むらよし旅日記・其の十五

常磐線沿いひたすら北上ラン

1997年6月14日〜16日

実走で北へ

 前回の善光寺ランに続き、また週末を利用してランに出ることにした。一度やってみたかった「実走で仙台へ」を今回のテーマに、旅支度に取りかかった。しかし前日は自分の所属するギター・マンドリン部の部内発表会さらにコンパで大騒ぎし、仮眠もほどほどに出発の朝を迎えた。

6月14日(土)勿来の関を越え

 結局徹夜のままようやく眠くなるころ、コーヒーを飲んで強引につくば市を出発したのは朝6時。なるべく北へ行きたいという想いで、ハイペースで自転車を漕ぐ。7時石岡市、県道をつたって8時には早くも水戸市に入った。調子がいいのはここまでで、あとはバテてゆっくり走る。国道6号に乗り、そのうちひたちなか市の友人の家に着いた。アポ無しで悪いが上がり込み、朝食まで頂きしばらくゆっくりくつろぐ。
 眠い! が再び北へ走り出す。電器関連工場がいっぱいある日立市を越え、高萩市街でやや遅めの昼飯を買い食い。そして砂浜の堤防の上でやっとお昼寝。ぽかぽか陽気のもと30分ばかしおやすみ。
 ところで国道6号は東京から水戸までは「水戸街道」とも呼ばれているが、東京から仙台近くまでを総称して「陸前浜街道」という名前もついている。陸前とは昔の国名で今の宮城県域にだいたい合致する。平行してJR常磐線が走っている。これを今の私はなぞって北上しているわけだ。
 さて落ち込んでいたペースも、昼寝のおかげでまともに戻った。2年前の秋合宿出発地である北茨城市磯原を、懐かしい気持ちで通り過ぎつつ、福島県入りを果たした。
 いわき市はまず高台にある勿来(なこそ)の関で始まる。「来るなかれ」という意味のこの関所は、白河・念珠(ねず)と並ぶ奥州三関のひとつで、その跡地にはたくさんの句碑が立てられている。古くからの街道を旅する時は、こういった所にも是非寄って、かつての人々の往来に想いを馳せたいものだ。
 いわき市はさすが面積日本一の市だけあって、なかなか次の市街地までの距離が長い。陸前浜街道の旧道で勿来から15キロ、湯元温泉に着いた。ここも勿来関と並んでぜひ寄りたかった所。共同浴場をみつけて入り、今日の疲れを癒した、気になる。
 さらに15キロ、海岸近くの仁井田浦キャンプ場に夕方7時到着。ここはいわき市営のキャンプ場で、無料なのがうれしい。軽量化のため自炊用具は持参せず、夕食はコンビニ利用。今日は平地ばかりひたすら走り続けて、山は見慣れないけど風景があまり変わらないので遠くに来た気がしない。でももう仙台まで半分切っているんだね。ちなみに本日の走行距離は約170キロ。ママチャリでの記録(140キロ)を5年ぶりにやっと更新出来た。

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6月15日(日)アップダウン

 せっかく東海岸にいるのだから日の出を見たかったが起床が遅れた。まあいいか。今朝も早く6時半に、北へ向け出撃。基本的に国道6号を行くが、旧道を使えるところは使う。道は海岸から少し離れており、右手奥に原子力発電所の煙突らしきものが見える。双葉町で休憩して、さらに旧道(陸前浜街道)をメインに北上。旧街道を偲ばせる物が時々あるのはいいが、福島県浜通り特有である谷から谷へのアップダウンが私をバテさせ、毎時20キロでは距離と時間の計算が合わなくなってきた。
 そのうちやっとの思いで原町市に入った。ここは夏の大イベント『相馬野馬追い』の祭典地で、大勢の騎馬武者達が勇壮な神旗争奪戦を繰り広げるらしい。余談だが臨時列車も出る。今日の私はここで早めの昼飯。足が疲れている筈なのに、つい駅の立ち食いそばにしてしまった。さらにいやになるほど数多いアップダウンに苦しみつつ相馬市へ。ここからようやくアップダウンもおさまり、国道6号を追い風にまかせ飛ばす。そして宮城県入り。
 東北の代表的大河の一つである阿武隈川を渡ったところの岩沼市で、国道6号は内陸を北上してきた国道4号と合流、常磐線も東北本線と合流する。その国道4号を超重装備で北へ向かうサイクリストを発見。疲れているのか意識朦朧と漕いでいて、こっちの呼びかけに気付かなかったようだが、やっぱり北海道にでも向かうのだろうか。
 私は週末の小旅行。念願の仙台市入りを果たし、市内を山側にいくらか登ると、夕刻に秋保(あきう)温泉に到着。ここは鳴子・飯坂と並ぶ奥州三名湯のひとつであり、今日も温泉で疲れを癒す。166キロの距離と無数のアップダウンがあったしね。
 夕食をコンビニで食べ、テントは近くのオートキャンプ場に。テント設営の場所を借りるだけの事なのに、結構金がかかった。今後オートキャンプ場は避けようと思った。
 明日はいよいよ・・・!

6月16日(月)知床への道

 朝、通勤ラッシュの排ガスにまみれつつ、時間の都合で青葉城見学はあきらめて、仙台駅に到着。しかし今回の旅はここで終りではない。さらに排ガスの中、北東へ急ぐ。日本三景の松島を横目に眺めつつのラストスパート、そして鳴瀬町のJR野蒜(のびる)駅に到着! なぜここまで来たかって? 2年前の夏のサイクリング終着地がここだったからだ。つまりたった今、これまでに自転車で走った道を継ぎはぎすると、つくばから北海道の知床まで道が繋がったことになるのだ(津軽海峡はもちろんフェリーだが)。3年がかりのわざである。
 しかし感慨に浸る暇はない。本数少ない列車の時刻が迫っているのだ。急いで自転車を輪行状態にし列車に飛び乗り、懐かしい思い出も残る野蒜駅を後にした。列車の中で「道が繋がった」実感が少しずつ湧いてくる。今回の旅の目的は実はこれだったし。頑張った甲斐があった。
 ところで帰りの列車(常磐線)は、今回の旅をそのままリバースしていて、いろいろ思い出させるので退屈はしなかった。駅名が全て「知った地名」となったのはうれしいことである。夕方7時頃、無事つくばに帰った。

 3日間で走行距離計408キロ、これだけなら一週間規模のサイクリング部全体合宿に匹敵する。こうして平地ばかり走って距離を稼ぐのは、実は自分のサイクリングの原点である。ママチャリで関東平野を走り廻っていた頃の感覚が蘇った。
 なお、このラン以降私は「自転車で走った道を繋げる」ことに傾倒するようになる。


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