シャボン玉の閉じられない輪 無器用な天使が 修行していた 神様に おそわりながら そうじゃない、そうじゃないと、 叱られながら シャボン玉づくりに 精出していた 閉じられない輪、つくるため… * 「けして閉じられない輪ですって?」 天使はさけびました。 「そんなの無茶だよ、神様! だってシャボン玉が閉じられないためには、ぼくはちっとも休まずに、一生そいつにぼくの息を吹き込みつづけなけりぁならないんでしょう? そんなこと、ぼくには出来ない芸当だ。だってシャボン玉のやつときたら、ぼくがストローに息吹き込めば、ふんわり生まれて、やがてひとつの輪になって、閉じて浮かんで離れてってしまう。だのにそれをストローから、けして離してはいけないなんて! とてもじゃないけど、ぼくには出来ない芸当だ」 すると神様は云いました。 「いいか、よく聞け。わが弟子よ。われわれの創るシャボン玉は、やがてひとりの人間になる。ごくごくか細い、クモ糸ほどの、目にはみえないストローから、天の息を吹き込まれ、やがてひとりの人間になる。だが弟子よ。人間は、すっかり浮かんでしまってはならない。われわれより高みに、宙に浮くことはできない。どうしたって地上に足を降ろさなくては、かれらは生きていかれぬのだ。重力というものが必要だ。そのために、われわれは、かれらの躯であるシャボン玉に、たえず天の息を送りつづけなくてはならぬ。この息のつづくかぎり」 「ねえ神さま!」 天使はたずねました。 「もし、ぼくの吹き込む息がよわすぎて、シャボン玉がいかにもたよりなげに、ストローの先に、ふらふらぶらさがってしまうとしたら、そんなシャボン玉の躯でできた人間は、いったいどうなってしまうのでしょう?」 「まあやってみるがよい」 神様はうなずきながら云いました。何だか決心するように。 「われわれが、地に送り込む作品は、たいていどこかが失敗している。弟子たちよ、きみたちだって永遠に修業中なのだ。まあやってみてごらん。そのうち、ましなものが出来てもこよう」 天使は内心おののきながら、虹色の魔法の液にちょんちょんちょん、とストローをつけ、目にはみえないそれはか細いストローの先に、そおっと息を吹きかけました。シャボン玉はゆっくりゆっくり、なんだか雨のしずくみたいに、それはそれはたよりなげに、ストローの端に垂れました。 シャボン玉はふらふら揺れて、虹色を帯びた躯を気持ちよさそうにのばしながら、しばらくあたりをさまよった後、ようやく地上へと降りていきました。 そして地に足がつくころには、ようやく人間のからだの形になりました。 天の息はかろうじて、目にはみえないそれはそれはか細い、一本のストローを通じて、ひっそりとかれの中に吹き込まれています。 さてこのひとはたいそう心が美しく、汚れたところのないまま育ちました。いつもふらふらと旅をして、自分の居場所をもたず、もの問いたげに空をみあげては、どこかとどこかの辺境線を一日中さまよい歩き、口からでまかせの詩を始終うたって暮らしました。でもかれの詩を、聞いてくれる人はめったにありませんでした。その詩の美しさに感心して、お金をほうってくれる人も、めったにありませんでした。食べものが少なく、かれはよく咳をしました。 或る日咳がひどすぎて、教会の朝の鐘の音とともに、道ばたにたおれて死んでしまいました。 さて、神様はつぎのシャボン玉を天使につくるよう命じました。 「ねえ、神さま!」 天使はたずねました。 「もし、ぼくの吹き込む息がつよすぎて、シャボン玉の輪があんまり大きくふくらんで、いまにも破裂しそうなまま、ぶるぶるふるえて地に降りるとしたら、そのシャボン玉の躯でできた人間は、どんなふうになってしまうのでしょう?」 「それではやってみるがよい」 神様は、またきっぱりと云いました。 「はい。では、こんどは元気なシャボン玉をつくらなくっちゃ!」 天使はできるだけいきおいよく、フフーッ、と息を吹き込みました。と、みるみるうちにシャボン玉の輪はふくらんで、あっという間に大きな大きな球になりました。 それはすぐにしっかりと地に足をつけると、わがものがおに地球のうえを歩き出しました。そしていたって元気に人々に声をかけました。ストローから、天の息が、いきおいよくたえず送り込まれてくるので、エネルギーがあり余って仕方がなかったのです。 それはほかの人びととにも分け与えられなくてはなりません。 やがてかれは、世の中の人がみな、かれと同じように勇気があって、喜びにみち、またひとの役に立たなくてはいけないと思うようになりました。かれは偉大な音楽をつくりました。そして、弱々しいひとや、内気なひとに勇気をあたえ、音楽をとおして自分の元気な息をすべてのひとにも与えることが、自分の役目だと自分にいいきかせるようになりました。 が、それはやがてかれを疲れさせました。また、ひとびとのなかには、かれにせき立てられるのをうとましがる者が出てきました。かれらは適当に喜び、適当に悲しみ、ほとんど自分のためだけに生きたかったのです。かれらはまた、世のひとびとが、みな自分たちと同じ程度の大きさと、同じ程度のいきおいで生きていなければ気にくわないのでした。 かれらは偉大なものがきらいだったので、自分たちの何千倍もおおきな、かれの音楽に、さんざんけちをつけました。 元気な音楽家は、だんだんと耳がきこえなくなり、ピエロになった気分で、とうとう死んでしまいました。 神様は、またつぎのシャボン玉を天使につくるよう命じました。 「ねえ、神様!」 天使がふたたび聞きました。 「もし、ぼくの吹き込む息が途切れて、シャボン玉の輪が閉じ、ストローからひとり離れていってしまったら、そのシャボン玉の躯でできた人間は、いったいどんなになるでしょう?」 「やってみるかな…」 神様は、こんどは少し迷ってから、苦笑いして云いました。 「でもぼく、こんどこそ失敗せず、まともなシャボン玉をつくってみるぞ」 天使はこう云って気をひきしめると、ふうっとストローに息を吹きかけました。ちょうどよいいきおいの輪が、ふんわり生まれました。ところがです。うまくいったと思った瞬間、天使はついうっかり、息をとめてしまいました。シャボン玉はみるみるうちにストローから離れ、宙に浮かびあがってしましました。輪が閉じてしまったのです。 「いかん。われわれより高みに、行ってはいかん。宙に浮いたままになってはいかん。なんとか地に足をつけさせねば」 神様はあわてて、じつにあらあらしい天の風を、シャボン玉めがけて吹きかけました。それはかろうじて、地に足をつけ、人間の形をとりました。が、ついつい自分の躯をわすれ、宙に浮かびあがろうとしました。そしていつも、何かぶつくさ、ひとりごとを云っていました。 「めがねというものは、かけていれば、そこに見える風景をわれわれの目の先に映し出す。しかし、このめがねというものを通して見ている風景は、ほんとうの風景であろうか?うそか、まぼろしにすぎぬのではあるまいか? それが錯覚ではなく、ほんとうの風景であるということを、どうしてわれわれは発見できるのであろう。」 いつまでもそんなひとりごとを言っていました。それは学者だったのです。 「まためがねを通して見えている風景は、めがね自身にぞくするのであるか、はたまたわれわれの目のがわに、ぞくするのであるか? また風景自身のほうにぞくするのであるか、うんぬん…… おや?、はて。ところで〈わたしのめがね〉は、一体どこへ行ったのだっけ? おかしいぞ。さっきまであったはずなのだが…」 その学者さんは、仕切りにひげをさわりながら、きょろきょろあたりを見回しました。 「あなたの鼻のうえですよ。(かけておいでです。)」 奥さんが答えました。 この様子を天からじっとうかがっていた天使は、首をふりふり云いました。 「神様、ぼくはめんどう見切れない」 ため息ついて云いました。神様もこっくりうなずきました。 さてこのシャボン玉のことはわすれて、神様はまた別のシャボン玉をつくるよう、天使に命じました。 「もちろんですとも。こんどこそ、成功するぞ」 天使はすごんで、でも想いをこめて、ストローを魔法の液にひたすと、ゆっくりとシャボン玉をふくらませました。……それはたいへん美しく、赤や青みがかったむらさき色の虹の線を、透き通ったその球体の膜のうえにすべらせながら、きよらかな祈りのようにふくらんでいきました。
「よしよし、もう、それでよい」 神さまはうなずきました。 みずからシャボン玉のからだになって、天使がじかに舞い降りた地上は、争いごとがたえず、血とにくしみでわきかえっていました。 「わたしはあなたがたを救うために来た」 目に見えない天使の膜に被われた躯をもつ、そのきよらかなひとは云いました。 しかし、ひとびとはそれを聞き入れず、かれをたたき、うちのめして、たてとよことに結びつけた長い木切れの十字をたてて、そのうえにかれをしばりつけ、釘を打ちつけてしまいました。 やがてその躯は息をひきとりましたので、天使はすぐに自分の息とともにたち昇り、まもなく天にかえってきてしまいました。 うつくしいものは、すぐに天に召されてしまう。そしてかえってきた天使の息は、また別のひとのシャボン玉の輪をつくるために、また生かされていくのでした。 それもこれも、天の息の閉じられない輪だったのです。 |