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「まあ。ホタルだわ?」 カブリオルが手をたたいて言いました。今年はじめて見るホタル。カノンとフーガは、生まれてはじめてです。 「ニャャャャン?」 ふたりはとってもふしぎそうに、おひげをふるわせ鳴いています。 「デンポー。」 ホタルは言って、ひらっと舞ってゆらめくと、ほんのかすかに出窓のガラスをたたきました。 「ごくろうさま。どう? あがっていかない?」 カブリオルはそう言うと、コップの花瓶を、そくざに出窓に置きました。コップには、オダマキの花が一輪、さしてあります。かわいらしいその花びらは、ちょうど夜のちいさい妖精のための、ランプの傘にうってつけのかたちに、はずかしそうにうつむいています。夕暮れ色の、赤味をおびたむらさきと、黄色い線の入った、スタンドランプです。 「やあどうも。それじゃ、えんりょなく……。」 ホタルはうれしそうに、おしりのあかりをふくらませながら、カブリオルのそっと開けた、出窓のすきまをすりぬけて、オダマキの花びらのなかへ、よちよち入りこみました。 こうしてホタルがひと息つきますと、オダマキの花びらには、生き返ったようにやさしいランプの火が点るのでした。 カブリオルはいつも、夏になると、夕方の郵便屋さんを、こうして迎えるのが好きでした。それもちょうど、お空に一番星があらわれるころ。 「ところで、きょうはどんなおたより?」 カブリオルは、ランプの花びらにほんのり映る、ホタルの影にたずねました。 カノンとフーガはめずらしそうに、おしりのあかりをつけたり消したりする、この黒い虫を、傘からのぞきこんではみつめています。いまにも、ちょいちょい手をだしてひっかきたくなるのを、ふたりとも必死になって、こらえています。カブリオルのだいじなお友達ですもの。 「きょうはですね。とっておきのですよ。」 ホタルは、傘のなかから、じつにうきうきした声をあげました。ランプのあかりも、たちまちいきおいをましました。 「ねえきみ、ひょっとしてそれは、あのことかい? つまりその、もしかしてお空にかんけいあることとか。翼にかんけいあることとか……。」 クモの坊やは、もじもじしながらこうききました。 「お空? 翼?」 カノンとフーガが口をそろえてさけびます。 「そうですね。たしかにかんけいありますよ。では、さっそくお読みしましょう。」 ホタルの郵便屋さんは、そう言うと、ちいさな穴のぷちぷちあいた、葉っぱのお便りを、花びらの傘のなかにひろげました。 「読み上げます。 ザブトンノ雲ノ天使、コンヤ天使ノ翼ヲ受ケトリニ来タル。チッポルノ丘ノ上空ナリ。翼ヲモテ、ミナアツマレ。羽根ヲモツモノタチ、天使ノ翼ヲカカゲ、丘ノマ上ニトドイタ天ノ十字ヲメザシ飛ビタテ。集合場所・カデシ家ノ庭。以上、星ノ精ヨリ。」 「すごいなあ。」 みんなはこぞって拍手しました。クモの坊やは、わめきました。 「なんてぐうぜんだ! ぼくはじつに、これとまったくおなじことを、この家の子ねこたちに、言いにきたのさ。まさか、ホタルの電報がこうして、わざわざここへ届くなんて、思わなかったからね。」 たいそうこうふんしたようすで言いながら、クモはピーナッツの揺り椅子から身をのけぞらすとわざと息をひそめて話をつづけました。 「それはそうと、差出人をきいたかい? なんたって、星の精からだぜ。こりゃあもう、天使からじきじきにたのまれたのにちがいないさ。」 「ほんとだわ。」 カノンがうなづきながら、ふと思いついたようすで言いました。 「でもふしぎね? そんな電報が、どうしてこの家の、この部屋にとどいたのかしら? たまたま今、ここにいる、クモさんは別としても、ふだんここに暮らしているのは、たいていあたしたち子ねこと、カブリオルと、カデシさんがすこしだけよ。そんなあたしたちのもとに、たよりがくるのはなぜかしら? 今夜翼をお空へとどける、羽根をもつ仲間にも入れない、あたしたちに……。そりゃあとってもうれしいけれど、あたしたちには、これといって役に立つことは、なにもできないのに。」 夕やみのにじみはじめた西の空を、上目づかいに見上げながら、カノンがうっとりした声でつぶやきました。ひときわあかるさをまして来た、よいの一番星に向き合いながら。 「それはきっと、ひとつには、ここの庭が、集合場所になっているからでしょう。」 ホタルはそっと、花びらのすきまからはい出して、ランプの傘のてっぺんによじのぼりながら、ていねいにこたえました。 「この家の庭が、このあたりの生きものたちにとってかっこうの集合場所になるのは、なにも今にはじまったことではありません。それでわたしも、今夜ここへお届けするのにも、ちっとも疑問に思いませんでしたよ。それから、もうひとつには、このお部屋のちょうどま下が、つまり、えんのしたですが、そこが今回の天使への贈りものをしあげるのにおおきなコウケンをされた、クモさんたちの織物工場になっているからではないでしょうか。」 「そいつはぼくも、思ったよ!」 クモの坊やも、すかさずピーナッツの揺り椅子からはねおきるなり、そう言いました。 「そうよ、そうよ。いろいろいろいろ、ろろろ……。とにかくきっと、みんなかげながら、うちにはお世話になってるからだよ。なにかとさ!」 フーガが、おひげのつけねをクシャクシャにしながら、言いました。 「それにほら、そんだけじゃないよ! カノンちゃん、わすれちゃったの? こないだなんて、あたちたち、ひとだすけ、じゃなかった、ムシだすけまで、しちゃったもんね。」 こうさけぶうち、自分でもこうふんしてきたフーガは、お鼻までフンフン鳴らしていばりました そしてとうとう、おおきなくしゃみをまたひとつ、しました。 「そうそう、ありがたいこってさ!」 クモも小首をふりながら、肩をそびやかして話を合わせました。 「おまけに、やわらかくて、ゆうしゅうなその胸のお毛々まで、拝借させていただきまして。」 「ハイシャクってなあに?」 フーガがお顔をなめる手をとめて、目をぱちくりさせながら聞きました。 「どんなしゃっくり?」 「お借りした、使わせてもらったってことよ。」 カブリオルが、フーガの耳をつまみながら、先生口調で教えました。 「でも、それでこんなすばらしい知らせをもらって、見物できるなんて、すてきなことだわ!」 カノンは、そう言っておもわずシッポをぴくぴくっと、わななかせました。まるで電気がはしったみたいに。 「だけど、見物とはいっても、ぼくら、いっしょに天までのぼっていかれぬものたちは、いったいどこまではっきりと、そのケッテイテキ瞬間を、この目でみられるかどうかは、疑問だぜ。」 クモがもっともらしくつぶやきました。二本の前足で、うで組みしながら。 「ケイテキキッテキクシュンカンって?」 フーガが首をかしげました。 「天使がくしゃみするところ?」 「そんなわけないでしょ。」 カノンがあきれてシッポをたたきました。フーガの背中にわざとぶつける、やりかたで。 「天使に、あの翼がわたされる、瞬間ってことよ。」 カブリオルが、フーガのおひげをツンツンひっぱって言いました。 「ほんとに、おくりものは天使にとどくのかしら? そのとき天使は、姿をあらわすのかしら? 今夜こそだれかが、見とどけるかもしれないわ。もちろん、だれにも見えないってこともあるかもしれないけれど。」 カノンがひとことづつ、かみしめるようにつぶやきました。 「なにしろこれまで、一度だって天使の姿を見たものはないのだからね。おくりとどけにいく連中じしんがだよ。」 クモも、こっくりうなづきながら、あいづちをうちました。 「ましてや、ぼくらなんかは、なおさらさ。ついこの間の糸玉にしろ、自分たちで作っておきながら、いざ天使にわたるところを見られないんだ。まして天使の姿なんか。わかるのはただ、それらしい、なにかの信号みたいなものさ。ありがとうって、きらめく光とか、風にそよぐ、うれしそうなうた声とかいったね……。まあ、それで充分なのかもしれないけれど。それはうつくしい合図には、ちがいないのだからね。ともかく……。」と、クモは足を組みなおして言いました。 「今夜ぼくは、それがみたいよ。」 「そうね! 天使はお礼に、お空になにをくれるかしらん?」 カブリオルも、片手でカノンのながいシッポをつまみながら、ビスケットをむしゃむしゃかんで、言いました。 「それにしても、きょうのお空の天使は、めずらしく、夜空にあらわれるのね?」 ふとカノンが、耳のうしろをくりくりなでていた、かぎの手をとめて、問いかけました。 「こんなことは、はじめてさ! ぼくの知るかぎり。」 クモの坊やは、前足をたたいてさけびました。 「とくべつの、とくべつの日!」 フーガがわめきました。 「なにしろ、昼間はずっと、どしゃぶりだったもの! あれじゃいつもの時間には、会いたくたって会えなかったわ。それにしても、……どうして今日ぢゅうなのかしら。」 またふと、カノンは考えこみました。が、 「きっと、天使もよっぽど待ちどおしかったのね。」 そう言って、ひらりとシッポをもちゃげました。 「ひょっとすると、今夜はとびきりすごい星空になるのかもしれないわ。だってほら!」 カブリオルが、げんこつで机をたたきました。 「あれほど雨が降ったあと、いまはこんなに風が舞って、ガタゴト、窓をたたきはじめているもの。きっと重たくてぶあつい灰色の雲を、いまどんどん吹き飛ばしてくれているんだわ。」 「それじゃあ、わたしはこれで。いそいで帰らなくちゃ。みなさんも、これにそなえて、夕べの食事はお早めにとっといてくださいね。わたしも風がやむまで、とりあえず家へもどりますが、天の十字星が丘のま上にとどくまでには、みんなをあつめて、もいちどここへやってきますから。」 ホタルはそう言い残すと、オダマキランプのてっぺんからポトリ、と机におちました。いえ、おりました。 ランプは消えました。そのかわり、ホタルは自分のおしりのあかりをつけたり消したり、こまめに合図をおくりながら、吹きすさぶ風のなかへ、ふらふら飛びたっていきました。雨のほうはすっかり止んでいます。 「ばいば〜い!」 フーガはさけんで、ふと振り向くと、カブリオルにたずねました。 「ねえね、ホタルさんちってどこ?」 「あの樅の木のうしろよ。お水をはった、畑のなかだわ。みんなで光のおしゃべりするときは、いっせいに樅の木にとまるのよ。まるでクリスマスツリーみたいに、にぎやかなんだから!」 カブリオルは、はしゃいでそう言いました。 「夏の、クリスマスツリー!」 カノンもグルワン、のどをならして言いました。 「さあ。それじゃぼくも、おいとまします。そろそろ夕飯の時間だもので。ちょうどおなかがへってきたし、それに早めにたべとかないと! そうそう。ぼく、ちょっくらみんなより先にここへ来て、織りあがったばかりの翼の完成品を、ぜひきみらに見せてやるよ!」 クモは早口でまくしたてました。カブリオルが、窓にほそいすき間をつくりました。 「わい。みせて! きっとみせて!」 カノンとフーガが歓声をあげます。 ヒュルルルル……。窓のすきまから、くるったように一じんの風が舞い立つと、お庭のさきに、ちいさなたつ巻をおこしました。ノバラの白いはなびらが、口笛ふきのじょうずな風の妖精をのせて、くるくる渦を巻きながら、空へのぼっていきました。 「それじゃほら! あたしたちも早いとこ、お食事すませないと。天の十字が丘のま上へ来るまえに。」 カブリオルがふたりの子ねこをせきたてました。 「またね、クモさん。」 カノンとフーガは手をふりながら、出窓をころがり下りていく、クモの坊やの後ろ姿を見送りますと、わあいわあい、飛びはねながら、キッチンへかけて行きました。 「ねえ、カブリオル! 天の十字ってどんな星?」 「カノンとフーガの大好きな、白鳥座じゃないの! もちろん。」 スプーンでおなべをたたきながら、カブリオルがこたえました。 「ハクトージャ! デデブ!」 みんなの声が、廊下ぢゅうにひびきわたります。 ガタゴトゴト……。ほのぐらい夕やみ色にすっかりそまった家ぢゅうの窓ガラスが、風にゆすぶられ身ぶるいしながら、三人の影絵をとり囲んで、ちらちらと映し出していました。テーブルの黄色いあかりの灯る下に、みんなの影が、湯気をかこんであつまるころには、夜のとばりはもうすっかり落ちていました……。 「ほらみて。ここんとこ、とびきり光ってる!」 「そこはね、シジュウカラたちのくれた羽根がつまってるんだ。水色がかった銀の糸みたいで、すてきだろ?」 「ここの金色のまじった白は?」 「そいつはただ、キセキレイが、足のつけねの白い羽毛をくれたなかに、すぐとなりの黄色い毛まで入れちまったんだろ。でも、なかなかのアクセントさ。」 「白っていっても、いろんな光のがあるのね。」 カノンもフーガも、カブリオルも、みんなできたてほやほやの、天使におくる翼の織物をながめながら、口ぐちにそう言い合っています。 いつの間に、ほうぼうから集まってきた小鳥たちも、綿毛をもった草花たちも、みんなこぞってじぶんの羽根のつめ込んである場所をさしては、えっへん、おっほん、いばり合っています。 おおぜいのホタルたちが、目印に点してくれた、樅の木のライトをめざして、野や森ぢゅうの羽根をもつ仲間たちが、もうずいぶんそろってきました。カデシさんの家のお庭のまん中には、暗闇にともるかすかな炎のように、青白い光を放っている天使の翼が、チッポルの村のおおぜいの仲間たちに、ぐるり、まわりを取り囲まれています。 「もうそろそろね?」 ワタスゲの精が、わた雪みたいなベレー帽をちょこんとのせた頭をもたげて、そっとささやきかけました。 「そうだわ。合図をかけましょう。わたしたちが先頭を行って、みちびきましょうね。ホタルたちにも、手伝ってもらうわ。」 タンポポの精も言いました。 ちかくのしげみで、一羽のトラツグミが、フィー、フュー。よわよわしげな笛を吹きました。 みんなは、丘のほうを振りかえり、それからにわかに列を組みはじめました。 ホタルたちが、樅の木を飛び立って、ほのかに宙に浮きあがりました。そして、丘へとつづく小道づたいに、草のしげみや道の両がわのトネリコ並木に、つぎつぎと飛び移っては、小鳥たちの行く手に明かりを照らしていきました。 あるものたちは、地面に近づいて、カノンとフーガの足もとをそっと照らしてくれました。クモの坊やは、カノンの長いシッポのさきにつかまって、ゆらゆら揺れて進んでいます。ちょっとあぶなかしいけれど、フーガのよりはずっとらくだし、目がまわりません。 カブリオルは、暗闇に咲くユウスゲの花を一輪、つみとると、そのラッパみたいにつき出した、目にもあざやかな黄色い花がさのオシベの杖に、ホタルを呼んで五匹もつかまらせました。こうして、ばかに明るい懐中電灯ができました。 カブリオルはいさましく片手をふって歩きながら、もう片方の手にはユウスゲの懐中電灯をさげその光を道にあてて行く手をしめしてやりました。 列のいっとう後ろのほうから、小鳥たちとおしゃべりしながらチョコチョコ先を歩いている、カノンとフーガのしっぽが、ユウスゲのライトのなかをゆらゆらゆらり、カチャンコカチャンコ、いそがしく上下してみえます。カデシさんも、星座表をもって、そのあとにつづきます。 ホタルたちは、ゆ〜らゆら、踊る光で宙を舞い、子ねこたちの目のまえを、浮いたり沈んだりしながらまわっています。そのあい間を、いくつもの流れ星が、またたく間に通りぬけていきます。そんなふうに、あちこちに光がうごめくので、カノンとフーガは目がまわりそう。お空にかがやく星たちと、迷子の星のようなホタルたちのあかりの区別も、ままなりません。 カデシさんは、歩きながら、ときおりみんなに星座の説明をしてくれます。ユウスゲのライトをお空にかざしては、ひとつひとつ、めだつ星座にスポットを当てて、うみへびだの、カラスだの、おおぐま、こぐま、いろんな動物たちを黄色い光線で、宙に描いてくれました。 でもカノンとフーガには、ほこりのようにうじゃうじゃと、いろんなお星さまがあちこちで息をしているので、なにがなんだかよくわかりません。星座表で見るよりずっと、たくさんの星がこんばんはをして、まばたきしながらカノンとフーガをみつめています。 カデシさんが線でむすんだ星座と星座の間からも、ちいさな星たちがたくさん顔を出してきて、ちかちか手をふっています。おまけにホタルたちまで、めちゃくちゃに空を飛びかって、邪魔をします。ふたりはすっかり頭がこんぐらかりました。 「めえめ、じゃなかった。ねえね、あすこに長いながい、雲が泳いでるよ!」 フーガが目をこすりこすり、わめきました。 「ほんと! 風さん、あんなに吹いても、お空の雲をすっかり追いはらえなかったのね。」 カノンも、高いお空のまん中をつらぬいて通っている、もやもやしたうすい帯をシッポでさすと、ちょっぴり惜しそうにそうさけびました。 「ばかだなあ。きみたち! あれが天の川じゃないか!」 クモのぼうやがどなりました。 「あの帯は、雲じゃないの。星でできてるんだぜ。」 小鳥たちも、チクチクピー。けたたましくさえずり合うと、みんなでどっとわらいました。 「天使はあの、ミルクの帯にのって来るのよ。」 タンポポの精がささやきました。 「お星さまのぎっしりつまった、ミルクの帯に。」 さて、チッポルの丘のまえに、みんながたどりついたとき、原っぱのま上には、ヘビつかいが、いまちょうど一匹のおおきなヘビをつかんで、天たかくかかげたところでした。そうして、そのあとを追うように、ゆうゆうと羽根をひろげた白鳥が一羽、あらわれました。小さなたて琴が、そばでうつくしい音をつまびく中、天にながれるミルクの帯のまん中を、丘の上空めがけて飛んでくるのが見えます。 「白鳥さんだ!」 「天の十字だ!」 みんなは口ぐちにさけびました。白鳥は、やがて天の川のほぼまん中までやってくると、二三度おおきく羽ばたいて、ゆるやかに舞い降りました。 「白鳥さんの降りたそばでポロンポロン鳴ってる、あのちっちゃなたて琴は、あたしたちのつくった琴よ。いつかの冬の日、あたしたちがつまびいて、天使にあげた琴なの!」 ヒガラたちが、かぼそい声でたからかに、そうさえずりました。 「あの中には、機織りの娘さんがひとり、かくれていて、天の川のむこうの恋人ともうじき会うことになっているんだよ。白鳥さんのくちばしをはさんだ、向こうがわの星の、男の子にね。」 カデシさんが言いました。 とふいに、クウクワッツ……白鳥がひと声あげました。それと同時におおきな翼を天の川いっぱいにひろげたのです。と、それきり白鳥は、翼をとじようともせず、ちょうどミルクの帯のまん中に天の十字をえがいたまま、じっとたたずんでしまいました。 みんなは白鳥と、その翼の橋の両側でまたたく、ふたつのお星さまをじっと見つめました。 とその時、白鳥は、ぐっと首だけそらしたと思うと、ちょうどまっすぐに落ちてきた、一粒の流れ星のコンペイトウを、いまにもくわえようとしました。が、コンペイトウは、白鳥のオレンジ色と水色にまたたくくちばしを、あっという間にすりぬけて、お空のむこうへすっとかくれてしまいました。 「ああ、もうすこしだったのに。」 フーガがペロリと舌をだして、ざんねんそうにつぶやきました。 「みどり色した、おいしそうなコンペイトウだったわ。」 カノンもがっかりしました。 「でも、ああした流れ星のどれかにのって、天使の合図がやってくるんだとしたら、やたらにたべられちゃ、まずいのさ!」 クモのぼうやが、知ったかぶりして言いました。 そのとき、一つの矢が、丘のちょうどま上あたりの、どこかの星座で放たれました。おおきな流れ星です。流れ星の矢は、たいそうながい尾をひきながら、白鳥の右の翼をすりぬけて、アンドロメダの大星雲めざしてまっすぐに飛んでいきました。大星雲の中心に、矢の先がみごとにささったそのとたん、いくつもの兄弟にわかれた流れ星たちが、大星雲の玉手箱から打ちあがった花火のように、こぞってつぎつぎ、飛びだしてきました。 「あっ! 流星群だ。」 カブリオルがさけびました。と、その時でした。このさけび声をきっかけに、羽根をもつ地上の仲間たちが、たちまち空へ舞い上がったのです……。みんなして、クモの職人たちの織りあげた、真珠色の光をはなつ、うつくしい天使の翼の織物を、くちばしでそっとくわえながら、元気よく羽根をはためかせ、夜空にむかって舞い立ちました。 キョキョキョキョキョ……。林のむこうで、なにかせきたてるように、ヨタカが鳴いて、みんなに声援をおくります。みんなは、いよいよいきおいをますと、ぐんぐん空を昇っていきます。 やがて、天使の翼は、まるでひとりでに夜空にはためくように、ふうわり、ふうわり、風にたわんで浮かんでいます。そしてゆっくりとはばたきながら、天の川めざして昇っていくのでした。 丘のふもとで、これを見あげるカノンとフーガは、もう声もため息もでませんでした。そう、息もつかず、ただじっと、首が痛くなるほどいつまでも、この光景を見まもっています。…… キョキョキョキョキョ……。みんなの影が遠のいたぶん、ヨタカのするどい連続音だけが、やけにあたりに響きわたって聞こえます。ほかには、もうなにも、聞こえてはきませんでした。そんな時間が、しばらくの間つづきました。 「いま、とどいたと思うわ。」 カブリオルが、そっと口をひらきました。 「かさなったようだね。」 カデシさんも、声をひそめて言いました。 白鳥のひろげた翼をつないでいる、五つの星の十字架めがけて、みんなのとどける天使の翼の織物は、もやもやとゆらめきながら、かすかににじんだ白いえのぐの川のなかを、のぼっていくと、やがてさいごにひとつ、ゆるやかにはためいたその瞬間、一羽のみごとな白鳥に、とうとうぴったりと重なり合ったのです。 「ニャオ〜ン!」 カノンはふと、けものの遠ぼえのような声をあげました。ふだんとはちがう、ふりしぼるような声です。と、つぎの瞬間、それはそれはものすごいいきおいで、たちまち丘をかけのぼっていきました。そのまま息もつかず、カノンは丘のうえにそそりたつ、一本のポプラの木を、いっきにかけ上がって行ったのです。フーガも、これを見てからだぢゅうのとりはだをたてると、カノンを追いかけ、シマシマもようの背中をまんまるにして、全速力で丘をかけあがっていきました。もちろんフーガにとっての、全速力でしたけれど。そして、カノンを呼びながら、やっぱりいっきに、……のつもりでしたけれど、ときどきずるずる、ずり落ちながら、ようやくカノンのいる梢に、たどりつきました。 ふたりの子ねこは、ポプラのてっぺんで、なかよく背中をならべながら、まだまだ遠い、お星さまの円天井をあおいで、白鳥の十字とひとつになった、天使の翼を見まもっています。 白鳥の星座をおりなす星たちが、かわるがわるウィンクをしては、地上に信号をおくっています とくにおおきな、白鳥のしっぽは、ひときわ元気にまたたいています。 「デデブ、デデブ!」 フーガはそればかり言いました。ほかの星の名前は、ちょっとむずかしかったのです。 カノンは、アルビレオという、白鳥のくちばしのお星さまが好きでした。オレンジとソーダ色の双子のお星さまが。こまかくまばたきしながら、ありがとうって、言っています。 ふたりはシッポをくりくりさせて、よろこびました。 と、そのうち、白い翼はまたひとつ、きらりとおおきくはためいたと思うと、おやおや? まるで風船でもしぼむように、くしゅくしゅとちぢみはじめたではありませんか。 気のせいかな?って、ふたりは思いました。でも、それはたしかにすこしずつ、ちぢまって、やがてやぶれたクモの巣みたいに、たよりない渦をまきながら、夜空をただよいはじめました。そうして、いつしか白鳥の、右の翼のほうへ寄りあつまると、なにやらタバコのけむりのような、ちいさい星のかたまりになってしまいました。 白鳥の十字のわきばらの、もやもやした星のあつまりは、ちょうど「?」の文字そっくりに、いまにも消え入りそうになりながら、天にながれるミルクの川のなかに、ふわふわ浮かんでゆれています。 「あれが、白鳥座の、網の星雲だよ。」 カデシさんが、カブリオルに教えました。 たったいま、出来たばかりに思えたのに、もともとあそこにあっただなんて。カブリオルは、ちっとも気づきませんでした。 もしかすると、天使の糸玉って、あんなふうなのかなぁ。ポプラのうえでは、カノンとフーガがやっぱり「?」のかたちをしたおなじ網の星かげをみつめながら、思っていました。 と、そのときでした。糸玉みたいな、もやもやしたその網の星雲から、ツゥーとかぼそい一本の糸が、ほどけたように見えました。ほどけた糸は、ちょうど天からおりるつり糸のように、丘のうえのポプラめがけて、まっすぐに降りてきたのです。 それは、クモの糸でした。糸は、カノンとフーガの目のまえの、ポプラの葉さきにくっついて、よい足がかりをつけました。と、まもなく一匹のクモが、それをつたってみるみる空から降りてきたではありませんか。 「やあ!」 クモは言いました。 「クモさんだ! おかえりなさい。」 ふたりの子ねこは、さけびました。 「みんなといっしょにお空へいってたの! ちっともしらなかったわ。」 カノンが言いました。 「どうした? ぶじ、わたせたの?」 フーガが、耳をぴんぴんはりつめて、さっそくクモにたずねました。 「たぶんね。」 と、クモはこたえました。 「たぶん?」 カノンが、ちょっとがっかりした声で、聞きかえしました。 「そうさ。でも、手ごたえのある信号が、あったんだ! ありがとう、っていってた。みんな、そう感じたのさ。きみたちも、下で見ていて、わかったろ?」 「みんなの翼が、白鳥さんの羽根にとどいたと思ったら、白鳥さんのシッポとくちばしがきらきらして、そしたらきゅうに、翼の織物は、みるみるちぢこまっちゃったわ。」 カノンが、見たとおりをクモに話してきかせました。 「そおそ。それであっという間に、糸玉みたいにかたまっちゃったよ。そしたらじき、あんたがするする降りてきたの!」 フーガもそう、わめきました。 「あっはは。でも、ぴったりかさなってみえただろ? 天使の翼と、白鳥とがさ。」 クモは、わらって聞きました。 「見えた、見えた。」 ふたりがはしゃいでこたえました。 「ぼくらが白鳥の、星の十字に、翼の織物をなげかけたとき、白鳥ときたら、首をこっくりしてウィンクしたんだ。となりの琴座で、琴の音がポロンポロン、はじけたよ。お礼のうたさ。それからまもなく、ぼくらのおくりものは消えたんだ……。そこらぢゅうでまたたく、星のなかへね。ちょうど白鳥の羽根のわきに、ほら、見えるだろ? ふわふわと、けむりみたいな渦をまいてる、綿毛のすじがさ? あのすじ雲のあつまりの中へ、翼の織物は、ふいにほどけて消えてった。それはもう、あっという間に! 吸い込まれるようにして。」 クモのぼうやは言いながら、白鳥座のわきの、けぶたい雲を指さしました。 「それはそれ、星雲よ。白鳥座の、網状星雲!」 丘のふもとで、カブリオルがいばってさけんでいます。 「さあ、あんたたち。もういいかげんに、降りていらっしゃい!」 「ニャオ〜ン!」 カノンとフーガは、ふたりそろってお返事すると、いっきにポプラをかけ下りました。クモのぼうやも、あわててカノンのシッポにしがみつき、いっしょに梢を下りてきました。 こうしてみんなが、丘のふもとにそろってならんだその瞬間、 キラ、キラ、キラ……。あちこちで、ロウソクの火がまたたいたと思うと、あたりがきゅうにあかるくなりました。 ゆっくりと空を舞い降りてくる、ロウソクのあかりたちは、お星さまの分身のように、ゆらゆらとゆらめきながら、みんなにあいさつしています。 そう、ホタルたちです。ホタルたちが、帰って来たのです。……と、その後を追って、ふわふわふわり。こんどは綿毛の精たちが、つぎからつぎと夜空の闇を舞い降りてきました。白いパラソルをくるくる、右に左に回しながら。 ピチュピチュピー、チュクチュク……。さいごに、さかんにおしゃべりをかわしながら、羽虫や小鳥たちの群れが、丘をめがけて降りてきました。 「みんな、お帰り!」 「お帰りなさい! ごくろうさん。」 カノンもフーガも、カブリオルも、カデシさんも、クモのぼうやも、せいいっぱい拍手しながらみんなを迎えました。 いつのまに、林のむこうから、ヨタカのけたたましい鳴き声が、キョキョキョキョ……休みなくこだまして、みんなをねぎらいはじめました。まるで拍手みたいに聞こえます……。 帰り道、カノンとフーガは、先頭にたって歩きながら、なごりおしげに何度も夜空を見上げました。また、流れ星がいま、白鳥座から矢のように放たれました。そして南の空の山脈の、とんがり帽子のむこうがわに、ゆっくりと沈みかけている、さそりのシッポのまっ赤なお星さまを、ちょっぴりかすって逃げていきました。カノンちゃんよりもっと長い、あおじろい尾を、お空にすっとひきながら。 「天使ったら、今夜もはっきり、だれにもわかるほんとの姿をみせてはくれなかったね」 だれか、小鳥のひとりが早口でそう言いました。 「ほんとほんと! なんだかお礼のメロディと、あいさつみたいな合図だけは、してくれてたみたいだけどさ。どして姿をみせてくれないんだろ? あたしたちが贈ったあの翼をつけたところをちょっとでいいから見せてくれたらよかったのに。」 別の小鳥がもっと早口で、ざんねんそうにさえずりました。 「ねえカデシさん。どしていつもあたしたち、翼をつけた天使の姿をみられないの?」 カノンが、そっとカデシさんにたずねました。 「それはたぶん、翼をつけた天使が、天使のほんとの姿じゃないからさ。」 カデシさんは肩をすぼめて、しかたなさそうにこたえました。いつかの夜も、話したように。 「ふうん…。」 カノンはちいさくお鼻をならしてうつむきました。 「だが、みんなは今夜、こうしてたしかに、天使に会えたじゃないか。」 「たしかに?」 フーガがさけんで、たずねました。 「会えた?」 カノンももう一度、聞きかえしました。 「そうさ。」 カデシさんは、そううなづきました。 「天使はたしかにお話したし、みんなはきっと天使に出会ったんだよ。いやあ……出会ったというより、」 「出会ったっていうより?」 フーガがぴょこぴょこ、跳びはねながらききました。 「きみたちが、いま起こったお空のできごとをみている間じゅう、天使はきみたちのなかに降りてきていたのにちがいないんだ。もちろん、お空にとどけにいったなかまたちひとりひとりにも、宿っていたろうね。」 カノンとフーガは、けげんそうな顔でカデシさんを見上げました。 「そうさ。なにも今夜にかぎらなくとも、みんなはしじゅう、天使と出会っているはずだし、ときにはこうして、天使とひとつになっていることだって、あるはずなんだがなあ。そう、おそらくそうと気づかないうちにね。気づかない…。だがたしかに、天使はたびたび、地上に降りてきているんだ。みんなのところへね。」 「ほんとなの? カデシさん!」 「ああ、ほんとだ。」 「プレゼントなんか、もってないときでも?」 「翼なんか、わたさなくても?」 「もちろんさ。ただし、天使の姿のままでなく、だれかの心や姿や、地上のなにかの形をかりてね。」 パイプをぷかぷか、ふかしながら、夜道のなかで、カデシさんはそうつぶやきました。…… |
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