自転車旅行7
旅の終焉編
甲州街道の右手(北側)にJR中央線が再び見えてきた。トンネルをくぐった辺りで
一度お別れしていたのだが、この後はゴールまで一緒だ。竜王町で駅が見える。この辺の
甲州街道は、電車から車窓の風景としてよく見ていたが、今は私が風景の一部である。
何だか偉くなったような気分だ。
左手に見える富士川の河原に車が何台もとまっている。夕べの夜デートして行き場所がなくなって
みんなここで夜を明かしたのだろうか、どの車も助手席に女性が乗っている。
彼女達もまさか東京から自転車で来た私が、近くを通っているとは思わないだろう。平和そうに眠っている。
韮崎に入り、緩やかな上りになりはじめる。右手に崖が見えてきた。断層らしい。ここは、新府城跡がある。
詳しく知りたい人は、私の高校の大先輩である新田次郎の「武田信玄」をよむこと。あるいは
信長の野望[光栄]をやるとわかる。もっとも、「城跡」といっても「新府城跡」と看板が立っている
だけだが。この辺りはまた、ぶどう畑があったりもする。
さて、徐々に上りがきつくなり、長野県に近づいて来た事が実感できるようになってきた。
道の周りから民家が減ってきた。そのうちにとうとう周囲は田んぼばかりになってしまった。まるで
実家の辺りにある農道の一本道を走っているようだ。「まるで」というより「農道そのもの」だが。
このまま順調に旅は進むかにみえた。しかし、私はまたまた大事な事を忘れていた。
この日の朝、朝焼けが東の空を染めていた事を。
それは突然やってきた。武州村へ入り、田んぼの真ん中を走っている時に、頭の上に何かが落ちてきた。
そのうちに地面のあちこちで「ばしっ!ばしっ!」という音がしはじめた。夕立がやってきたのだ。
長野県に住んでいた時は気がつかなかったが、山国の夕立は東京のそれとは全く違い、とても激しい。
傘をささないと痛いくらいに激しい。「ざあざあ」ではなく、
「ドッパーーーーーーー!!!」
と言う感じだ。
そんな雨が降ってきているにもかかわらず、
農道の一本道を走っているためであるため、雨宿りをするところが無い。軽装備で
ふらっと旅に出てしまったが、せめて合羽は持ってくるべきだった。あっというまにパンツまで
びしょびしょになってしまった。湿っているなどという生やさしいものではない。
頭から服を着たままバケツで何杯も水をかぶったように、水が滴っている。
「水も滴るいい男」とはいうが、その「いい男」は風邪をひかなかったのだろうか、とふと思った。
しかし冗談を言っている余裕はないのだ。
急に寒くなってきたのだ。夏とはいえ、高原の朝は気温が下がる。まずい、このまま雨が続くと
風邪をひいてしまう。というより、熱を出して、倒れてしまうのではないか?そうなったら
自転車旅行どころではない。
しかし、だからと言って何か良い手がある訳でもなく、もはや前進あるのみである。
駄目だったらそれまでだ、と覚悟を決めた時、追い討ちをかけるように突然霧が出てきた。霧を切り裂く様に前へ進む。
自転車のいいところは、風を「切り裂く」という感覚を肌で味わえる事で、それが私は好きなのだが、
この時ばかりはそれを呪った。体の周りを流れる風が着実に私の体力を奪い取って行く。
足がつりそうになってきた。しかし、どしゃ降りの中で休憩する気も無く、体を動かしていないと
体温が下がってしょうがないので、更に進むことにした。
白州町に入って雨が止んだ。しかし、相変わらず寒い。頭ががんがんしてきた。
私は初めて「一人旅は危険だ」という言葉の本当の意味を知った。ここで倒れても誰も助けてはくれないのだ。
本当の意味で私の体力が試される時が来た。手足の感覚は既に無くなってきた。指先が
自分の物でないかのようだ。あと少しで長野県だと自分に言い聞かせる。私の体力が尽きるかどうか、
微妙なところだが、その辺は考えてもしょうがない。ただタイヤの空気が抜けて、
体力を失った私の足には異常に重くなったペダルを無心にこぐだけである。
!
その変化は突然起きた。急に雨が止んだと思ったら、霧が一瞬にして消え、夏の太陽の光線が
私を照らした。すっかり消耗した私の目に見たことのある光景が飛び込んできた。
「国堺」というドライブインの看板。そしてそこには・・・
「長野県」
と書かれていた。
「あとすこしだ!」
ここへ来るのははじめてではない。実家で田舎の高校生をやってた頃来た事がある。
その頃の事を思い出した。
以前高校の頃、私は学校へ行かなくなっていたことがある。このままで良いのだろうかという
漠然とした想い、私とは何者だろうかという形而上学的な閉塞した考えにとらわれていた。
その答えを探してか、そのころ自転車であちこちと遠乗りしていたのだ。
その時にここまで自転車で来た事がある。そして川が「釜無川」から、「富士川」に変わるのを見て、
いつかは自転車で海まで行ってみたいと思った事があったことを思い出した。
私が何者かそれは今でもわからない。
しかし、この時その頃のの私と、数年間の時を隔ててつながった気がした。
登り坂を登る。幸い体が太陽で乾いてきた。文字どおり天の恵みだ。ペダルは相変わらず重いがもう気にならない。
しばらくすると大きなヘアピンカーブがあった。以前見たことのある
風景が増えてきた。この辺に「机」という地名がある。おかしな地名だと覚えていたのだ。
そして富士見駅の近くを通った。地元ではあまり知られていないが、この辺りが
「富士見峠」と言い、後は諏訪盆地へむかって緩い下りになる。某メーカーの工場のために作られた
すずらんの里という駅が見える。とうとう茅野市に入る。諏訪盆地に入ったのだ!次は青柳(あおやぎ)駅。宮川が見える。
水は西へむかって流れている。その先は・・・
諏訪湖だ!
とうとう諏訪市に入る。そして私の母校の前を通ったところで「帰ってきた」という
実感が湧いてきた。もうこの道は、見なれた道だ。高校三年間片道8キロあまりを自転車で通ってきた。
同じ道である。気がつけば左手に諏訪湖が見えてきた。なんと感動的な初帰省だろう。
「下諏訪町」の表示を見た時、「とうとうやったな・・・」と思わずつぶやいていた。
その日、家へ帰って風呂に入って初めて、排気ガスの黒鉛で体が真っ黒になっている事に気が着いた。
風呂の湯を3回もかえた。
もちろん死んだように眠り、気がついたのは2日後だった。
電車での旅も好きだ。車のドライブも嫌いではない(私は運転が下手なので自分で運転しないが)
しかし、自転車での旅はいろいろなものを手にとって見る事ができる。観光地化された街を
流れ作業のように観て行く旅でもなく、それに文句言う旅でもなく、ただただその街に住む
人たちの生活の横を走り抜けて行く、そんな旅が自転車ではできるらしい。
END