奇跡の一本松と陸前高田ユースホステル

自転車キャンプツーリング記

津波の爪痕と賢治の足跡

2013年8月15〜18日

日記

8/15(木) トウナからノビル道
陸前海岸〜花巻マップ

松本駅のホームに南三陸町の大きなポスターが貼ってある。「今日これから行く所だ…」。縁みたいなものを感じながら、長野駅まで鈍行、そこから北陸新幹線の上りに乗り継ぐ。本当は18きっぷ系の地に足の着いた旅行が好きなのだが、4日間しかないお盆休みを活かすためにはワープするのも仕方ない。上田を出ると高崎さえ通過する速達便で、あっという間に大宮駅へ。初音ミクみたいな色をした東北新幹線を見ると、ワクワクしてくる。きっと素晴らしい旅になる。そりゃ、被災地を目の当たりにすることに気は重いけど。

E2系あさまに比べると、E5系はやては揺れが少なく快適。さすがに下り列車は混んでいるので、指定席を取っといて良かった。車内サービス誌には旅先の情報も少々。気掛かりなのは、津波被災地には買い出しできるような食品スーパーとかあるのか?

仙台駅で仙石線の各駅停車に乗り換え、松島方面へ。「終点」の高城町駅で下車。ここから先は鉄路が寸断されているのだ。代行バスの発着は一つ手前の松島海岸駅で行われるので、ここは乗客が少なく駅前もショボイ。自転車を組み立て、近くのスーパーで賞味期限を過ぎているドラ焼きを買って昼食とする。店内のラジオからは流行りの曲が流れる。って、あまちゃんの「潮騒のメモリー」か。日焼け止めを塗って、いざ正午、サイクリングを始める。

東名駅

幹線を走っているだけだと、なかなか震災の痕跡は見られない。何となく新築が多い気がするだけ。
すると突然のように現れる東名(とうな)駅。あの跨線橋、あの曲線ホーム。ニコニコ動画で伝説的作品となっている「トウナ ステイション」の舞台だ。ホーム以外が流されて、ひしゃげた鉄筋などいろいろ壊れたままそこにある。やはり凄いパワーの津波が襲ったんだ。隣りのアパートもそのままとか、今回の旅で初めて目にする津波の跡。線路は内陸側に敷き直すそうで、ありふれた日常はもう帰ってこない。

野蒜駅

尤も、個人的に思い入れがあるのは次の野蒜(のびる)駅。こちらは快速停車駅だけあって少し立派で、それだけ破壊っぷりも…ひどい。1995年に初めての長期サイクリング(2週間の合宿)で、青森から陸前高田を経てここが終着だった。1997年に茨城から福島浜通りを走った時もここが終着だった。さよならオレのターミナル駅。

鳴瀬川を渡り、鹿妻駅前でオブジェ化されたT2練習機を見て、自衛隊松島基地をちょっと見て、石巻市へ。震災犠牲者最多の市だが、海岸から離れた幹線沿いではやはり被災状況はよく分からない。所々コンクリートの割れを見る程度。駅前には石ノ森章太郎関連の絵や像が多い。

仮設住宅群を目にしつつ北上川沿いに北上する。東北地方の河川の少し未開な雰囲気が良い。気仙沼線の柳津駅は現在鉄路の終着点で、ここ以東はBRT化している。国道45号横山峠を越えると三陸リアス式海岸の南三陸町に入る。ここは田園地帯…じゃない、家が立ち並んでいた場所か? 南三陸ホテル観洋は高台で盛況のようだが、志津川の街に入ると。

志津川

えーっ!…思わず声が出る。壊滅的、じゃない、壊滅だ。コンクリートの基礎部分だけ残るが、どんな建物だったか想像がつかない。それが辺り一面に広がる。しぶとく残った鉄筋コンクリート製の建物も1、2軒あるが、最上階にいても助からなかったんじゃないか?「復興、復興」って言うけど何なんだよ。これじゃどうにもならないじゃないか。ガレキがあらかた片付いただけで進捗したと言えるのか。

国道には「ここから/ここまで津波浸水区間」の標識がアップダウン毎にあり、度々交差する気仙沼線の壊れた橋梁は、まるでタウシュベツの鉄道遺産のようである。BRT専用路としての工事が進んでいるが、もうレールが敷かれることは未来永劫無いかも知れない。

歌津

歌津の街も根こそぎやられている。仮設商店街があって、Jリーグ全チームの旗が掲げられている。松本山雅FCもあり、寄せ書きがしてあるようだった。この地から西表島まで漂着したという郵便ポストが展示されていて、BEGINの「歌津さ来てけさい」がBGMとして流れている。ここで夕食の買い出しを済ます。道中はこういった仮設商店街の他に簡易建築のコンビニも多いので、食料調達には困らないようだ。ただし賞味期限ギリギリが目立つのは、なかなか上手くいってないってことか。

平成の森キャンプ場

海風のおかげか猛暑期としては比較的涼しい旅路だった。所々で足を止めたし、平成の森キャンプ場に到着したのは18時前とちょっと遅め。自炊用具も積んだフル装備だが、食事はレトルト中心となる。それでも楽しい。やや蚊が多い場所だけど、風呂併設はありがたい。

東名駅ホーム 鹿妻駅前T2練習機ブルーインパルス仕様 歌津郵便ポスト
8/16(金) ツールド種山ヶ原
小金沢駅

平成の森は南三陸町歌津の高台にある運動公園だが、野球場とキャンプ場以外の広場はいま仮設住宅街となっている。他の仮設住宅群と同様に庭がなくて建ぺい率が高く、異様に密集している。早くマイホームに帰りたいだろうに、これからどうなるのだろう。
昨夜炊いたご飯の半分をコンロで温め直し、パック味噌汁と納豆、それにトマトが定番の朝食。若干濡れたテントを畳み、6時半出撃。

国道45号サイクリングは気仙沼市に入り、ふと小金沢駅に寄ってみる。ここもちょっとした高台で海岸の眺めが美しい…のだが駅は破壊されていた。海に向かって手を合わせる。少し進んで道の駅大谷海岸には献花台があり、改めて手を合わせる。

南気仙沼駅

市街地の南気仙沼駅前は、また無言で立ち尽くすしか無い惨状。自転車のスタンドになるような突起を探すのさえ難しい。誰の遺品か、ジャケットやノートパソコンが転がっている。でも湾の方へ行くと、さすが日本有数の漁港だけあって凄い活気。破壊されたままの建物も多いが、いちいち復興なんて待ってられねぇ、使えるものから使おうという勢いである。6年前の三陸鉄道旅行で訪れた観光桟橋の跡には、港町ブルースの碑が傾きながら残存していた。

鹿折唐桑駅前の共徳丸

鹿折唐桑駅前は大型漁船「第18共徳丸」が打ち上げられたまま。そのインパクトゆえ観光客を集めて向いのコンビニは忙しそうだが、まもなく漁船は解体されるらしい。

リアス式地形にも時間と体力を奪われつつ、宮城県を出て岩手県陸前高田市に入る。あれは確かクラシックギターが置いてあったユースホステル。懐かしき宿の残骸と、松のオブジェ。いわゆる「奇跡の一本松」の保存には私も否定的だったが、賑いを見る限り成功している。こういう分かりやすい被災地ばかりに観光客が集中することの方を心配した方が良さそうだ。
被災地に金を落とすためにも、昼食はちょっと良いものにしたい。ホタテ定食を食べたかったが、「こんの」は激混み。他にはラーメン屋しか見当たらず、結局いつものようにスーパーの菓子パンで落ち着く。海鮮モノは気仙沼で済ませておくべきだった。

陸前高田駅前

陸前高田駅前は、もうほんとうに何もない。だだっ広いところに道路しかない。人口減少に悩みつつも頑張る商店街があった筈だ。歩行者用信号はメロディーを鳴らしていただろうか。すべて大津波によって奪いつくされた。改めて、復興とは何なのだという疑問が浮かぶ。それでも、「絶対に諦めない」んだそうな。凄い。頑張れ…。

大船渡に回る副案もあったが断念。津波被災地を離れ、鮎釣りが楽しそうな気仙川の清流に沿って内陸へ向かう。ここから旅の趣はガラッと変わるのだ。住田町の中心市街地を過ぎ、国道397号で坂が本格化してくる。交通量が少なくて、サイクリング的には快適。

種山ヶ原。最近の愛聴盤、冨田勲×宮沢賢治×初音ミクのイーハトーヴ交響曲における歌い出しの地であり、今回の旅のクライマックス。尤も今日は疲れた。道の駅種山ヶ原でトマトを調達、営業時間終了間際の遊林ランド種山でさっと風呂。山頂などの散策は明日に回し、奥州市側にある星座の森キャンプ場にテントを設営。ああ、風呂はこっちにもあったのか。高田で買った三陸ブリ生姜煮をおかずに米を炊く。

陸前小泉駅付近 港町ブルースの碑;気仙沼の字がデカい 陸前高田物産センターで買い物
8/17() 夏油戦記
種山ヶ原物見山

もう朝かと思って時計を見るとまだ24時前だったり。キャンプツーリングあるある。
4時半に起きて朝食を済まし、空荷の自転車で少し坂を登る。さらに少し歩くと種山ヶ原の頂、物見山870.6mに立つ。どっどどどどうど どどうどどどう。早朝の涼しい風に吹かれ、残丘(モナドノックス)という岩との間を何往復でもしたい。なるほど宮沢賢治が幾度と無く訪れているわけだ。賢治三山のもう二つ岩手山や早池峰山も遠望し、後ろ髪を引かれる思いで下山。テントや荷物を回収して出撃するが、また自転車を置いて立石への遊歩道へ寄り道。こちらからの物見山の眺めも良い。牧歌の碑には歌詞が全て刻まれている。自転車に戻り、姥石峠から盛街道(県道8号)を西へ下りて行く。「種山ヶ原の 雲の中で刈った草は〜」。

旅の疲れが回ってきたけど、これが休日に一番やりたいことなんだ。

人首集落には賢治ゆかりの宿など。えさし藤原の郷という観光施設は…時間掛かりそうなのでスルー。江刺の街でガラス館を見学し、買い出しも済ませて北上川を渡ると、金ヶ崎城下町。少しうろうろしてみる。ここからまた登りに転じ田園地帯を一直線に進むと、千貫石森林公園キャンプ場に到着。ここで家財道具を降ろし、いざ夏油高原いで湯ラインへピストンだ。やっぱり空荷だと登り坂の1kmが早く過ぎ去る。気分は夏油高原ヒルクライム大会。スキー場への分岐を過ぎると狭い平坦路になる。

元湯夏油

最深部に夏油(げとう)温泉がある。温泉好きなら一度は来たい秘湯で、元湯夏油には5つの露天風呂がある。受付時間終了の15時を過ぎていたが、露天のみOKとのこと。一つは女性専用なので残り4つを下から攻略。おっとその前に川に脚を浸かりアイシングをしてからだ。湯が地中から湧いてくるのが面白い。最後の大湯は熱すぎて掛け湯が精一杯だが、いいお湯だった。きっと薬効もばっちり。さらに人気のない山道を1km弱歩き、日本最大の石灰華も見物していく。

人柱伝説が残る千貫石溜池付近は、とりわけブユが多く悩ましい。虫除けスプレーがあまり効かないんだよね。日に日に米を炊くのが上手くなるのも、キャンプツーリングあるある。
もう津波被災地は遠く。

種山ヶ原立石から物見山方面 千貫石溜池 夏油温泉の石灰華
8/18() 北上昼曲
ヤマザキショップ北上ふたご店

猛暑続きで3泊ともテントにフライを掛けていないが、それでも昨夜は湿度が高くて寝苦しかった。朝までよく頑張った。ライダーさんが付けているラジオからは、午後から大雨になるが午前中は猛暑が残ると聞こえてくる。おいし観音や千貫石を見て出撃。少々の雨にも負けず、和賀川堤防道路を経て北上市街地を通り過ぎる。二子という集落名が気になって県道39号を通ってみると、ヤマザキショップ「北上ふたご」店を発見。わざわざ平仮名にするあたり、漫画家を意識してるんじゃないか?

北上川沿いの自転車道で花巻市に入り、やって来ましたイギリス海岸。しかし渇水期じゃないと独特の地形は現れないらしい。せっかくだから市街地をぶらついて行こう。城趾にある小学校の壁には賢治のシルエット。駅の観光案内所にはイーハトーヴ交響曲公演のポスターが貼ってある。チケットの売れ行きは微妙なのかな。自分だったら是非聴きに行きたいが。賢治の生家なども回り、東の街外れに移動。

宮沢賢治記念館前 山猫軒

最後のキッツい坂を登ると宮沢賢治記念館がある。展示を一字一句読む時間まではないが、妹との訣別あたりは切なくなる。旅の最後の贅沢として「注文の多い料理店」山猫軒でイーハトーブ定食を頂こう。とても柔らかな白金豚(はっきんとん)の角煮、エビの天ぷら、すいとんの素朴な味わい。1400円、まあいいか。
新花巻駅でサイクリングは終了。帰路も新幹線乗り継ぎで、さすがのUターンラッシュ模様。自分は一ヶ月前に指定席を取っといたので余裕だが、旅の疲れか、ちょっと息苦しい。

その一ヶ月前の時間が無い時テキトーに考えたプランを、結局ほぼ踏襲する形の旅程となった。ヒルクライム趣味による体力があったからこそ、それを無理なくじっくりこなせたんだと思う。前半はネットやテレビ越しではない今の津波被災地を、後半は宮沢賢治の足跡を辿る旅。短いながら去年の小串鉱山や北海道にも劣らない強烈な思い出を残しそうだ。復興についてはこれからも考えていかねばなるまい。陸前高田はあれで比較的復興が進んでいる方だとか…。

北陸新幹線の上田あたりで美ヶ原が見えると、だいぶ近くに帰ってきたなーって気がする。長野から特急しなので松本帰着。今回の旅はいつ余震が来るかも分からない場所なので、昨夏のようにケータイすら持たない、ってことはしなかった。基本的に電源は切っていたが、少々のツイートとニュースのチェックくらいはした。デジタルデトックスが中途半端なまま、ネットと仕事の日々に戻る。

イギリス海岸 山猫軒のイーハトーブ定食 新花巻駅のE5系やまびこ号

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