さよなら、おかあちゃん

2001年12月15日、おかあちゃんがお空に旅立ちました。
2000年9月4日に交通事故にあって以来1年3ヶ月と11日目の事でした。

おかあちゃんは本当に立派な猫でした。事故の後遺症で常に呼吸困難にさいなまれながらも、毎日毎日一生懸命生き抜きました。連日最低気温がマイナス10度を下回る寒い冬を越え、1週間おきに何度も繰り返す激しい発情期を乗り越え、うだるような暑い夏を乗り切り、そしてまた今年も冬がやってきました。でも二人でがんばって厳しい冬を越え、必ず2度目の春を迎えようと誓い合った矢先の突然の死でした。

面倒を見始めた当初は激しい威嚇と猫パンチの攻撃に、ケージの中のトイレを掃除するにも厚い手袋をはめなければなりませんでした。それがいつしか威嚇はするものの猫パンチが出なくなり、そのうちかなり近づいてもとりあえずは恐る恐る様子をうかがうまでになりました。そして最近は頭をなでさせてくれるまでになりました。マグロの刺身を手から直接食べてくれたこともありました。これからどんどん仲良くなれる…そう信じて毎日お世話をしました。

そして運命の12月15日。いつも午後8時を目安に夕ご飯をあげにいくのに、その日に限って9時近くになってしまいました。そしてあわてて小屋へ行くと、必ずと言っていいほどいつも入っているベッドにおかあちゃんの姿がありません。そして私が見た物は、餌場の前で床に倒れているおかあちゃんの姿でした。ケージの扉をあけてあわててかけより、名前を呼びながらおかあちゃんの体を揺さぶりましたが、まったく反応はありません。私は初めておかあちゃんの体を抱きしめながら大声で泣きました。どうして私が来るまで待っていてくれなかったのか…、いいえ、いつもと同じ時間に私が夕ご飯をあげに来てさえいれば、一人で逝かせずにすんだものを…激しい後悔と突然の悲しみに私はただただ泣くことしか出来ませんでした。

翌日、おかあちゃんは新しくできた市内のペット霊園で荼毘に付されました。とてもやすらかな顔でまるで眠っているかのようでした。そんなおかあちゃんの姿がこの世から永遠になくなってしまうのが辛くて辛くてまた涙があふれてきましたが、白いきれいなお骨になって戻って来た時には、ほんの少しですがあきらめがつきました。

今、おかあちゃんは私の部屋の片隅で私のことをじっと見守っていてくれます。生きている間は一緒に暮らすことができなかったので、これからはしばらく一緒の部屋で過ごして、私の心の中で区切りがついたら納骨か埋葬をしようと思います。

長いようで短い1年と3ヶ月でした。おかあちゃんのお世話をしたことで、私はたくさんのことをおかあちゃんから学びました。どんなことがあっても、どんなに辛い目にあっても決してあきらめない強い精神力、与えられた環境を受け入れてその中で自分なりに楽しく過ごす柔軟性、そして最期まで自分を貫く崇高な意志。本当におかあちゃんは素晴らしい猫でした。私はおかあちゃんのお世話ができたことを誇りに思います。

ありがとう、おかあちゃん。そしてさよなら、おかあちゃん。これからは虹の橋でゆっくり休んで下さい。そして私やにこにこの仲間が虹の橋へ行った時は、笑顔で迎えて下さい。いつの日か虹の橋で必ずまた逢いましょう。その日まで、お空の上からみんなのことを見守っていて下さいね。おかあちゃん、いつまでも大好きです。
さすがにアップのお顔をお見せするのは
おかあちゃんがかわいそうなので、遠くから…。

おかあちゃん

Last Update: 2003.2.1