工作的故事(日本語訳 お仕事のはなし)


その1運送業

 現在(98年7月末)故あって仕事が無い。そんなわけでアルバイトの毎日である。 といっても仕事を探しながらのアルバイトなので、定期的な仕事が出来ない。やむを得ず 日雇いで働いている。
 最近よく行くのは、新宿の運送会社のアルバイトである。仕事の内容は、 引っ越し手伝いや、移転作業などいわゆる肉体労働である。 日給は6000円。以前は同じ仕事でも10000円くらいはもらえた物だが 最近不景気らしい。もっとも不景気のお陰で仕事が多いと言う話もある。 会社の倒産やリストラによる部課のパージなどで、移転作業の仕事が増えているのである。

 ところで先に「アルバイト」と書いたが、「アルバイト」と言うより 「日雇い労働者」と言った方が正しかろう。と言うのは一緒に働いている人たちが、 普通「アルバイト」と聞いて思いつくような、「フリーター」「学生」という 人たちの集団とは少し毛色が違っている。「無職(私はこれだ)」「失業者」「世捨て人」 「住所不定」「夜逃げ経験あり」「ギャンブルで身を落とした」「アル中」「前科あり」など社会 でつまはじきにされそうな、曰くありげな人たちが集まっている。

新宿という街がそういう人を呼び集めるのか。
それとも新宿とは元来そういう人たちの街なのか。

 前日に電話で予約すれば誰でも仕事にありつける。ただしその後実際に新宿まで行っても 必ずしも仕事がある訳ではない。色々な事情で予約を入れたのに土壇場で仕事に来ない人も 少なくないため、少し多めに予約を受け付けているのだ。あぶれると「ああ、今日もう仕事無いから 帰ってくれ」の一言で追い返される。私も一度そういう目に遭ったことがある。お陰で 次の日は食べる物が無かった。早く行って受け付けを済ませてしまえばよいのだが、集合時間ギリギリ に行くとこういう目にあう。労働法上問題がありそうな物だが、実際に行って「受け付け」を 済ませた時点で「労働契約」が締結されたとみなされるらしく、問題にはなっていないらしい。 このお話はそんな日雇労働に携わった私のある日の仕事の記録である。

 7月半ばの連休のある日、私は前日に予約を入れ、アルバイトに行った。7時頃集合だが 6時過ぎには家を出る。新宿の朝は独特の雰囲気がある。祭りの後の後片付けの日に 似ている空気がある。その中を日雇いの仕事に出勤していくと、場末感がますます強くなる。 社屋の裏口から入って行くとまず受付け用紙を渡される。「ほら、これに名前を書け!」 とぞんざいな口調で管理者が受付け用紙を放ってよこす。初めての頃は「むっ」としたりもするが、 すぐになれた。所詮日雇い労働者は使い捨ての道具にすぎないのである。 立場はこちらが弱いのだ。仕事をもらえるだけ有り難いと思わなければ ならない。
 つかの部分に歯形のついた古ぼけたボールペンで名前と住所を書き、 今日の分の登録をする。但し、住所や名前などは証明する必要は無いため、 本当の事を書く必要はない。そして恐らく正確に書いていない人も少なくないだろう。 汚れた作業服に着替え、薄暗い廊下に座り込んで自分の名前が呼ばれるのを待つ。 たばこを吸う人が多いが、こんな所に「嫌煙権」などというものは存在しない。 壁には今月のスローガンの横断幕が貼られている。「一人一人が指差し確認を実行し、 作業事故ゼロ化をすすめよう!」とか。数十人の作業者が私と同じようにして 座っている。しかし、誰も口をきく者はいない。たまに常連に会うと、一言二言 話をするだけである。しかし身の上ばなしは一切しない。お互い聞かれてはまずい事が 多すぎるのだ。ここで自分の登録した名前が呼ばれるのを、じっと待つ。
 8時になると、社内体操の時間である。作業員の健康管理のために一斉に体操する ことになっている様だが、だれもやる者などいない。自分の健康よりもっと大切な物を 無くしてしまっているからだ。貝のように下を向いて押し黙る日雇い労働者たちの上を、体操の 音楽の放送が淡々と流れて行く。最早建前上体操をさせているという体裁を作るためになった音楽と 、妙にさわやかな掛け声だけが流れて行く。

 2時間半ほど待たされて、名前が呼ばれ始めた。名前を聞きそこなうとせっかく受付けしても 仕事を失う。そのためさっきまでじっとしていた我々は一斉に受付け窓口に押し寄せる。 名前は当然呼び捨てで呼ばれる。作業員の数が多いので名前に「さん」など付けていられないの が大きな理由だが、そんな上品な職場ではないという理由もある。そして誰も「さん」付けで 呼んで欲しいなどと思う者などいない。作業員はいろいろなことがあって 自尊心などはとっくに失ってしまったからかも知れない。
 私の名前が呼ばれた。「お前、下のトラックの前で待ってろ。」という指示が出た。

 トラックの前で待っていると、指示を出した社員が他一人の日雇い労働者を連れて近付いてきた。 その社員は事務的に淡々と指示をはじめた。「あ〜、今日は移転作業です。 これから二人でドライバーと一緒に 八王子へ行ってもらいます。地図にある所で荷物を積み込み、日野へ行って半分下ろし、 多摩で全部下ろします。お客さん待っているので時間に遅れないように。 積み込むリストはこれです。荷物の扱いにはくれぐれも気を付けてるように。 じゃあ、事故を起こさないように行って。」


ドライバーに挨拶してトラックに乗り込む。
   トラックには運転席の横に助手席がついているが、通常3人乗る事ができる。しかし、 叛旗であるため、3人乗りのトラックが間に合わなかったらしい。私は助手席と運転席の 間にあるトランクの上に座る事となった。出発して数分で背中と腰が痛くなるが、 文句を言ってはいけない。そもそも待遇が悪くても文句を言わない事が日雇い労働者 には期待されているのだ。期待されていると言うよりも、文句を言う様なら仕事は やらんぞ、と言うほうが正確だろう。
 トラックは一路八王子へ進む・・・と言いたいところだが、ドライバーが埼玉県の北部 から呼ばれたため、新宿周辺はおろか都内の道路事情に詳しくない。というか全く知らないため、 私が地図を見ながら誘導する事になった。もう一人の作業員は年齢的に40位であるため、 車の運転については私より経験が豊富であるはずだが、何故かやろうとしない。 何か人より多くの仕事をやろうとすることを、かたくなに拒否しているようにも見えるので 私は黙って引き受ける事にした。
 私のたどたどしい誘導のせいで、私たちのトラックは渋谷の方まで行ってしまったが、 ドライバーの方は気の良い方で、苦情の一つも言わずに私の言う事に従ってくれた。 幸いこちらの方は道路を私が知っている数少ない場所の一つであり、どうにか首都高 へ乗る事が出来た。
 その日は連休の初日という事もあって首都高の下り線は渋滞していた。トラックが 会社に到着したのがそもそも遅れていたため、顧客との待ち合わせの時間に間に合いそうも無い。 「渋滞してますね。」というドライバーのつぶやきがきっかけで、我々は少しずつ話をするように なった。「世の中は連休ですからね。まあ、私たちには関係無いですが」という私の皮肉に 「まったく、連休なんか作るなっつーの、渋滞しておれたちゃいい迷惑だよなあ」 もう一人の作業員が言う。「それもそうですね、はっはっは!」気の良いドライバー が応じる。堅気の仕事をしている彼は、連休があったほうが有り難いはずなのだが、 話に応じてくれている。その気持ちに答えるべく、この渋滞を避ける方法を地図を見ながら 考えることにした。フロントガラスを通して照り付ける夏の日差しが焼く太腿の上に地図を 置いた。揺れる地図の上の道を目で追いかける。
 このまま中央道を降ったところで、下道で行ってもたいして時間は変わらないだろう。 ここはいっそのこと下の甲州街道へ出たほうが速いのではあるまいか。 そう思ってドライバーに提案すると「そうですね、そうしましょう」とあっさり承知してくれた。 高井戸インターを過ぎ、中央道に入ってしまっていたので、調布で降りる事にした。 しかし、調布までが厳しい渋滞に捕まってしまった。1時間かけてほんの数百メートルしか進まない。 顧客の某大手会社との待ち合わせ時間は11時であるため、最早間に合いそうも無い。 土曜日だから、半日のつもりで出勤してきた顧客の皆さんには申し訳ない、なんとか あまり遅くならなければいいが、と考えていると同じ事を考えていたのかもう一人の作業員が 「ああ、こりゃ怒られるなあ」いう。ドライバーが「いやあ、しょうがないっすよ。 3人で頭下げましょう。」と答える。「はぁ、しょうがないですね、こんな日ですから」 と私が言うと、黙っていながらもみんな同じ事を考えていたのだな、と考えたのか、 奇妙な連帯感が生まれ気がした。いや、私がそう思いたいだけで勘違いかもしれない。 しかしそう思いたい何かがそこにはあった。
 調布インターで甲州街道へ降りるとこちらはまずまずであった。しかし 混雑している事に変わり無い。やはり進むスピードは遅く、まだ行程の半分も来ていないのに、という 私たちの焦りもむなしく約束の時間が過ぎていった。

 八王子に着いたのは2時前だった。幸いにも顧客の移転担当の方はいい人で、遅れて来た 私たちのために荷物の積み下ろしを手伝ってくれた。しかし、荷物の多さには閉口させられた。  書類のぎっしり入ったダンボール箱が40箱。これを3階から階段と渡り廊下で一階に下ろし、 トラックに積み込まなければならない。階段が狭いので手渡しで運ぶ事にした。 この仕事はちょっともう一人の作業員には大変そうなので、私が一番きつい階段を担当する事にした。 移転担当の方には最上階、ドライバーの方には休んでいてもらいたい事だがそうもいかず、 トラックの前での積み込み作業をお願いした。トラック荷台への積み込み方はコツがいるので、 本職の方がよかろうと思ったからだ。台車を使うなど工夫をしたにもかかわらず2時間近く かかってしまった。
 終わり次第会社で出された弁当をすばやく食べ、すぐさま日野へ向かった。どうやら 人員の配置替えらしく、ダンボールの中身は個人的な荷物も多いようだった。私だったら 個人的な荷物は自分で運ぶだろうが、大きな会社の社員とは自分の会社に負担をかける事を 何とも思わないのだろうか?それとも他のところでしっかり会社に絞り取られているの だろうか。まあ、どちらでもよい。私は所詮ただの日雇いである。
 日野まで移転担当の方も同行する事になった。といっても乗る場所はないので、 私が荷台に乗る事になった。コンテナの中なので窒息しないかとドライバーの方が 気を使ってくれたが、心配は無用である。中国ではもっとひどい車に乗って旅をしていたのだ。 コンテナの中は蒸し暑く息苦しかったが、耐える事が出来た。私の数少ない特技の一つである。 日野に着くと心配してくれたのか、ドライバーの方がコンテナの扉を真っ先に開けてくれた。
 荷物を日野で降ろした。一階に荷物を降ろし、いくつかパソコンを積み込んだ。 ここで担当の方とはお別れ。手伝ってくれたお礼をして日野を離れ、多摩へ向かう。 多摩へ着くと多摩営業所の方が2人待ってくれていた。3階まで荷物を上げなければいけないから、 私たちだけでは大変だろうと、手伝いに来てくれていたらしい。
 しばしば大手企業の社員は金の事ばかり考えていて、人間味が無いという批判を目にするが これは根も葉もない言いがかりだと思う。人間の情を汲む事に長けていなければ、 大きな仕事が出来ないのは当たり前の事なのだ。まあ、ひがみたい気持ちも分からないで はないが。私もその一人だ。こんなことを書くのはひがみたくもなるような人に この営業所で出会う事になったからだ。40個近い重いダンボールを、 3階に待っていてくれた社員の皆さんと2時間かけて上げ終わって、最後にパソコンを上げ 、梱包を解いたところで後ろから怒鳴りつけられた。
「ああ、さわっちゃだめ。おまえらみたいなのにはわからないだろうが、これ高いだぞ!」
振り替えると中年のスーツを着たいかにも「お偉いさん」という人が立っている。 そういえばこの人はさっきからクーラーの効いた部屋で、テレビを見ていて手伝いもしなかった。
「ああ、課長、大丈夫ですよ、この人たち本職だから」
 社員の方が間に入ってくれる。
ただの日雇いだけど、パソコンぐらいいじれるわい!
と、言葉が喉元まで出かけるが、せっかくの社員の方々の気遣いを無にしてしまうのも 悪いので黙っていると、その「課長」はいかにパソコンが難しいかを説きはじめた。
「これはな、マウスっていうんだぞ、安そうに見えるが高いんだからな!おい!聞いてるのか!」
無視してパソコンの接続を始める。さっき作業中に社員の方にHPを作っている事を話したところ 接続と初期設定を頼まれたのだ。私が手際良く接続しているのに気がついて、ばつが悪そうに 奥の部屋に引っ込んで行った。「日雇い」「現場作業員」と言う職種に対する世間の目は こんなものであろう。そういえば就職の面接で、アルバイトの内容を聞かれて「現場作業員」と 言っただけで露骨に嫌な顔をする人事も結構いる。私は「現場作業員」という仕事に対する 偏見が全くなく、それどころか最も崇高な仕事だと本気で思っているので、何が卑しいのか 全くわからない。見当すらつかない。知ってる人がいたら教えて欲しい。
現場の作業員がいなければ、上の方でいくら高級な議論してもそんなのは机上の空論なのだぞ。
大卒だからやむを得ずキャリアを目指しているが、本当は現場の方に私は憧れる。
 作業が終わって台車をトラックに積み込んでいると、作業を手伝ってくれた社員の方がやってきた。
「さっきはわるかったね。どうもあの人、あれだからさ、ごめんなさいね。」
いいえ、気にしませんよ、と答えると、いやあ、ほんとに申し訳ないと頭を下げてくれた。
「どころで君は学生なの?」
と、社員の方が聞く。
「いえ、もう卒業したのですが、いろいろあって就職できないでフラフラしています。」
「そうかあ、それは大変だね、じゃ、これはアルバイト?」
「はい、日雇いですが。」
「きつい仕事なのに働くねえ、君は。日給とか高いんでしょ?」
「いえ、6000円です」
「ええっ!こんなにきついのに何でそんなに安いの?」
「まあ、不景気ですからね。アルバイトの賃金下がってるんですよ。」
と無難な所話を落ち着けようとしたが、
「どうして?もっといい仕事あるでしょう?」本当に分からない、という顔で聞いてきた。
「いやあ、こういう仕事好きなんですよ。」
「・・・好きって・・・ええ?」

私は何か変な事を言っただろうか?





戻る