あらためて田舎暮らし

 書店に行くと、田舎暮らしに関する本が増えたような気がする。不動産情報から体験談
、田舎での暮らし方など、都会にいながら情報を手に入れやすくなった。
 都会よりも田舎で暮らしたいと思ってる人がいかに多いか、ということなのか。
ただ、気になるのは定年でリタイヤしたら田舎にでも、というのが多いような気がする。
実感として、田舎に来るんだったらなるべく早い、若いうちに来たほうがいいと思う。
 しかし、若いうちは田舎にいこうなんて思わないんだよなあ。よほど自然志向が強いとか
都会でなくても暮らしていける仕事を持っているとかでないと。
 
 定年になったら田舎にでも行ってのんびりと。という考えを仮に持っていたならば改めたほうがいいと思う。自然が豊か。空気が美味しい。ただそれだけの考えしか持ってなくて
田舎暮らしをするのであれば、ちょっと危ないかなあ。都会の便利さが強く身体にしみついている人ほど。自然と利便性は比例しませんよ。

 先日、久しぶりに上京した。表現が古いなあ。まずは、新宿の西口へ。この風景を見ると
つくづく今いる所は田舎だなあって実感する。何を比較してそういう事を言うかといえば、やはり、人ごみや、交通量、氾濫した情報、空気の質、などなど。
 ここは、住むところではないなと、つぶやきながら足はますます人ごみの中へ。
人の流れに乗るのにしばらく時間を要してしまった。
 あちこち回って、東急ハンズから紀伊国屋書店へ行った。ここにいる時だけは都会のほうがいいなと、勝手な事を思いながら、歩いているといるいる、田舎暮らし関係の本を手にとっている人が、いや人たちが。かつての私の姿とラップさせながら見ていて、なんか懐かしい思いを感じた。
 あの頃は、宝島社の「田舎暮らしの本」ぐらいしかなかったような気がするが、今はそのての本に加え、実際の田舎暮らしをしている人のエッセイとか、たくさんあった。
確かに、実際 IターンなりUターンを実践した人の生の声をつづった書籍は大変参考になるように思うし、また、そのような本を望んでいるのではないかと思う。
 そういう事を思うと、今こうして私が書いているのも、少しは参考になるのかなあと思って
しまった。
 よく、田舎って何?と聞かれる事がある。都会と田舎のはっきりした線引きはなんだろう?都会で生まれ育った人が、ちょっと辺ぴな、人里離れたところに行った場合、「田舎だなあ!」と口にしてしまう、そんなところが田舎なのであろうか?まあ、それはそれでいいと思う。思うに、素のままの自分をごく自然に出せるところ。飾ることなく、見栄を張ることなく、常に自然体で生活できるところ。それが田舎かなあ。
 どっぷり田舎★北信濃
 祖父母の田舎が、今いるところから、さらに北へ行った飯山線沿線の新潟県堺に近いところにある。ここ八ケ岳の麓に決める前に、この地も候補に上がっていた。
 やはり、ここも若い人は村を離れ過疎化が進んで空家が多く、ぜひ定住を考えてみてくれと、いろいろ空家を案内してくれた農協の課長さんに熱く語りかけられました。
 確かに自然に囲まれ、魅力はあったが冬の雪の深さ、まだ高速道路も長野新幹線も
形が見えてなかった当時のことで、東京へのアクセスなど考えて、候補からはずしてしまった。
 小さい頃、夏休みとなれば毎年訪れていたここでの思い出も数知れず。
五分と歩かない距離に千曲川が流れていてそこで泳いだり、虫取りをしたり。
カブトムシやクワガタなんていやになるほど目にした。ホタルも自然に乱舞していたし
ヤギを飼っていてヤギの乳の味も忘れられない。雪国独特の曲がり家という造りで中には
囲炉裏があっていつも大きな鍋がかかっていて何かがぐつぐつ煮えていた。
 高校のとき友達を連れて冬に行き、餅つきをしたり、スキー板を担いで野沢温泉や戸狩まで出かけたり。楽しかった思い出がよみがえる。ただ、用意してもらったスキーが竹でできたストックで、板もすごく長かったりでちょっと恥ずかしかったのを覚えてる。
 今思い出すと、あの頃の環境が田舎と呼んでいい世界だったように思う。囲炉裏でくすぶる煙の匂い、風呂の炊きつけで燃えてる薪の匂い、草の匂い、気持ち悪いほど星が見える
夜空。素朴な料理。
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