Highland-Lady III
↑こいつで練習&本番

むらよしツール日記


ツール・ド・美ヶ原2002 参戦記

 

全長21.6km標高差1,270m
コース図(大会パンフより)
2002年6月30日(日)
 
 きっかけは、ある人の「大会出たら?」の一言だった。バイトも辞め際。そうだな、何か目標があるといい。そんな軽い気持ちで、5月に申込書と参加料5,000円を送付した。
 その後失業者となった私は、トレーニングとやらを始めてみた。しかしチャリで坂を登ればすぐにみっともない喘ぎ声を上げ、近所をジョギングすれば4kmも走れず歩いてしまう有りさま。いつの間にここまで体を弱めていたのかと、愕然とした。
 人生のリセットボタンを押したつもりで、体に毒ともいえる練習の日々を送った。たまに体を壊して休んでしまったが。こうして体力はみるみる回復し、より強い負荷にも耐えられるようになった。とは言えあとは特に何もしないダメダメな日常であるのが恥ずかしい。また、慢性化してる腰痛も悩ましい。しかし筑摩山地を中心に信州の峠を次々と攻めるのは楽しかった。写真も撮りまくった。松本に引っ越していて良かったと思う。
 
 本番十日ほど前に大会コースをタイムアタックしたところ、1時間38分を計測した。どうやら1時間半が最低目標となる。
 

 
栞
 こうして6月30日、本番の朝を迎えた。正式名称「ツール・ド・美ヶ原高原自転車レース大会2002」。ほとんど登りだけのレースで、開催はまだ3回目だが参加登録者数1,630名と、日本三大ヒルクライム(鳥海・栂池・乗鞍)に匹敵する規模人気を誇る大会に成長した。ちなみに、こうしたレースに出場する人の事を「坂バカ」と言うらしい。私はかつて乗鞍に一度参加し、メカトラブルでリタイアした経験がある。美ヶ原は初参加だ。
 天気予報では雨のはずだったのに、太陽すら顔を出す絶好のレース日和。誰か強烈な晴れ男でも参加しているのだろう。
 大会書類の中に、地元小学生のメッセージ栞が入っていた。「あまりむりをしないでがんばってください。4年周平」と下手な字で書かれている。ごめんね、おじさん最大限の無理をするつもりなの。そう、テーマは「ゴールまで死ぬ気で走れるか」である。もし私が消滅したところで誰も困る人はいない、という妙な強みがある。Nothing to lose.
 
会場の朝
 集合は午前7時。朝が(意志が)弱い私には早い。朝食の納玉定食、コーヒー、そしてVAAM(ドーピソグ風ドリンク)をかっ込み、レーパンレーシャツを着込み、会場へ急ぐ。アパートからチャリで5分位だが、危うく頂上への荷物運搬バスに、着替え食料を詰めたバッグを預け損ねるところだった。
 会場を見渡せば、おびただしい数の自転車と坂バカたち。市長だの何だのがしゃべってる開会式が済むと、まずチャンピオンクラスからのスタート。もう緊張してしまう。その後すぐに女子クラススタート、男子Aクラスと続く。私は【ロードレーサーの部・一般男子Bクラス(年令26〜30歳)】にエントリーした。しかしレーサーなんて持ってないので、いつものランドナー(旅行用自転車)で走る。しかもドロヨケ・ダイナモ完備のまま。レーサー・SPDペダル・電子メーター搭載にあらずんば自転車にあらずの世界に、ランドナー・トゥクリップ・ノーメーターで殴り込みをかける。こんなんでも闘えるってことを証明してやろうじゃないか。なんていう意気込みと、邪魔なのが混入してると思われてんじゃないかという肩身の狭さを同時に感じていた。
 男子Bでも200人近い参加者がいるため、ゼッケン200番台は7時38分、300番台は7時41分という時間差スタート。序盤の激坂での大渋滞を避けるためだそうだ。私のゼッケンは323番。ビアンキ色をしている。
 

 
スタート
(翌朝の信濃毎日新聞より)
 1分前と30秒前にはレースクイーンがボードをかかげる。少し残る眠気と緊張の中、号砲が鳴った。いよいよ地獄の1時間半の始まりである。
 
 最初の温泉街で、もう先頭集団に離されてゆく。「こりゃ入賞は無理だな…」←当たり前だろ。街を抜けるとすぐ、高名な激坂区間に入る。しかも長い。あまりの坂のきつさに、いきなり歩いてしまうひと続出なのだ。標識によれば斜度15%、デチューンしてないレーサーは大変だろう。ここはランドナーの面目躍如、腕力にモノを言わせて前クラスの脱落者たちをかわしていく。同クラスの人々にも決して劣らない。トレーニング期間に散々走って知り尽くした坂だという地の利もあるし。ただし一番軽いギアは使わないでおいた。私なりのハンディ付けである。
 「美鈴湖まであと3km」の看板から、ようやくまともな登り坂になる。ここからのペース作りがポイント。呼吸の荒さがメーター代わり。他に私ほどハァハァうるさい奴はいない気もするが、これでいいのだ。と、ここでランドナーの女子発見。うわぁ、自分一人じゃなかったんだと感動するが、ベリーシャイゆえ「がんばれ」の声もかけられず。この性格どうにかなんないかな。
 足がどうもおかしい。のっけから疲れて、いつもより一段低いギア比になってしまってる。ここ一週間体を壊したり東京に遊び(株主総会)に行ったりして調整に失敗したせいか、早朝だからか、レースの気負いのせいか。おそらくその全部。いや、みんなだって完調な人はなかなかいないだろうし、そう考えれば悪くはない。がんばろう。
 
美鈴湖
美鈴湖(写真は3週間前のもの)
 美鈴湖畔は平坦または下りもある区間。だからといって楽をしてはいけない。ここで後続スタートの男子Cクラス先頭集団が颯爽と追い抜いて行った。そうか、ここまでトップクラスから3分しか劣らないスプリットタイムなんだな、と前向きに考える。
 
 再び長い登り区間に入る。いつも走りに来ている慰霊塔から先は、いよいよ未知のゾーン。って過去に二度ほど走ってるけど。ここまでくると、同クラスの人との抜きつ抜かれつは少なくなる。速い奴はとっくに前へ行き、遅い奴は序盤の激坂で脱落したからだ。
 そんな中、どうやら私をマークしてる選手が約2名。わりと均一ペースで走ってる私に対し、ダンシング(立ち漕ぎ)で抜かしていっては、勝手に落ちて行く。やがて一人は「クソッ!」と言う断末魔とともに奈落の底へ。まるでレースをなめてるかのようなランドナーに負けるのはさぞかし悔しかろう。愉快愉快。
 しぶといのが、ゼッケン337番である。この三三七拍子野郎(?)。「ランドナー、強いっすね!」と声をかけてきた。私も何か返した。当面のライバルとなった、有り難い存在である。こういう人がいるといないとでは、だいぶ成績が違うからね。
 

 
 レースも半分地点を過ぎた。まーた三三七拍子野郎が追っ付いてきた。「ランドナー、なかなか抜けねぇよ!」。しょうがなく「頑張って下さい!」と返した。その人は前へ行った。私はまた抜き返せるつもりでいた。
 ところが、距離は離れて行く一方。その人の頑張りもあるのだろうが、問題は自分のペースが落ちていることだった。呼吸は常にいっぱいいっぱい。これ以上荒らげるとトランス状態になってしまいそうだ。みんなだって苦しいんだ、自分が一番苦しくなくちゃいけないだろ。しかし足は「楽をしたいょぅ」と弱含み。
 そんな時思い出すのが、頂上へ届けたバッグに忍び込ませておいた板チョコである。板チョコなんて、米兵に貰うかこういう機会でもないと食べられない。ようし、早くゴールしてそれを食うぞ!…それでも、もう彼を捉えることは出来なかった。ここらへんが今の体力の限界のようだ。
 
 チェックポイントが途中3ヶ所にある。そこでは給水も受けられる本格仕様だ。ボトルの水でも十分だし第2CPまでは利用しなかったが、せっかくなので第3CPでは受け取った。「ありがとう!」そこからすぐに武石峠。
 
 林間部を終え、草原に満開のレンゲツツジと牛が戯れる別天地、いよいよクライマックス区間に入る。痛み止めのバンテリンが切れたのか、腰痛が激烈大百科。しかしこれが走りに影響するようなことがあってはいけない。当初の目的「死ぬ気で走る」これを果たすため、がむしゃらになる。雲海に浮かぶ北アルプスの景色を横目に確認するぐらいの余裕はあったが。やや空気が薄いのか、呼吸もさらにつらい。
 長い下り坂も現れる。「やほう!」と思わず声が出る。前を行く選手を風除けにしたいが、そいつが横着してちゃんとペダリングしないので、こっちが漕いで前へ出るハメになる。スピードを出し過ぎて、危うくカーブを曲がり切れずにコースアウトしそうになった。どうも下りは苦手。ヒルクライムにしか興味がない理由がここにある。
 
 もちろん、下り坂でレースが終わりじゃない。最後にちゃ〜んと長い登りが待ち構えているのだ。ラスト1kmの看板。500mの看板。ほんっっっとにキツイ。けど必死で弱気を封印して、何がなんでも全力前進。ゴールが見えた。
 
 「死ね!!」
 
 脳から体中に、最終命令が下った。その瞬間、すでにレッドゾーンを越えていた呼吸頻度がさらに倍になった。薄れゆく意識の中で、ゴール計測器のピピピという電子音を聴いた‥‥‥。
 

 
ゴール
次々とゴールする選手達
 その場で倒れるというシナリオは実現しなかった。最終命令が数秒遅れたのか。辺りを小さく一周してチャリを降りた。呼吸はまだ恥ずかしいほど荒かったが、どうやら治まる方向だ。
 どうだろう。命が惜しかったら、最後のあんな無茶は出来なかったと言えるだろうか。でも結果としてまだのうのうと生きている。人は気がフレでもしない限り、自分の意思で死ぬことなんて出来はしないのだ。だったらせめて、自分の意思で生きたい。社会のシステムに殺されたり生かされたりするんじゃなくて。
 
 空いてる場所にチャリを置き、落ち着いたところでそういえばと時計を見る。9時11分、スタートから丁度1時間半。どうやらタイム的な最低目標はクリアしたようだ。正式なリザルトも待ち遠しい。その場に座ろうとしたら、腰痛が凄い事になっていた。しまった、後遺症になんないかな。
 
冷やしトマト
ゴールのご褒美“冷やしトマト”
 あの337番が「何であんなのが走ってんのって思ったけど云々」みたいな話を仲間としているのが聞こえた。握手をしに行く気は失せたが、プライドを守った彼を陰ながら祝福したい。
 カメラを右手に、世界一美味しい板チョコを左手に、うろうろする。ゴール地点では子供が冷やしトマトを選手に配っていた。やったぁトマトトマト!これがまた強烈に旨い。ちなみに早くゴールしないとなくなってしまう。誰だ、一人で2個以上食ってる奴は。辺りはまた最新デジカメの品評会のようだった。いいなぁ。
 後続のゴールシーンを見てると、誰も死に物狂いな奴はいない。たいてい「疲れた〜」なんて言いたさげな顔で終わる。まぁホビーレースなんてこんなもんだ。変に思い入れた私の方がおかしいのだろう。
 
下山ステージ
(↑この写真はクリックすると拡大されます)
 集団下山が始まる。これがまたツールド美ヶ原の醍醐味。草原の道を、たくさんの自転車が走る光景は圧巻なのだ。時々止まって写真を撮るも自由。レース中は声をかけて応援してくれた各所のスタッフ達が、下山時も「お疲れさまでした〜」とねぎらってくれる。感動的。たまには「ありがとう〜」と返す。
 

 
 スタート会場に戻り記録用センサーを返却すれば、解放される。一旦アパートに帰り、昼食と風呂を済ませ、また会場に戻る。13時から浅間なんたらの太鼓演奏があるのだ。これも参加料に入っているんだろうし、きっちり元は取らないとな。しかし演奏は意外に素晴らしく、聴き入ってしまった。おそるべし地元芸能。
 13時30分から閉会式、ついぞ雨が降る事はなかったなぁ。各クラスの入賞者(10位以内)が表彰される。いつかその末席に入れるだろうか。私より速い女子が2人もいたのが何気にくやしい。そしてチャンピオンクラスの優勝者は、坂バカならその名を知らぬ者はいないであろう、あのM山氏。今年はツールド美ヶ原にも参加してたのね。…ひょっとして晴れ男ってこの人か?
 
トマトジュース
 表彰式が済むと、お楽しみ抽選会。これがあるからしぶとく残ってたんだよな。次々と抽選箱から幸運な32名が発表される。
 「ゼッケン323番、中村選手ゥ!」よっしゃ〜!呼ばれちゃったよオイ、ラッキーな事もあるもんだ。レースクイーンから受け取った景品は、スポーツタオルとトマトジュース30本。やったぁトマトトマト! なぜか下手な入賞商品より豪華なのだ。運があればいいんだ、実力なんていらん(逆もまた真なりぐらいの意味)。
 

 
 こうして後味をちょっと良くした一日が終わった。事前に応援してくれた人ありがとう。けれどわたくしは明日から何を目標に、何をすればいいんだろう。とりあえず体力は何をするにも必要だから、トレーニングは続けたいと思う。
sign  来年? そりゃあ出るだろう。もう「あまりむりをしないでがんばってください。
 

翌日Web発表された公式リザルト
時間
(全長21.6km 標高差1,270m)
1時間26分32秒 (最速者1:00:42, 最終完走者3:34:12)
ロードレーサーの部
一般男子B(26〜30歳) 順位
40位(/完走173名/登録196名中)
総合順位
(61歳以上,女子,MTB,リカンベント含)
288位(/完走1,398名/登録1,630名中)
 

 リンク

JCA(日本サイクリング協会)
ツール・ド・美ヶ原やマウンテンサイクリングin乗鞍などの主催団体。
MSPO(エムスポ)
主にトライアスロン情報のページだが、自転車ヒルクライムのリザルトも充実。

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