十月日記




十月三十日

塾に採否の確認の電話をしなければ行けないのだが、
どうも気が進まない。何で電話くれないんだろう?
まさかこのまま無視を決め込むつもりか?
いい度胸だな、この狭い街で悪評立てたらおしまいなのに。
こんな調子では他の塾に生徒を持って行かれているのも解る気がする。

さて、今日は松本に用事があったので、今回は初めて車で行って見た。
塩嶺峠を越える自信が無かったので今までやらなかったのだが、
どうにかできた。
しかし・・
ガソリン代を親に負担してもらうのもいい加減にしないとな。
そうそう、古本屋で「東方見分録」発見、即座に購入。


十月二十五日

早く電話くれないかなあ、あの塾。
仕事が見つからないと給料が入らない。
給料が入らないとスキャナが買えない。
スキャナが買えないと留学の話が書けない・・・
う〜む、問題だ。
さっき気がついたが、留学の動機を書きかけのままアップしていた。
申し訳ございません。

両親とドライブ。
八ヶ岳冠雪、峻厳な山々が美しい。
感激もつかの間、父の耄碌ナビ(失礼!)で危うく事故りかける。
歳を取ると、頭の動きが鈍くなると言われる。耳が遠くなるのではなく
脳細胞の働きが悪くなるのだそうである。
自分で自覚していればいいのだが、父はどうしてもそれをみとめようとしない。
まあ、若い頃水泳の選手だったこともあり、60過ぎてもあの体力では、
頭の方だけが鈍ってきていると言っても自覚できないのは無理からぬ事だが、
父が一人で車を運転する時が心配なのである。


十月二十三日

今日も何も為すことなく終わった。
例の塾からはなんの連絡も無い。
この話がはっきりしないと何も出来ないんだけどなあ・・


十月二十一日

今日は暇でしょうが無い。仕事がいつまでたっても決まらないので、バイトも出来ない。
とりあえず例の塾講師の次の試験の範囲が決まるまで何もする事が無いのだ。
従って本を読んでいるか、ゲームをやっているしかない。
あんまり退屈なので最近は車の運転の練習を兼ねて、毎日車でドライブしている。
車の運転は今もって好きになれないが とにかく田舎は車が動かせないとなにもできないのだ。
今日は山梨県境を初めて越え、南アルプスの天然水や、カゴメトマトジュースの故郷白州町までは
自転車で高校の頃越えた事がある。だいたい往復6時間くらい
だったが、さすがに車は速い、実質2時間かからなかった。途中寄り道したりしながら
午後一杯走った。
収穫は古本屋を見つけたこと。結構掘り出し物があり、
金が無かったので買えなかったが とりあえず文庫本を買った。
「中国行きのスロウ・ボート」村上春樹
「谷川俊太郎詩集」大岡信 解説
「オーパ!」 開高健
「孫子」 海音寺潮五郎
全部で850円
ただ、一つ心配な事がある。峠を越えた時にスピードが少しで過ぎていたので気になって 少し抑え目にしてはいたが、制限速度違反車監視用のカメラに撮られてしまったかもしれない。 罰金の請求来ても払えんぞ、今は。まあ、他の車はもっとスピード出していたから大丈夫だと思うけど。


十月二十日

昨日は親孝行の日。休日は最近いつも親を車に乗せてどこかへ行っている。
前は霧ヶ峰へ行った。今回は買い物へ。
車で動く事に慣れてきたが、それでも車は嫌いだな。 自転車の方が良いと思う。
十月十八日

ここのとこHPの更新をしていなかった。
と、いうのもなんとあの塾から「もう一回授業をやって見てくれ」という電話がかかってきた。 こんどは中2の社会。今度こそ失敗は許されない。「社会」のどの部分が当たるか見当もつかない ので、全範囲復習していたのだ。「復習」と言っても正直言ってほとんど覚えていなかった。 したがって、一から勉強した。
一昨日、その授業があった。幸いおおむね成功であったが、この成功は生徒に因るところが大であった と思う。しかし、授業開始前に雑談をして気分をほぐしたのと、冒頭でタイのマックとファースト キッチンの広告を見せ、東南アジアの写真を今回の指定された範囲の一部である朱印船貿易に からめて紹介したのがよかった。それにしても最近の中高生は写真に興味を示す。私の頃、彼らの「写真」 に該当するものがあっただろうか・・・
 生徒は一人を除いてみんな発言した。社会をクイズとして楽しむ習慣を持っているらしい。 それはそれでよい。しかし、一番大切な「何故この人物はそういうことをしたのか」 「なぜこういう社会現象がおきたのか」「今の時代とどんな違い、つながりがあるのか」という 事が学校でもこの塾でも教えられていないような感触を得た。

十月十日

就職試験終わり。
結果はまだ分からないが、多分駄目だろう。
いや、結果などはどうでもよい。
いい授業が出来なかった事の方が心残りである。 中学三年生の国語(現代文)を担当するように指示された。しかし、準備時間は30分しかないという。 冗談ではない。最低でも3時間は必用だろう。
今回は授業をこのように進める予定を立てた。まず始めに文章に目を通させる。 次におおまかの主題を把握させ、言語化させる。その後、段落ごとの主題を抽出させ、 文章の構造を把握させる。そして、実際に問題を解説する前に、受験に使われる文章の主な主題を 知ってもらう。だいたいこう言ってはなんだが、受験で出る現代文の内容は大体決まっている。 以下の3つだ。
@ヒューマニズムは尊い。
A自然は大事だ。
B昔は良かった。
この事が解っていれば、文章の冒頭の1段落読めば主題は判るようにできている。 この事を教えてしまい、現代文の読み解きは決して勉強できないものでも、才能の有無に 左右されるものでもない事を伝えたかったのだが・・

準備不足で失敗したのは残念としか言いようが無い、 準備不足は単なる努力不足であり、能力の不足では無いからである。 私は人前で話すのは割合得意な方だ。その得意分野で失敗したのは屈辱ともいえる。 いや、それはいい。しかし、授業をやったのが生まれてはじめてとはいえ、 それは私の都合であって、生徒に罪はない。生徒にとって私は「使えない講師」でしかなかった。 確かに30分ではどうにもならなかった。しかしそれは言い訳である。 しかも相手は受験生。死刑台の13段階段に足をかけたような気分のこの時期、可哀相だった としか言いようが無い。
居眠りをしている生徒がいたが、あれでは無理も無かろう。

以前学生時代に授業を乗っ取った事がある。
先生の授業進行がいまいち要領を得ず、先生が焦っているようなので助けてやったのだ。 あの時の事を思い出すと、教壇の上の先生というのはいかに孤独で寂しいのかがわかる。 乗っ取ってやった時、その先生は心底助かったと言う顔をしていた。


十月六日

父帰宅。昼前に病院に行く。退院は午後のはずだが、父が話があるとの事。 母は会社なので私だけ車で行く。何の重大な話かと思っておっかなびっくり行ったら、 「銀行の横で宝くじ買ってきてくれ」という事だった。
なめんな(笑)。

昨日の就職試験は、向こうの都合で「実技」の試験はなかった。よってペーパーテストのみ。 5科目の中から2科目を選べ、ということだったが・・・ 古文と漢文が出るのをすっかり忘れていた。私は社会は日本史が穴なので英語と国語でやるしかな かったのだが、ヤバイかもしれない。漢文は中国語としては解るのだが、日本語に書き下すのは また別の技術がいるのである。そもそも漢文は古代中国語だし。しかも漢詩は苦手なのだ。 思想なら得意なのに。あ〜あ、今度も落ちたな。
それにしても受付けの女の子が中学の同級生だった。のけぞるほど驚いた。まだ名字は変わって いないそうだ。別に下心はないが、何となくほっとした。

それはそうと、この塾コワイ。社員のミーティング風景がちょっとだけ覗けたが、塾長の長い ありきたりの「訓話」を聴いた後、みんなで「社是」(?)を合唱していた。「一つ、〜〜の事、二つ、 〜〜の事、・・・」と言う風に。
こういう雰囲気嫌いなんだよな・・・。
ヒューマニズムや個人尊重を謳っているわりに「偏差値絶対向上!」何て目指してるし。
受験は個人主義の場じゃないぞ。わかってんのかな。

十月四日

 久々に晴れたので布団を干す。布団を干した次いでに掃除をしたので部屋がガタガタしている。 ところがそういう時に限って何かが起こる。父に外出許可が出たのだ。 朝八時に病院へ車で迎えに行く。無論運転は私である。この時のために練習したのだ。 途中狭い道でRV車とすれ違う時に左へより過ぎて、車の左側面を垣根の木ですってしまった。 傷はあまりつかなかったが、垣根で良かった。コンクリートだったら大変な事になっていただろう。 父の外出許可は午前中だけだったので、家に戻って茶を飲んですぐ帰ったが、父はいい知らせを持って きた。今度の火曜日に退院できるそうだ。最も「癌」という病気の性質上、再発の畏れが無いとは まだ言えないので、取り合えずの退院と言う事なのだが、まあ良かったといえよう。 何分、男手が家に無いと色々と不都合が多い。

 それはそうと明日は塾の採用試験で教壇に立つ。はっきり言うが教壇に「センセイ」として 立った事など一度も無い。だから正直言ってどうやったらいいのか見当も付かない。 だが、人前に立って物事を話す事には自信がある。小学校から毎年何かしらの委員長をやっていたのだ。 原稿無しで1000人位までの人の前で物を言う事は、私にとって造作も無い事である。 「ものを教える」ということをした事は余り無い。私の経験上、人前に立つと緊張感やその他いろいろの 人間関係のしがらみから、普段考えている事や持っている能力の数分の一しか発揮できない。そうした 状況下で物を言うためには、普段からよほど物を考えておかなければならない。塾講師に限らず、 学校教師など物を教えるためには、教える事についてよほど深く理解していなければいけない。 しばしば学校批判のなかに、「授業の質」についての無責任な批判が最近あるが、そういう批判の中には まったく現場で教鞭を取った経験の無い人がたくさんいるのを見かける。教壇に立って 人にものを教える事の難しさは、経験の無い人にはなかなか解りにくいものらしい。

 愚痴ばかり書いてしまった。
じゃ、ちょっと方向転換。

 一つここで言っておこう。私は明日の授業で、これが就職試験である事を忘れる。本当に生徒のためだと 私が考える事を教える。その塾は「絶対合格!」とか、「めざせ○○高校!」とか標語が貼ってあるような、 そういう塾である。もしかしたら私は授業の進み方によっては、それを否定するような事を言うかもしれない。 私は生徒が生まれてはじめて出会う受験という厳しい現実を前にして、「絶対合格!」とか、 「めざせ○○高校!」とか、そういう安易な精神論が、いかに無力かを知っている者である。 むしろそうやって自分をだましていると、いつかそのしわ寄せが一気にその生徒を襲って、 勉強する目的どころか生きる目的さえ解らなくしてしまうと考えている。
 私は私の担当教科が生徒の人生の中で、どんな意味を持っているのか教えて見ようと思う。 いや、そういうことを人間が一人の人間に教えるのは無理かもしれない。ならば、その考えるきっかけを 作ってやろうと思う。

つまりは、塾の方針などくそくらえということである。
私は私のやり方で全力でやる。
私にとってはただの就職試験かもしれないが、
生徒にとっては、私の授業すらも「受験」と言う現実なのだ。

私は今までいつもそうだった。大学を卒業して就職試験を受ける中で、 どうも社会人に媚び過ぎた。
明日は自分流を通す。
それで落ちたらそれだけの事だ。


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