。甘美で穏やかで時の流れから切り離されたような、そんな感覚だった。










「何してるのよ」
「あぁ……つい、見蕩れちまった」
「呆れた。私よりこっちの方がいいわけ?」
「ごめん、ごめん」
「なんちゃって。でも、ホント綺麗だもんね。去年は見れなかったからなぁ、ちょっと嬉しい」
「ちょっと?」
「凄く。ねぇ、何か雪みたいじゃない?はらはら、と落ちて」
「雪ぃ?雪はこんなもんじゃないぞ。もっとなぁ、重くてなぁ……」
「それは貴方が見る雪でしょ?私が知ってる雪はスキー場のか、東京で降る雪だもの」
「……そっか、まだ来た事ないんだよな。今度連れてってやるよ」
「寒いんでしょ?」
「そりゃ山だからな」
「寒いの、やだなぁ」
「あのなぁ」
「冗談よ、冗談。私も見てみたいもの、貴方が私より大事な奥遠和の山を」
「同じ位、大事だよ」
「嘘吐き」
「嘘じゃないって」
「そういうことにしとく」
「…………」
「どうしたの?」
「なぁ……」
「なに?」
「本気で考えてくれないか?来て欲しい」
「え……」
「お前には見て欲しいんだ。俺が愛してる奥遠和の山々を」
「………………」
「俺の隣で--------ずっと見ていてくれないか?」







 彼女の目が大きく見開かれ、そしてゆっくりと細められる。それは短くもない時間を彼女と過ごしてきた自分でも見たことのなかった、柔らかくて力強くて美しい--------まるで『眼前に』聳え立つ、何もかもを覆い尽くしてしまう厳冬期の奥遠和の頂のようだった。
 そうか、だから自分はこの目の前の女性に惹かれたのか。
 今更ながら気付く。血が沸騰し、足が震える。新しいルートに挑戦する時の不安と期待の入り混じった高揚感を、この平坦で薄汚れた都会の空気の中で見つけたのは奇跡だったのかもしれない。
 微笑む彼女を身体全体で感じたくて、手を伸ばす。
 そのとき、強い風が駆け抜けた。
 ぶおぉぉ、っと白い花弁が舞いあがる。
 伸ばしかけた手を戻し、拳で顔を覆った。僅かな指と指の間から向こう側をみると、不思議な事に彼女は変わりない笑顔を浮かべていた。
 そんな訳ない、と再び手を伸ばしかけたが、風は更に強く正面から襲ってきた。
 やがて
 視界も、彼女の笑顔も、白く染まった。























「……かっ!」
「あ?」
「ったく、なにやってんだよ。手ぇ動かせ、手。それとも諦めてるのか?」
「誰に言ってるんだよ」
「お前だよ。--------くそ、やっぱり少なすぎるか」
「こっちも固くてびくともしない。風と雪の重みでがちがちに凍っちまってる」
「雪洞もダメ。縦穴もダメ、か」
「仕方ない。あの窪みでビバークだな」
「……最悪」
「お前が言うな。元はといえばお前がなぁ」
「はいはい、俺が悪かったです。ほら、ザイル出せ」
「降りたらまずお前が運転長の説教だからな」
「…………最悪」
「おや、手が止まってますよ。それとも諦めてるんですかね」
「馬鹿言うな。ちょっと休憩してただけだ」
「お前の山好きには呆れるよ。そのうち『一生山から下りない』とか言い出すんじゃないだろうな」
「それ言うならお前だろ。お前の方が山から離れられないんじゃないか?」
「かもな」
「…………」
「どうした?」
「でも、お前、結婚するんだろ」
「…………あぁ」
「どうするんだ?あっちに行くのか?」
「いや、できればこっちに来てもらうよ。俺はここが好きだからな」
「…………そか」
「何だ?やきもちか?」
「馬鹿、気持ち悪いこと言うなっ」
「そうかそうか。知らなかったな」
「ちが……、こらっ、頭を撫でるなっ」
「心配するな。俺もお前以外の奴とザイル結べないからな」






 彼は一瞬、苦いものを飲み込んだように顔を顰めた。眉根を寄せ、唇を噛み締め、泣き出す寸前の子供のような表情に掛ける言葉が見つからなかった。
 風除けのシェラフカバーを広げる為にくるりと向けられた背中が白い雪の中で頼りなげに浮かぶ。そういえばこの男はいつも調子を周囲に合わせてうまく立ち回っていたが、逆に深入りすることを酷く恐れていた。彼にも以前、できれば一緒になりたいと思う女性がいたらしい。しかしどうしても山から離れられなかった彼と寂しいときに傍に温もりの欲しかった彼女の間にできた微妙なずれが、お互いが歩むべき別々の道を作り出していった。
そのときから彼は誰に対してもどこか一線を画すような付き合いを始めたようだ。
 未だ背を向けたままの彼に、せめて名前を呼ぼうと口を開く。ところが口はその形を作っているのに音にならなかった。おかしい。自分の喉元に手を当ててみる。もう一度、名前を呼んでみる。だが、声帯が震える感触はするのに声は発せられなかった。
 彼は未だ振り返ろうとしない。
 自分は彼を掛け替えのない友人だと思っているのに、彼は自分さえも拒むのだろうか。
 彼が振り向かないのならば、自分でこちらに向けさせようと肩に手を伸ばす。
 だが
 彼がはっと視線を前方に向けた。
 自分も空気の流れが変わったことに気付く。
 来る。
 斜め前方から強風に煽られて、ガスと雪が襲ってきた。一瞬にして視界が奪われる。思わずよろめいて後方の幹に背中を押しつけた。そして前方に立つ彼の安否を気遣い、細く目を開けた。
 しかし、もう彼の背中は白い闇に掻き消えていた。






















 あぁ、そうか--------
 彼女も、彼も
 伸ばしても伸ばしても、もう自分が掴んではいけない
 掴みたくても、もうその温度を知ることはできない



















 今、真綿のような白い雪の上に仰向けに倒れているにも関わらず何も感じない。突き刺すような膝の痛みも風が攫っていった。寒さは体温と共に薄れていった。
 あの岩場の影で蹲っている二人は大丈夫なのだろうか。風除けのシェラフカバーを失って、果たして彼が戻ってくるまで耐えられるのだろうか。散漫とした意識がまとまらない思考を作り出していく。答えをくれる者は何処にもいなくて、考える事すら億劫だった。そして自分の頭も白い闇に埋め尽くされる。
 耳元でさらさらと音にならない空気の動きを感じた。重くなった瞼を押し上げると、白い雪が飽きることなく宙を舞っていた。風に煽られ地上に辿りつかないもの。一直線に向かってくるもの。途中で消えてしまうもの。自分の顔にさらさらと雪が積もるが、指先一本も動かない状況ではそれを払い落とす事も出来なければしようとも思わなかった。
 この音が好きだった。
 はじめて聞いたとき、これが雄大な奥遠和のひっそりとした呼吸なんだと思った。こんなちっぽけな人間を難なく飲み込んでしまう壮大な大自然の吐息がこんなにも密やかなものだとは、誰も知らなかっただろう。
 あぁ、そういえば
 聞かせてあげるって言ってたのにな。
 俺の大切な二人に、この音を知って欲しかったのにな--------













「約束、したのにな」















 なぁ、いつか君がこの白い雪を全身で感じたとき
 君はこの小さな息遣いに気付いてくれるんだろうか
 時には誰もかも寄せ付けず
 時には誰よりも大きな腕で包み込む
 俺が恋焦がれてやまないこの山の息吹を















 俺はいつか、君に聞かせてあげられるんだろうか----------------
















 意識が遠退く。
 微笑む彼女と、ゆっくり振り返る彼の背中が見えた気がした。
 白い靄が完全に視界を遮る直前に、『吉岡』と呼びかけてこちらに手を振る二人が見えた気がした。
 これで--------充分だ。
 奥遠和からの最後の贈り物を受け取ると、小さな光が白い雪の中に解けて--------














 ----------------消えた。




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<かすみちゃんのコメント♪>
いずみんへ

 とりあえず悩む前に書いてみました、WOハナシ。
 自分としては禁断の死にネタだったんだけど、すんでのところでいつも助かる富樫と千晶ちゃんはきっと吉岡もなにか二人に約束してたんじゃないかと思って。

 でも書いていながら富樫の方に力を入れた自分の正直さに、ぷぷぷです。

 暗いのでBDにはふさわしくないですが、まぁとりあえず渡すだけわたしときます。資料が殆どなかったんで全くわからん雪山描写。ホントは無線連絡もいれたかったのに言葉がわからず、断念。嘘・大袈裟・紛らわしいこのハナシ。読んでいただけたら幸いです。

 ちうことで。
 もっと幸せなのが書けや、俺(苦笑)



ってことでーーー!! なんと去年に引き続きかすみちゃんからお誕生日プレゼントを戴いてしまいましたー!!
しかもアレだよ吉岡小説!ホワイトアウト小説っすよお客さんーーー!!(落ち着けやコラ)
はーもーでもこれが落ち着いてられるかってんだこんちくしょう!(つうか言葉乱れてるっすよ)
いやはや本当にありがとうございました、かすみちゃん(深々)
去年はともかく、今年は無理やり奪い取ったからね…ちょっと心苦しいものの、…よくやった俺!(大笑)
でも本当に、こんなにツボな吉岡さん書いてもらって…シアワセです。ありがとね(ぎゅむう)

内容としては…ご本人曰く、禁断の死にネタ。まあ確かにそうなんすけど。
でも読後感は全然そんなことありません。むしろ気持ちのイイ(語弊があるかしら)涙を流せるかと。
切なくて…とても綺麗です。少しずつ少しずつ白くなっていく意識の中、雪とも花とも見紛う白の中。
思い浮かぶは大切な存在。その笑顔。その背中。…最期にココロに留められた吉岡は安らかに逝ったんでしょうか。
映画の彼の死に顔が何よりの証拠なんじゃないかと私は思います。

…それにしても、遭難者を気遣う吉岡はイタイっすよかすみちゃん…(涙) (それと映画と同じ台詞を互いが反対に
発してるとこもー!メルにも書いたけど富樫はきっと一人で歩き出しながらデジャヴを感じてただろうよ(号泣))
実際あの人の性格からして、あくまで自分より遭難者、だったに違いない事が容易に想像できるもの…。
富樫もそうだろうからこそ、『あの』事実を知った時には絶望に近い感情を味わうんだろうし…。
いくら今回は間に合ったからとはいえ、吉岡はもう…ああだめだこの話はめためたブルーになる!(泣)

でも回想の中、吉岡が富樫のアタマわしわし撫でるのは大好きです。すげえ涙が出るくらいシアワセ。
あの二人の絆の強さ(下手な恋人同士より強かっただろうさ!でも互いにそれとは気づいてないんだろうよ!
つうかそのプラトっぷりがツボなんだよ吉岡と富樫の関係はー!←落ち着け(苦笑))が窺えます。はふん(涙)

ともかく、ヒゲ面山男さん(違)と漢っぷりが素敵な婚約者さん(更違)とダムの孤独なアイドル運転員(激違)の
イメージにぴったりな素晴らしい小説を贈ってくれて本当にありがとう!>かすみちゃん
(つうかそのシメ今までの真面目な感想台無しやん)




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