むらよし旅日記・其の五

キャンピング班秋合宿:甲子峠雪中行軍

1995年11月25日〜28日

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 秋合宿からは1年生が計画を立てることになっている。ゆえにキャンピング班は私が合宿のコースを決めることに。そこで、新潟の日本海岸から東進し福島県を通って北茨城の太平洋岸まで本州を横断しよう、と立案した(このとき初冬の北方の恐ろしさをまだ知らない)。
 ところが新潟方面への列車である『快速ムーンライト号』のチケットは、私がもたもたしているうちに売り切れてしまった。結果、北茨城からの逆ルートになってしまい、季節風に逆らうことが余儀なくなった。つらい合宿になりそうだ。先輩ごめん。メンバーは男9人、女3人の計12人。

11月25日(土)

 午前3時ごろになってあわてて支度をしたものだから、4時の集合に30分も遅れてしまった。「この遅刻魔〜!」…急いで出発の記念撮影をして荒川沖駅へ。結構ギリギリで始発電車に乗り込む。

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太平洋から日本海目指して出発
 下りの常磐線にゆられ、ゆっくり眠る間もなく北茨城市の磯原駅に到着。自転車の組み立てをしてる間、通りすがりのオジサンにいろいろ聞かれる。いつも聞かれるのは私だが、班長曰く“ものを聞かれやすい顔”をしてるらしい。朝食は適当に買い喰いした。
 まずはとりあえず海岸へ。太平洋の海水をリアルゴールドの小瓶に汲むセレモニーを行い、いざ日本海に向けて出発。向かい風がやはり強く「こりゃやばいな」と思ったが、じきに気にならなくなった。花園渓谷の登りは長く、遥か後方にまだ見える海を背にして先を急ぐ。標高が一番高い(800m位)あたりはとてもなだらかな地形で、川の源流の神秘さが印象に残った。やがて時はもう昼時を越えていたが、買い出しをできる店がそこには存在せず、仕方なく小さな集落の小さな菓子屋でおやつを取った。賞味期限をだいぶ過ぎているのが気になるが…。
 福島県に入る。土砂で道が埋っているところがあってどうなるかと思ったが、かろうじて工事用の細い歩道が用意されていて、なんとか突破した。
 秋もこの時期になると日が暮れるのが早く、予定の白河市まではたどり着きそうにない。紅葉の久慈川沿いにサイクリングロードを見つけ、今日は棚倉町まで。
 城跡の公園にキャンプを設営させてもらい、大きな鍋(秋合宿恒例)で作った鶏味噌鍋をタップリ喰った。明日の行程は長いが大丈夫だろうか…。不安を抱きつつ、甘酒を飲んで寝る。

11月26日(日)

 めっちゃ朝寒かった。足の先なんか凍りそうだ。果たして今日は無事に峠の向こうへ行けるのか、未だ不安のさなか。コースを逆にしてしまった自責も残っている。
 白河の街を抜け、いよいよこれから登るという阿武隈渓谷・雪割橋。ここで、予定よりはるかに手前だが昼食。橋の上からの光景は見事で、もうちょっと前に来ていれば紅葉が素晴しかったろう。

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行こか戻ろか
 登り坂はダートになり、しばらくして雪道になってきた。標高が高くなるにつれ、ランドナーのタイヤでは滑るようになり、一旦止まるとスタートが効かなくなるので雪のないところまで歩く必要がある。
 やがてエスケープ可能な分岐まで来た。ここまで全員が登れただけでも奇蹟的だが、班長の強い意志でさらに上へ登ることになった。もはやライディングは不可能になり、ほとんど押しでの雪山登山になった。自動車がある程度踏み固めたわだちが残ってるのが幸い。通りすがりのドライバーの情報によると、そろそろ冬眠に入るクマが、最後のエサを求めて活動しているらしい。怖い・・・。雪に動物の足跡があちこちにあったが、うさぎか何かだろう。
 それにしても辛い辛い命懸けな道のり、「この目の前の光景が最期か…、ハッ、いや頑張らねばっ。」と思うこと2〜3回。しかも日は暮れ、ボトルの水は凍り付き、ブレーキも凍り付いて効かなくなってきた。こんな経験、他ではとても出来ないだろう…。
 昼ごろ着く予定だった甲子峠(かしとうげ)、実際着いた時には完全な夜になってしまっていた。大変なことになった。いったい今夜はどうなってしまうのだろう、明日はあるのか。しかしこんな時にも我々は峠の記念撮影。なんて楽天な仲間たちなんだろう。
 辛い道のりはまだ終らない。雪が深くて、下山も歩きなのだ。ブレーキが凍ったままでは困るので、摩擦熱で溶かすべくずーっとブレーキレバーを握り、おかげで手もかなり疲れた。ドロヨケの間に雪がつまり、凍ってタイヤが回転しなくなることもしばしば。そのうちブレーキも回復し、舗装路が地表に垣間見えるようになってきた。美しい星空に一筋の天の川、時々流星も落ちる。遥か西では稲光りが走っている。極限状態のさなか、なんて幻想的な光景なんだろう。
 舗装路が見えてきていても所々凍っているので、まだ歩き。月の出ていない暗闇の中、怪談も飛び交わしつつ。もしひとりでこのような道のりだったらメチャ怖いだろうな。やがて自転車に乗って下れるようになったが、まだブレーキが凍ったままで苦しんでる人もいる。そしてようやく“人里”に下り、下郷の街へ。雪中行軍は終り、生きて降りてきたのだ…。おりしも巡回中のパトカーに会い、駅まで先導してもらった。
 夜10時、こんな時間にやっている焼肉屋『大坂屋』になだれ込む。うおーっ、あったかいーっ!…2階には宴会室が見える…ここに泊めてくれないかなあ。腹を空かせた野獣たちは焼肉を奪い合う。
 店の主人「甲子峠越えてきたの? よくまあ雪のなか…、女の子はよく耐えたな〜。」まったくだ、よくあの道のりを12人全員歩き切ったものだ、一人の落伍もなく。
 店のカミさん「今からテント張るんじゃ大変でしょ。ウチの2階に泊まっていきなさいよ。」よっしゃあ! ありがとうございます! 期待していたとはいえ、これってメチャラッキー!! 夢みたい。まさか自分はあの道のりで倒れていて、いま夢を見てるんじゃないだろうな?
 こうしてキャンピング班史上に残る一日は終った。

11月27日(月)

 昨日でほとんどの人が体力を使い果たし、しかも今日は雪が降っているので精神的にもダウン。残念だが実走をあきらめ輪行。会津鉄道と磐越西線を乗り継ぎ、西会津町の野沢駅までかなりの距離を鉄路で稼いだ。

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麒麟山でお夕食
 そして相変わらず雪が降ったり止んだりしている中、トンネルを2つ越え新潟県津川町へ。麒麟山という所にナイスな東屋を見つけ、キャンプを設営。
 近くには麒麟山温泉があったが「泊まり客専用」と言われ、ちょっと離れた清川温泉に行くことになった。けっこう登るが、こういう時こそ足に力が入る。そして入浴。「あ゛〜いい湯だな…。」他に言うことなし。
 大量のメシを喰らい、酒を飲んで眠りに入る。私はこの日になってようやく仲間意識を取り戻し、気が晴れたのだった。

11月28日(火)

 朝飯前に、麒麟山の遊歩道を登ってみる。太陽が出てたかと思うと雨が降ったりもする。展望台からの眺めはよし。左下方には常浪川、右下方には阿賀野川、それが合流して向こうへ流れてゆく。
 阿賀野川下流に向かってのラン。山間の大河を左手に眺めつつ、トラック交通量の多い国道49号を急いで通過していく。寺の境内で昼食を取り、さらに向かい風の土手道を、海目指してゆく。背後には雪山が見える、ああ。
 雨雪が降ったり止んだり、日も照ったりする中、だんだん街中へ。なないろの虹も時折見え隠れする。新潟市の市街地に入ってくると、この合宿中やり続けている先頭地図読みはさらに難しくなってくる。人も多いが、バスとバス停の多いこと。

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陽の暮れた新潟の海にて
 夕闇に包まれ、ついに旅の目的、日本海に到着。小瓶で運んだ太平洋の海水を、日本海に注ぎ込むセレモニーをとり行う。もし輪行なしで達成できていたら…、と思うがこれも一つの旅である。記念撮影をしてランは終った。
 帰りの夜行列車『快速ムーンライト』が出るまで時間がかなり余ったので、夜の新潟駅周辺を徘徊してみる。なかなか興味深い街だ。そしてムーンライト車内では某友人と、来年度に住むアパートのことなどについて語り合っていた。

 とある先輩が言うには「この合宿は思い出に残るなあ、新しい一年が入ってきて真っ先に話すのがこれやで。」しかしこのハードな旅を苦痛に思う人もいるかも知れないし、途中であきらめて輪行をしてしまった不満もある。合宿としては賛否両論ありそうだ。
 とにかくあの甲子峠越えは大きな経験になり、精神的にも強くなった気がする。合宿から帰るとやっぱりキビシイ『現実』が待っているが、一つ一つ乗り越えていこう、と思うきっかけになった。
 ちなみにこの合宿中4日間、その激しさを物語るように、計7箱ものカロリーメイトを消費した。さすがに飽きたぜ…。


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