子ねこと赤い風船



 一匹の子ねこが、赤い風船をみつけました。ふわぁりふわり、風に揺られて頭の上を泳いでゆく風船を・・。
「あいつ、何処へいくんだろ?」

 子ねこの兄弟たちはみな、お母さんと一緒に身体をなめなめ、お昼寝していましたけれど、自分はなんだか、ちっとも眠たくないのでした。ゆらーり、空に浮かんでは降り、降りてはまた浮かぶあの赤い風船が、気になって気になって、仕方ありません。

 子ねこは風船のやることなすこと、朝から じっとみつめていました。

 赤い風船は、子ねこのいる空き地の上を行ったり来たり、しばらくただよっていましたが、やがて追い風に吹かれて、ふいとそこを通りすぎたと思うと、いっきに公園の門をこえてゆきました。子ねこはいそいで跳ね起きると、風船を追いかけ走っていきました。


 ぶらんこの前に、おとこの子がひとり、立っていました。どこかもじもじしたようすをして。
「どうしたの?」赤い風船が、おとこの子に声をかけました。
子ねこはそっと、草かげからそのようすを見ていました。


「このブランコ、ぼくがとったんだ」 誰もいないブランコのまえで、おとこの子がいばっていいました。
「うん。よかったね」 赤い風船が浮きあがっていいました。
「ぼくがとった。このブランコ! でもぼく、い、いま…おしっこがしたい」
 おとこの子は、たいそうもじもじして風船に言いました。


「そうか!わかった。じゃあぼくが、ブランコのくさりにからだを巻いて待っててあげるよ。はやく行っておいで」
 風船はふわっと舞いあがると、しっぽでおとこの子の肩をたたいていいました。

「うん!」 おとこの子はあわててかけていきました。
 ――そうしてじき、戻ってきました。


「あぁよかった。あったあった!ぼくのブランコ」 
 そう言うと、男の子はお礼もいわずブランコに飛びつきました。そしてそのまま片足で土をけると、ぶらんこをこぎはじめました。

 風船は、ちょっとだけかなしくなりました。が、かなしんでなどいられません。だっておとこの子ときたら、めじるしだった自分をブランコのくさりに巻きつけたまま、もうぐいぐい、こぎだしましたもの。…でも、なんだかへたくそです。あんまり高くあがりません。


 さて、となりのぶらんこに、もうひとりのおとこの子がやってきました。そのおとこの子も、元気にこぎだしました。それは、いきおいよく、みるみる高くたかく、あがりました。

「ちぇ。」 それを見ると、もといたおとこの子は口をとがらし、おこって風船にいいました。
「おまえがくっついてるのに、ぼくのぶらんこったら、どうしてお空の近くへあがらないのさ?」

 するととなりのおとこの子が、ぶらんこを止めていいました。
「あっはは。そんなの、ぶらんこのせいでも風船のせいでも、ないやい! そうだ、もしぼくがそっちのぶらんこにのったら、どんなに高くあがるだろうな?ひょっとしたら、雲だってつかめるかもしれないぞ!」
「そ、そんなことないよ、ぼくだって空までとどくやい」
「へん。じゃぁやってみろ!」 
 ひとりがぶらんこを降りました。


「い、いやだい、それでおまえ、そのすきにこっちのぶらんこを取ろうっていうんだろ?」

 ……やがてふたりはとっくみあいをはじめました。


 赤い風船は、そっと首を振りました。いつのまに、ぶらんこのくさりを するり…とぬけて、風船はふわふわ逃げていきました。  ――――子ねこはまた、いそいであとを追いかけました。


 やがて赤い風船は、うつくしい花園のうえを通りかかりました。
「なんていいにおいなんだろう。ほっとするよ」
 そう言ってゆうらり、回転しながら、そこへ降りてゆこうとしました。風船のながいしっぽが、うつくしい花びらのうえをかすめないよう、何処に降りようか迷っていたとき、一羽のチョウチョがむこうからやってきました。


「やぁ!こんにちは。このあたりは、なんていい匂いがするんだろう。」
風船がチョウチョに話しかけました。
「それは、この下にバラたちが咲いて、あたりにいいかおりをばらまいているから。」
チョウチョが、そうこたえました。

「きみは、これからそこへ降りるのかい?」
「そうさ。……バラの花びらへ。そこがぼくのいばしょ」
「じゃ、ぼくも降りよう」

チョウチョは、みごとな白いバラの花びらに、じょうずに降りました。
バラの花はいいにおいをさせながら、うっとりとしたようすでチョウチョに蜜をあげています。赤い風船もまねをして、となりの赤いバラめがけて降りようとしました。
 でも、うまく降りられません。バラの茎にはトゲがあるからです。
 風船は、バラの上をしばらくの間、行ったり来たりして浮かんでいました。


「あなたはだれ?」 ちょっとじれた声で、赤いバラの花がいいました。
「ぼくは風船だよ」 宙に浮いたまま、赤い風船がこたえました。

「いったい何をしに来たの?」
「いいにおいを放つきみのところへ、ぼくも降りたいんだ。」

するとバラがこういいました。
「チョウチョさんは蜜をすいながら、私の魔法の粉を、からだぢゅうにつけて、どこか別な場所に行ってばらまいてくれるわ。それはそれはうつくしい、わたしの子供達を、この地上にふやすために。……で、あなたは?」

「え?」 風船はどろきました。
「あなたは、降りて、わたしに何をしてくれるの?」

 風船は言葉を失いました。と、ふいに風船のまるいからだが宙をすべり、おもわずバラのトゲをそっとかすりました。
「いたい!」 風船はふたたびおどろき、ふうっと舞いあがりました。そして半分泣きながら、そのまま空高くたかく、のぼっていきました。

 花薗のかげから、ずっとようすをうかがっていた、子ねこもあわてて追いかけました。 が、風船はどんどん舞いあがり、みるみる小さくなって空へ消えていきました。


 子ねこは泣きながら、とほうにくれて空をみあげていました。
 
 空をぐんぐんかけのぼりながら、赤い風船は思いました。
 『ぶらんこが雲にとどく、なんて言うくらいなら、ぼくのからだが雲のところへとどくくらい、きっとかんたんなのにきまっている。』
 風船はちょっと得意になってうなづくと、さらにぐんぐん、あの白い雲にむかって、のぼりはじめていったのです…。

 おや?――あれは何でしょう。なにやらまっ黒い軍団が、だんだんと こちらへ向かって来ます。それはカラスのむれでした。

「お。何だ、あの赤いやつは。風船じゃぁないか。」
 一番先頭のカラスがさけびました。

「めずらしいものがいた!クチバシでさして、みんなで寄ってたかってつぶしてやれ!」
二番目を行くカラスが、そう言って後ろにつづくみんなに呼びかけました。 

 それを聞いておどろいたのは、風船のほうでした。たいそうあわてて、もっともっと高く、いそいで昇りはじめます…。

 と、しだいに不気味な黒いかげのむれは、「カヮー・カヮー」くやしそうな声で鳴きかわしながら、ゆっくりゆっくり遠ざかり、やがて見えなくなりました。――――

(あぁ。やれやれ、たすかった…)
 赤い風船は、ほっとしました。 でも、ふたたび目をあげると……。おやおや、ついさっきまで、あそこまでのぼって、自分もとどいてみようかな、と思っていたあの白い雲は、いつしかもっともっと上空を、わたあめのようにふわふわ、気持ちよさそうにただよっているではありませんか。

「なんてこった。いつのまに…よぉし!あきらめないぞ」
 風船は、ぐんぐんからだを押し上げて、さらにさらに、空の高みをめざして舞いあがりはじめました。でも、――雲はなかなか近づきません。さっきのカラスのさわぎで、たいそう体も疲れていました。

(あぁ、くるしくなってきた。うう・・いよいよ、息ができなくなりそうだ…。)
 風船は、もうじきハレツしそうになってきました。
(でもがんばらなくちゃぁ……いちど決めたんだもの。だけど、あぁ、くるしい…)
 「ハ・ハァァァッ!」………とうとう、風船はうっかり息を吐き出してしまいました。―――すると、どうでしょう。
 ひゅるひゅるひゅる……風のような音をたてて、風船のあのパンパンにはっていた、赤いからだが、あれよあれよという間に、しぼんでゆくではありませんか。ともう、あとはまっさかさまに落ちていきます。
地上はぐんぐん近づいてきていました…。風船は気をうしないました。

             *

 気づくと、風船は、やわらかい、黒いシッポにトントン、と話しかけられていました。
「やぁ。やっと目を開けてくれたね?」 

黒いシッポのもちぬしが、そっといいました。


子ねこでした。


「心配したよ。ぼく、ずっときみが降りてくるのを待っていたの」
「あぁ、あぁ!ぼくはなさけない」 と、風船は急にさけびました。その身体は、落ちるとき、だいぶ息を吐いたおかげで、なんだかすっかりしなびています。
「地上にも、空にも、ぼくの いばしょ が無いなんて」
 そう言うと、はげしく泣き出しました。

「そんなことないよ」 子ねこが元気に言いきかせました。
「ぼくといっしょに遊べるじゃないか!ずっと、待っていたんだよ。それに、ほら、そんなに泣くと、しなびたからだがますますしぼんぢまう!さぁ、ぼくが息を吹きかけてあげるよ!」 

そう言うと、子ねこは思わず黒い手をあげました。風船のやせたからだに触ろうとしたのです。……と、あっ。と小さな声をあげて風船がふいにたじろぎました。

「どうしたの?」子ねこは目をまるくして聞きました。そして自分の黒い手をみつめました。……あげた手のひらから、ほんのすこし自分のツメが、むき出していました。

「やぁ、ごめんごめん。そうか。こわい思いをしたんだね?このツメに驚いたんだ…。きっと、バラのトゲかなにかと思ったんでしょう?」
「ツメ…、トゲ…、クチバシ…。なんだか、知らないけれど…」
 そう、泣きじゃくりながら、風船は声をふるわせて子ねこに言いました。

「きみは、そのとがったものを持って、ぼくをどうしたいのさ?」

「え?――」 子ねこは、しばらく黙りました。そして、きゅうに悲しくなりました。しっぽがたれて、からだぢゅうがしょんぼりしました……。

「やぁ。……ごめんよ。」 風船がそっと言いました。こんどは自分もしょんぼりして。
子ねこはすぐに気を取りなおしました。

「いいさ…きみがこわがるのは、仕方がないもの。」 ぼんやり自分のツメをみつめながら、子ねこはそうつぶやきました。

「えへへ。たしかに手入れをしなくっちゃぁ。」子ねこはあぐあぐ、ツメをかみはじめました。とがった先を丸くするために。

「おや?」 と、ふいに風船がさけびました。
「ねえ。きみのツメの袋ってば、ぷよぷよしてとっても柔らかそうだねぇ」
「ツメの袋?」 子ねこはきき返しました。
「あぁ、ウフフ。これは、にくきゅうというのさ。そうそう、それに、このツメときたら出したり引っ込めたりできるんだよ」
「ほんとなの?そうか。それじゃぁそいつを引っ込めて、このぷよぷよの、柔らかいところでぼくをたたいておくれよ」
 子ねこはよろこんでそうしてやりました。

「あぁ、いい気持ち。ちっともいたくも、こわくもないや」
 そうして、赤い風船は何だか元気になりました。

 よぉし。――風船は、すぅーーっ、と息を吸いはじめました。からだもまた、だいぶふくらんできました。
 それから子ねこと赤い風船は、しばらく遊んでとってもなかよしになりました。


「そういえば、ぼくはおなかがずいぶんすいていた」 子ねこはきゅうに、思いだしたように言いました。

「そうだ、ぼくの母さんと兄弟のところへ、いっしょに行こう!」
「うん。」 風船はたいそうよろこんで舞い上がりました。そして、ヒモのしっぽを子ねこの黒いシッポにすばやく巻きつけると、ふわ〜り・ふわり 宙をただよいながら、地面につかずはなれず、子ねこの後についていきました。楽しそうに からだをはずませて。
                 *

 母さんねこと子ねこたちは、赤い風船をとってもめずらしがりました。子ねこたちは、パンパンにはってはずむ風船のからだに、こぞって触りたがります。
「あぁ、これこれ。うっかりおツメを出したらいけないよ」 
 母さんねこが言いました。


 そうして、風船はだんだんと、とがったものをこわがらなくなり、また子ねこの兄弟たちも、ツメをたてずに風船となかよくする遊び方を、おぼえていったのですって。――――

 そうそう。いつまでもなかよく……。              


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背景画像:Watanabe Seraさん
SeraさんのHP:http://www.tcn-catv.ne.jp/~sera/

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