第3話 子ねこのカノンとフーガ、
                   天使のつり糸と翼の秘密を知る(前編)

                   
 

 それから一年の半分ほどたった、ある夏のはじめのことでした。
 雨あがりの空に、朝はやくから虹がかかりました。子ねこたちを起こすよう、虹にせかされた眠りの精は、まだねごとを言っているカノンとフーガの耳もとで、こんなふしをささやきました。

 


  カノンとフーガは  なかよしこよし
  きくばりカノンに  ずっこけフーガ
  クモの編み物    ビーズがゆれる
   気になるナ
  タンポポおでかけ  わた毛のパラソル
   気になるナ
  おさんぽ大好き   行こう 行こう
  おはなし大好き   また会いましょう
  
 で、まもなくこのとおりになるのです。
     


 
 ナデシコ色のリボンをつけた、茶トラのカノンと、ヒマワリ色のリボンをつけた三毛ねこフーガは、けさ、たいそうにぎやかな〈なりものいり〉のおもてのさわぎに、目をさましました。
 こんな朝はやくから、いったい何のおまつりでしょう? そう思って耳をすますと、ゆうべのなごりで天井のうえやら軒さきのほうぼうで、雨だれこぞうが元気に小太鼓をたたいては、きそい合っているのでした。
 「ピチャピチャポッタン、ポッタン、トン。どうだい、なかなかしゃれたリズムでしょ?」
 「トゥルルルルル‥、トットト、トットトツトトン、ツトトン、トントントン‥。どうだ、おいらの早打ち、なかなかのもんだろ」
 「トッテン、トン、トッテン、トン。トツ、トツ、トツ、トツ‥‥。ゆっくりだって、はっきりした音を出すほうが、えらいんだい!」
 なんて、口ぐちに言いながらね。
 さて、カノンとフーガはいつものように、目を覚ますとまず、のびをして、あくびをして、そろってベッドをおりました。それからふたりは、かぎのおててでお顔をあらい、舌でからだをなめ合います。それがすむと、ふたりはのどをごろごろ鳴らしながら、カデシさんのいるとなりの部屋へかけて行くのです。ちいさい鈴をチリチリ、いわせながら。
 「グルワ〜ン」
 「ニャア〜ン?」
 扉のすきまを頭でおして、入ります。
 「おや、おはよう。おちびちゃんたち。よく晴れたねえ!」
 えかきのカデシさんは、カノンとフーガをいっぺんにだっこすると、おひざにのせて言いました。
 雨だれこぞうのほうは、あいかわらずポッタン、ピッチャン、やっています。
 「うるさいなぁ。いつまでつづけるつもりだろ?」
 フーガは床におりるなり、飛行機みたいに耳のつばさをすっかりねかせて言いました。
 「ほんと! なんかますます、そうぞうしくなってきちゃったみたい。」
 カノンも、自分のシッポにあごをのせて、たいくつそうに言いました。
 「たしかに、元気がいいようだ。はてさて、けさもなにか気持のいい音楽でもながそうと思うんだが、こう、坊やたちのいきおいがいいと、どうしようか、なやんでしまうね。‥‥なにか坊やたちのおじゃまにならないようなものは、ないかねぇ。」
 カデシさんはすこし困ったようすで、カノンとフーガにきいてみました。ふたりとも、うらめしそうに首をかしげます。
 「これがちょうどいいわ。」
 その時、カデシさんの娘、カブリオルが、メトロノームを持って、やってきました。メトロノームは、カチ、コチ、カチ、コチ。礼儀ただしくきおつけをして、時計のようにきちょうめんに、澄みきった、朝の空気をきざんでいます。
 メトロノームの振り子を見あげながら、カノンとフーガはもう、おしりがうずうずしてきました。
 「おっとと、いやぁよ! たのむからじゃれないでね、おチビたち。」
 カブリオルはふたりの子ねこに言いきかせました。それから、勢いよく窓を開けると、屋根のほうをのぞき込んで、軒さきをつぎからつぎとすべり降りる、雨だれの生徒たちにむかって、こうどなりました。
 「ね、あんたたち! これに合わせなさい」
 カブリオルはいばってそう言うなり、あっ、と叫びました。
 「まあ、虹じゃないの! なんてきれい。」
 床をごろごろころがっていた、カノンとフーガも、びっくりして出窓にかけ上がりました。 
 「気がついたかい?」
 カデシさんは目をほそめてわらいながら、
 「音楽のほうは、もうすこしの間、こいつに耳をかしておくとしよう。」
 などといって、新聞を読みはじめました。
 西の空に、七色の光の帯がおおきな弧をえがいてのぼっています。それはほとんどまっすぐに、空のてっぺんへとむかうように、出窓のわくからはみだしそうな高みにまでのぼっていって、きゅうにふっと、お空に消えています。
 カノンとフーガも、こんなおおきな虹は、生まれてはじめてでした。いつか一年の半分ほどまえに、小鳥たちの演奏会をききながら、チッポルの丘のふもとであおいだ空に、おひさまにかかった虹の輪の赤んぼうをみたのが、まぶたのうらにふとよみがえりました。が、ほんものの、おとなの虹はまだみたことがなかったのです。
 「とってもきれい。」
 フーガがはしゃいで言いました。カノンはだまって、ものおもいにふけったような目をしています。
 小川の岸辺のトネリコの木立が、くすぐったそうに風にふるえる、葉っぱたちをあやすように、さやさや、ささやきかけながら、梢のゆりかごを揺らしています。
 ステンドグラスの色とりどりの光を、からだにちらちら受けるように、虹の精のばらまいた、七色のビーズ玉の小人たちが、メリーゴーランドの魔法をかけられて、すこしもじっとせずに追いかけっこして回るので、トネリコの生まれたばかりの葉っぱたちは、くすぐったくてしかたなくって、ほんとにゆかいそうに、はしゃぎ声をあげています。
 「おやおや?」
 オレンジ屋根のおうちのなかで、カデシさんはまた、ふと耳をすましながら、屋根のほうを指さしてこんなことを言いました。
 「雨だれの坊やたち、ずいぶんと落ちつきが出てきたようじゃないか。このリズムはなかなかいいぞ! それに、音程だってけっこうしっかりしてる。」
 「まあ、ほんとだわ!」
 カブリオルはたいへんご機嫌そうにそう言うと、もうメトロノームを止めました。そうしてまた、じっくりと耳をすましますと、
 「トンッッッ、トンッッッ」
 「ピットン、パッコン、ピットン、パッコン」の、4分の4拍子のリズムのうえに、たちまち音符の列になりそうな、ととのった音の連続が、あっちからも、こっちからも、落ちてきては、たがいにけんかをしないハーモニーをつくりはじめています。
 傘たてがわりのビールだるに落ちていたしずくも、ブリキの板や、ペンキの缶をたたいていたしずくも、雨もりよけのコップのなかに落ちていたのも、庭の鉄箒の歯をズィンズィン、鉄琴がわりに鳴らしていたのも、もうみんな、いつしか自分勝手はやめて、きそいあわず、7階だての音の階段のなかから、あるひとつの階を、ひとりでに選んで、メトロノームにさそわれたひとつのテンポのうえにのり、そのなかで自由に自分のメロディをつくりだしたようです。そうして、みんなで追いかけっこをし合いながらも、おたがいのふしもきき合って、あらそいにならない響きの手をむすびながら、進んでいくのでした。
 それはもう、ひとつの音楽でした。
 「これ、書きとめようっと!」
 カブリオルは、いそいで五線紙をひろげると、
 「虹のうた」と題をつけ、雨だれたちの打つ音とリズムを音符にしはじめました。
 「ミーーー、シーーラ、ソドーシ、ララソラド、ファシーラ、‥‥」
 「ほう、まるでチェンバロの曲のようだね‥‥。おじいさんの時計のように、ずっとずっとむかしから、ひとりでに刻みつづけていく時間の音楽みたいだ。」
 音楽の大好きな、えかきのカデシさんは、こう言いながら、ひとつの古い曲を棚から取りだしました。
 「そのまま、この音楽へうつっていこう。」
 カデシさんは、チェンバロのしずかな曲をかけはじめました。
 「しってる、これ、エナガたちがひいた楽器ね?」
 フーガが耳をぴんとたてて言いました。
 「ほう! フーガはチェンバロを知ってるのかい。」
 カデシさんはおどろいてみせました。
 「うん。いつかふしぎな光の日があってね、ふしぎな光をだすふわふわの雲にのったお空の天使のために、小鳥たちがね、いろんな楽器をつくって、あすこの丘にもってって、みんなで合奏したの。」
 フーガは、窓の外を指していいました。
 みどりふかい、チッポルのなだらかな丘。その上空をめざして、お空の天使の雲のざぶとんが、けさもふわふわ、お空をただよっています。
 「そのときね、エナガたちの楽隊がひいたのが、チャンバラだったんだよ! ねぇ、カノンちゃん?」
 「そう。あたしたち、エナガがチェンバロをつくる一部しじゅうを、みていたの。‥‥そういえば、このどこかチクタクいうかんじ、あのときとそっくりだわ。」
 カノンもうっとりして言いました。
 お部屋に流れはじめた、そのチェンバロの音楽は、ふしぎとおもての雨だれたちの合奏と、なかよくしています。なんだかもとはひとつの音楽を、おたがい知っていたかのように。

             

 さて、朝ごはんをすませたカノンとフーガが、またいつものように窓辺にすわって、いつのまに消えた虹のあとを、きらきら飛びかうミツバチや、輪になって踊るちょうちょたちのロンドを気にしながら、すっかり晴れあがったお外をまぶしそうにながめておりますと、カデシさんはさすがに、ちょっとかわいそうになって、言いました。
 「そうだ。カノンや、フーガや。おまえたちもすこし大きくなったことだから、そろそろふたりでお外へ遊びに出てもいいことにしようね。だが、これだけは約束するんだ。あんまり長い時間、行かないこと。それから、あんまり遠くへは、行かないこと! そう‥たとえば、あそこの丘のようなね。」
 カノンとフーガは、カデシさんの絵の具だらけのズボンにからだをこすりつけると、のどをグルグルならしてお礼をしました。
 「遠くへ行きたくなったときは、きっとこっちを呼ぶんだよ?」
 カデシさんは念をおしました。
 カブリオルが出窓をあけ放ちますと、ふたりはまるで足にばねでもつけたように、さっそくお庭にくりだしていきました。・・・
          
                                    

 カノンとフーガは、うれしくてうれしくてしかたありません。きょうからはこっそりと、だまってお部屋をぬけ出さなくてもいいんです。それにお散歩するにも、もうだあれもおともなしで、ふたりだけで胸をはってお外を歩けるのです。なんて晴ればれした気分でしょう! きょうのお天気みたい。
 でも、遠いところや、こわいところへは行けません。
 で、ふたりは相談して、お庭めぐりをすることにしました。館をかこむお庭は、まるで迷路のよう。まずは出窓の下から、出発します。
 ノンノンノン、‥‥ご機嫌よく、ふたりがお散歩をはじめて、まもなくのこと。
 玄関さきのノバラのアーチと、ニワトコのしげみの間をくぐるとき、カノンがシッポをもちあげて、きゅうに足をとめました。
 フーガもすぐに気がつきました。
 「あれなあに? カノンちゃん。」
 カノンとフーガはじっと目をこらしました。ニワトコの枝さきと、イバラのアーチをつなぐように、それはそれはうつくしい、大きな光のレース編みがかかっています。いったいだれがほしたんでしょう? まだすこし、ぬれていますけれど。
 ふたりはよくよく近づいてみました。
 「うちのガラステーブルにのっかってるのと、そっくりだ。」
 フーガがさけびました。
 「だけど、あれよりかもっと、ずっと透きとおって、きらきらしているわ。ほらみて、あっちにもこっちにも、かざりがついているもの。」
 カノンが、ため息まじりにそう言いました。あちこちにビーズの玉が光っています。
 「こっちのかざり、もうおっこちそう!」
 フーガが口をあんぐりあけて、下でまちかまえます。
 「あたし、このレース編みほしいな! つめにひっかけると、ガムみたいにぐちゃぐちゃになったり、のびたりしそうだもの。」
 カノンも、ながいシッポをふるわせながら、いまにも手をかけそうになった時です。
 「こら、遊び道具じゃないんだぞ!」
 ふいに、むっとした声が空からツツゥーと、下りてきました。みると、網の中心からま下へおろした糸をつたって、一匹のレースグモの子が、いそいで地上に降りてきました。サーカスのピエロみたいな、黄色と黒のくすんだシマの衣装を着ています。
 「ごめんなさい。でもきらきらして、とっても気になるんですもの!」
 カノンがなだめ声で言いました。

                                      


 アーチにからむ、ノバラの白い花びらから、ゆっくりと蔓べをつたって落ちてくるしずくの精が、風にたわんだレース編みのあちらこちらにひっかかっては、うつくしいビーズのかざりになってうちふるえています。草のにおいのする風が、庭をわたってそよぐたび、それはそれはめまぐるしく、色とりどりに輝いて‥‥そうそう。もしかするとさっきの虹が、ちいさい宝石になって、ここによみがえってきたのかも知れないな、そんなふうに、カノンとフーガには思えました。
 きらきら光を放つのは、しずくのビーズだけではありません。それをつなぐ糸じしんも、みえない光の階段を、あっというまにすべり降りるエスカレーターと、あっというまにかけ昇るエスタレーターの、行きかえりの合図のたび、何色ともいえない信号を、まばたきのように放っていくのです。
 「きれいだろ?」
 クモの坊やは、ちょっといばってみせました。
 「うん、とても。」
 カノンがこっくり、うなづきました。
 「うん、とても。」
 フーガがこっくりこっくり、うなづきました。
 「何度も練習して、やっといちにんまえになったんだ。」
 とくいそうにそう言いながらも、おやおや? クモの坊やは、どうしたのでしょう、また、いのちづなをつたってのぼっていくと、せっかく張ってある光の網を、なんとたたみはじめているではありませんか。
 「もったいなあい。どうしてたたむの?」
 フーガはおひげをピクピクさせて言いました。
 「店はおしまい。おいらは朝、たたむのさ」
 クモは手品師のようにすっかり糸をどこかへかくしてしまいますと、
 「もっとみたけりゃ、庭のあちこちを見みまわしてごらんよ? たたまないで、一日中張っておくなかまのも、たくさんあるんだぜ。ほら、あそこだって。」
 そう言って、お庭のほうぼうを指さしました。
 「あれはハンモック。あんずの枝と枝のあいだに、ゆりかごみたいに揺れているだろ?
 オウギグモの編んだのさ。それにほら、てっぺんだけ編んでない、バスケットみたいにぶらさがってる網があるだろ?」
 クモの坊やはシラカバの低い枝をさしました。
 「あれはジョロウグモさんのだ。」
 「あそこのは? ほら、ななめの線だけ、太いバッテンに編んであるわ。それにいろんなかざりもついてる!」
 カノンが目をパチクリさせてたずねます。
 「あいつはアクセサリー屋。コガネグモの店だ。ぼくのよりか、ずっと細くて、目が混んでいるでしょう?」
 フーガも短いシッポをトントンさせて、
 「ねえねえ、あのねばねばしたのは?」
 「ああ、草のうえに張ってある網かい? あれはねぇ、クサグモのなんだ。あいつらときたら、もう家中、めちゃくちゃさ!」
 「めちゃくちゃ、しってる! あれ、ものすごくしつこいやつ。あれがいっとうガムみたい。」
 フーガがこうふんしてさけびました。
 「あたしもしってるわ。このまえ、お散歩につれてってもらったとき、あの網がベタベタ足にくっついて、とうぶん離れなかったの。‥‥ああ、それにしても」
 カノンがこころなしか首をかしげて呟きました。
 「もったいなかった‥‥。さっきの、もっと見ていたかったわ。」
 「あたし、さっきのやつほしい! さっきと同じの、ほしい!」 
 「つくるとこ、みたいな!」
 ふたりは口ぐちにせがみました。
 「みたけりゃ、夕方、またここで会えばいいさ。」
 クモの坊やはいばっていいました。
 「そしたら、ほんとにみられるのね?」
 「もちろんさ。きっとくるよ。なにかよっぽどだいじな、きゅうな用事でもはいらなければね。‥‥」
 クモが返事をしているうち、フーガはとなりの角のヴェランダへとんで行ったかとおもうと、たちまちカデシさんの望遠鏡のある、かんそく台から、まあるい紙をくわえてもどってきました。
 「こういうの、ほしい。これつくってよ!」
 フーガは白い手で紙をたたいてみせました。お星さまとお星さまの間が、目もくらむような複雑な糸でむすんであって、ヘビつかいや、さそりや、つばさをつけたお馬のかたちにつながれています。
 「それ、編み物じゃないわよ。」
 カノンがおどろいて言いました。フーガは、星座表を、レース編みとまちがえていたのです。
 「うぇい!」
 フーガはうなりました。
 「ふうん…。そいつはよわったな。」
 クモの坊やは、まじめな顔をしてつぶやきました。
 「もし、それと似たのをつくってやるにしても、いまのぼくにはむずかしすぎるな。これからシュギョウをつめば、別だろうけれど。だいいち、天の川を編むには、ぼくよりコガネグモのほうがよっぽど帯をじょうずに編み込むんだぜ。なにしろあいつらときたら、手の込んだことが好きだからね。」
 クモの坊やはそう言いながら、ふと何か思いだしたような口調になりました。
 「手が込んだっていえば、――じつはぼくたち、いつか近いうちに、お空の天使のために翼を織ってあげようってことになったんだぜ! で、ぼくみたいな新米は、そのためにいろいろなシュギョウを、いそいでつんでおかなけりゃならないんだ。」
 「天使?」「天使の翼ですって?」
 子ねこのふたりは息をのみました。
                                              

 「そう。じっさい、このあたりの生きものたちは、みんな、透きとおった天使にいつか姿をあらわしてもらおうとおもっていて、それじゃ手づくりの翼でも贈ってみよう、ってことになったってわけなのさ。ちかぢか、生きもののなかまたちが、ぼくたちクモの織物工場に、翼の注文をくれるとかって、聞いてるよ。それまでに腕をみがくためにも、いろいろとシュギョウが必要なんだ。だからさ、そのお星さまのレース編みのけんは、ちょっと考えてやってもいいよ。ぼくにとっても、かっこうの練習台だもの。」
 「ねえ!」
 フーガが目をかがやかせてききました。
 「天使ってもしかすると、ふしぎな光のでる日にふわふわの雲のざぶとんにのってくる子のこと?」
 「そうだよ。へえ、きみたちしってるの?」
 クモはおどろいたようすできき返しました。
 「天使の姿は、みたことないわ。でも、光のできごとはまえに一度みたわ。小鳥たちが、その日話していたの。」
 カノンが物語るような声で言いました。
 「天使の姿そのものを、みたことがないのは、だれだっておなじさ。でも、きみたちにも、光のできごとは、みえたんだろ。すごいじゃないか。……へえ、だけどおどろいたな! きみたちには、それを話す小鳥たちのおしゃべりが、きこえたのかい?」
 と、クモの坊や。
 「そうよ、それであの日あたしたち、きょうがなにか特別の日なんだってこと、知らされたんだもの!」
 「おしゃべりだけじゃないよ! あたしたち、そのあと小鳥たちの合奏だって、聞いちゃったもん! ね、カノンちゃん。」
 「そうなの。天使のしらべみたいな、小鳥たちの合奏だったわ?」
 「それは、たしかに、あの日のことだ。光のできごとの日にまちがいないよ‥。ふうん、きみたちねこに、小鳥たちのことばも音楽も、わかるのかい。」
 「あたしたちが、特別なねこなのかもよ。」
 フーガがとくいそうに胸をはりました。
 「あの日が、特別の日だったのよ‥‥。きっと。」
 カノンが注意ぶかく、茶トラの長いシッポをくゆらせてつぶやきました。
 「なんだかいつもとちがったことばで聞こえてきたの。音楽だってよ。なにもかもだわ」
 クモの坊やはふと、ふたりのねこが、きょう、たったいまも、いつもは聞こえないはずの声を聞いて、こうしていつもとちがうことばをしゃべっているのに、気づきますと、すっかりうれしくなってしまいました。きゅうにこころから、わらいがこみあげてきます。
 このふたりには、もうなにもかも話せるようにおもえました。
 「きみたち。そういえば、あのざぶとんの雲にのってくるっていう、天使の秘密をしっているかい? ぼくたちクモと、とっても関係のある秘密だぜ。」
 クモの坊やはにこにこしてたずねました。
 「秘密? 天使とクモと?」
 「翼を編むことの、ほかに?」
 ふたりはおヒゲをふるわせ、目をまんまるにして身をのりだしました。
 「なあになあに? それはなあに?」
 「えっへん! それはね‥‥」
 クモはきゅうに、ひそひそ声になって言いました。
 「お天気の日に、光の天使がおひさまから地上いっぱいにかけ下ろす、網をしってるかい? それに、あそこのとんがった教会がたっている丘に、お昼になるとまっすぐに降りてくる光の帯は?」


 「しってる、しってる!」
 ふたりはそろってうなずきます。
 「あたしたち、毎日あすこの窓から、みてるもん!」
 フーガがいばって指さしました。
 出窓からは、まだかすかにチェンバロの音楽が聞こえます。ときおり、カブリオルのきゃっきゃっ、いう声が、それにまじって響いてきます。
 カノンが、ひとつひとつ思いおこすように、話しはじめました。
 「いつもま昼になると、雲から光るほしものが、たれてくるの。するとそのとき、教会の赤い帽子のてっぺんで、お星さまがきらきらって、まばたきするわ。光の網もよくみるのよ。ふかふかになった雲のざぶとんが、お空のまんなかまで来ると、いつもわたのすきまから、おひさまにかけた光の網を、この村いっぱいにかけおろしてるわ? あたし、あの網が、いつかの光のできごとがあった日に、それはそれはきれいな虹のリングを、おひさまにかけてあげてたことも、おぼえてるの!」
 「そうか。みていてくれて、うれしいな! やあ、じつはさ、その光の帯も網も、ぼくらとおなじ、このクモの糸でできているんだ。」
 「まあ! じゃ、透きとおってみえるのは、そのせいなの?」
 カノンはさっきまでここに張ってあった、クモのレース編みを、ソラによみがえらせて、そうつぶやきました。
 「どうしてわかった? どうやってたしかめた?」
 フーガがわめきました。
 「天使のかける光の帯も、網も、ほんとにクモの糸でできてるってこと!」

           

 「いやぁ、それがさ‥‥。」
 クモの坊やは、ぼりぼり頭をかきました。ほんとに、ほんとにクモの糸かってことは、ほんというとだれも、まだたしかめられたことはないのさ。でも、きっとそうにちがいないって、みんなそう言っている! クモばかりじゃなく、この辺のなかまはみんなだよ。
 あのねえ、こういういい伝えがあるんだ。おじいさんの、おじいさんの、そのまたおじいさんの、‥‥ともかくものすごくとしとったおじいさんのクモが、はじめてお空の天使に、クモの糸玉をプレゼントしたって話がね。」
 クモの坊やは話の糸をつむぐように、こうものがたりました。
 「天使はいまでも、そのクモの糸玉から糸をひいて、雲のうえから地上につり糸をたらして合図をおくったり、お空に雲のいたづらがきをして遊ぶんだって‥。 だからぼくたちクモは、いまでもときどき糸玉を巻いては、小鳥たちに、かれらのかなでる音符の五線にして、空へながしてもらったり、ほかの羽根をもったいろんな生きものたちに、空に舞いあげて送ってもらうんだよ。だから、あそこの丘の帯にも光の網にも、きっと贈った糸玉のその糸を、天使はつかってくれているはずだって、そうみんなは思ってる。」
 「ふうん‥‥。」
 カノンもフーガも、じっと聞き入っています。
 「ところで、こんどの翼のプレゼントでは、もうさいしょから、ぼくたちクモのちからだけではむりで、みんなのたすけをかりなけりゃならないんだ。翼の網のなかに、いろんな羽毛だの羽骨だの、わた毛をいれるからね。でもみんなとっても協力的で、自分の羽根も織り込んでくれって、言ってきてくれる。それくらい、みんなひとめ天使の降りてくるのをみたいんだ。ほんとの姿をあらわしてほしいって、おもっているんだよ。」
 「あたしたちの毛も、つかっていいよ!」
 フーガがうつくしい白い胸の毛に手をあてて、元気よく言いました。クモの子はわらいました。
 「だけど‥‥ぼくは、ほんというと翼のプレゼントには、正直いって、あんまり気がすすまないんだ。」
 「どうして?」
 「うん‥‥。うまく言えないけど、なんだか‥‥。ときどきぼく、思っちゃうんだ、天使は、ほんとに翼なんかもらって、よろこぶのかなって。翼なんかつけて、ほんとに降りてきてくれるかなぁって。」
 カノンとフーガは、目をしばたたかせました。
 「天使ってほんとに、翼をつけて降りてくるものかなあ?‥‥。 ねえきみたち。どう思う? 天使って、地上に降りるとき、そんなりっぱな、目立つかっこうで、じっさいやってくるものかな。」
 カノンは、だまってクモの子をみつめていました。フーガは、ふうん、ふうん、と首をかしげながら、こう言いました。
 「あのね、ええとね。うちのショサイってとこに、そんなのがあるよ。壁にかかってるの。天使っていう子が、空中に浮かんでて、頭のうえにわっかをつけて、背中から白いツバサがでているの。ふるいふるい絵なんだって、カブリオルがいってたよ。」
 「そう。昔から、天使には白い翼が背中についているって、人間たちはみんな物語のなかで言ってきたし、絵にもそう描いてきたんだ。」
 クモの子はしかつめらしい顔をしてこたえました。
 「だけどさ。あれは、人間たちが想像した、天使の姿なんだぜ。ぼくらはそんなふうに人間たちが、あんまり長いあいだいっしょけんめいに言うもんだから、すっかりそういうものだと思わされてきちまったけれど。だけどじつはほんものの天使が、ほんとにあのままの姿をしているかどうか、きっとまだだれもショウメイできてないにちがいないんだ。ね! きみたちはさ、ほんとうにあんなしっかりときまった、目にみえる姿で、天使があらわれると、思うかい?」
 カノンもフーガも、だまってじっとクモの子をみつめるだけでした。が、しばらくしてカノンが、ふと、もの思うような口調でつぶやきました。
 「たしかに、もっとこっそりと、静かに降りてくるものかもわからないわね。もし天使がほんとに、地上に降りてくるんだとしたら、それはきっとだれにもわからないように、こっそりと。」
 「そうなのさ。ぼくもそう思うよ。ほとんど気のせいみたいに思えるくらい、ひっそりと、やってくるにちがいないって。まあ、それでもぼくは、みんなといっしょに、天使のために翼を編もうって案には、やっぱり参加しようと思うし、どうせ編むならすてきなのを編んで、お空にとどけたいって思っているけれどね。たしかに、天使が人間たちのいうとおり、あんな白いすてきな翼をつけていたら、それはたしかにうつくしいにはちがいないものな……。だからぼく、けしてがっかりしないよう、心の準備はしておくけれど、そのうえで、やっぱりできるかぎりのことはするつもりさ。せっかくのみんなの夢だもの。」
 「そう‥‥。やっぱり、そんなにしてまで、みんな天使の姿が見てみたいのね。わたし、みんなが天使に翼をつけた姿で出てきてほしいって思う気持、なんだかわかるわ。」 カノンがしみじみ、そう言いました。
 「ねえね。みんなはなぜ、天使って子が好きなの? どうして、そんなにしてまで、天使って子をまねくの?」
 こんどはフーガがききました。
 「そういわれると、答えにくいけど‥‥」
 クモの子は、一瞬とまどったようすで、頭をかきました。
 「でも、たとえばきみたちはあの小鳥たちの合奏のできごとのあった、ああいうふしぎな日には、なにか気持がよくないかい?」
 「気持よくなる、よくなる!」
 フーガが拍手していいました。
 「そうよ! あの日はとくに、心がおどって、どきどきして。お空はさわやかだったし、音楽にもうっとりしたわ。ふだん聞こえないものが聞こえたし、見えないものが見えたわ。」
 カノンが白い手を組みあわせていいました。
 「透きとおったいろんなものが、浮かんだり、ただよったりしたよ。いろんな光の糸の色が、すこしづつ、うつりかわるのもみた!」
 フーガもうれしそうにさけびます。
 「そうさ‥‥。とてもいい心地が、するだろ? だからきっと、みんなも、そういう日を望んでるってことなんだ。どこか、天使とつながっているかも知れない、って思える、そんな日を……。 そして、こんなふうにぼくらを、なんともいえないいい心地にさせてくれる、ぼくらとどこかでつながっている天使って、どういうのかな。たしかめられないのかな、でもやっぱりちょっと、会ってみたいな。なんて思うのさ……。
 そうだ。ぼくね、そういえば、いつか聞いたことがあるよ。ぼくたちの、なにかとひとつにつながったような、生まれ変わったような、ああいうふしぎな時の気持こそが、あの雲のうえの天使の気持とおんなじ、ひとつのものになっているんだって。」
 「あたしたちのしあわせな気持が、そのまんま天使の気持なの?」
 カノンがおしりをツンとあげました。
 「そう、ふたつがひとつ、ふたつでひとつだってね。だれが言ってたんだっけな? カデシさんかな。」
 「カデシさんて、あたしたちのごちゅじんだよ?」
 フーガがそうさけぶなり、お口をぽっかりあけました。
 「しってるさ。ぼく、よくカデシさんちにおじゃまするもの。とくにアトリエの、あの高い天井にはね! わかるかい? サーカスの練習にも、編みものの練習にも、ぼくらクモには、あそこがうってつけなのさ。おまけに、ぼくのお気に入りの絵に、いくつも会えるんだからね。おもわずあの中へ入っていきたくなりそうなやつにさ! そうそう。あのアトリエのなかにひとつ、光の帯が、雲の間から降りている、チッポルの丘の絵が、あるじゃないか! ほんものそっくりのさ。」
 「え、ほんと?」
 ふたりが、目をくりくりさせて、ききかえしました。
 「ほんとって、きみたちカデシさんちのねこだろ? そんなことも、知らないのかい?」
 こんどはクモが目をまんまるくしました。
 「あのねえ、あたしたち、〈おいた〉ばっかりで、いろんなとこに穴あけて入るから、絵のなかだけはこまるって。それであすこのお部屋だけ、入れてもらえないの。」
 フーガがしょんぼりした顔で言いました。おヒゲをくんにゃりさげて。クモの子はげらげらわらってから、
 「いけない! こうしちゃいられなかったんだ。することがいっぱい。注文、注文。もう、あなぐらへもどらなきゃ! へへ、きみたちの天井うらや、えんのしたが、ぼくらの作業場なんだぜ。おいた、するなよ!」
 そういってクモは、前足を一本あげてあいさつすると、あわてて走って行きました。
 「あの、あの! ねえ、網を張るところは?」
 「編みもの、編みもの!」
 カノンとフーガが、あわててうしろからよびかけました。
 「きっと夕方またくるよ。よっぽどきゅうな用でも、入らなければね!」
         *
 さて、お庭にはあいかわらず心地よい風がそよいでいます。どこからか、あまずっぱい、いいにおいもしてきます。カノンとフーガが、ノバラのアーチをくぐりぬけ、そのいいにおいのほうへさそわれるように、お庭のすみのくらがりにむかって歩いていきますと、うすむらさきのリラの花が、まるでお城の塔のようにとがったからだを、枝のあちこちでゆらしながら、いいにおいを放っています。そのお城のまわりを守る、ねじくれたリボンのような葉っぱたちも、妖精のこもりうたを歌いながら、ちらちら日ざしをちりばめては、お庭の地面にハチの巣状の、おひさまのわれた鏡をうつしています。
 そのうち、日ざしはいよいよつよく照りつけてきました。おひさまの白黒映画が、いっそうくっきりと庭のスクリーンにうつしだされるので、カノンとフーガはちょっと目がくらくらしました。
 と、足もとを、まるでおまじないにかかったみたいにみちびかれて、アリたちが、ぞろぞろ群れをなして行進していくではありませんか。カノンとフーガはおもわず後を追いかけました。でもなんだかふらふらして、手をだそうとするすきに、行列はどんどん先へすすんでいきます。そのうちアリの軍隊は、魔法のくすりのたちこめる、リラの塔めがけて、一列になってよじのぼって行きました。お城に侵入しはじめた、まっ黒いよろいかぶとの騎士たち‥‥。カノンとフーガは背のびして、リラの木のすそによりかかりながら、ちいさい軍隊を見おくっていました。
 ちかくの森では、カッコウが、なんだかこわれた時計みたいに、いつまでたっても十時をすぎぬ、かわりばえのしない声で時を告げています。
 リラの天幕におおわれた、かげ絵のまわる遊園地のなかで、まぶたにちらちら葉かげを受けながら、ふたりの子ねこが何かを待っておりますと、おや。なんでしょう? 木陰のとなりのひだまりから、なにやら白いふわふわしたものが、ひとつ、ふたつ、まるでちいさい気球のように、ゆっくりと空へ舞いあがっていくではありませんか。
 それは、たんぽぽの種の精でした。おひさまのぬくもりをぽかぽかとからだじゅうにあつめながら、ねむっていた若い種の精たちが黄色い花のベッドからひとり、ふたり、風の声に背中をおされて、ゆっくりと身をもたげたとおもうと、きゅうにいそいそとお出かけのしたくをはじめます。みんな、わた毛のパラソルを、白いプラネタリウムみたいな円い屋根からひとつずつぬき取っては、右に左に、くるくる回しながら、いまにも空へ飛びたっていこうとしています。
 カノンとフーガはいそいでひとりの種の精のあとを追いかけて行きました。
 「まってまって。よくみせてよ、その傘!」
 「いったいなあに? おおさわぎをして?」
 種の精は、せっかく舞い上がった白いパラソルを、わざわざつぼめて着地しました。
 「ねえ、それみせて。白くて、小鳥の毛みたいにふわふわしてすてき。」
 カノンがさけびました。
 「あたしたちの胸の毛にもちょっと似てる! お耳の下のこの毛にも。ねえ、ちょっとだけ、それ、さわりたいな!」
 フーガもおねがいしました。
 「じゃあ、少しだけね。わたしたち、どちらかというといそいでいるから。」
 「どこへおでかけ?」
 白いわた毛のプロペラに、息をふわりとかけながら、カノンがていねいにききました。
 「お空のようすをうかがいに。わたしたちのあたらしいねどこを、見つけに行きがてらね。」



                                              
 「お空のようす?」
 カノンがきき返しました。
 「ようすみて、どうするの?」
 フーガが首をかしげました。
 「きょうが、特別の日に、ほんとうにふさわしいかどうか、たしかめるの。」
 たんぽぽの種の精が、あわいひとみを空にそらして言いました。
 「特別の日って、もしかして、あのふしぎな光の日の、天使がおちる日?」
 「おちるじゃなく、おりるだわ。」
 カノンが長いシッポでフーガのおしりをはたきました。
 「まあ、どうして知ってるの? あなたがた。ねこのくせに?」
 種の精はおどろいて、パラソルのわた毛をふくらましながら、そうたずねました。
 「ねこでわるかったわ!」
 カノンはすこしむっとしました。
 「あたしたち、特別のねこだから!」
 フーガがとくいげに、たいそうはしゃいで言いいました。
 「そう!」
 とたんぽぽの精はすましてこたえました。
 「じゃあ、もうちょっとくわしく、教えてあげるわ。そのかわり約束する? あなたがた、きっとわたしたちにじゃれてひっかいたり、わたしたちをふみつぶしたり、しないって。」
 「もうしない! じゃなかった、しない、しない!」
 フーガはあわててちかいました。
 「わたしたちをつついて、おなかのなかへとじこめたりしない?」
 「絶対しないわ。」
 カノンも大きくうなづきました。
 「じゃ、いいわ。おしえてあげる、いろんなこと。」
 たんぽぽの種の精は、このあたりにむかしから住んでいる、いかにも妖精らしい口調で語りはじめました。
 「わたしたちね、このあたりの空をつかさどる天使が、地上に降りたがっているらしいのを、知っているの。ちょっといたずら坊やの天使だそうなのだけれど。それで地上のみんなが、なぜかしら天使に降りてきてほしいと思う気持をつのらせて、しかも天使のほうでも降りたいなって思っていそうな、日をえらぶのよ。あるいはなにか天からの信号を、見たり聞いたりした地上のなかまが、多くいる日を、わたしたちが感じとってえらぶの。そう、その日のお天気や光の感じや、みんなの気分‥‥そういう思いのつのる瞬間なんかをね、見さだめなくてはならないの。それが役目なの。天使をまねくために。」
 「それじゃ、いつかの小鳥たちの音楽会の日にも、あなたがたのような、妖精が、はたらいていたのね?」
 「ええまあ……。べつに、はたらいたってほどのことでもないのだけれど……。それでまあ、けさも、まずわたしたち妖精が宙を舞い上がって、雲を降りる天使と、わたしたち地上のものたちがひとつになる瞬間の、なにか合図のこうかんをするのに、ふさわしい日になりそうかどうか、たしかめに行こうとしていたの。」
 「むずかしそうね?」
 フーガがうなりました。
 「そんなことないわ。もし、わたしたちの心が、空を飛び回ってるうちに、だれかに呼びかけたいような、ふしぎななにかに満たされて、しあわせでしかたなくなってきたら、それはその日にふさわしいのよ。」
 「ねえもし、たとえひとりでも、天使の降りるのをそれほどねがわないなかまがいると、そんなとき、むりに天使をまねいてはいけないの?」 とカノン。
 「いけないというより、たとえひとりでもいやいやなかまにされたって気持がまじっていると、天使は降りてこられないのよ。たとえそれが天使とひとつになろうっていう気持であったとしても、あるひとつの気持を、むりに、すべてのものにしいるとすれば、その世界はたちまち、天使ではない、なにかべつの力のはたらきにおおわれて、こわれてしまうのよ。」
 たんぽぽの精はしんみりした話声でかたります。
 「天使というものは、そうなのよ。わたしたち地上のひとりひとりが、ひとりでにお空のよびかけを感じて、天使のけはいををのぞんで、その気持が高まって、ひとりでにあつまって、踊る心や、歌う心で、光にむかい、空をみあげ、とき放たれて、生まれたての、自由な心でのぼっていくのでなければ、それにこたえて、よろこんで降りてはきてくれないの。降りられないのよ。またそうでなければ地上の気持は、天使が地上に降りたい気持と、すっかりおなじにはなり切れないの。ひとつにはなれないのよ。……それでときおり、わたしたち妖精が、そんなふうに地上と天使が生まれかわってまたひとつにつながるための、ちょっとしたお手伝いをする、ってわけなの。お手伝いっていっても、それはわたしたち自身もしらないうちに、いつのまにかそうしているのだけれど。宙を舞ったり、ときには天から降りるつり糸なんかをつたいながら、遊んでいるうちに、ふしぎとそうなるの。そう……。ともかくその、ひとりでに、っていう大切なものがはたらいて、地上が天とつながるための、お手伝いをするのね。」
 「ふうん。ひとつになるのって、ややっこしいんだね。」
 フーガが感心したように言いました。
 「あら。でも、できてしまえば、すこしもむづかしくはないのよ。」
 「ね! それでその、ひとつになる瞬間の、合図のこうかんって、どんなふうなの?」
 カノンが息をのんでたづねました。
 「こうかん、て‥‥そう、なんともいえないもの! 光のような、音楽のようなもの。なにか透きとおった信号のようなものかしら。みんなが、それぞれいろんなふうにいうわ。たしかにいろんな受けとめかたが、あるものなの。わたしたちなかまは、それをときどき天使のつり糸って呼ぶけれど、ふつうにはわからないわ。なにしろはっきりと、目にはみえないものですものね。」
 「目にみえないもの。……それじゃ天使の姿と、おんなじかもね!」
 カノンが、さっきクモの坊やとした話しを思い出して、言いました。 すると種の精は、こっくりうなづいてこたえました。
 「そう。ほんとうに! 天使の姿のこととなると、それはもうなおさらね。みんなが、いろんなふうに言うわ! 天使の姿ときたら、なにしろこれといって決まったかたちのない、目にはみえないものだもの。天の国では、どんな姿かたちをしているのか知らないけれど、すくなくとも、わたしたち妖精もふくめた地上のものたちにとっては……、というより、地上で受けとめられる天使ってものには、まったくさまざまなものがあるのね。
 それは、たとえばこうよ。……まばたきの瞬間に、ふっと宙返りしたと思うと、もう元にもどっているもの。なにか通りすぎた、気配のようなもの。呼びとめられた気にさせる、ひらめきみたいだったていうものもいるわ。なにかそこいらぢゅうを漂っているものだっていうものもいる。ここにいたと思うともうあちらに消えている、すこしもじっとしていないものだって、いうものもいるのよ。こんな説もあるわ。天使って、ほんとうはずっとわたしたちの目のうらに住んでいるんだってね‥‥。もっともこの最後のは、とくべつえらい人間か、くるったひとのどちらかが、いうことならしいけれどもね。だからまあ、そういうひとは、めったにいやしないのよ。
 わたしたち生きものにわかるのは、みんなでうつくしいしらべをかなであったり、ふりそそぐ光をあびた、ひろいひろい野原に抱かれながら、いっせいに空へ舞いあがっていくその瞬間には、わたしたちは光とひとつ、天使とひとつなんだって、そして地上と空とはそっくりひとつなんだって、そう思えるということだけなの。」
 
                 

 ふと気づくと、たんぽぽの種の精はいつのまに姿を消していました。
 カノンとフーガはきょとんとしてあたりを見まわしました。が、だれもいません。ただ、さっき何人かの種の精が飛び去ったあとをそのままにのこして、ところどころあなのあいた、地球儀みたいなたんぽぽのおうちが、小道づたいに、数え切れないほどの白い点々をおきながら、ごつごつした八つの頭を天にもたげた兄弟竜のお山へと、じぐざぐつづいていくのが見えるだけでした。
 小道と、お山の交差点には、ちょうど黄色いちょうちょうたちが、こんにちは、さようなら、ダンスしながらわかれては、くるくるとらせんを描いて、お山のいただきよりも、もっと高くたかく、のぼっていきました。
 そうして、そのまたうえには、いつかとおなじ、わたあめの雲、そう、天使のざぶとんが、モヘヤ毛糸の尾をひきひき、おひさまめがけて流れていくのがみえました。‥‥


 「カッコウ、クヮ、クヮ、クヮ、クヮ‥ッコウ!」
 とつぜん、こわれた時報のように、カッコウがしゃっくりしながら、あわててなにかあったことを告げました。
 まもなく、あたりは静まりかえりました。小川のせせらぎだけが、ひたひたラムネ色のこだまをうつしてささやいています。
 ひなたにいすぎて、またすこし、まぶたが痛くなったカノンとフーガは、地面にくっきりときざまれた、リラの回る木陰で、またしばらくすずもうと足をはこんでいると、かたわらのツリガネソウが、まぶしそうにゆれながら、チリチリ話しかけました。と、
 「カノンちゃん、フーガちゃん、もう十一時半ですよう!」
 カブリオルが玄関の鐘を鳴らしてふたりを呼びました。
 カノンとフーガは半分ねむたげの目をしたまま、ふたたびひだまりを通りぬけ、いそいでお部屋へもどりました。

     書斎

next(後編)