クモの吟遊詩人とオルゴールの出来事




 クモの詩人が歌っていた。

 糸をつむぎ、はりめぐらせては、
 待ちこがれつつ歌っていた。

 ひとの心のよろこびを。
 ひとの心のはかなさを。

 或る時、クモは思い立った。
 誰かの役に立ちたいと、
 誰かの心をそいつの代わりに
 歌ってやろう、
 そうして別の誰かへと、
 そいつの心を伝えてやろう…。

 誰か私を要りませんか?




 或る朝、クモは散歩をしていた。屋敷のなかへ忍び込み、広間のガラステーブルにそっとそぉっと近づいていった。テーブルのうえにはオルゴール。透き通ったプラスティックの円蓋(ドオモ)のなかに、ピエロがひとり閉じ込められて、オルゴールのはた織り機械のハンドルを、キーコラキーコラ、廻していた。そうしていつも悲しい音を奏でては、恋しいよ、逢いたいよ、ここを出たいよと呟いていた。

 「どうしたのさ? 何がそんなに悲しいのかい?」 クモはピエロにそうたずねた。
 「このお屋敷の嬢ちゃんの、机のうえの、オルゴールの、なかでひっそり暮らしてる、あの可愛らしい踊り子に、逢いたくて逢いたくて! だけど、ぼくは出られない。ここから一生、出られはしない。いつも離れて見ているばかり。たまに、あの子のオルゴールの、重たげな蓋がギイと開き、あの可愛らしい踊り子が、くるくる廻って踊る姿を、こうして遠目に見ているばかり…。ああ、どうしたらいいんだろう? ぼくは、一体どうしたら」
 
「残念だけど、ぼくにはどうもしてやれない。ぼくにはこんな、プラスティックの円蓋(やね)なんぞ、こじ開けるだけの力もない。だけど、何とかしてやりたい。何かいい方法で、彼女に君のその思いを、伝えてやれると思うんだ。ぼくは詩人。歌うことしかできないけれど、何かきみから、ぼくにたくせる言葉はないかい? ぼくが代わりに伝えよう。」

 「それではたのむ。こう云ってくれ。ぼくは君のことが……いいや、恥かしくってとても云えない。そうだ、せめて君の姿が、また見られるのを、毎日毎日、願っていると。」

 クモはさっそく向かいの部屋へと忍び込み、机の足をたどってのぼり、オルゴール箱に近づいて行った。そしてどうにかこうにか、木彫りの重い蓋の隙間をぬって降りては、暗がりのなかで眠っている、かわいい踊り子の耳もとで、クモはそおっとささやいた。
 「広間をごらん? あの透き通った円蓋(やね)の、オルゴールのなかに佇んでいる、あわれなピエロが歌っているのを。
 『ああ!愛らしい踊り子よ! 毎日毎日、君の姿の見られる時が、待ちどおしくてたまらない、いつだって君に会いに行きたいぼくだけれど、どうしてもここを出られない。』ピエロはいつも、そう呟いてる。君から何か、やつに伝える言葉はない?」


 踊り子はそれを聞くと、ふいにはらはら涙をこぼして こう云った。
 「私もたまに、ネジの巻かれる音がして、眠りから醒め、この蓋が開くとき、心が震えてしかたがないの。あのひとが見える。透き通った光のなかであのひとが私を見ているのが見えるわ。そう想いながら、一生けんめい踊るのよ。くるくる、もう目が廻るほど…。やがて踊りつかれる頃、蓋はふたたび閉じられる。そうしてまた泣きくずれ、そのまま眠りにつくのです。薄ぐらい、少し寒い、この部屋のなかで…」

 「なんて悲しい言葉なんだ。」 クモの詩人はそう云うと、また真っ先にピエロのもとへ飛んでいき、彼女の言葉を伝えてやった。自分も涙をこぼしながら。

 「ああ、何てことだ!」 ピエロは嘆く。 「ぼくに、何かできることはないのか? ああ、何かできることは…?」 
 ピエロはおろおろ歩きながら、悲しげな目をしばたたかせ、一心に何やら考えはじめた。


 「ぼくは、オルゴールの番人だ。音の番人だったのだ。こんな、使い古しのではない、新しいメロディを心をこめて奏でよう。精いっぱい。あの子に届きますように!」

 そうしてピエロは、いつもとまる切り逆廻りに、思いを込めてハンドルを廻した。とげだらけの円筒も、いつもと逆にくるくる廻り、くしの歯状の、はたおり機の鍵盤も、とげをはじいてつまびいて、ひとりでにこぼれはじめた音列(セリエ)は、なるほど今まで一度たりとも聞かれなかった、それでいて何処か懐かしげの、記憶をさかさにたどるような、不思議なメロディを奏でていった。。。

 と、クモも思わず口を開き、いままでにうたったこともない不思議な詩を、ひとりでに呟きはじめた。そのうたは、いつしか透けた糸となり、クモのおしりから休むまもなくつむぎ出されては、虹色の光の精を、上下にすいすい、つたわせながら、ふうわりふわりなびいたと思うと、いつのまにやらオルゴールの、プラスティックの円蓋(ドオモ)のなかへと入っていった。

 ……そうして音のはたおりの、銀のくし歯の合間をぬって、それはみるみる纏いつき、こきりこ、きりこ、絡まっては、小鳥の巣のようにふわふわの、あたたかそうな織物を、みるみるうちに織りあげた。

 「ぼくはこいつを、届けたい。きみの仕立てたこの織物を、きっと彼女に届けたい。」
 「わかっているとも!」 クモは自分のつむいだ糸の緒を、そっと切るなり手をたたくと、でき上がったばかりの織物を、踊り子のもとへといちもくさんに運んで行った。えっちらおっちら引きずりながら。

 「まあ! なんて嬉しいこと。これでもう、寒くはないわ?」 
 踊り子はそうさけぶと、頬を赤らめ喜びながら、さっそくクモに手伝ってもらい、薄いバレエの衣装のうえに、やんわりと綿菓子よろしきその織物を、そっとはおってこう云った。

 「まあ、あたたかだこと。すてきだわ、でもこれを着て、踊れるかしら?」
 「踊るときだけ脱げばいいさ。休んでいるとき、はおればいいさ!」
 「そうね、クモさん。どうかあの人に、よくお礼をいって!」

 と、その時…。ばたばたと廊下を駆ける足音がして、屋敷のお嬢さんがあわてて部屋へ入って来た。

 「いまさっき、おかしなオルゴールの音がした。聴いたことのないメロディだったわ!あれはいったい、なんでしょう?」

 お嬢さんは、机のうえの木彫りの箱の、お気に入りのオルゴールを急いで開ける。と、踊り子がギイという音とともに、いつものように飛び起きた。と、その踊り子の脚もとに、なにやらもごもごした、あわのような糸のかたまりが、置いてあるのを見つけてしまう。
 「なあにこれ?きたならしい! まぁ何てこと、クモの巣だわ!」 そういうとお嬢さんは、ねばねばしたその糸玉を、指でほじってえぐり取った。

 踊り子は泣き崩れ、片足の折れたまま、もう二度とくるくる廻らなくなった。クモは箱のすみに息をひそめてじっと様子をうかがっていた…。
 そうとは知らず、お嬢さんは、いつものようにオルゴールのネジを廻す。
 「おかしいな。動かなくなったわ。鳴らなくなったわ? では、さっきの音は、はたしてあっちのだったか知らん?」 
 お嬢さんはそう言うなり、今度は広間のガラステーブルへ駈け寄っていった。

 「おまえなの? ピエロ。めずらしい曲を奏でたのは?」 そう云って、ぐるぐるぐるり、ハンドルを廻してみたけれども、中のピエロはひく、ひく、ひっく。赤ん坊でも泣きじゃくるように、きしんだ声をたてるばかり。 とげだらけの円筒も、すこしも廻らなかったし、はたおりのくし歯も、とげをはじいて銀の調べを奏でるはずが、少しも上下しなかった。……

 「おかあさま!」
 「どうしたの?」 おかあさんがどこからかやって来た。

 「まあ! 二つともいっぺんにこわれたですって? おまえときたら、よっぽど蓋をらんぼうに開けたのでしょう? そうしてあんなに云っておいたのに、ハンドルを逆廻しにしたのでしょう。もう二度と買ってあげられませんよ?」

 「かってに鳴っていたんだわ? オルゴールが、ひとりでに…」
 お嬢さんは叫んだけれど、おかあさんはあきれ顔して、忙しそうに出ていった。
 「きっとあの巣をはったクモの仕業だったのだわ? いったい何処へ行ったんでしょう?」

 お嬢さんは、こわれた二つのオルゴールを、かんしゃくを起こして床にがしゃんと投げつけた。するとなかから、ピエロと踊り子が飛び出して、そのまましっかり手をとりあった。・・・

 召使いに、くず籠のなかに放られても、ふたりはしっかりむすばれていた。先につまみ出されて捨てられた、クモ糸の白い織物も、あちこち破けてはいたけれど、いたわるように、いのるように、踊り子のからだを、そっと包んでやっていた……。

                     *  *  *


 ひとりでに…ということのうらには、一つのふしぎな愛情がはたらいていることがよくあるものです。そしてまた、ひとりでに…ということのうらには、取り返しのつかないほどのだいじなだいじな、目にはみえない出来事が、よくひそんでいるものです。
 たとえクモの糸一本でも、むげにあつかってはいけないのかもしれませんよ。                  

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