九月日記
九月三十日
面接終了。面接担当者は案の定履歴書は読んでなかった。しかも人事担当がいないと言う事で、塾長が担当した。それが却って幸いして、話はそれなりにスムーズに進んだ。面接終了後、この人事担当はその場でOKを出した。
ただし、まだ「実技」と「ペーパー」が残っている。こりゃ問題だな。「実技」とは実際に教壇の上に立って授業を試験的にやってみる事。
おいおい、正式な授業なんてやった事無いぞ。授業乗っ取ったことはあるけど。
「実技」は月曜日(5日か?)におこなうそうな。
うまく行けばいいな、と思いつつ、
塾のためにはうまく行かずに私が不採用になったほうが良いと思うのだが、はて・・・
それにしても自分が塾講師なんて思いも寄らなかったぞ。
九月二十九日
明日は面接(塾講師)。一応この辺ではそれなりに名が通った塾である。
面接といえば私ほど沢山面接を受けた人も少ないだろう。次々と落ちているからである。余り大きな声では言えないが、面接を受けていて思ったのだが企業によって人事に力を入れているところとそうでないところがある。
「力を入れているところ」は、質問が的確でとても答えやすい。
落ちても、「ああ、ここではやっていけそうもないな」とか「ここには私の求めるものはないか」納得できる。
「そうでないところ」は、さすがに最近は減ってきたが(経営悪化で採用止めたかつぶれた)、特徴としてまず面接にあたって履歴書を読んでない。すべて履歴書に書いてあることばかりたずね、私が「履歴書のどこどこに書いてありますよ」とそれとなく注意してやると、慌てて読み始め、読み終わるまで私は黙ったまま待たされる。その間気まずい沈黙が部屋を支配するのは言うまでもない。そういうところは必ず不首尾に終わる。あんまりひどいときはこっちから蹴る。
仕事が忙しいのは解るが、履歴書ぐらい読んでおいてくれってば。
説明書読まないでパソの電源入れるようなものだよ。
明日はどうなんだろうな。不安・・・
どうでもいいが気になる事が2つ
一つはあの塾は5つ支店(?)があるのに講師数が30人しかいない。
そのわりに毎年数人募集している。ということは離職率高そうだな・・・
人気が出てきたら他に移っているのかな?
もう一つは、求人票に募集する担当教科が出ていなかった事。数学はおしえられんぞ、おい。
その辺解ってるんだろうか。電話では何も言われなかった。それに「塾講師の経験はない」と言ったら、「大丈夫、大丈夫、みんな始めはそうだから」だって。大卒ならアルバイトで塾講師の経験のある人はいっぱいいると思うんだが。一体どういう人を採用してるんだろう。今回も駄目そうな気がする。
九月二十四日
車の運転の練習を兼ねて、今日は車で父の見舞いに行く。いつもは家の周りをぐるぐる回っているだけなので、となりまちまで行くのは結構キョーフ。交差点で右折の際に、後続直進車のために右側にスペースを空けてやらねばならないのだが、うまくいかず、市街地の真ん中で渋滞を作ってしまった。
国道で真っ直ぐ走れないせいでトラックと「オフセット衝突」しそうになるし。
みなさんすみませ〜ん。
だあ〜なんで世の中に車なんてモノがあるんじゃい!わしは運転なんかしたかないってのに。運転できないと就職限られるから、しょうがなくやっているのである。
そうそう、ただでさえ某討論サイトでエネルギーを消耗しているのにさいきん友人に借りた三国志YにはまってしまってHP更新遅れ気味。しかし、三国志はWを除いて全てやりこんでいる。Wはその頃使っていたパソ(PC9801UV2)のパワー不足で出来なかった。
次いでだから書いておこう。
私はシュミレーションゲームが好きである。
信長シリーズ、大戦略シリーズ、大航海時代シリーズなど全てやったが、
お気に入りは三国志シリーズと提督の決断シリーズである。
解んない人すみません(今日は謝ってばっかりだな)。
それと
先日シャレのつもりで応募して履歴書を送っておいた、塾講師の求人先から、面接やるから日時指定してくれとのこと。まあ、他にできそうな仕事の求人が無かったので仕方なかったのだが。 それにしても、自分で応募しておいて言うのもなんだが、まさか私を採用する気ではあるまいな。言っとくけど塾のセンセイなんて柄じゃないぞ。どうかんがえても私の人柄はそんなに上品にはできていないのに。やって出来ない事は無いだろうけど・・・。
それから、受験産業に加担するのはちょっとなあ・・・
私がやりたいのは「社会教育」「生涯学習」。いずれも地域を学校とした、生活経験重視の教育事業である。詰め込み教育が自分に落とした影を見てそういう夢を持ち、大学の専門もこれを選んだ。公務員になりたいと思ったのはそれが理由である。そうでなければ私が事務仕事など選ぶはずもない。ブルーカラー大好き人間の私。「現場」と聞くゾクゾクするくらいだ。そんな私が部屋にこもって仕事していたら、爆発するだろう。しかし、社会教育主事ならばそうではない。社会教育主事(公民館、児童館などを扱う仕事)になって、近年ばらばらに暮らしている地域のお年寄りと大人と子どもを融合させられるような、そういう教育(というより自発的学習)を理想に描いている。
それが受験産業かいな・・・(今度もだめそうだな)
こうなったらいっそ塾で「生活経験重視の教育事業」をはじめて見ようかな。
役所から「管轄侵害だ」とかなんとかクレーム来そうだし、塾からは嫌な顔されそうだけど。
ええい、なんとかするのじゃ。このまま無職でいるわけにもいかんしな。
九月二十三日
初めて車を自分だけで運転する。正直言って思ったより簡単だった。ただし、車庫入れが出来なかったのと、数分間の運転だったにもかかわらず近所の植木を2、3個転がしてしまったが。
一つ思ったこと。
田舎の人がたいした用も無いのに車を利用する訳がわかった。
時間の流れが車を使うことを前提にできているらしい。人のはなしのなかに、「〜へ行って遊んできた」とか、「今日〜しにいこうよ」というフレーズが出てくるが、これらは「車で行く」という前提で成り立っているのだ。
「車を運転できる」ということがその大前提であることは言うまでもない。
思えば父の見舞いに行く時も、なんで駅からこんなに離れた所に病院があるのだと不思議に思っていたが、みんな車で見舞いに来るのである。
車で動くことを前提に町も作られているのである。
やむを得ない、車の運転の練習をしよう。
九月十五日
父の見舞いに行く。「携帯電話を買って来て欲しい」と言うので買っていく。Y電気店にて、私は今まで持ったことがないので良く解らないので適当な値段のものを買う。「料金支払いは口座振り替えではないといけない」とのこと。手払いだっていいじゃないか。不便な世の中である。仕方ないので父の口座番号は当然知らないので私の名義で買って私の口座から振り落としにする。
そういえば、インターネットのプロバイダ接続料金支払いも「カードでなければ駄目」と言われた。郵送したカードの契約書が「印鑑が曲がっている」「字がずれている」「記入漏れである」と何だかんだとカード会社に苦情を言われ、パソコンのセットアップはとっくに終了しているのに、半年近くネットがはじめられなかったことがある。私は他にカードで買い物などするような趣味はないので、ネットをはじめるためにカードづくりからはじめなければならないという、このシステムに非常に腹が立った。最近はカード支払いではないプロバイダが登場しつつあるが、どうだろう、クレジットカードは本当に便利なのだろうか?私のようなネット以外は原始的生活を送っている人間には、不便を感じるのではないのだろうか。
ついでに言ってしまえ。金融ビッグバンなるものが行われ、銀行が二十四時間営業になったり、ドルで買い物が出来たり、銀行の利息が自由化されて「便利になる」と世間は言う。しかし、銀行が二十四時間開いているとなれば会社も二十四時間開けてもいいことになり、サラリーマンはますます忙しくなりはしまいか?ドルや円で買い物されたら、店の店員は混乱しはしまいか?私が店員だったら「こっちはドルで、こっちのものは円で会計してください」などと言われたら嫌だろうなあ。「自由化」されることとは「不便」になることではないのか? これ以上銀行や金融が分けのわからない事をはじめないことを祈る。今でさえ家の母はATMの前で叱られた子どものようにあたふたしているのだ。ちなみに母はいまだに「こうざふりかえ」が何のことか理解していない。そもそも「ATM」を何と読むのかすらよく解っていないようである。
そういえば銀行で見渡せば、お年寄りがATMのまえで泣きそうな顔をしているのをしばしば見かける。
父の保険料や医療費支払いのために、毎日町中の銀行を走り回って、何だかわからないカタカナ用語を銀行員から聞かされている最近の私である。
たのむから何とかしてくれ。とほほ・・・
それはそうと今日は初めて町の青年会議所のイベントに参加した。といっても講演会聞きに行っただけだが。
九月十四日
昼に父の見舞いに行く。
銀行関係のお使いを言いつけられたのでやる。
そのあと電気屋により、電気量販店で父の携帯ラジオ用イヤホンを買う。
地方の量販店は地価が安いせいか、品数はたりないが、
値段は秋葉原とさして変わらない環境が実現されつつある。
それはそうと
父の入院するおとなりの岡谷市まで自転車で30分、私は何とも思わないが
この辺の住民はめんどくさがりやらしく、いちいちこの程度で車を出すらしい。
まあ、諏訪は坂の多いところなので大きな買い物などは仕方あるまい。また、足が弱くなってきたお年寄りなども仕方ないだろう。
ところで盆地の諏訪は、もともと土地不足で道路が通せずに道路環境が悪い。
そういう中で最近の車利用者の増え方には正直うんざりする。
一人一台がこの辺の常識となりつつある。
特にたいした用事も無いのに車に乗るのはやめてもらえないものか。そういう個人レベルでの努力もなしに、道路行政批判ばかりするのはお門違いと言うものである。
何でも役所を批判すれば事態が改善するとでも思っているのだろうか。
以上一人の自転車乗りとして言わせていただきます。
もっと自転車に乗ろうよ。
九月十二日
友人(H氏とHさん、両方大学同期)の結婚式の二次会に呼ばれたため、昼前にA氏と「あずさ」で新宿へ。
ホームでM氏(大学同期、牡)と待ち合わせ、小田急で会場の江ノ島へ。私はひさしぶりの江ノ島だ。この近くの河口によく釣りに来ていた。
夕陽につつまれた湘南の海の見えるクラブハウス(と呼ぶのかどうかしらんが)で、いかにも彼ららしい二次会だった。おしあわせに!
それにしても
すでに私の周囲で結婚する者が出始めた。
しかし私は当分しないだろうな。相手がいないということもあるが、
結婚という必要性をまだ感じない。
もっとも今結婚しても収入が無いので嫁の干物をつくるだけだろうから、
しないほうがいいという話もある。
それに今は奥さんよりも、もっと速いパソコンが欲しい。
だれか買ってくれ。
九月十日
実家に戻ってから父の見舞いと用事(銀行関係)で結構多忙。
車の運転が出来ないので全て自転車である。
九月七日
つくば市k太宅にて起床。朝ご飯もごちそうになる。
ドライブに連れて行ってもらう。もちろん彼が運転する。私が運転してもよいのだが
彼の車(エスクード)が出発した時とは違う形になってしまう可能性や、その辺の家の垣根がなぎ倒される可能性、通行人が何人か入院する可能性等があり、
つくば市住民の静謐(せいひつ、静かで安心できる、の意)な生活と憲法の保障するところの公共の福祉に基づき、遠慮する様にk太に言われたのでやめることにした。(ようするに危ないのでやめろ、と言われた)
飛行機マニアの私のために成田空港に連れて行ってくれる。
あいにく工事中のため良く見えなかったが、「ダッシュ400」(ボーイング747ー400)の着陸シーン(もちろん生)や777(ボーイング777)の離陸シーンを見ることができて感動する。(わからない人すみません)
マニアックな話は置いておいて、
空港や港というのは、性質上必然的に「人生の岐路(わかれみち)」という側面を持っている。
ツアーなどで旅行へ行く人。
ツアーとはいえ、見聞を広めることはその後の彼らの人生において、
計り知れない意味を持つだろう。
会社の出張で渡航する人。海外出張など金がかかっている。
もしかしたら社の命運をかけた取り引きに行くのかもしれない。
日本の学校を辞めて海外留学する人。
日本の学校制度から抜け出ることを決意するのはよくよくの事情があるのだろう。
彼らの背景にあるものはなにか。
一人で旅に出る者。
何を捨て、何をもらいに行くのだろう。
九月六日
昼頃までA氏宅でごろごろする。
A氏宅は広い。それもそのはず、隣の家を買い取ったからである。
A氏が一昨年公務員試験に合格し、勤め始めてから彼の給料をあてにしてローンが組まれたらしい。二十五歳にして住宅ローンを抱えた彼は早くも
中年の重みが顔に現れている。もっとも、本人は認めたがらないが学生の頃から彼は中年みたいな顔と外見を持っていたと、私などは思うのだが、気のせいだろうか。
帰りは高速で帰った。レンタカーなので東京へ一旦返しに戻らないと行けないのである。
昼過ぎに出て、六時過ぎについた。さすがにあっという間だった。
レンタカーやにかえしに行く。やはり、営業保証の20000円はしっかり取られた。
費用は運転してくれたk太に悪いと思ったので私が持とうと言ったが、k太は聞き入れない。
結構律義なヤツである。仕方ないので折半ということにした。
それでも引っ越し屋に頼むよりずっと安く済んだ。感謝せねば。
今日は泊まるところが無いのでつくば市のk太宅に泊まる。
k太宅ではすっかりごちそうになる。お礼に彼のパソをネットにつないでやろうとするも、うまくいかない。パソが旧式(インテル入ってない)のため接続ウィザードが入ってないのである。今度来た時にやってやろう。
九月五日
昨日の荷物を昼過ぎに起きて家に入れる。
荷物のほとんどは本であるため、意外に早く片付く。
その後、大学の同期で同じゼミだったA氏(二十五歳牡、趣味はゴルフ)と
・・・・が。
「しまった!」というか「やはり・・・」というか・・・・
事故った。
駐車場内でドライバーのk太が車を転回させているときに、途中で後部側面を、駐車場の出口の真ん中で客待ちをしていた、タクシーのテールランプに接触させてしまったのだ。車が普段彼が運転しているものに比較して前後に長いため、ついうっかり内輪差に巻き込んでしまった。慌ててタクシーに駆け寄る。運転手が降りてくる。ぶつかった場所を確認すると、テールランプが少しだけ割れている。
タクシーに乗客があったが、幸い怪我はなかった。とりあえず手順通りお互いに免許証を見せ合い、住所、名前、車のナンバーを控える。その間、ドライバーはひっきりなしに自分は悪くないと主張していた。駐車場の真ん中で客を待っているのも非常識であると思うが、向こうは停まっていたのでどうしようもない。全面的にこちらの責任である。
タクシードライバーの連絡で会社の事故担当がやってくる。担当の話によれば「物損」ということで事故の処理しよう、ということだが、こちらのレンタカーの保険の説明を見ると「警察の事故証明が必要であるから」ということなので警察へ行くことになる。
「ああ〜!やってしまった〜」2人して沈没的気分になりながらも町の派出所へ行く。
警察で双方立ち会いのもと事故の経過を説明し、証明書を作ってもらう。
証明書用紙に鉛筆のきたない字で書き込む警察官に「大丈夫か?おい、」と不安を残しつつ事故の届け出は終了した。
タクシー会社によれば、テールランプを取り替えないと車検が通らないため2万5000円かかるがそれだけでよいとのこと。思いのほか安く済んだ。おそらくレンタカーを借りる際に入った保険でまかなえるであろう。レンタカーの方は営業保証で20000円取られるかもしれないが、まあ、そんなものですんだので幸運と言うべきかもしれない。
「やべ〜やっちゃった〜」と言いながら温泉につかり待つこと1時間、A氏がやってくる。
事故のことを愚痴りながらその夜はA氏宅へ泊まることにする。
夜、「引っ越し祝い」をk太とA氏はやってくれた。
「めでたくなんかない、都落ちなんだぞ。」と私が言うと、
「だから祝わなきゃ、そんな風に考えたらやってらんないだろ。」
と言ってくれた。
九月四日
引っ越し当日。
夜出発して深夜「したみち」(甲州街道)で行こうということになった。ドライバーのk太(牡、24歳いずれこのページに引き摺り、あ、いや、連れてこよう)と一緒にゼミの合宿に行くときに彼は車でこの道は一回通ったことがあるので迷う心配は薄い。私はといえば、車で通った経験はない。何故か自転車で通った事はあったが。
深夜荷物の積み込みを手伝ってもらい、一休みしてから出発した。
無論夕飯はおごった。私がペーパードライバーなので運転は彼がする。思ったより大きな車で、運転が少し大変かもしれない。ただしエンジンはディーゼルなので燃料は軽油になり、安い。往復して6000円しかしなかった。ついでにATだった。
少し遠回りになるが、白山通り(17号)を下って明治通りを左折し、甲州街道に新宿駅南口で出るコースを取ることにした。白山通りと明治通りの交差点には思い入れがあるのでちょっと通って帰りたかったというのが本音だが、こっちの方が渋滞を避けられると思ったというのもある。それにしても深夜の東京の道路はタクシーが多い。しかも、どこだろうと構わず停車し、客を拾う。危ないと言ったら無い。「てめーら電車でかえれっての!」と2人して切れまくる。
また、道路工事も多い。東京は一年中どこかをほじくり返しているというが、これは本当である。これでも近年行政の努力で減ったのではあるが、どうにかしてくれ、と思う。ペーパードライバーの私にはとても運転できそうも無い。
池袋駅前を通る。ほとんど毎日のようにフラフラしていたこの街と別れるのは、さすがにつらいものがある。が、幸いk太と馬鹿話をしているうちに過ぎてしまった。
新宿の高島屋が見えてきた。この明治通りを挟んで向かいにある運送屋でバイトをしていた。
「いつか、かわいい女の子を連れて高島屋を歩きたかったな〜」と私が軽口をたたくと
「え・・・それだけは止めた方がいいとおもうぞ。女とデパート歩くとアレだからな〜」
・・・・・・・・確かに(笑)。と、いっても大部分の世の中の女性の皆さんにはわからないかな(謎)
笹塚、初台、三鷹、中野、すべてバイトでよく通った道である。一つ一つの路地が、暑い夏の日や雨の日を思い出させる・・・などと言っているうちに道を間違えた。慌てて環状八号線(環八、カンパチとよむ)に出て元のみちに戻る。東京の道ははこれだからコワイ。
八王子を過ぎ、山梨への峠を超えるあたりで道は途端に悪くなる。
前の方でトレーラーがのろのろ走っているので、その後に車が行列を作って走っている。その最後尾に我々の車は付く。「うわ〜何だよ〜」と、かれ独特の口調で毒づくk太(24歳男性無職)であった。 途中でトレーラーがどいてくれたので、車がスムーズに流れ始めた。
大月を過ぎ、笹子トンネルに近付く。おお懐かしの笹子トンネル!二度と自転車で通りたくない笹子トンネル(笑)。私が夜を明かしたドライブインは無くなっていた。そういえばあれから7年も経つのだな・・・。7年か・・・・。
山梨に入り、途中のファミレスで休憩。彼はコーヒーを飲んで「少し寝る」と言って目をつぶった。コーヒー飲んだら眠れなくなるんでは?とおもったが、私は腹が減ったのでそれどころではなく深夜のファミレスでチキンの龍田揚げ定食をむしゃむしゃと食べた。
外を暴走族がはしっている。他にすることはないんだろうかと思いつつ、田舎暮らしをすることになるこれからを想う。
山梨のこの辺りは急に道路が良くなる。k太はご機嫌で運転しているが、多少疲れているようなので彼の嫌いなチョコレートを無理矢理食わせ、少し元気を出してもらう。
この辺まで来ると通行車はほとんどがトラックだ。みんな飛ばしているので結構コワイ。
「対向車が居眠りでもして突っ込んできたら終わりだもんな〜」「おっかね〜な〜」などといいながら甲州盆地を西へ。
「この分だと急行アルプスに抜かれないんじゃないか?」の予想通り、3時には諏訪盆地に入り、私の家に着いた。
しかし、東京では汗をだらだら流しながら荷物を積み込んだというのに諏訪はなんと15度だった。さっさむい・・・。
荷物の積み下ろしは眠ってからにすることにし、車を駐車場に停めて私の家で死んだように眠った。
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