男は宙を見つめる。 薄暗い空間の中で唯一浮かび上がる水槽の更にその向こう。 やがて現れるであろう存在を想うと、自然に笑みがこぼれる。 視界の中でゆらゆら揺れる鮮やかな色彩と重なる、表情。 男はすぐに現れるはずの存在を待っている。 「・・・取り引き?」 こちらの切り札を最初に晒し、それ以外の選択ができないように追い詰める。 龍村は最初からそうするつもりだった。 深く椅子に腰掛けて、両手を膝の上で組む。 見上げると、怪訝そうな表情が蒼い光をうつして揺れる。 「・・・そう。取り引きだ。・・・俺とあんたの」 青島がこちらを窺いながらも、真剣な面持ちで考え込んだ。 たった今与えられた情報の信憑性を確かめているのか。 それともその情報を求めている、先輩である老人のことを考えているのか。 どちらにしろ、龍村にはあまり関係のないことだった。 自分はただ、自らの欲求に従うだけ。 「あんたはこの情報が欲しい。」 喉から手が出る程、欲しい。そうだろ? 考える時間など与えずに、龍村は話を続けた。 瞬間的に視線を上げた青島に肩を竦めてみせる。 「俺にも欲しいものがある。だからこれは取り引きになる」 立ち尽くしていた青島が初めて歩み寄ってきた。 今まで見せていた戸惑いはもう、ない。 きつく睨み付けてくる瞳に、龍村は笑みがこぼれるのを止められなかった。 「・・・なんで俺に?なぜ和久さんに直接言わない?」 「和久さんは、こういう取り引きは嫌いだ」 それに今回の取り引きはあんたじゃなきゃだめなんだ。 心の中だけで告げて、龍村はますます笑みを深くする。 「俺は応じると思ってるのか?」 そんな様子をどう思ったのか、青島が机に手をついて吐き出すように呟く。 それに答えるように、龍村も顔を上げて小さく告げる。 「・・・自分に聞けよ」 くっ、と息を詰めた青島が何か考えるより先に、人差し指を相手の胸につきつけ、龍村は最後の言葉を言い放った。 「俺が欲しいのはあんただ。」 「・・・な、に・・・?」 「あんただよ。青島さん。」 男の視線の先で微かな音を立てて扉が開き、憔悴した表情で彼が入ってきた。 彼の様子はおそらくそのまま、彼の先輩のものだろう。 男は口元に笑みを浮かべて彼を見つめる。 しかし、彼は何も言わず、男もまた口を開かない。 長い永い沈黙を破ったのは、彼だった。 「・・・和久さん、焦ってる。」 男はまだ、黙ったまま。 「・・・・・見てられない・・・」 苦しげに、押し出すように、小さく呟く音色を耳にして満足したのか。 心なしか楽しげに頷いて、男は立ちあがる。 「きっと戻って来ると思いましたよ」 バカラの台の側に立ち尽くす姿には近寄らず、部屋の反対側へ殊更ゆっくりと歩く。 振り向いて、壁に寄りかかって、それから男は1枚のカードを取り出す。 「・・・取り引きを、しましょうか。青島さん。」 これが、奴のねぐらです。 感情さえ込めずに告げると、彼が初めて真っ向から男を見つめてくる。 ひたむきな、その瞳。 初めて目にする、すがるようなその表情。 しかし、それらは本当に男が欲したものではない。 「あなたにとって、今するべきことはただひとつ・・・」 右手で、左手で。 カードを弄びながら、男が壁際を伝って彼に近づく。 ただその紙片を見つめていた彼が、手を伸ばされて初めて身じろぎする。 男は構わずにモスグリーンのコートを掴み、指に挟んだカードを彼の胸ポケットに忍ばせた。 「和久さんの心を鎮めてあげることだ。」 囁くように耳元に顔を寄せると、彼はそれから逃れようとする。 その勢いを利用して、男がバカラテーブルに彼の腰を押し付け自由を奪う。 腕を取り、抱きしめ、小さく抵抗する彼を押え込む。 「別に大したことじゃないでしょう・・・?」 迷う、その心。 考える余りに動かない、その身体。 それでもまだ違うと、男はそう思う。 故に。 ゆっくりとテーブルに押し倒しながら、男は嘲笑した。 「それとも、誰かに操でもたてますか」 はっきりとした冷笑に、それまで何処か曖昧だった彼の表情が変わる。 ぎり、と音がしそうな程の強い瞳に射抜かれて、男はようやく満足気に微笑む。 「・・・・・それが、欲しいんだ。」 男は待っている。 水槽の向こうの、蒼い揺らめきを。 眩しく、けれど熱すぎない、地下の太陽を。 男はそれが、欲しかった。 その目がイイと思った。 初めて手に入れたいと思ったモノ。 譲れない部分を壊してやりたいと。 力をなくして、儚くなるまで見ていてやろうと。 男が微笑む。 「・・・欲しいんだよ。あんたが。」 |