むらよし旅日記・其の一

高校2年時・ママチャリ140kmの旅

1992年7月29日

 私はもともと虚弱児と言われる子供で、めまいを起こして倒れることも少なくなかった。しかし中学生になり、通学のために自転車を使う様になってからは、少しづつ体力がつくようになってきた。
 高校1年の頃。ドライブ用の道路地図帳を見て、自宅(葛飾区水元)から東京湾岸までが自転車でも行けそうな距離、往復で約40kmであることに気付いた。「なんて素晴しいことなんだ」と思いさっそく“黒い三段変速ママチャリ”を駆って江戸川右岸自転車道を南下。とても疲れたけど、初めて自分の足で見に来た海は感動的だった。
 以降、自宅から葛西臨海公園までは経路を変えつつ十数往復を数え、また同じような距離であちこちに日帰りサイクリングに行くようになった。・・・さらに地図を見て思った。
 「いつか江戸川を走破して、さらに栃木・群馬の県境まで行ってやろう。でも往復で130km以上はありそうだからそれまでに体力をつけなければ。」
 それから約1年が経ち高校2年の夏休み、7月29日(大安)。

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 いよいよ計画実行の日が来た。と思ったら寝過ごしてしまい、出発が予定より2時間は遅い午前9時になってしまった。「しょうがない、行けるとこまで行って帰ってこよう。野田市位までかな。」…こんな感じで江戸川左岸自転車道北上の旅は始まった。またがるのは愛車の“黒い三段変速ママチャリ”、持ち物は地図のコピーとお金のみである。
 しかし時は夏のまっ盛り、すぐにバテてきた。ジュースを買うため、江戸川をそれて利根運河沿いに東京理科大学野田校舎前まできた。そこから家に引き返そうかとも思ったが、諦めるのはまだ早い。江戸川の自転車道に戻ってさらに北上することにした。
 それにしても暑い。水筒の類を持たなかったので、飲み物は全て缶ジュースに頼ったが、川沿いは千葉県の田園地帯。いったい次の自動販売機が何処にあるか分からないので、ジュースを買いだめする必要があった。もちろん温まってしまうので炭酸は厳禁である。陽は高くなり、温風が吹き荒れ、体中から塩が吹いてきた。跳んで火に入る夏の虫。アスファルトのサイクリングロードはまだまだ北へつづく。よく造ったな、こんなもの。
 もがくようにペダルを漕ぎ続け、とうとう千葉県の北端にある関宿城跡に着いた。何か城跡を思わせる物が残っているかと思いきや、石碑がポツンとあるだけ。となりの空き地ではゲートボールが行われている。「つまらん!」・・・本当はもう帰るべき時間だし、体力的にも危ないが、ここまで来たからには当初の目的を果たすべし。
 江戸川はとうとう走破され、茨城県に渡り利根川・渡良瀬川左岸自転車道をさらに北上。これも決して短い道のりではないが、やがて終点の古河市三国橋に着いた。あと少しだ。せっかくだから証拠写真でも撮ろうと、コンビニで使い捨てカメラを買い、目的地へ。

 …ついに念願の、栃木・群馬の県境までたどり着いた!
 どこが県境だったかはっきりしなかったので、達成感もはっきりしなかったが、地図上では確かに県境を越えている。自転車でこんな遠くまで来られるなんて、サイクリングにハマりだす前は夢にも思わなかったことだ。
 「♪思〜えばア遠〜くへ来た〜もん〜だ〜、…都を離れ二十里近いだろうか。」
 そこの北側には土手があり、その向こうは広大な渡良瀬遊水地が広がっている。しかしその土手をよじ登る気力が残っておらず、見ることを諦めた。ちょっと心残り。
 しかし問題は帰りである。もう疲れ切っているのに、あの距離を引き返さなくてはならない。無理だ、電車で帰ろう。でも電車賃勿体ないからなあ、戻れるとこまで戻って親父に車で救援に来てもらおうか、うーん??
 とりあえず昼飯を喰わなければ。そこでコンビニでサンドイッチでも買えばいいものを、私は何を血迷ったか古河駅前のロッテリアを選択した。店員にしてみれば次のような感覚だったろう。
 ---突然汗だくの少年が店にやってきた。しかも塩まで吹きまくっている。その少年はセットを頼むと席に座って食しだしたが、大変疲れた様子でまるっきり食欲が無いらしく、ポテトを残して店を去って行った。二度と来るなよ。---

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延々と続く自転車道
 帰路に就く前に、自宅に電話を入れた。「今、自転車で古河にいて、帰りは遅くなるから。」「えー!古河!?」おふくろはかなり驚いたらしい。

 南下の旅が始まった。漕ぐ力はもう殆ど尽きていたが、惰性で何とか前に進んでいた。やがて夕暮れ。
 「♪ああこの旅は、気楽な帰り道。のたれ死んだ所で、本当のふるさと。ああそうなのか、そういうことなのかー。」
 ザ・ブルーハーツの“ナビゲーター”という曲を口ずさみながら、来た道を逆になぞっていく。長い長い苦行の途、憂鬱になったりヤケクソになったり無心になったり。
 さらに辺りは暗くなり、ダイナモ(発電機)ランプを付けて走らざるを得なくなった。しかも不運なことに、流山市の河川敷で花火大会が行われており、自転車道は露店と人ゴミに溢れていた。「こんなところ自転車で走るなよ!」とまで言われ、仕方無くそこらへんは押して歩いた。軟派な男の集団が「かわいい娘、なかなかいないよー」とか喚いているのが聞こえたが、この時極限状態だった私には、雲の下の出来事だと感じた。

 そして、…東京の自宅へ帰還。
 夜の9時、実に出発から12時間かかった。ゆっくりとはいえ、その時間の殆どをママチャリで漕いでいた。あとで正確に距離を計ったら約140km! だめだだめだと思いつつ、ついに達成、自分の限界を越えたのだ…。こんな猛暑の時期でなければもっと楽だったかも知れないが。
 無事帰宅した私は炭酸ジュースをかっこみ、今日一日あったことを振り返りつつ、やがて眠りに入った。次の日、体がボロボロだったのは言うまでもなく、家の階段はハイハイで昇降してた・・・。

 なんてバカなことを、と思う人が居るかもしれない。その通りである。しかしこの経験はその後の人生に大きな影響を与えていることを私は確信している。アイデンティティーの一つとして。


補足 −関東平野を駆け巡る−

その後同じママチャリを使い、100km以上の日帰りの旅を4回強行した。どれも 上記の旅ほど大きなショックではないが、やはりそれぞれが大切な経験となっている。


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