自転車旅行5

地獄の山梨編


   大垂水峠というところがある。「おおたるみとうげ」とよむ。何がたるんでるのかは知らないが、 なんだか間抜けな名前だ。ここは走り屋には有名な場所だ。つづら折りになった 坂が延々と続くので車で走ると面白いらしい。もっともこんな田舎まで来ると、走り屋と「族」の 区別が付かなくなる様な気がするのは私だけだろうか。
 坂道は車で登るとさほど気にならないものだ。しかし、自転車の論理は別である。車で走るとあっというまの峠も、そうはいかない。 自転車の動力は人間の足なのだ。従って知らない人も多いとおもうが、(そんなやついるのか?) 登り坂はきつい。この峠越えはこのたびの中でもっとも厳しかった。
 八王子と大垂水峠の標高差は数百メートルである。たかだか数百メートル位で大袈裟な、と、思われる 向きもあるだろう。何でもない様に聞こえるかもしれない。そう思う人はぜひやってみてくれ。体重がごっそり 減って脱水症状をおこし、あなたの頭の周りでひよこさんがピヨピヨ言ってるのが見えるようになること請け合いだ。
 大垂水峠でなくても、数百メートルというのは茨城県の筑波山もそのくらいだ。以前歩いて登った事があるが、 頂上に着いた時は顔の表面が塩味に変わっていた。疑似体験という訳でもないが、関東に住んでいる人は 挑戦してみる事をお勧めする。
 長い坂が続く。気が付けば周囲に民家がほとんどなくなってきている。ここが東京だと言っても信じない比ともいるくらい田舎になってきた。 典型的な峠道だ。 昼飯のうどん分のカロリーは暑さもあってかあっという間に消費されてしまった。汗が 首筋からひたひたと垂れ落ちる。まるで絞られている雑きんになったようだ。このまま汗が出て脂肪が 全部消費され尽くしたら、干物みたいになって面白いな、などという軽口がたたけたのは 最初のうちだけだった。まあ、八王子までの道のりで排気ガスを吸い込みすぎて、この頃には まともに声が出なくなっていたから、「軽口を・・・」と言う表現はおかしいかもしれないが、 まあ、どうでもよかろう。だんだん疲れてきたので坂の途中で休む事にした。一旦休みはじめると 癖になるのか、その後も頻繁に休みを取りながら登った。15分おきに休んでいたのが、10分おきになり、 そのうち5分、仕舞いには5分おきに10分休憩するというしょうもない事態に陥った。効率が悪いので 坂が急なところは押して歩いてあがる事にした。どうやら自転車より歩いたほうが速いようだ。 疲れが頭の方にまで来ているらしい。疲れが来ていなくても あまりかわらないと言わそうだが。
 坂は、峠を最短距離で真っ直ぐ登れば良さそうなものをくねくねとはうように登って行く。 追い越して行くバイク旅行者の中に、「こいつこんな坂自転車で登ってやがる」 と、夜中に道の暗がりでゴジラに出くわした人のようなカオで(どんなカオだ)驚いて横目で見て行くバイクのあんちゃんがいる。 しかし、そんな物好きは私だけかとおもったら そうではないらしい。時々坂の途中で休んでいると 同じ事をやっている自転車旅行者に会った。同じ趣味の仲間でもあるし、普通だったら挨拶ぐらいするのだろうが、お互い口も利けない 状態であることが見て取れたので、お互い暗黙のうちに沈黙する事(?)にした。  坂がいよいよ急になり、こんなとこに誰が道を通したんだ、きっと宇宙人が道を通したに違いない、 と訳のわからない事を思いはじめた頃、やっと坂の頂上が見えてきた。そう思った途端あっさりと 下りになった。
 そもそも甲州街道は、大垂水峠で一旦登りつめ、相模湖に向かって一回下り、相模湖から笹子トンネルに 向かって登りになり、甲府盆地に向かって一気に下る。甲府盆地から長野県に向かってひたすら登り、 富士見峠で下りになり、我が故郷である諏訪湖に出る。私の実家は標高約800m位のところにあるの だから、いっそ真っ直ぐ上ってくれれば良さそうなものを、せっかく登ったものを途中で何度も下らねば ならない。こんな効率の悪い地形を造ったのは誰だ!まったく。(だれだろう?まあいいか。)などと 考えながら坂を下った。
 しかし、この坂、路面に横筋が入っている。雪が降った時の滑り止めだろうが、スポーツ車である 我が愛車には、かなり厳しい。スポーツ車は軽量化のためにタイヤが細くなっている。悪路ではタイヤに かかる負担が大きく、タイヤから空気が抜けて操作性が低下したり、(具体的にはペダルが重くなる) パンクの危険もある。だから、路面の荒れは大敵である。私はここで大きな後悔をした。タイヤの パンクの修理用のキットを持ってきていない事だ。さらに、何も考えずに出てきたので、タイヤの 空気ポンプを持ってきていない。もしもタイヤがパンクしたら、一巻の終わりだ。 この自転車はブリジストンが80年代に発売した中ではもっとも優秀な「ロードマン」と言うタイプで、 タイヤの細さは普通自転車(シティバイク)と同じだ。私は今でもスポーツ車の中ではロードマンが もっとも優秀だとおもう。最近のスポーツ車はタイヤが細すぎ、日常の通勤などの使用に耐えない。 MTBにユーザーを持っていかれるのは当たり前だろう。(この旅の後、MTBに私も買い替えた。)
 まもなく左手に相模湖が見えてきた。JR中央線がみえる。受験の時など東京に出てくる時には 何気なく思っていたが、こうして傍からみれば中央線とはとんでもないところを通っている。山をトンネルでくりぬき 谷には鉄橋を架け、山肌をあたかも縫い付けるように通っている、大変な難工事だったのだろうと思う。 当時の国鉄の保線区のおっちゃんたちにはしみじみご苦労様を言いたいところだが、人の心配をしている場合ではない。太陽が西に傾きはじめた。さらに大きな問題に気が付いた。 ここから当分山道のため、水を補給できる公園が無くなってきたのだ。やむを得ず途中、相模町に入ったところで コンビニに寄ってペットボトルの水を購入したところ、残金が1000円を切ってしまった。しかし、後にコンビニが あっただけましだという事に気づく事になるのだが・・・。
 左手に相模湖が見えて来た。ゆっくり寄って行きたいが、崖の下になっているため、下まで降る元気が無く 諦めて先へ進む。相模湖に注ぐ桂川をさかのぼるように上野原町へ入ったところで3時になった。中央自動車道 の下をくぐる。高速道路上の下り車線を走っている車を見ながら、同じく長野まで自転車で行こうとしている私とは ずいぶんな違いだと思った。
 この甲州街道(「国道」20号線)は大月市に入ると柳川、鳥沢、猿橋と、中央線の馴染みのある小さな駅舎の横を抜ける。 当たり前だが、こんなちいさな駅のまわりにも住民がいて、学校があり、生活がある事に改めて気づかされた。 というより気づかざるを得なかった。何故なら、3時といえば小学生の下校時刻であり、主婦が夕食の買い物に 出る時間なのだ。彼らは、この私の疲れなどお構いも無く私の自転車の前に飛び出してきて、その度に 急ブレーキをかけてかわす破目になった。「おまえらじゃまだあああ!!」と叫びたいのだがそんな元気も無く、 地元の皆さんの人ごみに文字どおりもまれながら、大月市街へ到着した。これで旅はほぼ3分の1来た事になる。 しかし、体力は3分の1どころではなく、ほとんど使い果たしてしまった感がある。ちゃんと着くんだろうか? まあ、考えてもしょうがない、何とかなるだろう。
 そうこうしているうちに道は再び上りになってきた。先ほどに比べると緩やかな坂が続く。 その上、夕方になってきた事もあり気温が下がってきたので少し楽になってきた。しかし明日のことを考えると 早めに休んだ方がいいだろうと考え、笹子トンネルに入らずに夜を明かす事にした。当初、笹子駅の駅舎が無人駅のようなので ここの待合室で休もうと寝袋を敷いて寝る体制をとったところ、電車が丁度駅につき、女子高生の大軍が(と言っても10名ほど) ぞろぞろと駅に降りてきて、寝ようとしている私を見てくすくす笑っているので居心地ががわるくなって、とりあえず起き上がり、 電車を待っている人の振りをすることにした。なんで小娘どものためにこの私が気を使わねばならんのだとおもいつつ、 彼女たちが駅から出て行くのを待っていたが、ジュースを買ってきて待合室に入り込み、私の斜め前の 椅子を占拠しておしゃべりを始めた。女子高生のおしゃべりといえば長いに決まっている(偏見)おまけにうるさい(偏見)と 相場が決まっている。このままだといつになったら寝られるか判ったものではないので、やむを得ず笹子駅舎を諦める事に した。再び甲州街道の緩い坂道に出て、走りはじめる。結果として女子高生に追い出された私だったが、 彼女たちに同情できなくも無い。こんな田舎では学校の帰りに友達とおしゃべりがしたい、と思っても 駅の周りにどころか周囲数kmに渡って、溜まり場にできそうなレストランや喫茶店などはない。 当然マック(関東弁で「マクドナルド」のことを指す。関西では「マクド」というらしい)などあろうはずも無い。 駅以外に居場所が無いのだろう。まあ、安上がりでよいではないか、と好意的に考える事にした。そういえば 私も田舎の高校生だった頃、溜まり場にできるところが無くて不自由した事もあったっけな。 まあ、長旅にあっては何でも好意的に捉えねばやっていけない。
 寝る場所を探してさまよううちに、腹が減ってきた事に気が着いた。あと数百円しかないので 一食しか取れない。この先甲府市街を抜ける時は午前中だろうから食堂が開いているとは限らず、 甲府を抜けるとひたすら田舎で、ドライブインも無いので、ここで金を使い果たしてしまっても構わないだろう、 と計算した。単に理性に食欲が勝っただけという話も無くはないが。ドライブインに入って一番安い 野菜炒め定食を食べた。食堂にいたトラック野郎のおっちゃんに、自転車で長野まで行く事を話したら、 あきれられたが、食事中の楽しい話し相手になってくれた。ご飯をおごってくれる人はいなかったがまあ、よかろう。
 食事が終わり、外へ出ると既に日が沈んで外は薄暗くなっていた。少し元気が出たのでもう少し 走ろうと思い、10分ほど走る。と・・・・
 目の前に真っ暗闇が大きな口を開けて私を待っていた。笹子トンネルである。まるで巨大な怪物の口の中を覗き込んでいる ようでもあり、大きな洞窟のようでもある。向こう側の出口は覗き込んでも見えない。このトンネルは地図で見ると結構長い。 こんな長いトンネル自転車で抜けたことがない。そもそも自転車が進入してよいものだろうかと 心配になってきたが、トンネルの入り口の脇に、「歩行者に注意」と書いてあるので、入ってもよいのだろうが、 自転車が通れそうなスペースがほとんど無い。後ろから車にひかれてもおかしくないほどだ。
入ったら出てこれるのだろうか確信が持てない。しかし、地図を見ると迂回路である旧道は、くねくねと 山を登っている。もしこのルートを通るならば、さっきの峠の比ではないほどの急斜面を登るはめになるだろう。 究極の選択だが、体力を温存するためにも勇気を持ってトンネルを抜ける事にした。ただ、外はもう暗くなって いるので、手前にあるつぶれたドライブインで眠って体を休めてから一気に抜けようと考えた。
 つぶれたドライブインの駐車場に自転車を停め、寝袋を敷いて寝転がって目を閉じる。国道を走るトラックの 轟音が頭に響いた。明日のトンネルを抜ける事を考えると少し緊張してなかなか眠れない。しかしさすがに 一日の疲れが半端でないらしく、しばらくすると私は眠りに落ちていった。


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つかれたからもう寝る