むらよし旅日記・其の十七

さよなら信越本線碓氷峠

1997年9月27日〜28日

物好き3人衆

 鉄道ファンにとって、ひとつの大きな事件が起ころうとしている。長野(行)新幹線がもうすぐ10月1日に開業すること、ということよりも、それと同時に信越本線の碓氷(うすい)峠越え、横川−軽井沢間(通称「横軽間」)が廃止になることである。横軽間といえばその急な勾配をわざわざ電気機関車を重連させて登り降りしていること、それに横川駅の駅弁『釜めし』の販売も全国的に有名で、その廃止は鉄道ファンのみならず多くの人に惜しまれている。
 横軽間廃止前の最後の週末、私はその碓氷峠を自転車で見に行くことを企画。これにサイクリング部主将であるHが「頭文字D(という漫画)の舞台を見にいきたい」と賛同、さらに最近ランドナーが板に付いてきた一年生I君も加わった。計3人、ずいぶん物好きである。
 また私の個人的な思惑として、夏休みにやりそこねたことの補完計画のひとつとして「走った道をつくばから信州へつなげる」というのがある。そのため碓氷峠からの帰りは実走でつくばまで、という計画を強引に押し通すことにした。

9月27日(土)碓氷峠終末の詩

 H氏、I君、そして私の3人はまず、つくばから北のJR下館駅まで自転車で走り、そこで輪行、電車に乗り込んだ。水戸線から両毛線に乗り継ぎ西へ向かい、高崎からは横川行きの信越本線だ。列車内は廃止前の横軽間を見物しに行く、いかにもマニアっぽい人々がわんさか。ウチらも自転車かかえちゃったりなんかして一見別目的ではあるが・・・。

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横川駅「重連」シーン
 横川駅に降り立ってみるとさらにすごい! マニア、ファンの群れが機関車の連結・分離シーンを写真撮影しようとホームに殺到していた。我々も撮影開始、フィルムを惜しんではいられない。またこれももうすぐ廃止となる駅弁のホーム販売にも押しかける。
 駅前も人だかりで、テレビ局は来ているし切符売り場は長蛇の列。峠を下りてきた普通列車を見やると中はもちろん超満員だ。そんな状況下、我々が自転車の組み立てを終えたのはちょうど昼前。さっそくおぎのやドライブインで釜めしを食べる。うまい。
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眼鏡橋に群がるマニア
 予定よりだいぶ遅れて自転車に乗り、坂を登り始める。根性のあるマニア達は歩いて登り下りしているぞ。途中、有名らしい店で『力もち』を買い喰いした後、さらに登るとそこにはひときわ大きなマニアの群れが築かれている。どうやら美しいアーチで有名な『眼鏡橋』のビューポイントで、その向こうに列車が通過する決定的瞬間をカメラにおさめるつもりらしい。我々も加わるが、何十分待てどなかなか列車は来ない。そしてマニアの数が最高潮に達した時、カシャッ、カシャッカシャカシャカシカシシャシャシシャー! みんな一斉にシャッターを押した音である。私も貴重な写真が撮れて満足満足。
 熊野平という古い駅の跡でも写真を撮った後、いよいよ碓氷の坂は佳境に。ガケ崩れのため通行止めのトラップがあったが、自転車を持ち上げて強引に突破。ここまで来ると“根性あるマニア”の数も激減する。184のカーブがある、しかし極めて勾配の緩い坂を登り切ると碓氷峠に到着。景色はあるが紅葉はまだのようだ。
 そのまま西へ少し坂を下りると軽井沢駅に着く。こちらもそれなりにマニアが多く徘徊している。我々はラーメンを食べて、今度は碓氷峠を引き返す。もう暗くなってきていて、ダイナモ(発電機)ランプの心細い灯りで峠を下るのはちょっと怖かった。そして横川で夜を越すらしいマニアも見受けられる中、関所跡を見てさらに西へ走る。風呂に入りたかったので湯乃川温泉の旅館に寄ってみると、わざわざ風呂を沸かしてくれて休憩室まで用意してくれてしかも良心的な値段だった。あーこのままここに泊りたい〜・・・。
 しかしそんな金は無い。さらに暗闇の中、山奥に向かって走る。すると突然現われたかのようにそびえる安中榛名駅。もうすぐ開業する新幹線駅だがこんな山奥、利用する人いるのだろうか。地元民が次々と冷やかしに来ている中、我々はステーションビバーグ(略してステビー)を決行。この駅で駅寝をするのは我々が第1号かもね。

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9月28日(日)喧嘩上等天下無敵?

 コンクリートの上は銀マットを敷いているとはいえ寝心地が悪かった。人が時々近くを通っていたようで、特にI君は眠れなかったらしい。H氏の方は豪睡。私は中間位か。
 朝、駅舎が開いていた。駅員がいない隙に改札を勝手に突破し、ホームへ登ってみる。もうすぐここを長野(行)新幹線が通るんだな。他の見学者数名も我々に続いて侵入してきていた。なんかやばいことしたかなあ。
 今日は実走でつくばへ帰る日。ひたすら東へ向かって走る。足利市には森高千里の歌で有名な渡良瀬橋があったが、ただの普通の鉄筋橋だった。ついでに足利学校跡も見学。ここからは国道50号の旧道をさらに東へ、佐野市では名物佐野ラーメンを食べるが普通の味だった。
 やっと茨城県に入った結城市、ここのレストラン前で事故は起こった。私の前を走っていたH氏が、レストラン駐車場に入ろうと左折した車に不幸にもはねられたのだ。しかも相手は誠実さのカケラも無い茨ヤン(茨城ヤンキー)たち。H氏の方には幸い大した怪我などは無かったが、彼が茨ヤンどもに対し精神的劣勢にならぬよう私はかなりオーバーに怒りをあらわにした。こうして警察まで出っ張ってきた悶着は2時間にも及びようやく和解、珍しい経験と大幅な時間ロスを得て、すっかり暗くなるころランを再開した。
 下館に着いた時点で、私の「走った道をつなげる」計画は完了。つくばからいくつもの峠を越えて西は金沢までつながった! ちょっと感慨。そしてあとは南に走り無事、ではなかったけれどもつくばへ帰り着いた。いろいろあったので2日間がすんごぉーく長く感じた。

 一日目にはマニアの群れを見るということ自体が、そして二日目には茨ヤンとの口喧嘩が貴重な経験となった「さよなら碓氷峠ラン」。二日後の9月30日には碓氷峠最期の日ということでテレビニュースにも大々的に報じられ、そして横軽間は廃止となった。翌日10月1日からは長野(行)新幹線が開業。青春18きっぷ愛好家にとっては不便になったけど、来年の長野オリンピックなどには貴重な足として新幹線が活躍するのだろう。私もそのうち乗ってみたい。
 ちなみに私は鉄道マニアではなく鉄道ファンであるから誤解無きよう。


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