「・・・ここは」 「あと一週間で取り壊されちゃうんだそうです。その前に室井さんに見せたくて」 無理言ってすいませんでした、と振り返って笑う青島の姿が光に包まれたような気がして、思わず室井は目を細めた。 一瞬の光景は瞬きした途端に消えてしまい、後に残るのは――白く、柔らかな陽射しのみ。 「・・・室井さん?」 不思議そうに問いかけてくる瞳に初めて、自分が青島を凝視していたことに気づく。 首を振って後ろ手に扉を閉じ、室井は先を行く青島の斜め後ろに続いた。 正面にはキリストを抱いた聖母マリアの像。 その穏やかな、慈愛に満ちた表情の向こうには聖書の一場面を表わしたらしい、ステンドグラス。 見上げれば左右の灯り取りの窓から射し込む光が天使の梯子のように連なり。 足を進める青島の傍にも柔らかく降り積もるそれが、先程の光景を生み出したのだろうと、室井は考えた。 青島がマリア像の前で立ち止まり、周囲を見回して黙り込んだ。 隣に辿り着いて同じように見上げると、室井の方は見ずに、青島はぽつりと呟く。 「勿体無いですよね、こんなに綺麗なのに」 「・・・事情が、あるんだろう」 世俗的な事情。綺麗だからとか、そんな感傷を待ってはくれない世界。 分かっているはずなのに、それでも青島はそれを外に出す。 「そりゃ・・・そうすけど」 でも、こんなにキレイなのに。 聖母の表情を見遣って、その何もかもを受け入れるような表情を見遣って、青島が寂しそうな顔になる。 頼りなげなその頬に思わず手を伸ばしかけて止め、結局髪をくしゃりと掻き回した。 「・・・お前がそんな顔をしていてどうする」 他の者が聞けば別の意味にとられそうな声音でも、青島にはきちんと伝わったらしかった。 「・・・そっすね」 彼女は全部わかってんだから、俺が落ち込んでたら彼女に失礼っすよね。 明るく、けれどどこか切なく、自分の中に浮かんでいた感情を振り切ったように青島が微笑んで、室井はほんの少しだけ口元を緩めて頷いてやる。 そんなわずかな変化も読み取って、今度は芯から嬉しそうに、青島は相好を崩した。 「・・・行きましょっか」 誰もいないのに辺りを見回して、それからおもむろに手を差し伸べてくる。 何となく微笑ましい気分になって、珍しく素直に青島の手に自分のそれを触れさせた瞬間、また光が溢れた。 天空から降りてくる通路――それは神が通る路だと言われても簡単に信じられるほど神々しさに満ちていて――に飲み込まれ、周囲の景色が消える。 あるのは、ただただ、白。 そして――驚いたように室井を見つめてから、頭上や周囲を見回そうとする・・・青島だけ。 射し込む白に洗われて、その瞳が金にも見紛う琥珀色に染まる。 意識に残るマリア像の穏やかさや柔らかさ・・・美しさ。 決して美しいことばかりでは、綺麗事ばかりではないと知っているはずの想いとそれが何故か重なり、身体の中を爆発しそうな勢いで駆け巡る。 突然沸き上がったそれに圧倒されて、押しつぶされそうになりながら、室井は口を開いた。 「・・・忘れなければいい」 目眩が起こりそうなくらいその存在に伝えたい、否、願いたいこと。 低く呟いた言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか。 え・・・?と振り向いた、長い、形の良い指を持ち上げ、唇を触れさせて。 驚いたように目を見開く青島にちいさく微笑んで見せてから、もう一度4番目の指にくちづけた。 「忘れなければ、いいだろう」 「・・・室井さん・・・」 ふわり、と浮かべられた笑顔が眩しい。 鮮やかに彩られたステンドグラス。 全てに祝福を与え、何者をも平等に照らす、光。 囲まれて包まれながら、額を合わせ、微笑み、そっと唇を押しつける。 くすぐったそうに身を引くところをつかまえて、目の下に、口元に、キスをして。 最後に唇を覆って、指を絡めた。 ――誓い。 けれど言葉はいらない。 誰も知らないこの誓いが、想いが、永遠であることを祈って。 「・・・むろい、さん」 ――できるだけ、できる限り、この笑顔の傍に。 時の流れに永遠なんてないとわかっていても、知っていても、――永遠を願って。 |