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 いつ頃からだろう、先輩の身体に触れてみたいと思うようになったのは。

 刑事課の部屋に戻ってくるなり、あっつー、などと大袈裟に呟きながら、上着を脱いで、机の上に放り投げる。先輩は暑がりで汗っかき。脱いだ上着の下、程良くよれた洗いっぱなしの真っ白な半袖のボタンダウン、袖から伸びる、適度に筋肉のついた褐色の腕。その、目に鮮やかなほどのコントラスト。ふうっと息を吐いて椅子に腰掛けて、ネクタイ更に緩めて、いつも外したままのシャツの第一ボタンだけじゃなく、第二ボタンまで外して、手近な書類の束で首元や顔をぱたぱた扇ぐ。起こる風が柔らかな前髪をふわふわ、揺らす。その髪の先に、額からこぼれ落ちる汗の粒、光る。椅子の上で身体をだらしなく伸ばし、背もたれにぐったりと頭まで預ける、目を閉じる。くっきりとした鼻の稜線、唇、上向く顎、伸ばされた喉元、そのまま緩やかな曲線を描いて胸元へ落ちてゆく、
 その先には──。

 先輩の姿をぼんやりと目で追いながら、自分の奥底からぞくぞくと沸き上がる、切ないような苦しいような感覚に苛まれて、僕は頭を抱えてほとほと参ってしまう。
 もちろん僕は、女の子の減り張りのきいた身体だって愛してる。そりゃあもう今の季節の女の子たちなんて目の保養、胸元だって袖刳りだって脚だって、充分に僕をぞくぞくさせてくれるのに。
 突然、和久さんが刑事課の入口あたりから先輩の名前を大声で叫んだかと思うと、間髪入れず椅子から跳ね起きて先輩が部屋からものすごい勢いで飛び出していく。先輩の姿を目で追っていた僕の視界の隅に、先輩と入れ替わるように入ってくる交通課の夏服の女の子たち、中に混じる私服の──雪乃さんも急ぎ足で飛び込んでくる、……そう、雪乃さんだって。例えば今日なんか、薄いブルーのノースリーブなんか着てて、二の腕なんて綺麗なもんだ。女の子の身体は芸術だよな、とさえ思うぐらい。身体にまとう輪郭はどこも丸くて。柔らかそうで。近づくとふわりといい匂いがして。
 でも今じゃ。
 ──どうして先輩の身体がイチバンだって思うんだろう?
「……何見てるんですか、係長」
 尖った声が降ってきて、僕は我に返る。気付けば僕の机の右側に立って僕を見下ろしている雪乃さん、腕をゆるく組んで、ひどく険しい面持ちで。雪乃さんにしてもすみれさんにしてもそうだけど、こうして綺麗な顔できっ、と睨まれると本当に凄みがあって、僕はまるで蛇に睨まれた蛙みたいに身体を縮めて小さくなってしまう。
「今真下さん、すっごくいやらしい目してる」
 咎めるような目つきで僕を見下ろしたまま胡乱な口振りでそう言う雪乃さんに、僕は思いきり見透かされているような気がして、何言ってんですか誤解ですよ、などとつい大声を出してごまかしていると、取調室から被疑者を引きずるようにして出てきたすみれさんが不審げな表情で近づいてきて、
「何おっきい声だしてんの真下くん、筒抜けよ、……欲求不満なんじゃないの?」
 言いながら、面白そうに僕を覗き込んだ。顔は笑ってるけど、目だけは笑ってない。一息分の沈黙の後、見極めたようにすみれさんは僕からあっさりと視線を外した。
「この男キケンよ、行きましょ雪乃さん」
 きっぱりとそう断定されてしまう。反論の余地も残さず(そもそもこの僕がすみれさん相手に反論などできるはずもなく)、そうですね、なんて神妙な表情で返事を返す雪乃さんと被疑者を引っ張って、すみれさんはあっという間に刑事課の部屋から出ていってしまった。
 台風一過、──僕は全身に冷や汗をかいてる自分に気付く。身に覚えのないことなら、こんなに動揺したりはしない。
 つまりは、図星だったってことだ。


 けれどまだ、僕には分からないでいる。


 それは二日前の明け方近く、東の空にようやくほのかに光の射してくる時間帯で、当直明けの寝不足の目に蛍光灯の光がやけにぎらぎら眩しく感じられたことが今も鮮明に蘇ってくる。先輩はその日の夜中じゅう、事件で外を汗だくになって走り回って、明け方になってようやく着替えを取りに署に戻ってきていた。
 さっきみたいに、あっつー、なんて溜息混じりに呟きながら部屋に入ってきた先輩は僕の顔を見るなり、今、外、めっちゃくちゃ湿度高い、窓の外に水滴つかないのが不思議なぐらい、なんて言いながら、わずかに疲れの混じる笑いを見せた。確かにその夜は不快指数の高い、文句無しの熱帯夜だった。
 そのときこの部屋にいたのは僕と先輩ふたりだけで、一言二言僕と言葉を交わしてのち、先輩は部屋を悠然と横切って自分のロッカーの前に立った。こっちに背中を向けて、あっけないほどの無防備さで汗で肌に貼り付くシャツを僕の目の前で脱ぎかけて、……途端に僕の心臓が跳ねた。
 肌理の細かそうな肌、張りのある背中の、力強い輪郭はそのまま微妙にくびれた腰へ伸びて、それは何とも言えない繊細な艶を生んでいる。
 至高の芸術だ。
 ぞくり。熱い震えが身体が襲う。くらくら眩暈がして、なのに視線だけは外せない、どうしても。
 不意に、先輩の背筋をつっと、汗が伝った。肩胛骨のくぼみあたりから生まれたそのしずくは、ゆっくりと背中のラインをなぞるように滑って、腰のベルトの、その奥へと落ちてゆく。
 あの先には──。
 ひとしずくの汗を視線で辿りながらぼんやりと思考を漂わせていた僕は、そう考えて知らず息を呑んだ。みぞおちのあたりが、ぎゅっと締め付けられるような感覚。先輩のすべては、僕を煽るために存在しているような、そんな錯覚が僕をものすごい力で衝き動かした。
 いつしか僕は立ち上がり、先輩のいるところまでそっと近づいて、──気付けばそれを口にしていた。その言葉が一体何を意味するのか、自分でも把握できないまま。

 センパイ、サワッテモイイデスカ。

 今思えば意外なことに先輩は、それを冗談だとは思わなかったらしい。
 訊き返すわけでもなく、笑い飛ばすわけでもなく。
 着替えのシャツに腕を通しかけていた先輩が、そのままぴたりと動きを止める。肩越しに顔だけ僕の方に向けて、表情ひとつ動かさずにしばらく、僕の方を窺うように見つめていた。
 長い沈黙、──やがて、先輩がひとつ、まばたきをした。そして。
 ちょっと来い、ハナシ聞いてやっから。表情を動かさずにそう言ってひらりとシャツの袖に腕だけ通した格好のままでいきなり僕の襟首を捕まえた。何すんですか、やめてくださいよう、とか何とか、力無く嘆願にも近い抵抗の台詞を発するけれど、こんなところで聞く耳を持つような先輩じゃない。
 引きずり込まれたのは取調室、雰囲気出してみっか、なんて冗談めかして机の中から供述調書を取り出し、鉛筆で僕の名前を漫然と書き入れながらちらりと目を挙げて僕を見る先輩はすっかり刑事の顔で、まるでお天気の話でもするような何気なさで僕の心をやんわりと、しかし確実につつきはじめた。
「男を欲求不満のはけ口にしなくちゃならない程、俺もお前も相手にゃ不自由してないだろ」
 ……きっと。
 先輩は僕の考えてることなんてとうの昔にお見通しで、こうしてまるでサッカーのドリブルでもするみたいに僕の心を軽々と蹴り上げては、転がす。
「一応お前だってキャリアだし、パパ偉いし、お前狙ってる女のコだっていっぱいいるよな、ま、俺ほどじゃないにしろ?」
 重ねる、軽い口調の台詞。僕は僕で、一応は余計ですよ、などとうつむきがちに呟くように返すけれど、それでも反論らしい反論を何一つとして思い付けない悔しさに、恨みがましく視線だけ上げた。
 そうさ。
 先輩にはよおく分かってるんだ。
 見返す僕の目に反応して、ほんの少し眉を上げてみせると、先輩はしどけなく頬杖をついて僕に視線を据えた。まだはだけたままの胸元からやっとのことで視線を引き剥がすと、今度は先輩の目が僕の意識のすべてを奪う。覗き込んでくる瞳の奥は、溺れそうに深い。
「実はそっちのケがあったとか? いや、そういう問題でもないみたいだな」
 ゆっくりとした口調、値踏みするような視線。考え込む振りで、逃げ道を潰す。そうして僕をじりじり追いつめていく。
 ──楽しんでるんだ。
 次の瞬間、机の向こう側から身を乗り出して、先輩ががしりと僕の肩を掴んだ。寒気にも似た震えが身体を襲う、……もう、逃げられないかもしれない。
「何で俺なの」
 何故先輩なんだろう。
「触れたい。それだけ?」
 それだけで満足するのだろうか。
「ホントはどうしたいの」
 ……その先には何があるのだろう。
 畳みかけられる質問、解答を知ってるくせに敢えて答えを促す学校の先生みたいなしたり顔の先輩。けれど情けないことにそのうちのどれにも、僕は明確な答えを与えることができないことに気付く。
 身体がしたいこと、気持ちが求めていること。両方の行く先は本当に同じ場所なのだろうか。
 僕の反応を見るように先輩が、掴んでいた僕の肩から手を離すと、知らず僕の額から汗が一粒零れ落ちた。見逃さずにすかさず、疑うような視線で見上げるようにして先輩は言う。
「お前ひょっとして、さっき言ったことは暑さのせいにしようとか考えてない?」
「考えてません、って」
 つい真剣な顔で反論してしまってから、はっとした。ああ、何て思うツボな僕。これで今更、あれは冗談だったなんてごまかせなくなった。
 覚悟決めなくちゃならない。けれど。――じゃあ、何て言う?
 刺激されて、今にも溢れ出しそうなこの衝動と、胸の内にくすぶるこの気持ちが同じ方向へと流れているものなのどうかすら、僕には分からないというのに。
 逡巡して視線を逸らす僕を見て、先輩は息をつき、
「……何だか嘘っぽいな」
 軽く顔をしかめてそう言ってから、不意にひょい、と身体を傾げて、背けていた僕の顔に自分の顔を近づけ、僕の目を覗き込んだ。
 くるりと不思議そうに見開かれる瞳、ゆっくりと笑ってゆく眼差し。
「お前って目の方が正直だよな……自堕落でさ」
 そして手を伸ばし、その指先でためらいなく僕の目尻に触れてきて、びくり、と僕の身体が一瞬反応し、そして固まる。表情ひとつ動かせなくなる。
 翻弄されている、こんなにも。完全に制御不能だ。
 泣き出しそうな気持ちで、ぐっと唇を噛みしめて僕は、先輩がじかに僕の心に触れてくるのに任せていた。
 僕の心がサッカーボールなら、手で触れるのは反則だ。
 なのに先輩は平気でこうして僕の心を鷲掴みにする。素手で、いとも無造作に。ルールなんてあったもんじゃない。
「ました?」
 促すように僕の名を呼ぶ先輩のその、甘い、あまい声色、──底なしの誘惑。
 どんなにぞんざいな仕草だっていい、先輩のあの脚で蹴り上げられるのならば。
 この衝動は、僕の気持ちさえも惜しげなく地面に垂れ流してしまうだろう。
 僕の胸から流れ落ちた気持ちは心ごと、そのまま先輩に蹴り上げられて空を切る、……その甘美な誘惑は一瞬でも僕の思考を麻痺させて、陶然とさせるには充分だ。
 でもやがて必ず、僕は「その先」のことを考えてしまうだろう。そしてきっと僕は例えようもないほどの不安に苛まれる。

 それはうまくゴールに吸い込まれて行くんだろうか。
 そもそもこの気持ちにゴールなんてあるんだろうか。

 すると、痺れを切らしたようにおもむろに、先輩が動いた。
 強引に僕の左の手首を掴んで引っ張り、自分の喉元のあたりに僕の手を触れさせようとする。まるで試すかのように見つめてくる視線が切れそうに鋭くて、僕は思わず目を逸らした。指先が勢い余って先輩の首元を掠めると、その感覚に怖じ気づいたように、腕を引こうと僕の身体が反射で動く、けれど先輩は僕の手首をしっかりと握って、離そうとはしない。
 僕の手首を掴む先輩の手の力。弱すぎず、かといって決して強すぎもしないその力は、最終的な判断は僕自身に委ねられているのだということを教えていた。果たして僕の指は、僕の意志とは裏腹に先輩の肌に吸い付くように引き寄せられていった。
 先輩のシャツのはだけられた胸元、その滑らかな肌までわずか数センチ。あとほんのひといきで、僕はあの抗いがたい誘惑の虜になるのだ。
 そう、あと数センチ、その先はきっと、もう止まらなくなる。気持ちだけが、身体だけが。それぞれが別の生き物のように僕の中で蠢いて、僕自身を引き裂いていくだろう。
 耳に響く。引き裂かれる、その鈍い音。
「せ、先輩……っ!」
 間一髪、僕は腕を引く。ぎりぎりいっぱいのところで、必死の想いで、僕は自分の心を地面から拾い上げた。そしてやっとのことで取り戻した自分の左腕を背中に隠すようにして、ぐっと握りしめる。
 体中の血が、逆流していた。いつのまにか息が切れていた。怯えたように引きつる表情で、震える声で何とか言葉を口にする。
「分からない、んです」
 衝動に任せて、気持ちを置き去りにして。そうすることが果たして、僕にとっての答えなのかどうか。
 聞いて、僕を見つめる先輩の表情がふと緩んだ。ゆっくりと眉尻が下がり心底情けなさそうな顔になる。
「バカだね、お前」
 けれど台詞の意味とは裏腹に、それはいたわるような声色を含んでいた。言い終えて、先輩の視線の力がわずかに弱まる。一瞬、自分の言葉に何かを気付かされたような、痛いところを突かれたような目を、先輩はしたような気がした。
 でも、それは本当に一瞬のことで。次に僕を見返す先輩の顔からはありとあらゆる感情が抜け落ちていて、その目には濃い疲労の色が滲んでいた。
「惜しかったな、……何度もあることじゃないのに」
 そう言って力無く僕の肩を叩き、僕にはとても読めない曖昧な笑顔を返してのろのろと立ち上がった。そして、思い出したように胸元のボタンをかけながら取調室を出ていく。
 知っていた、あれはチャンスだったと。
 何故そうしようとしたのかは分からないけれど、先輩が自ら僕の目の前に差し出した、あれは紛れもないチャンスだった。
 知っていて、僕はそれをみすみす指先からこぼした。
 この指先から。
 先輩に掴まれていた左の手のひらを見つめて、僕は溜息をついた。まだ先輩の手の感触が残る自分の手首。何故先輩は僕にチャンスを与えようなんて思ったんだろう、──分からない、分からないんだ、何もかも。
 答えを求めるように無意識に振り返ると、じゃな、という声とともに、先輩の背中が刑事課の扉を抜けて行くところだった。
 ひとり、取調室に取り残された僕。
 ひどく惨めで、どうしようもなくやりきれない気分だった。


 あれから二日、僕にはまだ分からないでいる。


 ここのところよく眠れなくて、意識が朦朧としている。眠る間際に思い出すのは決まってあのときのこと。チャンスが僕の指の間を頼りなげにさらさらとこぼれていくイメージ。歯噛みするぐらいに悔しくて、それで布団の中で輾転して、眠れない。気付けば朝だ。その繰り返し。
 今日は一日あちこちで、雑多な事件が立て続けに起こっていた。盗犯係も暴力犯係も、勿論うちの係も人が足りなくて、僕も管内で起きた傷害事件の実況検分に駆り出されて、署に戻ってきた頃には日もすっかり沈んでしまっていた。
 係内でひとり、残っていた雪乃さんが、報告書置いときましたから、と幾分冷たい口調で言って、お先に失礼します、と僕と入れ違いに部屋から出て行く。やれやれ、あの調子じゃ当分はご機嫌直してくれそうにない。雪乃さんの後ろ姿を眺めながら、何だか一気に疲れが身体を襲って来るのを感じ、他の係もほとんど出払っていて部屋の中が閑散としているのをいいことに、僕は机にぐったりとうつ伏せた。
 ……目を閉じていると、辺りの音がいつもよりもよく聞こえるような気がする。部屋の入口あたりから、交通課の女の子たちと話してる雪乃さんの声。飲みに行く約束でもしてるのかも知れない。身体は眠気に支配されながら、意識だけが奇妙に冴えて、周りの様子を鋭敏に感じ取る。
 そのうち、階段の方から徐々に大きくなる、誰かが勢い込んで駆けてくる足音。それを僕の耳が感知した瞬間に、ふっと心の中が暖かいもので満たされるような、けれど同時に身体中が緊張に強張るような感覚が包む。もう足音だけでそれが誰か分かるようになってる、──先輩だ。
 青島さんも行きませんか? などと入口にいる女の子たちに飲みに誘われている様子が切れ切れに僕の耳に届く。でも先輩が、ごめん、また誘って、とすまなさそうな、それでも陽気な口調だけは崩さずに上手く断ると、やがて女の子たちの残念そうな声が移動して、遠ざかっていった。間もなく空気が動いて、先輩が部屋に入り込んで来るのを感じる。
 自分の机に荷物を降ろし、僕の机に近づいてくる先輩の気配。でも、眠気を含んだ身体が重くて、動かせない。今顔を上げたくない気持ちも手伝って、しばらく息を殺してうつ伏せたままでいると、不意を突いて、
「何寝てんだよ係長」
 ばこん、と派手な音を立てて僕の後頭部に書類の束の重い衝撃。仕方なく、僕は緩慢な動作で身を起こす。
 ったく、誰のせいだと。
 逆恨みめいたことを思いながら見上げると、お行儀悪く僕の机の上に斜めに半分だけ腰掛けて、身体を傾けて見詰めてくる先輩の視線。
 あれから僕は先輩となるべく顔を合わせないように、近づくことを意識的に避けていたから、こんなふうに近くできちんと顔を合わせて先輩を見るのはあの日以来だ。そう思うと条件反射みたいに動悸が激しくなる。胸が苦しくなる。
 聞こえないようにそっと息を吐く僕に、
「──やけに色っぽいんだよな」
 僕を見るでもなく視線を背後に落ち着きなく走らせながら、聞かせるつもりなのかどうかすら判然としない、曖昧な呟きをこぼした。
「雪乃さんの話ですか?」
 先輩の視線の先はさっきまで雪乃さんたちが立っていた場所あたりに漂っている。気付いて、そう言いながら先輩に視線を移すと、いつの間にか先輩の視線は僕の方をとらえていた。僕を見る瞳の中に一瞬、真剣な光が射したと思ったら、次の瞬間には唇の端を持ち上げるような、悪戯めいた笑みが浮かぶ。目まぐるしく変わる表情の変化につい、見惚れていると、いつしか机に腕を付き、身を乗り出して、椅子に座ったままの僕の耳元に顔を寄せてきた。
「いや、お前のハナシ」
 耳から滑り込んでくる囁き声に、驚いて振り返ろうとする僕の身体の動きを、今度は僕の両肩をしっかり掴んで制し、先輩はじりじりと迫る。僕の顔を真剣な視線でまじまじと見つめたまま自分の顔をどんどん近づけてきて、更に殺した声で言う。
「……気付いてないだろ、お前今メッチャクチャ色っぽい顔してる」
 至近距離。視界は全て、先輩で埋め尽くされる。心臓の音で先輩の声が掻き消されてしまうんじゃないかと思うほど、ずきずきと痛むような鼓動が身体を支配していた。
 今、何を言われたのか、これから先輩は何を言おうとしているのか。必死で頭を巡らせようとする──駄目だ、全く脳が働かない。
「すんげーストイックでさ。……我慢してる男の顔って色っぽいもんだな」
 先輩の目の中に、からかうような笑いがかすかに浮かぶのが見える。……思考回路が麻痺してしまって、先輩の言葉の意味を汲むこともできない。どんな台詞を返していいのかさえ分からなくて、とりあえず頭に浮かんだことを、まるで小学校の先生に夏休みの研究報告でもするみたいな口調で、僕は言う。
「雪乃さんにはいやらしい目してるって言われました」
 語尾が震えた、鼓動の速度で。
 けれどそれを聞いた途端に先輩は、一気に破顔した。わずかに顔を背けて、その肩が笑いに小刻みに揺れる。
 そして言った、まだ笑い声のままで。
「分かんない奴だな、……そりゃ誉め言葉だよ」
 はっとした。不意に思い至って、まさかと瞬時に自分で打ち消してしまう。でも、二日前のこと、先輩がさっきから僕に言っていること。訳が分からないほどにもつれて絡まっていたそれがようやく、僕の中できれいにほどけたような、そんな気がした。
 ずっとそんなふうには考えないようにしていた。だってそんなこと端からあり得ないことだと思っていたから。
「先輩、どうして」
「そんな顔されちゃな。敗者復活戦」
 何故先輩があのときわざわざ僕にチャンスをくれたか。
 僕を故意に見ないようにしながら先輩が返した言葉は、僕の疑問詞に対する答えとは直接関係してはいないようで、実はきちんと繋がっていることに、僕は気付いた。
 僕だけのことだと思っていた、僕だけが一方的にそう思っているんだと思い込んでた。でも、多分。これが僕の思い上がりじゃなければ。
「言っとくけど三回目はないからカクゴして答えろよ。……どうしたい?」
 ──先輩も「その先」の正体を知りたいんだ。
 キレイに微笑んで、先輩が問いかける。疼かされる、そのどうしようもないほどの優しさと、声色の甘さに。
「……」
 先輩にだけ聞こえる声で、僕は言った。
 今度こそは衝動からではなく、僕は自分で自分の心のありったけを無造作に放り投げたのだ。宙へと投げ上げられたそれは見事な放物線を描いて落下すると、先輩の足許にころころ転がる。
 でももう先輩はそれを蹴り上げたりはしなかった。真剣な表情で僕を見つめて、それから僕の心をそっと拾い上げて、いとおしげに小さくくちづけるような、そんな仕草で。
 だから僕も、先輩の身体をでたらめに抱きしめて、自分でも笑っちゃうぐらい下手くそなキスを返す。
「上等じゃない」
 伏せていた目を挙げると、待っていたのはこれ以上ないほどの誉め言葉と、ご褒美みたいな極上の笑顔。
 ……心が震えた。
 初めて触れる、髪にも頬にも。背に回した手のひらからじんわりと伝わってくる熱にも、間近にいて初めて気付く、先輩の匂いにも。
 それらは他愛なく僕の胸をきゅっと締め付ける──今は紛れもなく、気持ちと身体が同じものを求めて、同じ方向へ流れている、それを感じる。
 すると僕の耳元に顔を寄せて、先輩が囁いた。
「な? お前って小難しく考え過ぎなんだって。分かったろ? 何事も、」
「やってみなければ分からない」
 言いかけた先輩の台詞をするりと引き継ぐと、わずかに驚いたように見開いた眼で先輩は僕の顔を覗き込んで、それからゆっくりと顔を綻ばせる。鮮やかに。
「そ。よくできました」
 そんな言葉で僕に特大の花丸をくれて、手を伸ばして僕の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。

 ずっとしたかったこと、知りたかったこと。
 ああ、それはこんなにもたやすいこと。
 鼻先を、先輩の緩めた襟元に潜らせる。覗く喉元に、僕はくちづける。
 
 そして、この先には──。




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うおおーーー!! なんて格好良いんだよ青島くん!!
真下が翻弄されるのも分かるっちゅーか、
真下になりたいっちゅーか……ごくり。(何を飲み込んでるんだよ)
個人的に先輩が真下のまるい心を拾い上げて、それに
ちゅうしてるイメージが浮かんでて、くっそう俺に絵ゴコロが
あったら挿し絵つけるのによう!状態です。返す返すも悔やまれる。

って興奮すんのははおいといて(爆)これは相方、今泉ひさちゃんから
戴いたものです。しかもなんと初の真青! しかもしかも載せていいって
いうんだもんなぁ、こんな日がいつか来ると信じていたよ!(じたじた)
彼女のお話は、読んで戴ければワカルと思うのですが、こう、
なんつーか、いつもスッキリ爽快気分です。読み終わってキモチイイ。
私なんかはわりと、問題提起だけして後は読み手にお任せ〜♪
とかいう卑怯な手段(分かってはいるんだけどさ(苦笑))を取ることが
多いのですが、ひさちゃんのは、もうね、綺麗に決まらせるんだよね…。
尊敬してます。(こんなとこで言うな)愛してるよー!(だからここで告白すな)
これからもどうか俺を楽しませてくださいませ♪(俺も頑張ります)




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