...... 2001年 12月 01日 の日記 ......
■[ NO. 297 ] 晴れ
それって、もしかして…
今日も七奈を連れて病院に行きました。そして体重を量ると
2.37kg、発症前は3kgあったことを考えると、10日間で
20%以上の体重が落ちてしまったことになります。つまり
体重50kgの人間が10日間で40kgにまで痩せてしまうという
事で、七奈の受けたダメージがいかに大きかったかを
物語っていると思います。

先生は、口から食餌が取れるようになれば、すぐ元に戻る
でしょうと言うのですが、生まれたての子馬や小鹿のように
後ろ足をフラつかせながら歩く七奈の姿はやはり痛々しい
ものです。

それで、どうにかしてご飯を食べさせようと思い、七奈の
好きな缶詰にプロポリスや整腸剤を混ぜてドロドロにした
ものを毎日与えてみたのですが、小指の先ほども食べないのです。
それも私が自分の指につけて口元につけるとやっとなめる
程度で、とても食欲があるようには見えません。なので、
病院で聞かれた時も、まだあまり食欲がない、と先生に
話したのでした。

しかし、治療としてはほとんど終了しており、あとはとにかく
栄養を摂って体力を回復することくらいだと言うので、
とりあえず今日は注射も輸液も何もせずに、1日様子を
見てみることにして、消化器疾患用の療法食だけもらって
帰宅しました。

そして、もしかしたらと思い、療法食の袋を開けてみると
七奈の目が心なしか輝いたように見えました。そこで、
ドライなので袋から粒を1つ取り出し鼻先に持っていくと
なんとムシャムシャとほおばるではありませんか!!
どう見ても食欲がありそうだったので、袋からもう少し
多めに出して七奈に見せると、七奈は10粒ほどのドライを
ペロリと食べてしまいました。

これには私もびっくりしました。発病してから今までこんな
勢いでご飯を食べたのは初めてでした。その後お水も飲み
七奈は満足そうに顔を洗っていました(^_^) そして、私は
何となく七奈の食欲が無かった理由がわかった気がしました。
つまり、缶詰に入れたプロポリスや整腸剤がきっとマズかった
のでしょう。それでイヤイヤながら食べていたのだと思います。

こんなことなら、もっと早く何も入れない缶詰かドライで
試してみるべきでした。そしたらこんなに痩せ細る前に
もっと食欲が戻っていたかもしれないし…。

とりあえず今日1日で200ccの軽量カップ1/4くらいは食べました。
昨日までのことを考えると、本当にすごい進歩です。下痢も
嘔吐もしてないし。この調子でドンドンとご飯を食べて
またもとの元気な七奈に戻ってほしいな(*^_^*)

p.s. 余談ですが、七奈は発病してから私の部屋で隔離生活を
送っているのですが、最近は調子が良いので少しずつ部屋の
外に出すようにしています。そして、午後たまたま階下
から上がってきた小次郎が部屋から出てきた七奈と一瞬ですが
鉢合わせしました。もちろん七奈は懐かしそうに小次郎に
近づいて行きましたが、小次郎は息も止まらんばかりに
激しく威嚇し、ドヒューンという勢いで階下に飛び降りて
行ってしまいました。七奈の事をどこかの知らない猫だと
思ったみたいです。まったく、どこまでバカな猫なんだか…
あきれて物も言えませんでした。ちなみに、お兄ちゃんは
七奈にちゅっと挨拶してました。やっぱりお兄ちゃんは
優しいわぁ。


...... 2001年 12月 02日 の日記 ......
■[ NO. 298 ] 晴れ
複雑なキモチ…
今日は忙しい1日で、いろんな事がありました。

まず朝一番で七奈を病院に連れて行きました。昨日から
注射など何もせずに様子を見ることになっていたのですが、
嘔吐や下痢もないし、少しずつではありますが食欲も戻って
きているようなので、あとは一生懸命ご飯を食べて体力を
戻すしかないということで、今日で一旦通院は終了に
なりました。

今回12日間連続で病院に通いました。時には朝晩2回通ったことも
あります。私が仕事の時はかわりに母親に連れて行って
もらいました。先生には休診の日にも何度も特別に開けて
診察してもらいました。友達からはたくさんたくさん、励まして
もらいました。私の不注意から七奈を始めとして多くの
人に迷惑をかけてしまいましたが、とにかく七奈が助かって
本当に良かったです。お世話になった皆様、ありがとう
ございました。

次に買い物に行って、猫砂や猫のご飯など、安売りのホーム
センターを3件ほどまわって、午後は私の部屋の大掃除を
しました。ずっと七奈を隔離していたので、とにかく消毒をして
またお兄ちゃんや小次郎が入ってきても良いようにと、
隅々までハイターの濃い液を含ませた雑巾で片っ端から
拭きまくりました。

しかし、こちらの思惑に反して、小次郎もお兄ちゃんも七奈の
事を忘れてしまったらしく、七奈が部屋から出て2匹に
近づくと、小次郎は激しい威嚇と共に七奈に襲い掛かるし
お兄ちゃんは家のあちこちにマーキングをし始めるし、もう
大変です。また、初めて七奈を家に入れた時のように、ゆっくり
ご対面させなければならないのでしょうか??それまで
何ヶ月も一緒にいたのに、たかだか2週間弱離れていただけで
完璧に忘れてしまうとは、猫の脳みそって相当小さいみたい
ですね。(苦笑)

そして夕方はお兄ちゃんを連れて病院に行ってきました。
本当は尿を採取して、その上膀胱に尿がたまっている状態で
来院してくださいとなかなか難しい注文を出されていたのですが、
採尿のほうはほんの一瞬目を離したすきにトイレに行かれて
しまい、失敗に終わってしまいました。でも、病院に行かない
わけにはいかないので、お兄ちゃんの様子を見ていたのですが、
膀胱に尿がたまっているのか、いないのか、私には判断が
つきません。

そうこうしているうちに、お兄ちゃんがトイレに入って
行きそうになったので、あわててお兄ちゃんをトイレから
引きずり出し、我慢させてかわいそうだとは思ったのですが、
そのまま高速を120km/hで飛ばして病院に駆け込みました。

そして先生に確認してもらうと、しっかり膀胱に尿がたまって
いるとのこと、今日は膀胱に直接針をさして検査が出来るね〜と
みんなでうなづき、看護士の方が二人でお兄ちゃんを仰向け
に保体した瞬間、お兄ちゃんの股間からちっちが勢いよく
ぴゅーっと飛び出してしまい(@_@) 足を押さえていた看護士
さんなどはモロにお兄ちゃんのちっちを浴びてしまいました。

あわてて体勢を元に戻し、パッドでちっちを受けたのは
良いのですが、結局膀胱から直接採取する方法の検査は
できず、また次回ということになってしまいました(T_T)
今日こそは、検査をしてもらって、OKだったらこれで
通院もおしまいだと意気込んで行ったので、あまりの結末に
普通なら笑い話で済ませそうなことなのですが、涙が出そうで
がっくりうなだれて帰ってきました。しかも、せっかく遠くの
病院まで来たのですから、注射をしておきましょうとか変な事を
言われて、不要な輸液までされてしまいました。(余計な
出費もいいとこ!!) 今日はいつも診察してもらう先生では
なかったので、仕方ないのかもしれませんが、それにしても
ちょっと???な対応でした。

そんなこんなで、今日はとっても忙しく、複雑な気分の
一日だったのでありました。


...... 2001年 12月 03日 の日記 ......
■[ NO. 299 ] 晴れ
大号泣…
それは、1通のメールから始まりました。

今日もいつものように夕食を済ませ、メールのチェックを
しようとパソコンを立ち上げました。そして送受信を
クリックすると、受信されたメールは2通…1通は来週
お食事会をするお友達からの連絡、そしてもう1通は…
大切なお友達が亡くなったというとてもとても悲しいお知らせ
でした。

ある日私のサイトを偶然訪問して下さった時から、主にメール
でのお付き合いが始まりました。直接お電話やお会いした
ことなどはありませんでしたが、とにかくいつも私や我が家の
にゃんこの事を心から心配してくださって、本当にたくさんの
事を教えていただきました。

お兄ちゃんの具合が悪いと言えば、ホメオパシーやサプリメント
の事を教えてくれ、小次郎の態度が悪いと言えばその対処法を
ご自分の豊富な経験からアドバイスしてくれる。そして、
私が辛いことがあったと日記に書けば、すぐ元気になれる
ような素敵なメールを送ってくれる…本当に優しくて、
親切で、便りになって、年齢はお聞きしたことはありません
でしたが、私はこの方のことを心の中ではをとても頼りになる
お姉さんのような存在として慕っていました。

それが倒れられてからわずか10日間での急逝…。お知らせの
メールを読みながら、ただ「なぜ、どうして」と頭の中で
その言葉だけをひたすら繰り返していました。そして、
涙がとめどもなくあふれてきました。

この方から最後にメールが来たのは10月下旬のことです。
それまでも何度かメールの中で体調が思わしくないことや
会社の健康診断で精密検査の必要があると言われたことなどが
書かれていました。この方はかわいそうな猫を見るととにかく
お家に連れて帰って面倒を見てくださる猫の神様のような
方だったので、お家には30匹近くの猫ちゃんがいます。

その猫ちゃんたちのためにも、お互い元気で長生きしなければ
と、何度も励ましあったのです。それなのに…。

お知らせのメールによると、その方が倒れられたのが
11/20。七奈がパルボを発症した日です。そして亡くなられた
のは、12/2七奈がもう通院しなくても良いと言われた日です。
その方は病床でも七奈や私のことを気にかけて下さって、
私に「がんばって下さい」との言葉を遺して下さったそうです。
今考えてみると、その方が七奈の命を救ってくれたような
気がします。

でも、私はその方がそんな状況にあることも知らずに、自分の
事で精一杯でした。ご病気であることがわかっていたら
せめて一言でもお見舞いの言葉を伝えたかったのに…。

今、私の心にはぽっかりと大きな穴が開いています。
きっと良い人すぎたから、これ以上その優しさで傷つく前に
早くラクになりなさいと、神様か仏様が呼んでくださったの
かもしれません。でも、じゃあ、この方を頼りに生きている
残された猫ちゃんたちはどうなるのでしょう?こんな残酷な
運命が、あっても良い物でしょうか??

幸い、この方には妹さんがおり、猫ちゃんたちの面倒は
この方が見てくださっているのですが、これから一人では
さぞかし大変なことでしょう。私に何かお手伝いができない
ものか、真剣に考えてみようと思います。

本当に人間の運命っていつ、どこで、どうなるか、わかり
ませんね。私もいざという時のために、猫たちの行く末を
考えておかなければと思います。

心からご冥福をお祈り致します。合掌。


...... 2001年 12月 04日 の日記 ......
■[ NO. 300 ] 雨のち曇り
なんとか
うれしい事に七奈がだんだんと元気になってきました。
相変わらず小次郎は七奈が近づくとシャーシャー威嚇して
いますが、これは恐らく未だに七奈の体から病院独特の
においがしているからだと思います。

昨日は七奈が小次郎に襲われてはいけないと思い、留守中は
私の部屋に隔離しておいたのですが、今日は隔離しなくても
3人で静かに留守番していてくれたようで、一安心しました。

ただ、七奈がいつでも私の部屋に逃げ込めるよう部屋の
入り口を開けて行ったので、案の定帰宅すると先日洗濯
したばかりのカーテンに、またもやマーキングがされて
いました。部屋の中が臭い事ったら、ありゃしない。
ここでやるのは小次郎と決まっているので、余計に腹が立ちます。
明日からは部屋を締め切って外出しなくてはと思います。
カーテンも早く洗濯しなくっちゃ(-.-)

ところで、今日は先日亡くなった方のご葬儀でした。残念
ながら京都で行われたため、私には行くことはできません
でしたが、ご葬儀が行われている時間に、私も心の中で
ご冥福をお祈りしておきました。相変わらず、その方のことを
思い出すと涙が止まらなくなってしまって、仕事中などは
ちょっと困りました。

夢の中でいいから、一度お会いしたいなぁ。尋ねてきて
くれないかなぁ?やっぱりこれだけ遠いと、無理なのかなぁ…。


...... 2001年 12月 05日 の日記 ......
■[ NO. 301 ] 曇り
疲れ果ててしまいました
何だかとっても疲れています。何をする気にもなりません。
そろそろクリスマスカードも作って外国に送らないと
間に合わないのに…。

原因はいろいろありますが、お兄ちゃんたちのマーキングが
再発したことが一番でしょうか。とにかく、家の中の
あらゆる場所にこれでもかというくらい、2匹揃ってマーキングを
します。家に人がいる時は、常に2匹を監視して、少しでも
怪しいそぶりを見せたら、長いボール紙の棒でおどかして
やめさせていますが、留守の間にやられたものはどうしようも
ありません。

もう昨日から何ヶ所掃除したことか…。ハイターとかで
拭いても消臭という点では効果がないみたいで、昨日などは
お兄ちゃんがしたマーキングをハイターで拭いた2分後に
小次郎が同じ場所でマーキングしてくれました。母親も
相当神経質になっているようで、毎日キーキーしています。
(私がいない時は掃除しないといけないので…)。私たちは
もう鼻がマヒしてしまってそれほど感じませんが、おそらく
外から来た人には家の中じゅうに悪臭が漂っているのが
わかるでしょう。

実は他にも我が家全体が何だか不幸のどんぞこにあるような
良くないことの連続で、とっても疲れてしまった私なのでした。
しかも今月はいろんな予定があって、ゆっくり休んでいる
ひまもないし…。

もう、ため息しか出ません。


...... 2001年 12月 06日 の日記 ......
■[ NO. 302 ] 曇り
寂しいわぁ…
最近、誰も私と一緒のお布団で寝てくれる子がいません。
あの七奈でさえ、母親と一緒にねているのです。病気の
時はあれほど私にベッタリだったのに。おかげで母のベッドは
猫だらけ、3匹が足元にいたり、腕枕をしたりしてそれぞれ
眠っているそうです。私は一人寂しくペットボトルの湯たんぽを
抱えて縮こまって眠ります。

昨日、一昨日と私が眠ろうとするとお兄ちゃんも寝の体勢に
入っていたので、ちょうど良いと思ってベッドへ連れ込んだ
のですが、ガルガルと怒って威嚇したかと思うと、羽交い絞めに
する私の腕を振り払ってダッシュで階下へ下りていって
しまいました。

ここまで嫌われると、寂しいを通り越して空しくなって
しまいます。何でなのかなぁ…???


...... 2001年 12月 07日 の日記 ......
■[ NO. 303 ] 晴れのち曇り
今日は忘年会
今日は職場の忘年会でした。私は日本でも結構有名な温泉街の
ある観光地に住んでいるので、会社の近くにいくらでも
大きなホテルや旅館があるのに (職場全体なので人数が
多いのです)、今年の幹事さん達は何を思ったか向かいの山の
峠のてっぺんにあるホテルで忘年会を開くことになり、この季節
雪が降ったりするとすごい急カーブと急な坂が続く峠道を
車で行くのは心配なので、ホテルからお迎えのバスを
出してもらって、2台のバスに分乗して会場へ向かいました。

しかし、途中帰宅ラッシュの渋滞にはまって会場への到着が
大幅に遅れたため開始時間も遅くなり、でも帰りのバスの時間は
電車で帰る人のために最初から決まっていたので、ゆっくり
食事をしているひまもなく、あわただしくバスに乗り込んで
また急な坂道をグルグルと半分車酔いになりかかりながら
下りてきて、会社の最寄駅に着いたのはもう10時近くに
なっていました。

そんなに遅い時間では、いつもの私ならばすぐに帰宅するの
ですが、今日は朝でがけにおかあちゃんに「今日はもしかしたら
夜、顔を出せないかもしれないから、良い子でお留守番
してるんだよ」と言い聞かせて、ご飯を山盛りにして出てきた
ので大丈夫だと思い、仲良しの人たちでお茶を飲みに
行ってしまいました。

そして、コーヒーを飲みながらいろんな話をして、駅から
会社の近くの駐車場まで暗い道を仲間5人でトボトボと
15分ほど歩き、夜露でカチカチに凍った車のフロントガラスを
ガシガシと削ってエンジンをあたためて帰宅したら、何と
すでに12時近くでした(^^ゞ

しかし、猫たちはし〜んとしたまま、誰も玄関に出てきません。
どうしたのかな?と思って居間へ入っていくと、今年初の
こたつが居間に立てられていて、どうやら猫たちは全部
そこに入っているようでした。しばらくしても誰も出てくる
気配が無く、そのうちやっとお兄ちゃんだけがノソノソと
出てきてくれました。

こたつを出せばこうなる事は当然のことと予測してはいた
のですが、やはりこうまでも無関心になられると、やっぱり
寂しいものです。この分だと今日も一緒に眠ってもらえそうも
無いなぁ…。つまんない(-.-)


...... 2001年 12月 08日 の日記 ......
■[ NO. 304 ] 晴れ
終わった〜
お昼前にお兄ちゃんがトイレに行ってちっちをした事は
確認しました。というのは、今日こそ病院でちっちの検査を
してもらって、結果がOKなら通院終了にして欲しかったからです。

その後ずっと様子を見ていましたが、トイレに行った気配は
無いので、きっと膀胱にちっちが溜まっているだろうと思い
夕方4時半に家を出て病院へ向かいました。比較的病院は
空いており、5分ほど待っていると看護士さんが呼んでくれました。

そこで診察室に入り、体重や体温など一通り診察したあと
いよいよ先生が「今日はおしっこ溜まってるかな〜?」と
言いながら膀胱を触診しました。結果…「今日の膀胱は
梅干大くらいですねぇ」と言われました。お兄ちゃんが
午後ちっちをしていないことは確認済みです。マーキングで
トイレ以外の場所でちっちをした形跡もまったくありません。
それなのに膀胱にちっちが溜まっていないとは、変な話
ですよね??

しかし無い物は無い。また来週まで持ち越しか…とうなだれ
かかったところで、最近は体調もちっちの出も良いし、薬を
減らしてきたけれど頻尿が再発している様子も無いから、
今日でいったん通院は終了しましょうと言ってもらえました。

まぁ、うれしかった事ったら。だって高速を飛ばして何回
通った事でしょう。仕事を早めに終わらせて飛んで帰って
それから連日の通院。大おきな注射に何種類もの投薬、
本当に愚痴をこぼしたくなるほど大変でした。

でも、私の苦労なんかより、お兄ちゃんの具合が良くなった事と、
もう遠くの大嫌いな病院まで嫌がるお兄ちゃんを連れて行かずに
すむことが、何よりうれしかったです。これからは、二度と
お兄ちゃんにこんな辛い思いをさせないように、がんばって
健康管理をして行こうと思います。

もう、当分病院は行きたくないよ〜〜。

しかし、帰宅してすぐお兄ちゃんはトイレへ飛んでいき
勢い良くかなり大量のちっちをしました。これって一体
どういう事なんでしょ??先生が触診したのは一体何だったの??
ま、おかげで高い検査しないで済んだから良いけどさ(*^_^*)


...... 2001年 12月 09日 の日記 ......
■[ NO. 305 ] 晴れ
七奈は…
今日はかの熊川哲也氏が主催するKカンパニーのバレエを見に
長野まで行ってきました。長野県民でありながら、長野市へ
行くのはもう15年ぶりくらいです。(感覚的に東京の方が
ずっと近いので)

今日のプログラムはKカンパニー初の全幕もので、ジゼルでした。
私の大好きなバレエダンサーのビビアナ デュランテさんが
ジゼルを踊るというので、法外とも思える値段のチケットを
涙をしのんでゲットし、わざわざ特急を乗り継いで長野まで
行ってきたのですが、いやぁ、行った甲斐がありました。
やっぱりデュランテさんは素晴らしい…(うっとり)。
ちなみに、私にとっての熊川さんは単なる添え物です(^^ゞ

で、帰りにせっかく長野まで来たのだから、何かお土産でも
買っていこうかということになり (すっかり観光客気分)
駅まで来ると「善光寺名物 酒饅頭」というのぼりが目に
入りました。私はお饅頭大好き人間ですし、善光寺名物とまで
書いてあれば、きっとおいしいに違いありません。そこで
5個入りのお饅頭を買って、満足して帰路についたのでした。

帰宅するともう10時近くだったのですが、夕食は電車の中で
おにぎりを1個食べただけだったのでお腹が空いてしまい、
太るのを覚悟でこの酒饅頭を1つ食べることにしました。
(結構大きくてあんまん位のサイズなんです。生地も厚いし)

そしてお饅頭の包みをあけると、七奈が大喜びで膝の上に
飛び乗ってきました。というのは、七奈はパンの白い部分や
蒸しケーキのスポンジのようなものが大好きなのです。
お饅頭は結構お酒が聞いているようで、生地から日本酒の香りが
結構していたのですが、七奈がどうしても食べたいというので
少しあげてみると、ムシャムシャと食べるではありませんか。
結局七奈は外側の生地の部分を結構食べました。(あまり
良くないとは思いますが…)。

きっと箱に入って捨てられていた時に、食パンの残りでも
もらっていたのかな〜なんて思うのですが、それにしても
変わった物が好きな七奈でした。

そしてその様子を見ながら、お兄ちゃんはテレビの上から
首を直角にかしげて、不思議そうな顔をしていました。
(その様子がかわいいの何のって(^○^))

たまたま入ったCD屋さんで、私のお気に入りのユンディ リの
CDも売っていて、アイドルみたいなポスターまでもらっ
ちゃったし (ちなみに彼はピアニスト) 今日は久しぶりに
とっても楽しくて充実した1日でした(*^_^*)


...... 2001年 12月 10日 の日記 ......
■[ NO. 306 ] 晴れ
めっちゃアセアセ
実は今朝、お兄ちゃんがまた大事なところをペロペロと
舐め始めました。これはまぎれも無く膀胱炎の兆候です。
私は顔から血の気が引いてしまいました。だって、だってです、
先週の土曜日、つまりたった3日前にもう通院はしなくて
良いと先生に言ってもらってルンルンしていたばかりなのに、
また病院に駆け込まなければならない羽目に陥るとは、
泣いても涙も出ないという気持ちだったのです。

でも、私には思い当たる節がありました。というのは、調子が
良くなったからと言って、実は病院からもらった抗生物質を
きちんと飲ませていなかったのです。だって長期の服用に
よる副作用も心配だし、前回の尿検査で結晶も無くとても
調子が良かったから…。

とか何とか勝手な理由をつけていますが、薬を飲ませなく
なったのは、単に自分が面倒なだけだったからです。
しかし、しか〜し、膀胱炎は良くなったように見えるからと
薬をやめてしまうのが一番再発を招くいけない行為である
ことは前回十分反省しておきながら、また同じ事をしてしまった
私の何とアホなことか。もうバカバカッッという感じで
会社でも仕事が手につかず、どうしようかとそればかりを
考えていました。

くら〜い気持ちで帰宅し、先に帰宅していた父親に様子を
聞いてみると、特に大事なところを舐めている様子は無い
とのこと、トイレに出たり、入ったりの頻尿の様子も無いし
その後自分でも観察してみましたが、食欲もあるし普段と
変わりなく元気なので、とりあえず一安心しました。

しかし、今朝の時点では大事な所を何度かなめていたのも
事実なので、また悪化させないためにも、病院からもらって
まだ残っている薬を今日から毎日きちんと飲ませることに
しました。
実際お兄ちゃんを押さえつけて薬を飲ませるのもかわいそう
なのですが、膀胱炎になってしまうことの方がよっぽど
かわいそうなので、そこは心を鬼にしてきちんと薬を
飲ませようと思います。

あ〜、今のところ大事に至らなかったようで、良かった〜〜。
もう絶対病院には通いたくないよ〜〜。


...... 2001年 12月 11日 の日記 ......
■[ NO. 307 ] 晴れ
まったく〜
今朝はこの冬一番の寒さになり、最低気温は-8度でした。
おかげでおかあちゃんの小屋の水入れの水もカチンカチンに
凍ってしまい、溶かしている時間がなかったので仕方なく
その上から水を足したら、みるみるうちにシャキシャキの
シャーベットになってしまうほど冷えていました。

最近やっと一緒に眠るようになってくれたお兄ちゃんなのですが
昨日の晩は私のベッドに来てくれず、どうやら父親と一緒に
眠ったようでした。そして朝になったのですが、ベッドから
出てきてくれません。結局私が出勤するまで、一度もお兄ちゃんの
顔を見ることはありませんでした。

そして夕方7時近くに帰宅したのですが、誰も玄関まで
お出迎えしてくれません。七奈ですら出てこないのです。
もちろんお兄ちゃんもこたつにもぐったままです。聞けば
お兄ちゃんは午前中はお昼まで寝ていて、お昼ごはんを1回だけ
食べてまたすぐに眠ってしまったとのこと。そして夕方
母親が帰宅した時はご飯をせがんだそうですが、食べると
またすぐこたつに直行したらしいのです。

そして私が今日始めてお兄ちゃんを見たのは、午後8時半にも
なろうかという時でした。私がおかあちゃんの小屋から
戻ってくると、お兄ちゃんがこたつから出てきてご飯を
催促したのです。まったく、寒いからって1日中ベッドや
こたつにもぐって眠っていることもなかろうに…。具合が
悪いのかと心配してしまいました。

こちとら、寒かろうが、雪が降ろうが、眠い目をこすりながら
寒い中おきだして仕事に行かなければならないと言うのに…。
あ〜、猫になりたい。(ただし、手厚く面倒見てくれる家の
猫に限る)


...... 2001年 12月 12日 の日記 ......
■[ NO. 308 ] 晴れ
ほっかほか
お風呂から出てついでに猫のトイレを掃除していた時の事です。
いつものように七奈が掃除する音を聞きつけてトイレに
やってきました。こういう子ってよくいるらしいのですが
トイレを掃除していると、これみよがしにトイレにやってきて
きれいにしたはしから用を足していくと言う、七奈もご多分に
もれずその一人なのです。

我が家の猫トイレは4個あるので、入り口から順々に掃除を
して行ったのですが、その間七奈は一番奥のトイレで何やら
用を足しているようでした。そして私が一番奥のトイレに
たどり着いて見た物は、ホカホカと立ち上る湯気と、ぷ〜んと
漂うかぐわしい香り。そして出来たてホヤホヤの七奈のうんぴ
でした(^○^)

普段ならばすぐさまスコップですくってビニール袋に
入れてしまうのですが、今日は何だかその湯気の立ち上る
様子がホカホカと温かそうで、思わず湯気の様子にじっと
見入ってしまいました。何だかその湯気に七奈の命の温かさを
見るような気がして、思わず「七奈は元気に生きてるんだなぁ」
としみじみ感じてしまいました。

猫のトイレにこもって、スコップ片手にうんぴから立ち上る
湯気を見ながら感傷にひたる女って…かなりヤバヤバかも??


...... 2001年 12月 13日 の日記 ......
■[ NO. 309 ] 雨のち曇り
やっぱり親子
またまたウンピ話で恐縮ですが、最近おかあちゃんのウンピの
出がよくありません。去年もそうだったのですが、やはり
本格的な冬になって朝晩の気温がマイナスまで下がるように
なると、てきめんに調子が悪くなってしまいます。そして、
当然のごとく出が悪いので食も細くなり、ほとんどご飯も
食べなくなってしまいます。

そこで、去年買いだめしたデビフの流動食をまたあげることに
しました。これはその名の通り流動食なので黄色い液状で
通常の缶詰よりもカロリーが高くなっているので、食欲が
無くてもこれを飲んでくれさえすればある程度の体力は
保てるのです。幸いおかあちゃんはこの流動食が好きなので、
今朝はドライフードの餌入れの隣に並べて置いておきました。

そして夕方帰宅しておかあちゃんの小屋へ行くと、なんと
小屋の中はドライフードが散乱してえらい状態になっていました。
誰もいない時のことなので、どうしてそんな状態になって
しまったのか、まるでわからないのですが、流動食はきれいに
なくなっており、かわりに隣に置いておいたドライフードの
餌入れが引っくり返されて、フードがそこらじゅうに散らばって
いたのでした。

実は小次郎もお腹が空くと餌入れを引っくり返してご飯を
催促します。理由は違うにしても、これもやはり親子の
遺伝なのでしょうか?小次郎とおかあちゃんは生後1ヶ月
足らずで離れてしまったので、小次郎がおかあちゃんの
真似をしていることはありえません。

それにしても、小次郎を見ているとつくづく良い所というのは
似ないで、似て欲しくない所ばかりが似るものだと思いますね。
例えば、おかあちゃんの思い切りビビリなところとか、
フランケン(小次郎の父親)のヤクザのようなガラの悪さなんて、
まさに小次郎がうけついでしまっていますが、おかあちゃんの
交通事故にあっても後遺症が残っても病気一つせずに長生き
している生命力の強さとか、フランケンの人をも恐れない
悠然とした態度とかっては、小次郎にはまるでありませんものね。

ほんと、生命の神秘というか、遺伝子って精密なようで
どこかトンチンカンなんだなぁとつくづく感じる今日この頃で
ありました。


...... 2001年 12月 14日 の日記 ......
■[ NO. 310 ] 晴れ
は〜疲れた…
実は水曜日から3日連続で帰宅後外出していました。
水曜日と木曜日はそれぞれ別の友人と忘年会、そして今日は
松本へバレエを見に行ってきました。おかげで毎日会社から
帰宅するととりあえずおかあちゃんの世話と猫トイレの
掃除だけしてさ〜っと出かけてしまうので、にゃんたちが
何だかよそよそしくなってしまったみたいです。毎晩帰宅は
12時近くだったし…。

今日などは十分間に合う時間に家を出たのに、思わぬ大渋滞に
はまって見事バレエの最初の10分間を見逃してしまいました。
あ〜あ、こんなこと初めてですよ。しかも遠くの駐車場から
寝不足でヨレヨレした体をひきずりながら走って行ったら、
マジで心臓が止まりそうになりました。何せ普段運動不足
ですから階段上るだけでも息切れがするのに、500mくらい
走ってしまいましたからねぇ。疲れたなんてもんじゃありません。

これで今月の予定はとりあえず一旦終了したので、明日からは
にゃんたちと一緒にのんびり、まったり過ごそうと思います。
はぁ〜、遊ぶのも疲れるもんです。


...... 2001年 12月 15日 の日記 ......
■[ NO. 311 ]
ごめんね、おかあちゃん
今夜、おかあちゃんが息を引き取りました。まったく予期せぬ
突然の出来事でした。

今日も夕方から外出していたので、帰宅しておかあちゃんの
小屋へストーブだけつけに行き、暗かったので手探りのまま
ストーブだけつけて、しばらくして部屋があたたまった頃に
おかあちゃんの小屋へ夕ご飯をあげに行きました。

そして小屋へ入ると、おかあちゃんが餌場の前に倒れている
姿が目に飛び込んできました。もちろんおかあちゃんが
ベッド以外の場所で眠ることなどありえません。私はあわてて
ケージの入り口を開け、おかあちゃんに駆け寄っておかあちゃんの
名前を呼びながら揺さぶってみましたが、まったく反応は無く
おかあちゃんは既に息絶えていました。

おかあちゃんの体はまだほのかに温かく、鼻もピンク色で
どうやら私が行く直前に突然の発作か何かで亡くなった
ようでした。現に午後私がおかあちゃんの小屋をのぞいた時は
いつもと変わらぬ様子で中ケージの上のソファにのぼって
くつろいでいたからです。

私はおかあちゃんの動かない体を抱きしめ、声をあげて
ただ泣きました。事故の後遺症で常に呼吸困難だった
おかあちゃんですから、遠からずこんな日が来ることは
わかっていました。そして私がおかあちゃんを抱きしめられるのは
おかあちゃんが動かなくなった時だろうという事も心の
どこかでわかっていました。

でも、その時がこんなに突然訪れようとはこれっぽっちも
予想しておらず、最近の私はと言えばおかあちゃんの面倒も
そこそこに毎晩のように外出し、ゆっくりと撫でてやることも
あまりありませんでした。おかあちゃんはそんな私に
いやけがさして、突然の孤独な死を選んでしまったので
しょうか?

私はおかあちゃんの小屋へ行き、おかあちゃんの顔を見るたび
考えることがありました。それは、果たしておかあちゃんは
こんな生き方をしていて幸せなのか?という疑問でした。
裏の離れの小さなケージの中で、一人孤独にただ時を過ごす
そんな生活がはたして幸せなのかと…。

母屋へ連れてきてみんなと一緒に面倒を見てやりたいと
何度も思いました。しかし、警戒心が非常に強く極度に
こわがりで、しかも呼吸困難という肉体的なハンデを背負って
いるおかあちゃんを母屋に連れてきても、そこはおかあちゃんに
とって安心して生活できる場所ではないのではないかと思い
決心がつきませんでした。

そして結局は朝晩私がご飯をあげに行く時以外は一人ぼっちで
寂しい生活を送っていたのだと思うと、おかあちゃんに
ただただ申し訳なくて、もっと他にしてあげられる事が
あったのではないか、私はおかあちゃんを助けていたつもりが、
実は不幸にしていたのではないかと、そればかりが頭の中に
浮かんでは消えていきます。

でも、いくら呼んでもおかあちゃんが目をあけることは
ありませんでした。外の冷え込んだ気温と共におかあちゃんの
体も冷たく、冷たくなって行きました。母親からちょうど
良い大きさの段ボールをもらい、その中におかあちゃんが
ずっと使っていた私の手編みのひざかけをしいてその上に
おかあちゃんを寝かせ上からタオルをかけてやりました。

お線香をあげ、火の消えるのを見届けてから、いつものように
「良い子でねんねするんだよ」と声をかけておかあちゃんの
小屋を後にしました。もう明日からおかあちゃんのために
早起きをする必要もありません。1年3ヶ月続いた生活パターンが
急に途切れてしまうのは何とも不思議な気持ちです。

先日、とても親しくしていただいた方が亡くなったばかりで
今年の辛いこともこれでおわり、これからはきっと良い事が
あると信じてがんばろうと思っていた矢先のことだけに
もう当分立ち直れそうもありません。

どうしてみんな私の周りから去って行ってしまうのでしょうか?
私だけ取り残されていくようで、寂しくて仕方がありません。
これからもこんなことが続くのでしょうか??もういやです。

明日霊園に電話をかけてみて、開いているようなら火葬に
してもらおうと思います。

さようなら、おかあちゃん。そして、ごめんね、おかあちゃん。
嫌かもしれないけど、でも、虹の橋で待ってて下さい。
私も必ず行きますから…。


...... 2001年 12月 16日 の日記 ......
■[ NO. 312 ] 晴れ
さよなら、おかあちゃん
今日は少し風が強いものの、日差しが強く比較的暖かな
おだやかな1日でした。

朝一番で市内のペット霊園に電話をかけたところ、今日でも
火葬にしてくれるとのことだったので、午後一番に予約を入れ
おかあちゃんを荼毘に付しました。

人が亡くなった時もそうですが、火葬にする時が一番辛い
ですね。特に安らかな顔をしている場合、二度とその姿を
見られなくなるんだと思うと、辛くて、悲しくて、涙が
後から後からあふれてきます。最後はとても名残惜しくて
いつまでもおかあちゃんを撫でていてあげたかったのですが
それも叶わず、おかあちゃんは白い菊やカーネーションに
囲まれ、旅の途中お腹が空かないように、カルカンのレトルト
パックと一緒にお空に旅立って行きました。

待合室で葬儀屋さんの話を聞きながら待つこと1時間あまり、
おかあちゃんは小さな小さなお骨になりました。特に病気を
していたり薬を飲んでいたわけではないので、とてもきれいな
白いお骨でした。

そして今日初めておかあちゃんは我が家に入ることができました。
ずっと一緒に暮らしたかったのですが、亡くなって初めて
その願いが叶ったわけです。今おかあちゃんは私の部屋の
片隅で私のことを見守っていてくれます。お水と猫缶と
お花をそなえ、お線香を焚きました。これからはずっと
ずっと一緒です。みんなも会いに来てくれます。きっと
寂しくないでしょう。

明日からまた朝晩は冷え込みが厳しくなります。天気予報の
最低気温の予想を見て「ストーブのタイマーつけなくちゃ」
と、ふと思う自分が悲しくて、また涙が出てきました。
もうあわてて夕ご飯をすませて、おかあちゃんの小屋へ
飛んでいく必要もありません。とっても、とっても寂しいです。

さよなら、おかあちゃん。でも、これからもずっと一緒に
いるよ。今までがんばってくれて、本当にどうもありがとう。
おかあちゃんは猫の鏡、私の誇りです。これからはおかあちゃんが
残してくれた小次郎を、おかあちゃんの分まで一生懸命
面倒見るから、安心してね。またいつか、必ず虹の橋で
会おうね。


...... 2001年 12月 17日 の日記 ......
■[ NO. 313 ] 晴れ
これってどうかと思うよ〜
今朝、父親に「あんまり動物を供養すると、かえってこの世で
迷って成仏できないらしい (から、いつまでも遺骨を部屋に
など置いておかずにさっさと埋葬してしまえ)」と言われました。

私は、今まで一緒にいられなかった分、これからはず〜っと
おかあちゃんと一緒にいてあげたいと思っていたので、当分
埋葬することは考えていなかったのですが、そう言われて
しまうと、おかあちゃんが成仏できないのもかわいそうだし
どうしたものかと考えてしまいました。

そして、先ほどからネットでどんなもんかといろいろ調べて
みたのですが、必ず四十九日になる前に納骨しなさいとか、
遺骨を庭へ埋葬すると子供や病人など弱い人に霊が取り付いて
悪いことをするかもしれないので、納骨しないといけません
みたいな事をやたらと書いているページがいくつかありました。

もう、おわかりですね。そう、ペット霊園のページです。
要するに、庭に埋めちゃったり、いつまでも部屋に置いて
おかれたりすると商売にならないので、そういう人の心の
隙に付け込むような事を言って、納骨とか墓地に埋葬させようと
しているのです。(当然、納骨や墓地の購入などをすると
それなり結構なお金がかかります。)

最初は私も「そうか〜、やはり四十九日前には納骨しないと
いけないのか〜」と思ってしまいましたが、ペット霊園の
ページを見るたびどんどんと商売気だけが見えてきて、疑心暗鬼に
なってきました。そしてやっと1つだけ比較的良心的と思われる
ペット霊園のページを見つけました。そこには、心の整理が
つくまで遺骨は手元に置いてよいこと、それか四十九日で
いったん区切りをつけて納骨してもよいことが書かれていました。

別に庭に埋めるとたたりがあるとか、四十九日までに納骨
しないと成仏できないなんて一言も書いてありませんでした。
これが本当のところじゃないでしょうか?少なくとも私は
そう感じたので、おかあちゃんには迷惑かもしれませんが、
私の気がすむまで部屋にいてもらおうと思います。

確かに、今回ペット霊園のお世話になって、おかげで
おかあちゃんのお骨も拾うことができたので、ペット霊園の
存在を否定するわけではありませんが、確証を得られない
ことを良いことに、人の悲しみにつけこんで一銭でも多く
もうけようとする、家族の一員を失ったことを一緒に悲しみも
しないで、金儲けにだけ利用するのは腹が立ちますね。

きっとおかあちゃんはもう虹の橋へ旅立っているはずですから
成仏うんぬんなんて関係ないですよね。だいたい成仏って
仏教思想によるものですものね。虹の橋の考え方には宗教は
関係ないと思うので、私はおかあちゃんが天国にいて、
私が(天国に行けたらの話だけど(^^ゞ) 死んだら虹の橋まで
迎えに来てくれると、信じます。それでいいじゃないですか。
ねぇ、おかあちゃん。


...... 2001年 12月 18日 の日記 ......
■[ NO. 314 ] 晴れ
何だかヒマ…
一年以上も続いた習慣て、なかなか抜けないものですよね。

今まで、朝起きたらとにかく一番におかあちゃんの小屋へ行って
夏は窓とカーテンを開け、冬はストーブをつけ、朝ごはんを
あげていました。夜は残業があっても8時を目安に帰宅し、
それ前なら自分の夕食をさっさと済ませてから、それ過ぎなら
おかあちゃんの小屋へ先に行って、おかあちゃんに夕ご飯を
あげて、ケージとトイレの掃除をして、頭をナデナデして、
その日にあったことをしばらくお話して、時には自分の
ストレス解消に大声で歌を歌ったり、大声で泣いてみたり…、
とにかくそれが3日前までの私の毎日365日の生活パターンでした。

おかあちゃんの面倒を見るようになってから、外泊したのは
2回だけ、あとはどこへ行くにも日帰りで、必ず朝か夜には
おかあちゃんの世話をしました。時には具合が悪くて
おかあちゃんの小屋へ行くのもヨレヨレだった時もありましたが
それでも家族におかあちゃんの世話を頼んだことは一度も
ありません。
会社の飲み会や友人との外食の時も、一旦家に帰宅し、
おかあちゃんの世話をしてからまた出かけて行きました。

確かにおかあちゃんの世話があったために、あまり出かけ
られなかったり、時間の制約があったりしましたが、面倒だとか
もう嫌になったとか、そんな気持ちになったことは一度たりとも
ありませんでした。むしろ、おかあちゃんの小屋へ通うのが
楽しくて、うれしくて、おかあちゃんの小屋へ入って声を
かけた時におかあちゃんが返事をしてくれると、あぁ今日も
おかあちゃんは生きていてくれたんだと安心する、そんな
毎日がうれしかったのです。

しかし、そんな生活パターンにも終止符が打たれ、以前のように
また怠惰な生活が戻ってきてしまいました。朝もおかあちゃんの
小屋へ行かない分、寝坊をするようになったし…。

でも、やっぱり午後8時になると、夕ご飯を食べていても
テレビを見ていても何だか精神的に落ち着かなくなるんですよね。
早くおかあちゃんの小屋に行かなくちゃ、おかあちゃんが
お腹を空かせて待ってるよ…そんな気持ちになってしまうのです。

そこで、これからは夕食が済んだらなるべく早く自分の部屋へ
行くことにしました。なぜって、おかあちゃんが待っていて
くれるからです。もう、お腹は空かせていないかもしれないけど
でも一人でお留守番していて寂しいだろうから、(小次郎が
マーキングするので、日中猫たちは私の部屋に出入りできなく
なっています) なるべく早く部屋へ帰って、おかあちゃんに
お線香をあげるのがこれからの日課になりそうです。

生前からそうでしたが、おかあちゃんはいつも静かに私の
帰りを待っていてくれました。そしてこれからも、おかあちゃんは
静かに私の帰りを待っていてくれると思います。


...... 2001年 12月 19日 の日記 ......
■[ NO. 315 ] 晴れ
と〜っても久しぶりに…
サイトをちょっとだけ更新しました。最後にサイトをいじった
のはいつのことだろう…。もうあまりに昔の事で思い出せない…。
毎度怠惰な管理人で、訪問して下さる方に対して本当に
申し訳ないです。

実は今日会社はお休みをもらいました。とにかくここの所
いろいろありすぎて疲れてしまったので、わがままを言って
休ませてもらったのです。今週出勤すれば週末は3連休ということも
わかっていましたが、それまで持ちこたえられそうもなくって…。

とりあえず足の踏み場もないほど散らかっていた部屋を片付けて
(とは言ってもただ空いているスペースにガラクタを思い切り
つっ込んだだけという…) 夕方からパソに向かいました。

そして、おかあちゃんの思い出のページを作りました。
本当はもう少し雰囲気のあるページにしたかったんだけど、
なかなかうまく行かなくて…。これからは今までよりも夜
時間が取れるので、もっと頻繁に、真剣に、もうちょっと
センスのよいサイトになるように、手を加えて行こうと
思ったのでした。(思っただけで終わる可能性も否定できないのだが…)

ところで、お兄ちゃんがまた大事なところをペロペロし始め
ました。そう言えばここ数日おかあちゃんのことがあって
バタバタしていたので、お兄ちゃんにお薬を飲ませていません
でした。あ〜、本当に薬を中断するとてきめんに再発するん
だから…。あわてて投薬を再開したことは言うまでもありません。

それから、父親も何だか調子が悪いということで泌尿器科を
受診したところ、やっぱり細菌性の膀胱炎という診断が下り
ました。「お兄ちゃんとおんなじじゃ〜ん」と言って
思いっきり笑ってしまいました。父親も当分薬を飲み続け
なければならないみたいです。こんなこと、真似しなくても
いいのに (って、真似したわけでは無いのだろうが…)。

それにしても、どうして冬になると膀胱炎て増えるのでしょうね?
昨日も以前野良猫のことでお世話した方から、おうちの
猫ちゃんがトイレを出たり入ったりすると電話で相談を
受けたばかりです。すぐさま病院へ直行してくださいと
お話しましたが、女の子なので尿閉塞になるようなことは
無かったと思うのですが…。お兄ちゃんも気をつけなくちゃね。


...... 2001年 12月 20日 の日記 ......
■[ NO. 316 ] 晴れ
新たな住人
実は昨日の晩、母親が外出から帰宅して車庫に車を停めると
亀っ子ハウスから猫が飛び出してきたそうです。びっくりした
母親が暗闇の中を走り去っていく猫の後姿を目を凝らして
見てみると、それは何とあ〜ちゃんでした。

あ〜ちゃんはおかあちゃんとをやじ君の間に生まれた男の子で、
3年ほど前にズダボロになって助けを求めてきた時に1ヶ月だけ
面倒を見たことがあります。その頃は外にケージを置いて
いたので掃除をしている隙に逃げられてしまって、それっきり
我が家には決して近寄らず、たま〜に姿を見かける程度でした。

それが、亀ちゃんがいなくなって外にいるにゃんの勢力地図が
かわったのか、最近よくをやじ君の餌場にご飯を食べに来たり
するようになりました。しかし、まさか亀っ子ハウスに入る
ようになるとは、思いもしませんでした。

常々亀っ子ハウスを撤去すべきか悩んでいたのですが、亀ちゃんが
帰ってくるかもしれないという希望も捨てきれずにいるので、
なかなか撤去できずにいました。それが別の猫のすみかに
なってしまうとは思いもよらず…。

母親が、これ以上野良猫が家に居着くなんて冗談じゃない
というような事も言ったので、それならば撤去も仕方ないかと
昨日の時点では考えていました。

そして今朝、今度はちゃあこの散歩から帰宅した父親が
家に入ってくるなりをやじ君が亀っ子ハウスから出てきたと
言うのです。そこですかさず母親が「このまま猫にいつかれると
困るから、すぐにハウスは撤去しなくちゃ」と言ったのですが
父親からは「せっかく入って暖をとってるんだから、別に
撤去しなくてもいいんじゃない」という予期せぬ返事が…。

母親も私も違った意味で正直ちょっとびっくりしましたが、
父親がそう言うならと母親も撤去はあきらめたようでした。
今までなら一番に野良猫の存在を嫌がった父親が、どうして
しまったのかしら??とちょっと不思議でもありましたが
最近をやじ君はすっかり我が家で市民権を得て、我が家の
敷地内を闊歩しているので、他の子ならいざ知らず、をやじ
君なら亀っ子ハウスを使っても良いと思ったのでしょう。

いずれにしても、亀ちゃんが帰ってくるまでの暫定という
事で当分はをやじ君とあーちゃんにハウスは貸してあげる
ことになったのでした。ま、我が家の本業は不動産屋だから
ちょうどいっか〜なんてね(^^ゞ


...... 2001年 12月 21日 の日記 ......
■[ NO. 317 ]
別居計画
いや〜、よく降りました。今日は一日雪降りで、積雪が
20cmにもなったでしょうか?しかも日中の最高気温が
マイナス1度で真冬日です。寒いの何のって、夕方会社を
出る時には駐車場の車を掘り起こさなければ出られなくて、
大変でした。

そんなこともあったり、今日はちょっと忙しかったり、
今週はいろいろあって精神的に疲れていたりしたので、
夕食をすませてこたつに入ると何だかとっても眠くなって
しまいました。そこでこたつでうたた寝をしていたのですが、
しばらくすると両親が何だかギャーギャーと大騒ぎをしています。
しかも、「このバカ」とか「お前なんかもういらない」という
ような過激な発言も飛び出しています。

寝ぼけた頭で何となく聞いていたのですが、どうやら小次郎が
また両親の寝室でマーキングをしたらしく、それで両親が
小次郎にむかって怒っていたようでした。私は掃除をしろと
起こされるのかと思っていましたが、頭は何となく起きていても
完全に体は眠っていたので、そのままこたつにもぐっていると
どうやら母親が片付けてくれたようでした。

その後また1時間ほど眠って、やっと起きたらもう時間は
12時でしたが、母親がマーキングしたところにわざわざ私を
連れて行き、この臭い匂いを何とかしろとか言うのですが、
最近ではもう消臭剤のスプレーも効かなくなってきているので、
とりあえず家のいたるところに置いてある“トイレの”
消臭元を一つ持ってきて、そこに置いておきました。

そして、母親が小次郎に向かって、もうあんたなんかいらない
と言うので、それなら小次郎をおかあちゃんが住んでいた
ケージに別居させちゃおうかという話になりました。あそこなら
小次郎がいくら鳴こうがわめこうが、ほとんど声も聞こえませんし
マーキングされてもしょせんはケージの中ですからお掃除も
大したことはありません。

お兄ちゃんや七奈にしょっちゅうちょっかいを出しては
嫌がられてもいるので、この際本当に入れちゃおうかと
思いました。せっかく作ったケージでもったいないし。
それにしても、最近お兄ちゃんはまったくマーキングを
しなくなったのですが、小次郎のはいつになったらおさまる
のでしょう??バカだか利口だかわからない、つかみどころの
無い性格ゆえ、まったく予想もつかないのでありました(-_-;)


...... 2001年 12月 22日 の日記 ......
■[ NO. 318 ] 晴れ
一安心
今日は七奈を連れて久しぶりに病院に行ってきました。

実は9月に地区の保健所が募集していた犬猫の繁殖制限補助金
交付に応募して当選したのですが、これには12月一杯に
手術を行わないと補助が出ないという制限があるのです。
しかし七奈は最近パルボという大病をしたばかりで、どう
考えても年内に避妊手術はできないので、かかりつけの病院に
相談に行ったのです。(補助金をもらうには手術をしたという
証明が必要なので。)

すると、先生はあっさり「領収書出しますから」と言って
領収書を切ってくれました。いろいろ面倒な事を言わない先生で、
ほんと良かったです。まぁ、今まで自費で野良猫たちの
不妊手術をしていることは先生もご存知(というか、執刀した
ご本人)なので、万が一今回七奈の手術をしなくても、私が
補助金詐欺だとは思わないでしょう。

ついでに七奈の体重をはかってもらったのですが、2.88kgにまで
増えており、順調に回復しているようだったので、おまけに
ワクチンまで打ってもらいました。もうパルボにはかかって
しまったからワクチンは必要無いでしょうと聞いたのですが、
カリシやヘルペスがあるし、ワクチン打ってないと避妊手術
しませんみたいな事を言われたので、仕方なく打ってもらいました。
(野良猫はワクチンしてなくても不妊手術してくれるのに…)

でも、1ヶ月後の追加接種のことは言われなかったし、
ワクチンが効いている1年以内くらいに避妊手術すれば
良いみたいな(かなりのんきな??)事も言われたので
七奈の体調と体重が完全に戻ってから、ゆっくり時期を
見極めて手術しようと思います。

お兄ちゃんの時のことがあるので、ワクチンの副作用も
心配だったのですが、今のところいつもと変わらず元気だし
食欲も今まで以上にあるみたいなので、多分大丈夫でしょう。
あ〜、良かった。久しぶりにうれしい話でした(^_^)


...... 2001年 12月 23日 の日記 ......
■[ NO. 319 ] 晴れ
もう、うんざり…
実は我が家を外から見ると、荒れ果てた廃墟のようです。
なぜって、障子と言う障子が全てボロボロに破けているからです。

もちろん犯人は、お兄ちゃんと小次郎。七奈はあまり破き
ませんが、この二人は外が見たいと言ってはあっちをビリビリ
こっちをビリビリ、破けているところからのぞいて見れば
いいのに、わざわざ新しいところを破いて外を見たがるのです。

そこで、いよいよ年の暮れもおしせまってきたので、お正月に
むけて障子を張り替えることになりました。しか〜し、我が家は
和風の造りが災いして、障子がたくさんあること!!1階の
居間と両親の寝室あわせて14枚もあるのです。(2階の2部屋にも
あと12枚!!でもこれは今回の張り替えからは除外しました。
だって、とてもじゃないけどやってられませ〜ん(-.-))

しかも、そのうちの10枚は雪見障子と言って、下半分くらいが
別枠になっていて上げ下げできるタイプのものなので、これが
また面倒くさい!結局母親と二人がかりで朝から夕方まで
丸一日かかって障子を張り替えました。

当初、障子をはっていた時は静かに眠っていた3人も、夕方に
なると起きだしてきて張った障子にちょっかいを出したり、
障子を床の上に平らに置いて作業をしていたら、せっかく
張ったその障子の上を歩いてみたりするので、また破かれる
のではないかと、気が気ではありませんでした。

しかし、なんとか1階にある障子をすべて張り終え、無事廃墟
からの脱出となりました。でも、いつまでこのままの完璧な
障子でいられるか…はっきり言って自信がありません。
せめてお正月までは持ちこたえて欲しいと思うのですが…。

障子の張り替えがあまりに大変なので、障子の上からカーテン
でも吊るしてしまおうかという案も出てます。よっぽど
その方が防寒対策にもなるし、いいような気がします。
ただ、問題は小次郎のマーキングですが…。(小次郎は垂直に
かかっている布のところで好んでマーキングをするのです。
私の部屋のカーテンなんて、何度洗濯したことか…。)

次回の張り替えはシルバー人材センターにでも頼もうかと
真剣に考えるほど、障子張りは面倒くさくて大変な作業でした。
はぁ、疲れた…。


...... 2001年 12月 24日 の日記 ......
■[ NO. 320 ] 晴れ
今年は喪中…
今日はクリスマスイブですね。休日と言う事もあって
今日のうちにイベントを済ませてしまうというお宅も
多いのではないでしょうか?

我が家も老人家庭とはいえ、一応毎年それらしいケーキを
買ったりはしていたのですが、今年は私が個人的に喪中
状態のため、クリスマスを楽しむような気持ちにはなれず
従って何もしませんでした。

両親やにゃん達にも何のプレゼントもなし、ただ午前中に
あまりに汚かったので久しぶりに洗車をして(洗った水が
はしから凍っていったのには驚きましたねぇ。結構寒かった
みたいです。自分はあんまり感じなかったけど…)午後は
またパソをいじっていて、今日も一日終わってしまいました。

あ〜あ、貴重な3連休も今日で終わり。この3日間何をしたかと
言えば、猫のトイレ部屋の片付けと障子の張り替え、それから
パソにたまったデータをちょびっと整理しただけです。
でかける気になれないとは言え、やっぱり寂しい限りですねぇ。

でも、来週はちょっぴり楽しみな事もあるのです。それはね…
内緒にしときましょう(^_^) また行ってきたらその日の
日記にしたためる事にいたしましょう。


...... 2001年 12月 25日 の日記 ......
■[ NO. 321 ] 晴れ
先が思いやられる…
最近、七奈は悪い癖がついてしまいました。それは私たちが
食べている物をねだること。ミャーミャーうるさく鳴いて
食卓についている私たちの膝の上を渡り歩きます。お兄ちゃんや
小次郎は焼き魚やマグロのお刺身などがある時だけしか
欲しがらないのですが、七奈はとにかく毎食、何も食べる
ものがなくてもねだります。

今日の夕食など七奈が食べられるようなものは本当に何も
なかったので、とりあえず米粒をあげてみると、ムシャムシャと
おいしそうに食べるではありませんか(^_^;)。今日では
ありませんが他にも最近食べたものとしては、かぼちゃの
煮つけやケーキのスポンジ部分などがありますが、とにかく
七奈が一番大好きなのは食パンです。

我が家は毎朝パンで食事なのですが、私が食べていると
必ず膝に乗ってきて、口元へパンを運ぶ私の手を狙っては
チョイチョイと猫パンチを繰り出してきます。テレビに見入って
しまったりして少しでも隙を見せようものなら、すかさず
お皿の上のものに手を出すか、なめにかかります。

お兄ちゃんや小次郎は万が一何か欲しいと思っても、半分
耳を後ろに倒しながら、怒られるのを覚悟でそ〜っと手を
出すのに、七奈には遠慮と言うものが全くありません。
そのうえすばしこいと来ているので、こちらもブロックするのが
なかなか大変です。

もちろんあげると言ってもほんの少しなので、今のところは
健康への悪影響などはないと思いますが、一度ねだれば
もらえる事を覚えてしまうと、あとあと大変なことになるので
私たちも心を鬼にしてあげないようにしなければと思います。
両親にもよく言っておかなくちゃ…。でも、うるさいんだなぁ、
これが(-.-)


...... 2001年 12月 26日 の日記 ......
■[ NO. 322 ] 晴れ
やっぱりね〜
今朝、いつものように猫のトイレを掃除していると七奈が
飛び込んできました。七奈は掃除をしているトイレに入るのが
好きなので、またか〜と思いつつ何をするのか見ていると
いつもより強烈にくっちゃいウンピでした。

何でかな?と思いつつ、七奈がし終わった場所を見てみると
そこには後ろ半分がユルユルになったウンピがど〜んと
ありました。(七奈は砂かけをしない子です。) あまりに
臭いのであわてて片付けましたが、万が一ゆるいのを崩すと
えらいことなので、いったん猫砂をかけて砂に封じ込めてから
スコップですくいました。

いつもと変わらず元気、食欲はあるので、考えられる原因と
言えば、もうわかりますね。やっぱり、私たちが七奈を
あまやかして、欲しがるからと食卓の食べ物を与えたからに
違いありません。もちろん与えた量はほんのわずかでは
ありましたが、中にはかなり濃い味付けのものもありましたし
本来不要なものもあったと思います。

それを、いろいろ食べるからと面白半分に与えてしまった事に
非常に責任を感じています。私って本当にいつも反省ばかり
していて、ロクな事はしないんだから…。しかも最初から
悪いとわかっていることばかり…。学習のできない人間て
最悪ですよね。七奈にもかわいそうな思いをさせてしまったし。

とりあえずご飯を減らして、人間の食べ物は絶対にあげない
ことにして様子を見ています。明日にはゆるいのが治って
くれればいいんだけど…。七奈ちゃん、こんな不出来な
お世話係で、ごめんよ〜(T_T)


...... 2001年 12月 27日 の日記 ......
■[ NO. 323 ] 晴れ
どわ〜〜〜(@_@)
たった今、お兄ちゃんが私の目の前で、私の部屋のカーテンに
マーキングをしました!!!最近お兄ちゃんのマーキングは
落ち着いてきて、ほとんどしなくなったので良かったと
思っていたのにぃぃぃぃ…(T_T)

原因はわかっています。実はさっきから部屋の外で小次郎が
お兄ちゃんを待ち伏せしているのです。お兄ちゃんは部屋から
出たいのですが、戸のすぐ外に小次郎が待ち構えていて
部屋から出ようものなら、たちまち後を追いかけられて
激しい追いかけっこが始まります。

なので、お兄ちゃんが小次郎を威嚇して追い払おうとしている
のですが、小次郎はまったく動かずじっと待ち伏せているのです。

あっっ!そうこうしているうちに、お兄ちゃんが小次郎の
待ち伏せをすり抜けて強行突破していきました。ものすごい
唸り声で威嚇しながら、2匹が階段を駆け下りていく音が
します。おそらく今ごろは階下で団子になって取っ組み合って
いる事でしょう…。

まったく、最近の小次郎は本当に鼻つまみと言うか、仲間
はずれというか、家中の邪魔者的存在になっています。
だれかれと無くちょっかいを出しては、家の中のそこらじゅうに
マーキングをしていくのですから(-_-;) 今日などは父親が
どこへ行ってもマーキングの匂いがすると首に巻いていた
マフラーを嗅いで見たところ、そこからマーキングの匂いが
したそうです。どうもベッドのところにかけておいたときに
マーキングされたみたいで、こちらもどわ〜〜とびっくり
していました。

カーテンもマフラーも休みに入ったら即洗濯します。
あ〜あ、本当にいやになっちゃった。小次郎別居計画を
いよいよ実行にうつさなければいけないかしら(-.-)


...... 2001年 12月 28日 の日記 ......
■[ NO. 324 ]
後日談
昨日の日記にお兄ちゃんのマーキングのことを書きましたが、
実はあの後とんでもない事実が発覚しました。

日記を書き終えた私は、パソの電源を落として階下へ行こうと
していました。そしてその前におかあちゃんの仏前にある
お線香立ての火が消えているか確認しようと思い、パソを
使う時に座っている座椅子の後ろに回ったのです。
(位置関係を説明すると、座って使う高さの机にパソが
のっていて、そこに座椅子を置いて私がすわっており、
その真後ろにステレオをのせる高さ60cmくらいの棚があって
おかあちゃんの遺骨もそこに安置してあります。)

そしてふと床を見ると何やら水溜りのようなものが…。
もしやと思ってその水溜りの先を目で追ってみると
何と私の座っていた座椅子の背面がびっしょりと濡れて
いるではありませんか(@_@)

どうやら私がパソに向かっている間に、小次郎の待ち伏せで
興奮したおにいちゃんが座椅子に向かってマーキングを
したようでした。私はあまりの衝撃の事実に悲しいのを
通り越して、何だかおかしくなってしまいました。だって、
想像してみてください。座椅子にすわってパソのキーボードを
打つ私の後ろで、その座椅子の背面に何食わぬ顔でちーっと
マーキングをしているお兄ちゃん…。

もう、どうにでもしてちょうだいという感じでした。
とりあえず床や座椅子はアルコールの入ったウェットティッシュで
ふき取って、座椅子は洗えないのでファブリーズをこれでもか
というくらいかけておきましたが、まったくどうしてこんなことに
なってしまうやら…。怒る気にもなりませんでした。

相変わらず小次郎は家のいたるところでマーキングするし、
最近真剣に小次郎の別居を考え始めた私です…。


...... 2001年 12月 29日 の日記 ......
■[ NO. 325 ] 晴れ
久しぶりに…
今日はとても楽しい一日でした。実は今日は朝7時半のバスで
東京へ行ってきたのです。毎度の日帰りですが、上野の
文化会館に第九の特別演奏会を聞きに行ったのです。

実は最近(というか、もう秋口くらいから)ず〜っと第九に
はまってまして、カーステレオでひたらす第九を聞き続けて
いました。で、CDだけではどうしても物足りなくなって
本物が聞きたくなってしまったので、思い切って行ってきたのです。

いやぁ〜、やっぱり本物の生演奏は迫力が違いますね〜。
もう第四楽章のフィナーレなんて、感動して思わず涙が
出そうになりました。

皆さんご存知と思いますが、この第九の合唱は「歓喜の歌」
と呼ばれていて、本来は明るいものであるはずですよね。
でも私は今年ずっと辛いことがあるたび、この第九を聞きながら
元気にならなくちゃとがんばってきたので、ある意味辛い
思い出の曲でもあるのです。

でも、こうして本当に暮れも押し迫った年末に聞く事ができて
来年は気持ちを切り替えて、またがんばらなくっちゃな〜と
決意を新たにさせてくれる、そんな今日の演奏会でした。

その他にも、七奈の新しい首輪を買ったり、大好きなユニクロで
バーゲンのお得なフリースをゲットしたりと、とても充実した
楽しい1日になりました。にゃん達も良い子でお留守番していて
くれたし、七奈の新しい首輪はサイズもピッタリで良く
似合ってるし、本当にうれしい1日でした。

さあ、今年もあと2日です。明日からは大掃除の残りと年越しの
準備が待っています。今日楽しんできた分、がんばら
なくちゃねp(^_^)q


...... 2001年 12月 30日 の日記 ......
■[ NO. 326 ]
せっかく〜〜
今朝起きると、あたり一面雪景色で外は激しい吹雪でした。
積雪はそれほどなかったものの、とにかく激しい風が吹いていて
雪が渦を巻いて吹き荒れていました。

朝食を終えてたまたま玄関へ行くと、外からか弱いみゃーん
というをやじ君の鳴き声が聞こえてきました。そこで外へ
朝ご飯をあげに行くと、をやじ君は左目がなんだかおかしく
なっていて、半分目やにでふさがっているような状態でした。
そこで、以前お兄ちゃんがもらってたくさん余っている
抗生物質を混ぜた猫缶をあげ、薬を食べたところまで見届けて
とにかく寒かったので家の中に入りました。

そしてしばらくすると、をやじ君が居間のベランダのところに
やってきて、みゃーみゃーと鳴きながらいつまでも居座って
いました。もちろんお兄ちゃんが飛んできたことは言うまでも
ありません。お兄ちゃんとをやじ君はガラス板1隔てただけで
外と中に分かれてお互いを見つめ合っていました。

しかし、いつまでたってもをやじ君が移動していかないし、
そんなことをしていると、いつお兄ちゃんが興奮して
マーキングを始めるとも限らないので、外へ出てをやじ君に
どうしたいのか聞いてみました。すると、どうやら寒いから
家の中に入れろと言っているような気がしました。しかし、
当然ながらをやじ君を家に入れるわけにはいきません。
そこで、亀っこハウスがあった車庫とは反対側の車庫に
今度はをやっちハウスを作ることにしました。(我が家には
家をはさんで東側と西側に2つの車庫があるのです。)

そこに開いている段ボール箱を置き、中に捨てる予定だった
カーペット地のマットと座布団を敷きました。上には風除けに
別の段ボールをかぶせ、次にこれまた捨てる予定だった
座椅子のマットレス部分で段ボール全体を包み込みました。

するとをやじ君は待ってましたとばかりにをやっちハウスに入り、
ちょっぴり窮屈な感じでしたが、しばらくその中で風と雪をよけて
くつろいでいるようでした。

そしてこれなら、いよいよをやじ君も我が家に居着くかと
思ったのですが、をやっちハウスにいたのはほんの2、30分の
ことで、あともいつものようにフラっとどこかへ行ったきり
今のところをやっちハウスには入っていません。さっき
夕ご飯を食べに来たのでまた抗生物質をあげておきましたが
食べ終わったらまたどこかに行ってしまったみたいで、
ハウスをのぞいていもいませんでした。

これが亀ちゃんだったらごきげんでハウスの中でぬくぬく
していたのに…と思うと、とても残念でしたが、もともと
をやじ君のテリトリーはこのへんでは無いので、仕方が
ないのかも…とあきらめました。またそのうち使ってくれたら
いいなぁ。

それから、今日またお兄ちゃんが脱走しました。父親が
神棚を掃除するからと窓を開けてはたきをかけていた隙を
ついて外へ行ってしまったのです。とにかく外は激しい
吹雪で寒いのでお兄ちゃんのことが心配でお兄ちゃんの名前を
呼びながら敷地内を探したところ、今日は運良く車の下に
隠れていてすぐに捕まえることができました。この寒い中
もしず〜っと帰ってこなかったらどうしようかと、本当に
あせってしまいました。すぐにみつかって、本当に良かったです。
父親には厳重注意をしたことは、言うまでもありません(-_-;)


...... 2001年 12月 31日 の日記 ......
■[ NO. 327 ] 晴れ
今年も今日で終わりですね
今日は朝から快晴の良い天気に恵まれ、日差しも強く、
とても暖かな気持ちの良い一日でした。

今年は自分のことでも、また社会的にも辛い話題の多い
1年だった気がしますが、最後の大晦日にこんなに気持ちの
良い日になって、終わりよければ全てよし、来年はきっと
明るい1年になる…そんな気持ちにさせてくれる一日でした。

思い返せば、去年の大晦日はこのニコニコのサイトを何とか
1月1日に立ち上げるべく部屋に缶詰になってパソとにらめっこ
をしていました。おかげさまで、シロウト丸出しのつたない
サイトではありますが、皆様のおかげでなんとか無事1周年を
迎えることができそうです。

この間、サイトの更新はほとんどしないというとんでもない
管理の仕方ではありましたが、幸い日記は何とか1日も
もらすことなく書き続けることができました。これも
ひとえに「毎日日記を読んでいます」とおっしゃって下さる
皆さんの言葉が励ましになったからです。本当にありがとう
ございました。心から感謝申し上げます。

この1年間で多少ニコニコのメンバーの変動もありましたし、
オープンから1年も経ちながら未だに完成していないコーナーも
ありますので、来年は更に内容を充実し、もう少し頻繁に
サイトを更新し(これはあくまでも希望ということで…(^^ゞ)
皆様により一層楽しんでいただけて、なおかつ有用な情報も
ご提供できればと考えています。

今年1年、皆様には本当にお世話になりました。ありがとう
ございました。こんな不出来で不精の管理人ではありますが、
また来年もわたくしにこちゃんとニコニコの仲間達をどうぞ
よろしくお願い致します<(_ _)>