第2話 子ねこのカノンとフーガ、はじめて天使をまねく
                          丘のしらべをきく:後編



どれくらい走りつづけたでしょう? カノンとフーガは、ようやくやぶを抜け、はだかんぼうのブナ林を抜けて、ひろいひろい原っぱにかこまれた、まばゆい丘のふもとにやってきました。

 おひさまのスポットを浴びて立つ丘を、ぐるりとりまいているこの原っぱは、ちょうど円形劇場のように、ブナの林にまんまるにくりぬかれて、のどかな山すその土地にひろがっています。

 原っぱには、かぼそい金のおひげが、びっしり生えわたっています。すっかりわた毛をおとした枯れ草の波は、目にみえない風の手のひらに背中を押され、じゅんぐりにしゃがんだり、立ちあがったりしながら、ざわめきたっています。


 丘のてっぺんには、赤いお屋根の教会が、古いろうそく色の壁のところどころに、からからに枯れたツタの蔓べを、くねくねと何本もま横に走らせながら、まっ黒いお口をぽかんとあけて、いつまでもあくびをしたまま、ひなたぼっこしています。あかるい、あおい光をぞんぶんに浴びて!
 ちょうどいつもの、窓辺にたたずむカノンとフーガそっくりにね。              

 ふたりの子ネコは、これをみて、すっかりうれしくなりました。
 それにしても、いったい何羽の小鳥たちが、この広場にあつまってきたことでしょう?
 カノンとフーガは、イワガラミの蔓べのからんださじき席にそっとしゃがみこむと、原っぱのまあるい舞台のすそに、せいぞろいしている楽隊のみんなのようすを、こっそりうかがいはじめました。
 たて琴を持った、ヒガラの楽隊がならんでいます。 ちょうどカノンとフーガの席のまん前で、あいかわらずたよりなげのかすかな声でおしゃべりしています。すすきのたて琴の糸たちが、それにあわせてささやくように、風にたわんで揺れています。

 すぐちかくには、エナガたちもみえます。三角形のオルゴールみたいな、とっておきの巣箱がどうやらみつかったようです。
 「りっぱなチェンバロになったのね!」

 カノンが、こうふんしたように、長いシッポを小刻みにふるわせながら、ささやきました。
 「ほんとほんと! ねえね、カノンちゃんあれなあに? となりの、ちっちゃな小鳥たち!」
 フーガがおもわずわめきたて、カノンにシーッ、とお口をふさがれました。

 そう。まだ見なかった小鳥の群れもいます。ちょうどヒガラとエナガのあいだにはさまれて、よく似たちいさな群れのかげが、しきりにせわしげに、ちらちら動いています。

 それは、コガラの群れでした。もうじきむかえるクリスマスにはふさわしい、カリヨンを手に手に、モミの木の切りかぶのお椅子を、フィチチー、フィチチーとさえずりながら、上がり下りしています。そのたび、かぼそい枝の階段でできた、ヌカキビの枯れ草のカリヨンが、そっとふるえながら、いくつもつりさがった鈴の音をツリンツリン、いわせるのでした。

 そのほか、ユキヤナギのたわんだ弓でヴァイオリンを弾くカシラダカや、としとったユリの木のまん中にあいた巣穴にはいりこんで、入口にはやぶからひいた巻きヅルの糸をはりつめ、コントラバスにしたてては、ボンボンボン、ふといくちばしでつまびく、シメの夫婦もみえました。

 はて、モズ先生は、どこでしょう?
                                           
 やあ、いました、いました。双つにわれた、タラの木のとまり木のうえです。まあるいオーケストラボックスをやぶにらみして、あいかわらずいまいましげに、燕尾服の尾をふりふり、主役のピッコロ奏者、イカルの到着を待っています。とまり木の柱のトゲには、さっきのうつくしい4分の4拍子のクレープがささっています。

                     


 ギーチギチギチ‥‥、モズ先生は、歯ぎしりをして、シッポのタクトをコツコツ、とまり木にたたいていいました。
 「だれか、イカルどもに連絡をつけられるものは、おらんのか?」 
 「さっきハシバミの梢のうえで会いました。いい音をだすのに、はらごしらえをしていくとかって。」
 だれかが言いました。

 「チッ!」
 モズ先生は舌打ちしました。そうして空を見あげました。みんなも空を見あげました。

 おひさまは、まもなく丘のま上にさしかかろうとしています。空のまん中めがけて、西から東へいろんな雲が、たなびいてはおしよせてきています。かぎ針の引っかいたすじ雲、ヒツジ雲、卵を投げつけたような巻雲だのが、ほうぼうからうっすらとミルク色の膜を、おひさまのまわりにかけはじめています。その照明効果のために、原っぱの円形舞台は、こころなしかほの青く、すっ‥とあかりを落として、開演にはもってこいの条件が、もうすっかりととのっていました。
 さて、おひさまにかかったミルク色の膜のまん中には、いよいよあの、天使の雲のざぶとんが、ゆっくりゆっくり近づいてきます。

そうです。この丘のちょうどま上に……。

                    

 カノンとフーガは、胸がどきどきなりました。             



 モズ先生は待ちきれず、翼をひろげ、シッポのタクトを振りおろしました。


 たて琴の前奏がポロロロン‥‥。さいしょの音のヴェールをふりほどきます。

 と、その時です、イカルたちの笛の音が聞こえてきたのは。     

 たて琴の音にさそわれて、はじけるようなピッコロの音が、たからかに鳴りひびきました。空から放たれた矢が、地上めがけてふりそそぐよう。まるで天使のわらい声そっくりに、ピッコロの音は、入口のシラカバの柱の廊下にこだましたとおもうと、たちまち林ぢゅうにひびきわたりました……

 すると、これを合図に他の小鳥たちの楽隊が、めいめいの楽器をかきならしはじめました。小鳥たちのオーケストラは、ざわめきたち、うちふるえるようなアンサンブル。かすかな音色が、幾重にも折りかさなっては透きとおったハーモニーをかなでます。









 カノンとフーガは感激して、お空の青い円天井をあおぎました。
ミルク色の膜はいつしか透けて、おひさまはいま、ようやくあの、天使のざぶとんとぴったりひとつに重なり合い、姿を隠していくところでした。七つに色わかれした虹の輪っかが、天使のざぶとんをうっすらとかこみはじめます。とたちまち、まるで銀のパラソルをひらいたように、光の網がぱっと、空いっぱいに放たれたではありませんか。    

 (天使の投げる、光の網だ……。)


 かさなる音のさざ波のなかで、みんなはひそかに、そうおもいました。天使のわた雲を透かして何本もの虹の糸が丘をめがけて降ってきます。そのまん中を、おひさま自身のほのかな影が、ちょうど白熱電球のあかりのように映しだされていました。雲にそっと、真珠色の襟のふちどりをプレゼントしながら。

 シャロン、シャロン、ツピン‥‥。
                           

 さあ、おつぎの主役はエナガたちのチェンバロです。なんて清らな、澄んだ音色でしょう! 遠いむかしからかわることなく、ひとりでに刻まれていく、音のはた織りのようです。
 と、これを追って、みんながそれぞれの楽器をかかげ、ふたたびこのあとにつづくフレーズを、あちこちでかなではじめました。

 こうして音のはた織り機は、たおやかな幾本もの織り糸をかさねながら、天にむかって音の織物を送りだしていくのでした。

 おや、あれはなんでしょう? いつのまに、丘のうえをすじ雲の五線譜がたなびきはじめているではありませんか。クモ糸でできた五線譜は、かぼそい雲になってあたりいちめんに漂いながら、原っぱのうえを流れていきます。
 楽器をもたぬ小鳥たちも、みな飛び立って宙を舞い、原っぱのまわりの木の実や草のリボンたちも、みないっせいに舞い躍っては、光りかがやく五線の糸にすい込まれていきます。

       




 ヤマブドウの蔓が巻きつけたト音記号が舞いあがり、三本のはたおびをひく、すすきの穂の装飾線がひるがえり、エビヅルの巻きひげの、フォルテのカギがぶらさがり、コメガヤの穂のフラットがひっかかり、しては、ふき抜けの空をのぼっていきます。

 四分音符のヤマウルシの実は、テントウムシの符点をおんぶして。黒い和音をぶらさげたマツブサの実も、八連音符のズミの実も、みんなそろって列をなします。

 あっ、そういえば、四分休符はどうしましょう? 四分休符を用意するのを、わすれました! 指揮者のモズ先生は、ぎくしゃくタクトを振りつづけながら、しまった、と心のなかで思いました

 と、どうでしょう? しげみのむこうで、ひやかし半分に見物していたカラスたちが、とつぜんこの空中芸にくわわり出しました。

 黒い翼をはためかせ、クモ糸の五線譜に近づくと、大きなくちばしをぱっくり開けて、なんとそこから、しなびたコウモリの死骸をぺっぺっぺっ、いくつもはき出して行ったではありませんか!
 片いっぽうの羽根だけを曲げのばしたままのかっこうで、すっかりひあがっているコウモリのミイラたちは、みな五線のなかほどでぶらぶらひっかかりました。

 モズは一瞬ぎょっとして、その奇怪なおくりものをにらんでいましたが、それがふしぎとクモ糸の五線譜のなかで、うまいぐあいに四分休符のやくめをはたしているのがわかりますと、
 (やれやれ、助かったわい。‥‥)と、ほっと胸をなでおろしました。
 「な、なんたることを…。おせっかいのカラスどもめが。いやいや、こうしてはおれんぞ、わしだって!」
 はてさて、これを見ていたヒヨドリのおまわりさんは、いてもたってもいられなくなりました。もう〈職務〉のことなどすっかり忘れて、にぎやかな音の響きのなかへ、そそくさと入りこんでいきますと、五線の糸のてっぺんに、ところどころ、なにかをのせていきましたよ。それはゆっくりと糸のうえをはっています。……ヒヨドリがおいていったのは、なんとシャクトリムシのトリルでした。
 「ふん、でしゃばりめ。」
 指揮者のモズは、思わずむっとしましたが、それでもそこを演奏する小鳥たちは、たちまちたのしげに音をふるわせたり、ころがしたりして、じょうずに弾き方をかえましたので、音楽はかえって生き生きとしました。
 「ううむ。」
 モズ先生はちょっぴりくやしそうに息をのんで、何ごともなかったように指揮をつづけました。

 そのうち、音楽はいよいよクライマックスをむかえました。モズ先生は、いつの間に調子づいて楽団にいろんな要求をしていました。

 「くそ、流れるようにというのが、わからんかな! どうも音をブツブツ切りやがる。なめらかに、レガート、レガート!」

 すると、どうでしょう? 小川の岸辺で、そっとこのようすをうかがっていた一羽のセキレイが
とうとうみのもからさっとおどり出ました。

 スイスイ、スゥーィ。セキレイは、じつにすべらかな波形をえがいて宙を切り、空の五線譜を、わたっていきます。あっというまに、みごとなスラーが音符と音符をつなぎます。
             
           

 
 合奏は、たちまちしっとりと、水のながれのしなやかさを帯びました。
 「そうじゃ、そうじゃ、そのとおり。」
 モズ先生がうなづきます。
 「う〜ん、とってもすてき。」
 カノンとフーガはいつしか目をつむりました。夢を見ているようでしたもの。……

 さいごの和音がふんわり宙に消えたとき、ふたりはようやく目をあけました。

 小鳥たちはみな、おおきな渦を巻きながら、すい込まれるけむりのようにたちのぼり、お空のまん中へ、みるみる姿を消して行きます。‥‥おひさまの、あの光の網のなかへと。


 地上にいた、楽隊の群れも、指揮者も、みんないつのまにか消え去って、あたりはきゅうにしんと静まりかえっていました。

 カノンとフーガはきょとんとして、まわりを見わたしました。さわのせせらぎの音が、林のむこうでおしゃべりするだけです。

 「ニャワーン。いま見てたこと、聞いてたこと、みんな夢だったのかな?」
 フーガが、半分ひとりごとのように呟きました。
 「グルワーン。ふしぎな出来事だったわ。」
 カノンがのどをならしていいました。・・その時です。
                         
 ガラ〜ン、ガラ〜ン。教会の鐘が鳴りひびきました。なにかの終わりを告げるように。風によじれて、鐘の音は大きく、小さく、なりながら、なんだかお礼を言うみたいに、とってもうれしそう

に丘をかけ降りては、村いっぱいにひろがって、やがて消えていきました。‥‥  

                                    

 ふたりは、またふと、お空を見あげました。

 さっき小鳥たちが消えていった空に、あのほの白く光るはだか電球のおひさまと、ついさっきまでぴったりとかさなり合っていた、ちいさいわた雲の姿がみえます。

 おひさまのまあるい影を半分ほど、しっぽにうつしながら、だんだんとはなれていった、天使のざぶとんと呼ばれるそのわた雲は、いつのまにおなかの下から、つう、と一本のらせんのすじを、降ろしているではありませんか。すじは、先へいくほどけむりのようにほそくなって、消えています。そのま下には、このチッポルの丘が、原っぱの舞台のまんなかに、かつてないほどくっきりとおひさまの光を一身に浴びて、照らし出されているのです。

 塔の十字架は、なんだかとってもうれしそう。お話したげに、きらきら、ツンツン、またたいてみえます。なにかの合図のように。

 カノンとフーガは、さっきまでの出来事が、ほんとでも夢でも、どっちでもいいなって、思いました。それはどっちも、きっとひとつのことでしたもの。

 (ああ、これでいい気持で、ゆっくりお昼寝できる。)って、ふたりはそう思いながら、ノンノンノン。おうちへの帰り道をたどって行きました。カノンはうちまたで、おしりをもちゃげ、ゆうらゆら。フーガはフーガでカチャンコ、カチャンコ。ぜんまいじかけの、小走りに。

ふたりともシッポをつんと、お空へむかってたてながらね。

 そう、ちょうどだれかさんに、空から糸でつられているみたいに・・。

   


 さてみなさん。じつはね、これと同じころ、丘の反対がわの原っぱでは、もうひとつの出来事が起こっていたのですって。‥‥
 それは、こういうことでした。

 ひとりの少年が、枯れ草のうえにねそべりながら、このかすかな、気のせいのような小鳥たちのしらべの出来事を、夢ごこちに聞いていました。そしてそれを吸いとったおひさまと、ちいさいわた雲の重なり合った瞬間を、まぶたの裏であじわっていたのですって。

 じつはその時ふと、少年の口をついて出た言葉が、教会の鐘と重なりながら、詩になって、小鳥たちのしらべのあとを追うように、村ぢゅうに響いて行ったのです。天使のうた声そっくりに。

 そんな風のささやきに、カノンとフーガはすこしも気づきませんでした。ましてやもうじき、自分たちが、この少年と知り合うことなどは、知るよしもありません。

 さて、少年の口ずさんだ詩は、こんなものでした。        

                                  

  トゥララ、トゥララ、 ぼくは天使
  いつもきみと     いっしょさ
  トゥララ、トゥララ  ぼくは天使                 
  ここかしこに     ただよう                     ♭
                                  
  天の扉あけましょう                    ♯
  光の糸たらしましょう
  ひつじたちは     おどるおどる            
  小鳥たちは      うたうよ

  光のうたをまきましょう                         
  光の帯をほしましょう                           

  気のせいじゃないよ  ほんとさ                    
  ぼくはいるんだ    きみの目のうら                   
  トゥララ、トゥララ‥‥                            
  
 さいごに、もうひとつだけ。                       

    

 教会の白い壁のすみに、どこかみなれた娘さんが立っています。壁をはいつくばっている、枯れたツタの蔓べを前に、いろんなかざりつけをしています。

 いえいえ、じつはツタの蔓べを五線譜にして、宿題の音楽をとうとう、作りあげたのでした。もみがらやら、木の実やら、枯れ草の巻ヅルなんか、ぶらさげてね。すすきのクレープの四分の四拍子を、空たかくふりあげながら。

 娘さんは、原っぱの小鳥たちのさえずりをききながらも、頭のなかでさかんに鳴り響いている音楽を、ついさっきまで、楽譜にするのにいっしょけんめいでした。
 教会の塔のてっぺんが、ふいにきらきら輝いたとき、娘さんは丘のうえからこうさけびました。

 「ほら、できたわ! おひさま、雲さん。あんたにあげる。あたしがつくったのよ。」ってね。






 さて、ここは高いたか〜い雲のうえ。            

 丘のま上で、つり糸をピクピクふるわせながら、天使のパドは、さっきからしきりにはしゃいでいます。
                                       

 なぜって、けさはいったいどうしたことでしょう? 小鳥たちが、ふしぎとざわめきだって、合図をかわしあいながら、めいめい、すてきな音色をした、手づくりの楽器をたずさえては、なにやら相談ごとをしているのですもの。それもときおり、パドののっている、このざぶとんの雲のほうを、見あげたり、指さしたりしながら!

 そして、そのたびパドのつり糸は、ピクピク、ツンツン、ふるえるのです。うれしさにこ踊りする、パドのこころそのもののように。

 どうやら小鳥たちは、今日のこのご機嫌なパドの気配を、ちゃんと感じとっているようですよ。
 そうしてパドのつり糸も、そしてもちろんパド自身も、小鳥たちの空をみあげる、なんともいえないときめきの気持を、敏感に感じ取っているのです。

 「うれしいなあ。こんなことって、めったにないもの! お空と地上の間は、やっぱりこうでなくっちゃね。」
 天使のパドは、足をばたばたさせてそう言いました。それからまゆ毛をぴくりともたげると、
 「それにしても、小鳥たちときたら、ぼくの大好きな丘のまわりへ集まって、いったい何をはじめるつもりだろ?」
 フンフン、鼻歌まじりに右へ左へ小首をかしげながら、パドはひとりごとを言いました。

 「なにか特別のことが、おこるのかな。ひょっとすると、音楽会でもひらくのかな。やあ、きっとそうにちがいない! だってやつら、楽器なんかもって、なんだかとっても陽気そうだもの。ちょうどけさのお空みたいに。けさのぼくの気分みたいに。」

 と、どうしたことでしょう? パドがそう言いおわるかおわらないうちに、つり糸がピクピク、いっそうはげしくふるえたとおもうと、やがてゆっくりと、大きならせんをひとりでに描きはじめたではありませんか…。

 ぐる〜ん、ぐるん。それはもう、宙いっぱいにひろがるよう。
 らせんはちょうど、チッポルの丘を中心に、ゆうだいな弧を描きながら、森の木立や、小川のふちや、それにカデシさんのお家の庭の植木のまわりまで、すっかり巻きこむように、回りはじめました。すると、それぞれの場所でいそがしく動きまわっていた小鳥たちが、パドののった雲のほうを向いて、ちいさな翼をいっそううちふるわせて、なにかおしゃべりしたとおもうと、やがてつぎつぎと飛びたちはじめました。

 まるでつり糸にみちびかれるように、あっちからもこっちからも、小鳥たちの群れは浮かび上がると、丘のうえ、パドのつり糸が描いているらせんの軸をめざして集まってきます。

 それとともに、あたりにちらばっていた雲までもが、らせんを描いてまわるパドのつり糸にひき込まれるように、すこしずつ、すこしずつ、近づきはじめました。そう、もうじきおひさまとひとつに重なろうとしている、このざぶとんの雲に向かって、です。

 ヒツジ雲、かぎ針のひっかいたすじ雲、巻き雲たちが、だんだんとお空のまんなかへ集まっています。うっすらとミルク色した膜を、おひさまとパドの雲のまわりに、かけはじめました。

 でも、それにもまして、小鳥たちは、なにか約束の時間にでもあわせるかのように、たいそうせきこんだようすで、近づいてきます。ふしぎな力にますますすいよせられて、集まってくるようにみえます。
 そうなのです、小鳥たちはまぎれもなく、丘をめがけて飛んでくるのです。パドの大好きな、チッポルの丘へ。この雲のま下へ…。

 「そうさ! 小鳥たちのこころは、ぼくのこころ。ぼくのこころは、小鳥たちのこころ。手にとるように、ぼくにはわかるよ。うきうきわくわく、もうどきどきさ!」
 天使のパドは、そうわめきました。

 ひさしぶりに、天使のこころが、地上にとどいた気がします。お空の上と下とが、ぴったりとひとつにつながりはじめた気がします。いっぱいにあふれる青い光が、お空の上の気持を下に、お空の下の気持を上に、じかに伝えてくれている。なんだかそういう気がします。

 パドは、知らぬ間にらせんにつり糸をふりまわしていたその手をとめぬよう、気をつけながら、つりざおをしっかり持ちなおすと、くるりん、くるりん。こんどは丘のちょうどま上で、空中旋回させました。それも、すこしずつ、すこしずつ、つり糸を空のほうへと引き上げるように。かわいらしいふしのついた、口笛をひゅう、とならしながら。

 と、どうでしょう。イカルたちの楽隊が、その口笛とそっくりなふしまわしで、うつくしい声を森じゅうに響かせながら、いま、原っぱの舞台めがけて飛んできたのです。

 その瞬間、おひさまがきらりと輝いて、パドの雲ととうとうひとつに重なりあいました。そうして、ちょうどおひさまの姿を映しだす、白いスクリーンとなりながら、ざぶとんの雲はうっすらと淡くにじんだ、七色の光の環を、おひさまのまわりにかけはじめたのです。そう、虹のあかんぼうの誕生です。

 「さあ、いくぞ!」

 天使のパドは、これを合図にさけびました。そして、おひさまめがけて光の網をとき放ち、地上いっぱいにかけおろしたのです。トゥララ、トゥララ……。おとくいの鼻歌をうたいながら。

 すると、こんどはどうでしょう。天使のパドの鼻歌が、みるみる小鳥たちの楽器の奏でる音楽になって、地上を漂いはじめたではありませんか。おまけに天の光の網は、噴水みたいに丘をめがけてふりそそぐと、かがやく虹の糸となって、原っぱいっぱいにひろがり落ちていきました。
 と、いつしかそのなかの数本の糸が、きれいな列をなしながら、やんわりと宙を舞いだしましたよ。
 もうそこいら中のもみがらやら、木の実やら、くるくる巻いた枯れ葉のリボンなんかが、あっという間に虹の糸にからみつきはじめました。ふしぎな糸の舞に、吸いよせられるかのように。
 おや、なかにはカラスのぶらさげていった、小動物のカラカラにひからびた死骸なんぞまで、ありますよ。
 ともかく、そんなふうに、空から降りた虹の糸は、それらのいろんな音符をからだぢゅうにつりさげた、みごとな五線譜に姿をかえて、まるで日ざしにすける羽衣のようにたわみながら、丘のうえをおよぎはじめました。               


 ときおり、セキレイのすばしこい影が、スイスイとそのうえをよこぎっていきます。

 こうして、ますますなめらかさを帯びた小鳥たちの音楽が、波打つ風にゆられては、五線譜のまわりを、大きく小さく、森のほうへとこだましながら流れています。もちろんそれは、日ざしにすけるクモ糸の五線譜にかかれたとおりの音楽でした。そしてまた、それはお空の天使パドの、このうえなくごきげんな、鼻歌そのものなのでした。……

 「なんてすてきなんだ! なんてすてきなんだ!」
 パドは空いっぱいにひびきわたる、天のつばさのような声ではしゃぎました。

 「ぼくのうたは、地上のうた。地上のうたは、ぼくのうた。トゥララ、トゥララ……」
 おひさまも、小川のせせらぎも、とねりこのこずえたちも、みんな口々にそう口ずさんでいます小鳥たちの音楽とそっくりに。

 と、もうつぎの瞬間、パドはつり糸をつたってすべり降りていたのです!。ぐる〜んぐるん、空いっぱいにらせんを描き、パドは地上へ、地上へと降りていきました。……

 それはもう、あっという間の出来事でした。まさしく、またたく間に、というやつです。え? それでパドはいったい、どこへいったの、ですって?

 それはもう、パドをまちわびる、すべてのものになっていたのです。
 丘のまわりで合奏する、小鳥たちのすべてに。小鳥たちの奏でる、音楽にも、生まれ変わりました。
 そう、パドが入っていったとき、小鳥たちの音楽は、それはもう生き生きと、生きもののように息づいて、漂いはじめたのです。天使が地上に降りるって、たぶん、そういうことなのでしょうなにかが生まれ出ること、ふいになにかに目覚めたり、ふしぎなものがはたらいて、いっしょになって呼吸することなのです。

 小鳥たちばかりではありません。やぶのかげから、それをこっそりうかがっていた、ふたりのかわいい子ねこたち、カノンとフーガのなかにも、パドはいつのまに入り込んで、小鳥たちの音楽をいっしょになって聴いていたんですって! 

 それから、忘れてはいけません。丘のうえの教会の前に立っていた娘さんのことを。

 教会の白い壁の譜面と、しばらくにらめっこをしていた娘さんの頭のなかへ、天使のパドが入り込んで、ふっと宙返りをひとつ、してみせますと、娘さんは、ひらめいたようなまばたきをひとつしました。それからたちまち、壁のうえをくねくねつたう、ツタのつるべの五線譜に、木の実やもみがらの音符を、つぎからつぎとぶらさげはじめたのでした。天使の鼻歌そっくりな、ちょうしのよい歌を口ずさみながら。

 森の木々や、小川のせせらぎが、そっとささやきながら、なんだかとっておきの伴奏を、やさしく奏でてくれているみたい。まるで小鳥たちのさえずりみたいな、わたしのなかの、この生まれたばかりの音楽に……。と、そう心の中で思いながら。

 そしてね、娘さんが、「できたわ!」ってさけんだとたん、なんの気配もなかったように、あたりはしんと静まり返っていたのですって。だってそのときパドはもう、丘のむこうにつづく原っぱのなかで、まぶしそうに空をみながらねそべっている、ひとりの少年のまぶたの奥に、とっくにひそんでいましたもの。

 その少年は、なにやらふと口をついて出た、ひとりごとめいた詩を、このときそっとつぶやきましたっけ。まるで、かれが見つめている、高いたかい、ざぶとんの雲のうえで、パドがフンフン歌っている、あの鼻歌とそっくりの詩を。……昔から、このあたりを流れていた、なつかしいうたを想い出したようなすがすがしさで。

 と、もうパドはいつの間に、お空の雲のうえへもどっていました。雲はもう、重なりあったおひさまに、さようならをするところでした。パドは手をふっておひさまを見送ると、いつものように丘のてっぺんへ、光の帯を垂らしました。そしてくすぐったそうに光っている、教会の塔のてっぺんのお星さまに、つり糸の先でツンツン、いつものようにいたずらしながら、じつにごきげんそうにわらっていたのです。今日はなんていい日なんだろうって、肩をすくませながら…。

 そうしてパドは、さっき空をめがけて飛び立っては、らせん状にたちのぼる虹の糸にそって宙をわたり、やがておわりをつげる音楽とともに、ちりぢりにわかれて還っていった、小鳥たちの楽隊に、ありがとう、ありがとう、って、おおきくおおきく手をふりながら、何度もお礼を告げました
村じゅうに響きわたる、教会の鐘の音にかえて……。


 そうそう。それから、小鳥たちの演奏にうっとりと聞き入っていた、あのかわいらしいふたりの子ねこたちの、なかよくならんでお家へ帰る姿を、雲のうえからそっと見送りました。ときどき、子ねこたちのシッポをツンツン、って、つり糸のさきでつりあげながらね。まあもちろん、気づかれない程度に、そおっとですけれど。

 それからさいごに、曲を完成したばかりの娘さんの、たいそう陽気な後ろ姿も見送りましたよ。

その娘さんは、カノンとフーガのたどったのと、まったく同じ道のりを、やっぱりノンノンノン、スキップしながら、たどって帰って行ったのですって。

 天使のパドの大好きな、オレンジ屋根のあのおうちへ‥‥。 



 その晩、村に雪が降りました。





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