2004'12/11



不眠症、中途覚醒で夜中目覚める癖のある私には、志ん生の落語がもはや手放せない。もちろん昼間もリラクゼーションの為に聞いている。名人落語でポンポンポンと切れもよくテンポも速い落語も楽しいが、私の場合それでは余計に神経が冴えてしまうので、誰よりも志ん生の語り口調が癒される。またなにより人情の機微が細かく、滑稽な中にも昔の人の微笑ましさがにじみ出ていて愉しい。
CDで聞いているのだが、彼ひとりの声の展開だけで、まるで古い映画かナマの人間同士のやりとりでも見ているように情景が思い浮かぶのがいい。
ほのぼのと天然無垢な笑いに浸される。

夫婦の会話が何とも云えぬ「火焔太鼓」や「替わり目」、滑稽な中にも太鼓持ちの哀愁が漂う「鰻の幇間」、一人で何役もこなす「五人廻し」「三枚起請」「文違い」、晩年の志ん生の名盤「らくだ」、等々お気に入りの噺はたくさんあるが、それはまた別の機会に記すとして、今日は噺のテーマそのものが一寸風変わりで可笑しいなぁと思うひとつに就て記したい。

「粗忽長屋」といって、浅草は大通りの雑踏の中、野タレ死んでいる見知らぬ誰かの死体を、自分の相棒だと思い込み、長屋まで慌てて戻って本人を連れてくる、という馬鹿げた噺である。
「自分の死体くれぇ自分で始末させなくっちゃ。死体の本人を呼んでくる」と、これを取り囲む人々に向かって言うなり、くちぐちに「それはお前さん、おかしい」「この人の言ってるこたぁ訳がわからねえ」と言いかえされると尚更ムキになって、自分の正しさを立証しようという気になる。そして長屋へ帰るとついに相棒を説得し、現場に呼んでくるのである。
相棒も相棒で、「自分の死体くれえ、てめえで始末しなくちゃいけねえだろぅ」と最後の一言を放たれると「あそりゃそうだ」と思い立ち、半ば首を傾げながらも説得に応じ、人混みにまで連れられて来るという噺である。

失笑もののストーリーだが、聞いている内に、死というものの中の「在・不在」、自分(とされるもの)を見ている{自分}に気づきにくいという自己認識、自己-他者感覚の一寸した落とし穴、そうしたものがどことなく禅問答を聞いているような気もするし、デカルトのコギトの事などもふと思い浮かんだりして何か愉快なのである。

大学ノオトの最終章にも記したが、私の大学時代の聖歌隊の親友が亡くなった時、亡くなるって何?と、葬儀中に何度も自問したのを覚えている。葬儀にも、彼女自身のお葬式なのに、私たちは・ここに居る方々は皆、彼女のために集まっているのに、彼女が出席していないというあの何とも云えないはぐらかされたような不在の感覚に、嗚咽しながらも式の間ぢゅうずっと憑かれていた。

死とは、死者とは、一体何なのだろうか。棺を前にしていても、死に直面させられていても、身近な者だけに納得が行かないと、死とその本人とを一つに結びつけられぬまま長い間が過ごされてしまうのである。

だがこの噺は、いわばその逆を突いており、見知らぬ人間の死体を、相棒のだ、と思い込む。相棒『だ』、と言うよりは寧ろ相棒『の死体』だと思い込む、と言った風である。
「相棒に朝会った時は風邪をひいていたが、浅草に出かけたんだ。それが最後になっちまった」と言うと、群衆の一人に「それはお前さん違う。お前さんは、今朝、相棒にあったんだろう?このひと(死体)は夕べっからここにこうして居たんだ」と言われても「はぁ、まったく慌てものめ。ここで夕べ倒れて、死んだのを忘れてぇ(長屋へ)帰ってきた」んだなどと呆れ返って見せて言うことを聞かず、鼻息あらく戻ったかと思うと本人を呼んできて、「さぁ。これが死んだ本人です」と周りを納得させようとする。また可笑しいことに、相棒自身も納得させられてしまう。

こうして人混みに戻ってくると、その相棒本人(?!)に死体を運ばせるのである。相棒がこれを肩に背負いながら、「死んでるのは俺だ、死んでるのは俺だ。死んでいる俺を、運んでいる俺は、…何処の誰だろうなぁ?」といって噺は締められる。

この粗忽者――。かれは死体(客体=物=res)と、死んだ本人とを同一視しつつ、奇妙に区別している。その区別の仕方が、何とも<分別知>の滑稽味を帯びていて認識論とその陥穽、という点からも味わい深い。こんな分かり易い話だから、慌て者の馬鹿だといって済まされるが、もう少し高尚な次元では、わりと我々の多くが――教授や学者たちでさえ――この種の陥穽に填っていることがあるやなしや。

おっとりした相棒のほうも、あまり執拗に説得されるのと、死体の顔が自分に似て居ることから、これは自分(の死体)だと思い込もうと努力する。眺めている間は、そう思い込めるのだが、実際重い死体を引きずり負うと、その重みを感じる自分の身体を意識せざるを得ないのである。

コギトはこの身体で実感する我に戻る。
実存というものはそうした発見である。



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