第3話 子ねこのカノンとフーガ、
              天使のつり糸と翼の秘密を知る
 <後編>
 


 さて、こちらはまたまた、雲のうえ。天使のパドは、すずしげな風に吹かれて、ひろいお空をながされています。きょうのパドのざぶとんは、尾びれのついた、おさかなです。 やんわりと細い、モヘヤ毛糸のひだが七本、虹色にかがやいて、雲のおしりからひらひら泳いでついてきます。
 パドはけさ、アビシャイ山脈のすそに、虹をかけてきました。 空たかく、いきおいよくのびる虹を。そして、あんまり気分がいいものだから、七色の光線のなごりを、雲のおしりにつけてきた、というわけなのです。
 きょうのパドはそんなわけで、たいそうごきげんです。
 「やあ、いい天気。なんて気持がいいんだろ。ぼくの丘も、元気かな? そろそろエメラルド色にかがやいて、草のおひげもすこしづつのびて、風にそよぎはじめているのかな。みてみようっと!」
 パドはまた、いつものように望遠鏡をポケットからとりだすと、大好きなチッポルの丘にむけました。
 「フンフン、じつにごきげんそう。」


   


 つぎに、たんぽぽの小道を、じぐざぐつたってのぼります。
 「フンフン、じつにごきげんそう。」
 つぎに、いよいよお気に入りの場所、えかきのカデシさんの家のようすをうかがいます。
 「フンフン、じつに……おや?」
 パドはおもわず望遠鏡をはずしました。
 「子ねこがいない。」
 パドはまばたきをひとつ、してみました。
 「やっぱりいない。子ねこがいない。いつもはこの時間に、本がどっさりある部屋の窓から、こっちをながめているんだけどな!」
 そう言って、パドはすこし望遠鏡を部屋の奥へむけました。
 「やあ! カデシさんがいたいた。娘さんとお話してるぞ。……娘さんは、けらけらわらってる。」
 すると、庭さきへはり出したベランダを、一匹の子ねこのかげが、さっととおりました。なにかをくわえて、またあわてて庭におりていきます。
 「やあ! いたいた。おっと、もうひとりの子ねこもいた。こんどはふたりならんで、庭でだれかと話してるぞ……。
 なんてめずらしいんだろ! 子ねこたち、ふたりだけでお庭にはなされているなんて。
いつもなら、お散歩するのも、カデシさんか娘さんが、ひもを引っぱってつきそってるのに…。 どらどら。ちょっといたづらしてみようっと。」
 パドは、いそいでつり糸をたぐると、ぱっとカデシさんのお庭に放りました。つり糸の先は、お庭にかかるバラのアーチのすそにとどいて、からみつきました。そこには、ちょうどレースグモの巣が、たいそうきちょうめんに張りめぐらしてありました。
 パドは、巣をこわさないよう気をつけながら、網の中心から、ツウと一本の透きとおった糸をおろしました。……と、ふいに、なにかふしぎな光のようなものがまたたいて、ま下にいたクモの坊やのなかへと、これをつたって降りていきました。
                                          

 その瞬間でした。クモの坊やがほほえみはじめました。気持のなかでなにかが溶けて、ふとやわらかくなった気がしたのです。それからクモは、ちょうどパドのざぶとんの浮かんでいる、お空のちょうどこのあたりを指さしながら、子ねこたちに、とっておきの秘密を語りはじめたのでした。クモと天とをむすぶ、あの秘密をね。
 「うふふ。なんだかうまくいったみたい。 子ねことクモくん、なかよくなれるといいな。この調子だと、ひょっとしてきょうも、なにか特別の日になるかもしれないぞ! 」
 パドは、しきりに肩をそびやかして言いました。
 「あ、そうそう! わすれてた。クモっていえば、ぼくの雲の糸玉、もうすり切れてきちゃったんだっけ。光の網を編むのにも、光の帯をおろすにも、だいいちこの雲のざぶとんを朝いちばんにつくるにも、じょうぶな雲の糸玉が必要だもの。そろそろ、クモくんたちに言って、あたらしい糸玉をつくってほしいところなんだ。……そうさ! きょうみたいな日なら、きっとぼくのねがいごとが、地上にとどくかもしれないもの。ちょっとおねがいしてみようっと!」
 パドのおねがい、とどくかしら?


           


  さて、ここはカデシさんの家。
 お昼ごはんをたべたあと、カノンとフーガは夕方になるのがもう待ち遠しくてしかたありませんでした。
 クモの坊やに会って、空中芸をけんぶつし、はやくあの光のレース編みを張りめぐらすところを、みたいな。ふたりはそろってお顔をあらいながら、そうおもっています。
 でも、クモの子は、どこかそわそわしているようでもありました。いつ飛びこんでくるかもわからない、なにかきゅうなご用を、待ちかまえているようでした。そんなさしせまった気分は、このお庭のあたりいったいをもひたしているように、子ねこの姉妹はなんとなく、けさの散歩から感じとっていたんです。
 そういえば、たんぽぽの種の精のみまわりは、どうなったでしょう? なにか特別のことがおこるのに、きょうはふさわしい日になりそうかしら?
 カノンとフーガがまたいつものように、もうじき風のじゅうたんにのって、チッポルの丘の教会から、ま昼の鐘の音がやってくるのを、なんとはなしにたのしみに待ちながら、出窓にすわってお外をながめておりますと、くる〜んくるん、宙におおきな輪をかいて、一羽の黒い鳥かげが、すっと窓のむこうにあらわれました。

 それは、ツバメのおつかいでした。

 ツバメはすばやく軒下へまわり、翼をはためかせながら、コツコツ、くちばしでガラスをたたいて合図をすると、窓のすきまに一枚のガガイモの葉っぱを差しこみました。
 カノンとフーガは、いそいで葉っぱの手紙を読みました。
 「クモヨリ。キュウヨウハイル、タダイマフントウチュウ。デモ、ヤクソクマデニハマニアウトオモウヨ。ナニセ、オヒルマデノチュウモントキテルカラネ。ア〜イソガシ、イソガシ。 ソレヨリ、イマカラキット、ナニカオコル。キヲツケテ、ソトミテイロ!
 ソレジャマタアトデ。」
 カノンとフーガは顔をみあわせました。きょうが、いよいよあの、いつかとおなじ特別の日になったらしいことを、おたがいの目でたしかめあうなり、ふしぎな気持で胸がいっぱいになりました。
 「それじゃまた、みんなここへあつまるのかしら?」
 「うちの庭へ? うわ〜ん。たのしみ!  ね、きょうはどんなやつがくるのかな!」
 そういってふたりは、さっそく窓の外をみやりました。クモのきゅうな用事って、いったいなにかな? ひょっとして、特別の日‥‥いまからおこることと、何かかんけいあるのかな? 心のどこかで、そうおもいながら。
 「チョットコィ、チョットコィ、チョットコーィ!」
 とつぜんコジュケイが、のどをしめつけられたような、すっとんきょうないつもの声をあげて、お庭のむこうでさけびたてました。
 すると、これを合図と思ってか、どこからともなく、羽根をもつちいさな生きものたちがあつまりはじめました。それはみな、ふしぎとまっ白い羽根やわた毛を持っているか、透きとおった羽根をしたなかまばかりです。
 うつくしい小鳥たちはもちろん、ミツバチやら、モンシロチョウやら、コガネムシ。テントウムシまでもがやってきます。たんぽぽの妖精たちも、わた毛にぶらさがって、こな雪みたいにふわふわ舞いながらついてきました。
 やれやれ、あのやかましいヒヨドリのおまわりさんまで、やってきましたよ。あの鳥の、どこが「まっ白い羽根」や「透きとおった羽根」をもつなかまでしょう? でもまあともかく、やってきました。
 そうでした。ヒヨドリはきょう、なかまには入れませんでしたけれど、お庭の号令がかりだけは、かって出ているんです。
 「ゼンイン、テンコ! だれかおらんものはおらんか? キィーオ、イーヨィ!」 

 「おらんものは、こたえられんよ。」
 やぶにらみのモズ先生が、庭のすみで、例によってチャッチャッ、と舌打ちしています。ちょっとごきげんななめです。なかまに入れないからというより、めだちたがりのヒヨドリに、腹をたてているんです。
                                                     
                                                    
 「ふん、あいつめ、どこにでも顔をだしやがって! 灰色のしらが頭のくせに。でしゃばりなやつめ。」 なんてね。
 おや、なんでしょう? ルビーのつぶの赤信号をはためかせ、ブ〜ン。 せっかちな羽音をたててやってきたのは、テントウムシの坊やです。
 「おあまりちゃん、トンボさんたちが、まだでしゅ。」
 「おおそうか。ではだれかさがしにいけ! ピィーョィ。」
 ヒヨドリが、かなきり声で指図しました。
 そのとたん、ブルブルブルブル‥‥。
 もうれつなプロペラの音がしたとおもうと、うしろから、オニヤンマの群れがいそがしく羽根をまわしてやってきました。たんぽぽのつないだ小道をたどって、庭の入口まで飛んでくると、オニヤンマたちはおおきなサングラスの目をギョロリと一回りさせて、しばらく空中で停止飛行しながら、こわごわ、着陸しました。
 「すみません!」
 オニヤンマの隊長はうなりました。
 「新米のアカネトンボのやつらが、まだでして。‥‥そのう、クモの仕立屋に注文した、例の天使の雲の糸玉が、じき仕上がるというので、行って持ってくるはずだったんでありますが、それっきりいまだに到着できませんで。」
 「どうしてだ? なにかあったのか?」
 「はあ、じつは織物工場のえんのしたから、そいつを持って出るとちゅう、どうやらひっかひっか、ひっかっかっかっかかって、出られなくなっちっちまったようなんです。」
 オニヤンマはたいそうあわてたようすで、さかんに巻き舌をまいて言いました。
 カノンとフーガはびっくりして顔を見あわせました。
 「織物工場って、うちのこと?」
 「きっとこのえんのしただわ。」
 「それじゃお手紙でクモさんがいってたキュウヨウって、このことなの?」
 「天使ですって!」「天使の注文。雲の糸玉だって!」
 なんて、言っています。
 「ようよう。だれか、助けてやれんのかね? ギョギョシー、ギョギョッ」
 おどしかけるようなダミ声で、近くにいたヨシキリのおじいさんががなりました。オニヤンマはあわててこたえています。
 「それが‥‥きょうあつまったのは、みなミジュクモノで、どいつもこいつも同じ目にあうおそれがありまして。なにしろその糸玉ときたら、じつにねばねばしていて‥。」
 「ほう、ミイラとりがミイラというわけだな?」
 ヒヨドリがもっともらしく顔をしかめてうなります。
 これを聞いたカノンとフーガは、たがいにこっくりうなづきますと、いちもくさんに部屋を飛びだしました。
 カノンは、うさぎのようにふわりふわり、台所までとんでいくと、すぐさま大きな買い物用の編み袋をくわえてもどってきました。そのあいだ、フーガはフーガで、おもちゃみたいにカチャンコ、カチャンコ、長い廊下をものおき部屋へととびはねていくと、えんのしたにつながっている、あなをめがけてまっさかさまに入っていきました。
 さて、カノンは編み袋をひきずってもどりますと、出窓に飛びのり、お庭のみんなに呼びかけました。
 「これを、これを! このなかに糸玉をいれれば、べとつかずに何とか引っぱり出せるとおもうわ! いま、妹がえんのしたから、この下の通気孔にむかって、糸玉を押し出すところなの。それをあたしがこの編み袋でうけとめるわ。」
 庭のみんなは、ほう、と大きくため息をついて、ことのなりゆきをじっと見守ることにしました。
 エメラルド色のひかりを、まるで内がわから発している、アーモンド型のあかりのような、チッポルの丘のたたずまいが、かすかにけぶった南の空にうっとりと浮きあがっています。その上空を、虹色のさかなの尾びれをつけた天使のわた雲が、すいすい泳いでいます。丘のま上でおひさまにとどくまで、それほど時間はかからないでしょう。
 そのころフーガは、クモたちの作業場があるらしい、えんのしたの通気孔ちかくをめがけて、せまいトンネルのなかをとっしんしていました。そうして、そこいらじゅうたれ幕だらけのくらがりのなかで、フーガはとうとう、ぐるぐるに巻きつけられた、クモの糸玉をみつけました。ほんのりとミルク色にかがやいて、できたてほやほやのわたあめみたいにおいしそうな光をはなっています。フーガは舌をぺろりとしながら、リボンの鈴をちりちり鳴らして、糸玉にちかづいていきました。
 すると、糸玉はぴくぴくっと、ふるえだしました。よくみると、複雑に巻かれたかぼそい糸と糸のすきまに、透きとおった羽根をとられた四羽のナツアカネが、ほそながいからだをまっ赤にして、足をばたつかせています。
 「これじゃゆきだるまにつっこんだトンガラシだな!」
 なあんて、フーガは思いました。が、こうしてはいられません。
 こいつはちょっとていねいに、あつかってやらなくっちゃ‥‥。と、こうフーガはおもうなり、おおきな口をあんぐりあけて、アカトンボを一羽、いっきにのみこむと、クモ糸のせんいがあんまりよぶんにやぶけないよう、気をつけながら、通気孔の出口にむかってとっしんしていきました。そして、うがいみたいに、口をもぐもぐさせてから、ペーッ、と思いきり外へはき出しました。
 飛び出たトンボは、あわててぬれた羽根をふるわせながら、風にあてると、じぶんで日干しになって、かわかしはじめました。
 すると、カノンがやってきて、毛あしのながい、じぶんのシッポをくねらせながら、さっそくトンボのぬれた羽根をそおっとぬぐってやりました。
 さて、そのあいだにもフーガは、えんのしたの出口で、この〈トンボのうがい〉をもう三べんほどくりかえしていました。ぐっしょりとぬれたトンボたちが、つぎつぎとフーガの口から通気孔のそとへ飛びだしては、カノンのシッポのやわらかいタオルでふきとられ、おもてにならんで日干しになりました。 心地よい夏のはじめの日ざしのもと、そよ風が、トンボたちの羽根をくすぐりわたり、かわかす手伝いをしています。
 さあ、トンボをたすけだしたフーガは、いよいよ、クモたちが仕立てたばかりのこの糸玉を、通気孔のあなから押し出すしごとにかかります。たいそうつやつやした糸玉に、もうなにもついていないのをたしかめると、フーガはこんどこそもうれつに魔神のようないきおいで、フゥーーッ、と息をふきかけました。
 と、そのときでした。けさ、カノンとフーガとおしゃべりした、あのレースグモの坊やが、なかまをつれて手伝いにきてくれました。なにしろクモの網にいちばんかかりにくいのは、ほかならぬクモたちじしんでしょうからね。クモたちは、きように足をつかいながら、くす玉をころがすように、フーガの息で浮きあがった糸玉を外へ外へと送りだしてくれました。
 えんのしたの出口にたどりつくと、フーガはさいごのとどめをさしました。
 フゥッ、フゥッ、フゥ〜ッ! 糸玉は、気球のようにもちあがり、カノンが外で待ち受けていた、買い物網の袋のなかにころがり込んでいきました。
 カノンは白いおててで、わたあめを袋につめるように、ふわふわ、じょうずにつつみこみましたよ。そうして、さいごに鼻先で、糸玉入りの網袋を、ポン、とつついてお庭へ投げてやりました。
 白い羽根の小鳥たちが、網袋のはしばしをくわえていっせいに飛びたちました。そうして、空中で二列を組んで待っている、オニヤンマの背中へ落としますと、トラシマもようの踏切棒でおみこしをかつぐように、オニヤンマたちは片方ずつあいた羽根のプロペラをぶるぶるいわせながら、みんなのほうへ飛んでいきました。そのあとを、さっきいのちびろいをした四羽のナツアカネが、もうすっかりかわいたプロペラを、いっしょけんめい旋回させて、あわてて追いかけて行きました。とうがらし色のヘリコプターみたいにね。
 トンボの群れは無事、みんなと合流すると、カデシさんのおうちのほうをむいて、サングラスをギョロギョロさせながら、なにやらお礼を言っています。
 カノンは、にこにこ手をふりました。フーガは、‥‥フーガは? おや、どこへいったんでしたっけ? 
 と、えんのしたから、なにやらゴトゴト音がして、せまい通気孔のトンネルから、ようやくお顔だけのぞきました。あら、でもそれは黒いちいさな動物のお顔でした。
 それは、フーガとそっくりの声で、しきりにニャーゴ、ニャーゴわめいています。オヒゲには、もじゃもじゃのわたくずやら、クモ糸のせんいがひっかかって、すすがいっぱいです。
 そのうち、黒い動物は、
 ハ・ハ・ハ、ハックシュ、クシュン! おおきなくしゃみをしました。と、お鼻が白くなりました。それとともに、ところどころヒマワリ色のリボンがみえて、鈴もチリチリ鳴りました。カノンが、いそいでなめてやりますと、すすけた黒い動物の顔は、たちまち可愛らしい三毛ねこフーガにもどりましたよ。
 とっくにあなから外へはいだしていた、クモの坊やが、けらけらわらいました。
 お庭にせいぞろいしたみんなも、どっとわらいました。それぞれの羽根をはためかせて。
 それからみんなは、口ぐちにあいさつしました。
 「ヒーホヒー、キョロ!」、「キヨキヨ、ピー」「ピッチュ、ピチュピー、キュィルリ」「ツピンツピン‥」、「クワッ、クワクワッ、クワッ、クワッコウ!」
 ミツバチもダンスをし、ちょうちょうもひらひらロンドを踊り、テントウムシの坊やもブンブンうれしそうに宙返りしています。
 「ピィーョ、イーョィー」
 さあ、いよいよヒヨドリのさいごの号令がかかりました。仕立屋のクモたちと、ふたりの子ねこのおかげで、注文の雲の糸玉を、ぶじ、お空にとどけることができそうです。さて、うまくとどけることができるかしら?
 みんなは、いっせいに飛びたちます。ちょうどみえない糸に上からあやつられるように、三べんほど、カデシさんの家のお庭の上空を旋回すると、みんなのかげは、南のとおいひだまりに浮かぶ、チッポルの丘をめざしてどんどん小さくなっていきました。
 おや、ひとりだけ、粉雪のようにふうわりと、舞い降りてくるものがあります。たんぽぽの種の精です。
                           
 「ありがとう。子ねこたち! みんながよろしくって言ってるわ。」
 「ねえ、これからどうなるの?」
 あなのなかからフーガが呼びとめました。
 「丘へいって、みんなで舞いおどりながら、らせんを描いてあの雲のもとへたちのぼるわ。わたしたちのおもいどおりに飛びかうのが、天使のつり糸のあやつるかたちよ。」
 「糸玉は、うまくわたせるの?」
 カノンがちょっと心配そうにききました。
 「さあ、どうかしら? だれもまだ、しっかりそれを見とどけたものはいないのよ。わたしたちはただ、自分たちが行けるところまで行くだけよ。でもとどいたなら、天使はきっと、お礼になにかの合図をしてくれるはずよ。」
 たんぽぽの精はふとつまさきだつと、白いわた毛のパラソルが、バレリーナの衣装のように浮きあがりました。そうしてそのまま白いほのおが消えるように、いつのまに姿をかくしてしまいました。 
 ま昼を告げる丘の鐘が、鳴りわたります。 ガラ〜ン、ガラ〜ン。
 ひさしぶりにはしゃぎこえになって、村ぢゅうにこだましています。そしてまた、白いちいさなわた雲が、おひさまといま、ひとつにかさなりました。
 ひとすじのけむりがたちのぼりました。日ざしが丘にまっすぐにさして、塔の星が大きなまばたきをひとつ、しました。
                              
                         
 「きっとみんな、うまくやったのね。」
 カノンが目をほそめました。
 「いま、何か光ったろう?」
 クモのぼうやが指さしました。
 「ねえね。それにいつかとおなじ、雲のざぶとんからすじがおりてるよ!」 とフーガ。
 「ねえ、クモさん。きょうあつまったなかまたちは、いったいどういうなかまたちなの? 白か透きとおった羽根をしてるか、わた毛をもっているなかまたちだって、そういえばたんぽぽさんも言っていたけど。なぜそんなくみあわせなの?」
 カノンがそっとたずねますと、クモはわらって、
 「それこそ、けさ話した、あの天使の翼にかんけいあるのさ! かれらが、れいの「翼づくり」に、ひと役かってくれる連中なんだ。ぼくたちのクモの糸で編む仕立てものに、きょうあつまったなかまたちの羽根やわた毛を織り込むんだ。そしてね、じつをいえばきょうから、ぼくらはさっそくそのしごとをはじめることになったのさ。」
 「ほんと?」
 ふたりが声をそろえてさけびました。
 「いそがしくなるのね。」
 カノンが、そうつぶやきました。
 「それじゃもう、あれはみせてもらえないの?」
 フーガは、通気孔のあないっぱいに顔をのぞかせて、わめきました。
 「あれ……って? ああ、レース編みのジツエンのことかい? そら! もちろん、今、やってやるよ。そのためにわざわざ、やってきたようなもんだからね。注文を予定どおりにすませてさ! それに、たすけてくれたお礼にもね。……それはそうと、はやくあなから出ておいでよ!」
 と、そんなわけで、子ねこの姉妹は、クモの坊やにたのしみにしていた芸当を、みせてもらいましたよ。
 それはまさしくたくみな職人芸と曲芸とがあわさった、目をみはるものでした。
 クモの坊やは、まずノバラのアーチから、たった一本の糸をつたって、光のエレベーターをツゥー、とまっすぐ降りてきました。それから宙吊りなまま、もう一本の細い糸をおしりからみるみるつむぎだすと、糸はひとりでにのぼっていき、風にそよいでどこかの枝さきにくっつくのを待ちました。やがて糸がニワトコの低い枝をつかむと、クモはたちまち、とどいた糸をつたいのぼって、ニワトコの枝までのぼり、こんどははすかいの高い枝にわたりながら、糸をどんどんつむぎだします。そうやって、いろんな場所に糸をつなぎわたしますと、たちまち大きな五角形のわくができあがりました。クモは五つのかどをむかい側からつなげ合い、ひろげた傘の骨のようなたて糸の軸をとおしますと、中心をきめ、ちいさいまるをかきました。さあ、それからはもう、いそがしく走りまわります。軸のたて糸の間をぐるぐるまわって、クモは足場をかためるための、じつにかぼそい魔法のうず巻をまきます。そのままだんだんと円の中心にむかっていくと、こんどはその中心から外へ外へと逆回りをはじめました。こんどは太くてじょうぶな糸をまいてね。こうしていちばん外がわの円をかきおわると、よこ糸張りもすっかりできあがり。それはそれはりっぱなレース編みが張りめぐらされました。
 カノンとフーガは、息をのんだり拍手をしたり、もうはしゃぎどおしでした。
 いつかまた、こんどは高いたかいアトリエの天井で、これよりもっとすごいのをみせてくれるんですって!
 だから、ふたりはそれまでに、なんとかカデシさんにおねがいして、アトリエに入れてもらえるようにならなくてはね! すこしはお行儀もよくなっておきましょう。
          *        
 「こりゃあいいや。じょうぶで、透きとおってて、それでいてツヤツヤ輝いて。お天気の日には、もってこいの糸だ。」
 天使のパドは、ざぶとんの雲のうえにゆったりとねそべって、そうひとりごとを言いました。
 「あしたから、こいつで空のお仕事。たのしみだな! フンフン……」
 きょうのお仕事は、もうおしまい。おまけに、あたらしくてじょうぶな糸玉を、手に入れることができて、すっかり安心したようすです。
 白い羽根や透きとおった羽根の生きものたちは、まっ青に晴れわたるまばゆい光のなかを、まっすぐに上昇してきたとおもうと、とつぜん吹きつけた一陣の風とともに、いっせいに東から西へちらばりました。
 そうして、まるでさいしょからそのあたりにたなびいていたすじ雲のように、うっすらと細長く漂いながら、やがてちりぢりに別れて地上へ降りていったのです。
 パドは、さっそくチッポルの丘にたっている、教会の鐘の音にかえて、何度も何度もお礼を言いました。鐘の音は、いつになくよく響きわたり、夏のはじまりを告げるさわやかな風にのって若葉色であふれかえったこの村ぢゅうに、消えるのがなごりおしそうに、長いあいだこだましていました。独特のふしをつけた、尾をひきながら……。もちろん、それはパドの鼻歌そっくりのふしですけれど。
 さて、パドはその鼻歌を、いかにも調子よさそうにうたいつづけながら、できたての、クモたちがつくった糸玉を、しきりにまわしたり、ひっくりかえしたり、お手玉みたいにほうり投げては、しばらくながめていましたが、そのうち糸玉のなかに、なにかの葉っぱがからみ込んでいるのに気づきました。
 「なんだろ、これ?」
 パドは首をかしげました。
 「ガガイモの葉っぱじゃないか。」
 ガガイモの葉っぱといえば、このあたりの生きものたちが、なかま同士に送る手紙によく使っている葉っぱです。
 「ということは、これはぼくへの伝言ってわけかしらん?」
 パドは目をまるくして、さっそく糸玉の奥から二つにたたんだガガイモの葉っぱを、ていねいに取りだしました。
 手紙には、こう書かれてありました。
 「チッポルの丘のうえの、教会のうえの、塔のうえの、コンペイトウのお星さまのうえの、ざぶとんの雲のうえの、天使さま。
 糸玉おくります。どうぞ使ってください。
そのかわり、ぜひぜひ、おねがいがあります。ぼくたちは、どうしても天使の白い翼をつくって、あなたにプレゼントしたいです。それは、いちどでいいから、それをつけて、天使に降りてきてほしいからです。
 ぜひいちど、それをつけて降りてきてください。そしてみんなに、すがたをみせてね。みんな楽しみにしています。近いうちに送ります。ではさようなら。
     チッポルの村のなかまたちより」
 天使のパドは、腕組みをしたまま、う〜ん、う〜ん……って、うなりました。こんなに悩んだのは、もちろん生まれてはじめてです。なぜかって? それはもう、ひとくちには言えない、天使の{事情}ってものがあるんです。
 「いったい、どう返事すればいいんだろ。
 ああ、こまったな。どうしよう……。
 いったい、どうしたらわかってもらえるかなあ? 天使が、地上では、翼をはやしたあの姿で、けしてみんなのまえに現われることはできないってことを。みんなが思う、天使の姿……そう、背中には白い翼をはやして、頭のうえには光る輪っかをのっけてる、そんなかっこうでなど、地上には降りられないんだってことをさ?! 」
 天使のパドは、まっ青な顔をして、口からおもわずあわをふきそうになりながら、ひとりつぶやきました。それから気持を落ちつけようと、自分にいい聞かせるように言いました。
 「ほんとのところ、天使ってものは、地上では、自分の姿をもたない、神様のお使い。だれかの心が、神様の心とひとつになったとき、ぼくは地上に舞い降りるのさ。透きとおった躰で、だれかのもとに。そうして、あたりのものになりすます……。そうさ! なにしろぼくは、みえない天使パド、だからね。」
 天使のパドは、こう言ってひとりでうなづくと、みんなの期待に、できる範囲でせいいっぱいこたえるよう、なにかいい案を考えることにしました。
 「そうだ。ぼく、みんながぼくのためにつくってくれる天使の翼、せっかくだから、やっぱり受けとることにしようっと。そりゃあ、とってもうれしいことだもの。残念ながら、それをつけて、降りることはできないけれど、そのかわりお礼に、あるこたえを、空にしるそう。みんなの願いをすこしでもかなえるような、あるこたえを、空におおきくしるすことにするよ。きぃめたっと!」
 パドは手を打ってこうさけびました。
 「みんなにわかりやすいように、背景には、くろい夜空をかりるのがいいな! それも、満天の星くずでいっぱいのさ。そうだ。もうじき天の川がきらきらときれいな季節になるから、そしたらみんなのくれる翼を、天の川のまんなかへひろげよう。ぼくのかわりに、白鳥さんに着てもらうんだ。どう? いい考えでしょ。」
 こう言ってパドは、さっそくポケットからメモとペンを取りだすと、お手紙の返事をあれこれ考えはじめました……。







 夕ごはんのあと、子ねこのカノンとフーガは、カデシさんに、きょう起こったできごとをいっしょけんめい話してきかせました。
それから、きょう出会ってすぐになかよくなった、クモの坊やのことも、坊やとしたお話も、カデシさんに聞いてもらいました。

 「それでね、クモさんったらこういうの。お空の天使が、お天気の日にはいつもおひさまにかぶせる光の網も、それからお昼になると丘にまっすぐたらす、光の帯も、それからそれから、雲のうえでその天使がいつも、地上へたらしていろんなものをツンツンつってる、つり糸も、みんな、ぼくらがつむいだクモの糸にちがいないんだぜ、って!」
 カデシさんの腕にからだをこすりつけながら、カノンはあまえた声で言いました。
 フーガもカデシさんの肩にちょこんとのったまま言いました。
 「べつに、だれもちゃんとたしかめたわけじゃ、ないんだって。たしかめてないんだけどさ、ぜったいそうにちがいないって、思ってるんだよ、みんな。クモたちばっかりじゃなく、この辺のなかまはみんなそうだって!」

 「ほう、クモの糸……。それはおもしろい話だね。」
 カデシさんはおひげをいっぱいはやしたあごをさすりながら、ちょっと考えこんだようすでつぶやきました。

 「天のつり糸ね‥‥。ふむ、そういわれてみれば、じつはわたしにも、おもいあたることが、なくもないよ。‥‥」
 フーガはこんがらかりそうな、そのえかきさんの言葉を、頭の中がからっぽなまま、くりかえしました。
 「なくもない?」
                             

 「そうなんだ。いつのことだったか、丘のまわりの原っぱの風景を描いていたときのことだ。頭のうえの雲のあいだから、ふと差しこんでくる日射しが、画を描くのを手伝ってくれたように、おもえたことがあるんだよ。その光が照らし出す花や虫たちが、どんな色を置いたらいいのか教えてくれて、そのとおり筆をすすめると、カンバスのなかの風景が、生き返ったように輝いてきたんだ。
 そのとき、その日射しを見あげながら、ひょっとするとあの雲のうえには、天使でもいて、雲間から降りる光は、まるでそいつがたらす、つり糸なんじゃないか。そうして、なにかちょっとしたいたずらをして、わたしにとてもよいヒントを、くれているんじゃないかって、思ったものだよ。
 その日いらい、ときどきわたしは、絵を描きながらその日射しのつり糸をたらす天使のことを思いだすことがよくあるんだ。そうして、しばらくじいっとしていると、なにかいい考えが思い浮かんだり、風景が、ざわざわとなにかしきりにささやきかけるような気がするんだよ。そんなとき、ああ、あいつがまた地上に降りてきたんだ、って思うことにしているのさ。わたしが描くイメージや、風景や、ものたちのなかにひそんで、おしゃべりしてる。わたしとお話しにきてくれた、ってね。」

 カデシさんは、そうつぶやきました。カノンはじっと、これに耳をかたむけながら、なにか大事なものを思いだすように話しているカデシさんのようすを、ひとみをいっぱいにひろげてうかがっていました。 フーガはというと、カデシさんの話をろくに考えずに、今日あった話をさきへすすめました。
 「ともかくさ、そいでね、みんなやっぱりなんとかして、天使のつり糸が、ほんとにクモの糸かどうか、それをたしかめたいねって、この目で一度でいいからみてみたいねって、なにかとあつまっては、よくそう話してるんだって! それに、できれば天使のすがたもみてみたいって。ね、カノンちゃん。」

 「そうなの。…それでみんなは、もうじき天使に、あるプレゼントをして、それを身につけて地上にすがたをあらわしてもらおうとしてるわ? そのプレゼントにはね、クモはもちろんだけど、小鳥たちや、たんぽぽやとんぼたちもみんなキョウリョクするのよ。みんなでキョウリョクして、つくりあげるの! あっ、そうそう。それにカデシさん、キョウリョクするのは、あたしたちもなのよ!」

 「ほう! プレゼントのための、協力ねぇ。いったいどんな協力だい?」
 「それはもちろん、天使にあげるプレゼントの、なかみのための、キョウリョクよ! あたしたち、もうクモに約束してきたもの。」
 カノンはカデシさんにだっこされながら、そう、じまんげに言いました。

 「へえ! プレゼントのなかみね。だがいったい、なにを天使に、プレゼントするんだい?」

 「翼だよ! 天使の翼!」


 フーガは元気にさけぶなり、カデシさんの肩を飛びおりて、身ぶり手ぶりでわめきたてました。

 「お星さまのデデブの、ハクトージャみたいな、こぉんなの。」
 フーガは、おもいきり両手をひろげてカデシさんにしめしました。
 「ほほう! デネブ。白鳥座。」
 カデシさんはお口をゆがませました。

  「そ! きょうからもう、つくりはじめるんだって。クモさんって、とっても編みもの、じょうずなんだからあ。」
 フーガはこうふんでいっぱいになりました。

 カノンがかわってつづけます。
 「それで、その翼を編むのは、もちろんクモたちなんだけど、クモの糸だけでは、つくれないの。そこにいろんな小鳥たちの羽毛や、羽根の骨や、トンボなんかの羽根もいれるわ。たんぽぽのわた毛だってよ。透きとおってるか、白いふわふわした毛なら、だれのでもつめて、編み込むのですって。そのなかに、あたしたちの、このへんのやわらかいところの毛もいれるのよ。もう、うちのえんのしたにいろいろあつまってきてるって。」

 カノンがそう言って、胸のたいそうやわらかい毛を、すこしだけあぐあぐ、かじってみせると、カデシさんは目をほそめました。
 「それはすばらしいねえ。だがいったい、なんでまた翼なんかあげるんだい? 天使の坊やが、おくれよって、言ったのかい?」

 「ちがうわ。だって、だぁれもまだ、天使とお話なんかしたことないんですもの。地上のみんなが、かってにそれをあげてみたらどうかって、おもってるだけだわ?」
 カノンがすこし、口ごもりました。ナデシコ色のリボンのすずも、ちりちり鳴りました。

 「だれも、じかに天使とお話したこともなければ、そのすがたも、じかにみたことはないのよ。だからこそ、みんなはあんな、翼のおくりものなんかを、思いついたんだと思うわ。翼のおくりものをすれば、‥‥」
 「おくりものをすれば、そうすれば?」
 「もしかしたら、天使がそれをつけて、降りてきてくれる。きっと雲のうえではそうしているはずの、ほんとのすがたのまま、地上にあらわれてくれるかもしれないって、そう思ったんだわ。」
 カノンはそう言いおわると、カデシさんのお顔をちらりとのぞきました。

 「なるほどねえ。」
 カデシさんは、考えぶかげにあごひげをこすりながら、静かに言葉をつづけました。
 「そうすれば、光の網や丘の帯や、つり糸のことも天使からじかに聞きだせるし、地上のものたちにはたいていみえない、天使の、翼をつけた姿を、はっきりと見られるかしれないと、そう思って、そのプレゼントをあげることにした、っていうわけかな?」

 「たぶん、そうだと思うわ‥‥。」
 「そうか……。ともかくみんな、それほどにまで、天使と出会ってみたいということなんだね?」
 カデシさんは、おちついた声でひとつひとつほりおこすように、ききました。カノンもフーガも、こっくりうなずきました。

 「それはすてきなことだね。すこしでもじかに、地上のものたちが、お空のむこうのものと、むすびつきたいと思うのはね。すてきなことだし、もっともなことだ。それにまた、ふだん見えにくい相手を、できるだけはっきりした「かたち」で、みてみたいと思うのもね。ごく自然な気持だとおもうよ…。
 だが、みんなが出会おうとしてる、天使のほんとのすがたっていうのは、どうなんだろうね?……それが本当に、天使のほんとの姿なんだろうかね……?」

 カデシさんはまたすこし、考えぶかげに、半分ひとりごとのような口調になって言いました。
 「みんなが降りてきてほしいとおもっている、この目ではっきり見たいと思っている、天使のすがたっていうのは、やっぱりその、翼をつけた天使の、姿なのかい。」

 「そりゃあそうだよ!」
 フーガがすかさず、ひと声さけびました。

 「そうかい……。それはやっぱり、たとえばむかしからよく絵にかかれてきたような、頭には光の輪っかに、白い翼、というふうな、あれかい?」

 カデシさんは、もういちど念をおすように、お部屋の壁にかかっている、セピア色の古い絵を指さしながら、たずねました。

 「うんうん。そう思ってるとおもうわ。」カノンがうなずきました。
 「思ってる、思ってる。」
 フーガもはしゃいで言いました。
 「だから、翼をあげたんだよ。」

 「ふむ。そうだとしたら、天使の坊やはもう、地上に降りるのが、なかなかむづかしくなってしまうかもしれないなあ……。」
 カノンは、おどろいた顔でカデシさんを見あげました。
 「どういうこと?」
 カデシさんは、パイプをくゆらしはじめました。なにかぼんやり考えごとをするときの、いつものくせで。

 「きっといまごろ、こまったなあって、雲のうえで、頭をぼりぼりかいているかもしれないよ。ふふふ。」
 カデシさんはそう言うと、天井にむかってけむりをぷっぷかぷっぷかふきました。
 それから、ふとカノンとフーガのほうに向きなおると、じっくりふたりをみつめながら、なにかいままで秘密にしていたお話をはじめて聞かせるみたいなしんみりした口調で、こう語りはじめました。

 「ねえ、カノンとフーガや。このえかきのカデシさんも、ほんとはときどき想うんだ。さっきもちょっと言ったように、目に見えない天使のことを……。

 とくに雲のうえの世界にいる、天使。つまり天のくにの天使のことなら、その「姿」を自由に想像したってかまわないだろう? だってそれはもともと、人間がかってに想像する世界だからさ。たぶんあの虹色によく光る雲にでものって、頭に輪っかをいただいて、白い翼をつけたかっこうで、ゆうゆうと地上をみおろしてるんだろうな、とか、丘のうえの教会の塔のてっぺんでも光ると、ああいま、いたずらしたそうな目でわらっているのかな。なんていうふうにね。

 でもそんな姿をした天使は、つまりわたし、えかきのカデシさんが想像する天使だ。好きな姿かたちをあたえたり、名前をつけるのも勝手なんだ。だけれど、ときどきこう思うんだよ。かってに想像できる天使は、やっぱりお空のうえの天使。まだ天のくににいるままの天使だ。そいつは、なるほど想像しやすい、天使らしい天使だ。けれど、じつはほんとの天使じゃないって…。ほんとの天使っていうのは、じつのところ、地上に降りてきてはたらく天使だってね。
 つまり、地上のだれかに舞い降りて、そのだれかの形をとる天使、あるいは逆に、そのだれかの目で、まわりの風景や、とりまく世界を見つめている天使のほうなんだ、って。まあそのふたつは、同じひとつのものなのだけどもね。

 要するに、こういうことさ……。天使はなにものかの形をとったとき、そのつど、ほんとの姿になるんだ。それまでの天使は、だれかが想像しないかぎり、ただの透きとおった、宙ぶらりんの、名なしのごんべえなんだ。へたをすると、お空の、遠いかなたへ追いやられちまうのが、おちなんだ。……

 ねえ、こうは考えられないかい? 透きとおった、目にみえない天使は、むしろ透きとおって、これといった姿かたちがないからこそ、自由に地上のいろんなものになれるんだ。いろんなひとや土地のもとに、舞い降りられるんだって。それに天使じしん、もともと透きとおってきまった形がないからこそ、いろんなものに生まれ変わりたくってたまらないんだ。って……。それが、天使のほんとのすがただって、そう考えるわけには、いかないものかね?

 お空のうえのことは、もちろん、わたしにもわからないが、――ひょっとすれば、お空にいるってことさえ、ほんとうかどうかわからないんだからね。わたしたちがそう、想像してるだけで……。――だから、そっちの世界のほうはともかく、すくなくとも地上では、これといった姿かたちのないまま、いろんな姿かたちをとるのが、天使の、ごくそのままの{すがた}だとは、いえないものかね?」

 カデシさんは、もういちど、天井にむかってけむりをぷっぷかふきました。けむりは輪っかを描きながら、ゆっくりとらせん状にのぼっていくと、ランプのしたでもくもくあつまって、ふんわりしたちいさな雲をつくりました。


 カノンは目をまるくしたまま、何もこたえませんでした。ただぼんやりと、けさのクモの坊やがふと浮かべた、気のりしない顔を、まぶたのうらに想いうかべていました。そういえば、カデシさんとよく似たことをぼやいていたかな‥‥。

 「天使には、自分の姿かたちがないからこそ、自由に、いろんなもののなかに入りこめるし、いろんな形や風景をかりてあらわれることができるのじゃないかな。

 だとしたら、みんな、天使が目のまえに姿をあらわしてほしいと、思うものたちは、むしろ天使がいつ、どんなすがたで、どこにあらわれてもいいように、こころの用意をしてあげておいたほうが、いいんじゃないかな? そのほうが、かえって天使に会う機会も場所も、ずいぶんと多くなるかもしれないとは、思わないかい?‥‥

 もしも天使ができるだけいろんなものに、いろんな場所に生まれかわってきたい、と思っているとすれば、……いやそれどころか、いろんなところに、同時に降りることだってじっさいできるかもしれないんだとすれば、なおさらだ。わたしたちは、いつどこで、どんなものの姿かたちを通して、天使に出会っているか知れやしない! だとしたら、なんてすばらしいことだろう。」

 カノンは、それを聞くと、カデシさんのほっぺたに、ゴロゴロのどを押しつけて甘えました。カデシさんは、カノンを抱きあげました。

 「そう。たとえばもし、ああ、ここに天使が降りてきた、ここで呼んでる、あそこで踊っておしゃべりしてるって、そう思った子がいるとしたら、天使はそのとき、その子が見たり聞いたりしてるもののなかばかりでなく、その子じしんのなかにも、もうちゃんと入りこんでいる、っていうふうに……
 そんなふうに天使は、地上のみんなのなかに、いろいろ生まれかわることができるもの、なのかもしれないんだよ。だったらば、わたしたちはいつもたのしみに天使の降りてくるのを待って、いつ、だれの姿をかりてきてもかまわない、いつでも天使とお話できる、こころの用意をしてあげていさえすれば、もう天使はよろこんでくれるにちがいないのじゃないかな? 
 ねえきみたち、そうはおもわないかい?」


 フーガはカデシさんのひざの上で、クウクウいねむりをしていました。


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