作品について～長編童話～

作品について

　　これは、童話といっても、児童向けに書いたというよりはむしろ、私としては哲学ファンタジーのつもりでおります。
　東京女子大の哲学科時代と、さらに一年間、東京工業大学で、宗教哲学の研究生として、尊敬致します八木誠一教授に個人的に就きまして学んでおりました事柄を、何かの形にしたいと長い間あたためておりまして、童話的な表象に還元したものです。
　表象としては、「天使」が出てきたり、登場人物の名前からもキリスト教的・西洋的に思われますが自分としては総じて宗教的なものの本質（良質の部分としての）を、洋の東西をとわず表出するのが意図でした。

　人間に訪れる、ある種、聖（ホーリー）なる瞬間というもの――キリスト教ではこれを聖霊が宿るなどと表現し（といってもおおかた宿せる主体は唯一に限定されてしまいますが）、仏教などでは事事無礙、あるいはまた、一即多→←多即一、色即是空→←空即是色の体感状態、主体がこれを「覚」する瞬間ととらえるのでしょうけれども――を、ファンタジックに表わしてみたといっていいと思います。

ただ、ここでは、たとえばキリスト教のように、天（超越）が一方的に地（主体）に働きかけ、地はもっぱら待つのみ、受けるのみ、というのではなく、むしろ地上には地上のある種能動的な自律運動というものをみとめ、主体には主体の、己（自我）を超えるものへと積極的に働きかける行為に重きを置いている点が、独自であるかと思います。
この物語においては、調和の成就、いわば楽園は、天【に】あるのではなく、むしろ生の輝きを望み、これへと向かう心、共有しようとする心、そういう行動あっての天地【合一】なのだと、云えます。まさに地上（主体）におけるこれの成就――みずからとおのずからの一致であり、聖性の降天とこれの（地上における）共有とは、あくまで地上の主体的運動の反射としての、成就であるという、受肉の論理です。――たとえ形としてはつねに不意打ち、「図らずも」、それが到来する、にしても……。（とはいえ、地上の共有が全世界〔全他者〕と一挙にして達成されない限り、その【合一】は、常に予料であり、”彼岸”へと追いやられるということになってしまう訳ではありますけれど。少なくとも、重きの置き方の問題とすれば、と理解したく存じます）。

　聖性――生の輝き、喜悦には、当然子供らしい、無邪気な心の跳躍と至福の共有というものがありますが、大人の次元でいえば「世界」という経験→←「己（他者の己も含む）」の樹立、「他者」との出会いと共感、その際の自我の解放と自由の感覚。また総じて人間の創造的行為における充溢とも云いあらわせるかと思います。さらに社会化すれば、その体現とは、自由、平和、互いに自立し平等（対等）な関係の樹立と共生ということにもなると思うのですが。（勿論今回はとてもそこまで触れられませんでした）。

　でも、私にとって宗教でいう真の解脱とは、本来その個人の内的経験などで終わるのではなく、むしろ生の他者と交換し共有するもの――しかもその作用が別の他者に何らかの抑圧を強いるのではけしてない仕方で――。そういう開かれた”世界”経験でなければならないと思われます。

　さて、概要を大雑把に申します。まず全般として、天使が――天使は自我からみた超越性、各個においては超自我であるとともに、人間全般にとってはその喜び、調和と共生の感覚に通底する、無名性の「構造」とその「力」（自我への働きかけ）の表象です――ひとりの画家とその周辺のものたちに働きかける、といった主題をめぐり、それぞれの登場人物の視点（画家の飼い猫、画家の娘さんと画家自身、娘さんの旧友だった浮浪少年、また鳥や虫たちなど館のまわりの様々な生きものたち等々）を経巡りながら、次第に何か聖なるものの触手を共有する、という展開になっています。

　また物語のなかの、雲の上―地上―魔界という階層は、私自身はっきりと自覚しませんが、恐らく超自我―自我―よりデモーニッシュな自我という構造を当てていると思います。

　天使は、基本的に誰の主体にも受肉（内在化）しうる、無名の超脱性を表象しますが、「パド」という具体的な名前で呼ばれるときには、その名付け親（それを呼び、求める者、あるいはこれと喚起し合える者、つまり想像主体）のものとして、その主体となって存在します（become=be、降天・受肉）。
画家なら画家の主体におけるおもに超越性の層の具現体として、しかも「自己（self）全体をもおおう具現体として機能するわけです。（「自己」の中の自我を包みつつ、これに働きかけつつ同居する）。ことに画家においては、たびたびこれに宿ります。画家の想念の上での生きものから、直接、受肉し内在しては、この主体とよく対話しつつ同一化し、同一化しては対峙、離脱します。

　基本的にはこの聖性を、画家の周囲のものたちも共有します。画家がその空想したり語ったり、示唆するごとに――という具合。いわば、物語全体が、画家のフィルターを通しているといってもいいかも知れません。
（ただしこのからくりは、常に背後にかくされています。また勿論、これを超えた、より普遍的な存在ともなりえます。つまりそれは同時に、単に画家の個における超・個といったものを超え、全く別のフリーな個における超・個となって再臨しもします。＝別な登場人物、娘、少年、猫など）。

　画家のもとをよく訪れるこの聖性は（＝天使パド）、時に他の具体的な人物の中にも受肉します。そのきっかけとしていつも、画家はまず、その肖像画を描き出します。と、それに似た実在者があらわれ、画家とつながりを持つ、というスタイルをとります。それが娘さん（もと孤児で、もらわれっ子となる）だったり、かわいらしい仔猫だちだったり、画家の周りの風景や生きものたちだったりするわけです。
さてある日、辺りをさまよっているひとりの少年の中にも受肉します。つまりこの少年は、画家の希いにかなったひとつの肖像でありますが、同時にこれにかなり近い実在（登場人物）でもあるわけです。この少年を舞台に、いわば受肉のからくりが、それとなくときあかされていくことにもなります。（主に第三章）。
　天使が受肉する際、ひとつの自己＝selfを、（受肉の場として）必要とします。この場に於て超越と対峙しつつ合体する、またときに超越によってすっぽりと包み込まれる、自己（場）における、自己のもうひとつの分身を、自我（デモーニッシュな部分、エゴのニュアンスをも含むもの）とします。この「場」（self）を超越とともに形成し、成就させるために、このかたわれを魔界から呼び寄せ、「アトリエ」において合体させなければなりません。このとき魔界から呼び寄せられるかたわれ＝分身（エゴ的自我）は、小悪魔と称します。（女子の場合は､妖精）。

　天使パドと小悪魔ニムリムの対話と合体――これがひとりの少年オトノムを表象します。（同様に画家の娘カブリオルにも、こうした分身がおり＝妖精エシャッペ；天使パド《厳密にはパド・ダッシュ？》すなわち超越との相互作用が働きます）。これがこの物語の基本構造です。

　さてあらましですが、まず第一章では、画家の二匹の飼い猫が家のまわりの動物たちの会話と行動に触発されながらお空の天使＝まだ”空想”にみちた聖性の輻射を感知し、しだいにリアルに呼応していく過程を描きます。彼女ら自身知らぬ間に、この聖なるものを受肉する瞬間をも得ますが、自覚はできません。（無垢）。自覚されざる聖性の降臨が、ひょっとするとこの章の副題といえるかも知れません。が、無邪気は無邪気なりに――恐らくは本能的次元をも含めて――我々の自我へと働きかける不思議なものの存在とその働きかけに喚起され、自らこれを待ち望み、これに出会い合一することを希求し行動し合います。
辺りの生きものたちとともに、風景のなかに、空気や音のなかに漂うそのものの暗示を、「お空の天使」として感じ、その「実体」をつかもうと――地上におろそうと――いきものたちは追いかけるのですが、二匹の猫もこれに次第に呼応し、参加していきます。音楽会をもよおしたり、天使に「翼」のおくりものをしようとしたり、天使の”姿”をみるため、これと”出会う”ための相談を一緒にしあったり。そうした中で、画家にときおり、いったい「天使が地上に降りる」とはどういうことなのかをそれとなく教唆されながら、彼女らなりの少しずつ何ものかに触れたような体験を重ねていきます。（注・地上と空をつなぐ「つり糸」は、ファンタジックな表象であるとともに、超自我→←自我、の関係を示す鍵）。

　第二章では、それぞれの登場人物の自我にとっての超・自我がやがて出会い重なりあっていくそのための準備が施されていきます。実際には、主要人物（画家・少年・娘）の主体どうしの人間的な結びつきと共生のための準備段階といえるかと思います。また、この章には、画家自身の自己における自我と超自我との対話、超自我への自我の呼応と自覚化の場面も出てきます。ただ、残念なことに、童話というスタイルをとっているため、本来自我を誘導し喚起するはずの超越のがわが、童心にみちたキャラクターを発揮し、かえって画家の自己（すでに超越を含み込んで”成就”した包括的な主体）に教えさとされるといった奇妙な逆転がおこっています。しかし、たねあかしのためには、やむをえませんでした。

　第三章は、人間の「自己」に含まれこれを構成するもののうち、比較的下層部に属する自我、よりデモーニッシュな自我の世界の話です。
聖なるものに触れる以前の、日常的自我は、通常自己同一性を保つことに終始し、これを破る他者性を、ともすると排除する作業にばかり傾きがちだと思われます。時間的、物理的条件など個体としての制約性からも、やむをえないことも多いものの、幸福な状態とはいい難い分別知の作業、行使といえるものが殆どかも知れません。その上こうした習癖は往々にしてエゴイスティックな自己同一性の行使、閉塞性にもつながりかねない危険をつねに内在していると云ってもいいかも知れません。
この章では、そうした、たびたび超－自我（もしくは、自由な超脱）と逆向し、閉塞しやすい自我、その上他を排除し抑圧、ひいては黙殺、犠牲にし、とがめをも拒絶する（しかねぬ）自我＝エゴ。またそれゆえときに超越性のアクトによって裁かれ、自覚を促され、場合によっては「われに返」りうる（再生しうる）自我、あるいはみずからもまた心のどこかでこの世界からの脱却を望みもしているであろう自我、が射程範囲、といっていいかも知れません。
（但し、より人格的な大人などの場合、ときに自覚的にすら超越（？）と対峙する自我があり、この場合、その”超越”が、超越を装った他者の人為的な抑圧の力である場合もあるため、正当防衛が含まれます。そうした場合の”自我”は、この魔界に含むことはできないと思われます）。

　勿論、この物語の中では、あまりにデモーニッシュな部分や葛藤にみちた部分はそがれ、童話風のこっけい味すら帯びたものに描かれてしまいました。
ともかく、この分身（エゴを含む）はやがて天使パドのほぼ透明な膜に包まれ（シャボン玉のエピソード）つつ対話し合一化するもの、いわば「自己」のかたわれとして、人格の中に作用するものであります。この分身はニムリムと称され、やがて少年オトノムの中に生きるものとして、画家の描いたあるデモーニシュな絵の中に閉じ込められます。
この分身は下層世界（悪魔の学校としての表象）に生きるものの中では比較的善良で、邪心のない存在であり、そのため周囲からもういたいじめられる存在です。自らも周囲との異質性を自覚し、この世界から脱却しようと欲しています。やがてこの小悪魔ニムリムは、超越の働きかけにより、魔界（絵の中）からの脱出を「アトリエ」において成就します。（＝画家の「肖像画」の完成＝少年像、および実物の少年の到来）それが第三章において語られます。その際、超越からの働きかけとともに、この脱出劇を助けるもうひとつの媒体が妖精として登場しますが、これが画家の娘（もと孤児でもらわれっ子のカブリオル）の分身エシャッペです。なおこの章に出てくるシャボン玉の表象――目にみえぬまま自分を背後から包み込むほぼ透明な膜――は、先も一寸ふれましたが人間の「自己＝超越の受肉した主体」の構造をあらわしたつもりです。

　最後に、「人間」同士としての登場人物らのアトリエでの出会いとなりますが、最終的にはある距離をとりながらの共同生活が始まることが暗示されます。この先、かれらがいかに独立した人格でありつつ調和していくかは、今後の筆の課題になると思います。

　それと、反省として、超自我→←自我（主にエゴとしての）関係を物語るさい、その拮抗相克する側面が、如実に表現できていないと思われ、童話とはいえ、残念に存じます。が、今はともかく次から次へとわき起こるファンタジックなイマージュと表象とに追い立てられ、これを外に出すことで精一杯だった。また概念の表象化と各場面展開にひそませたたねあかしの結び目の、細かなつじつまあわせに苦心し、神経をそそいでしまったという感じです。

＊上記の文は、わたくしが敬愛致しますある作家の奥様で画家の女性に宛てた手紙からの抜粋です。難解な「天使パド物語」についての作者自身のガイド（前書き・後書き）としてお読みくだされば幸いです。

最後に、この長編童話を出版する方向へとご尽力くださいました、宗教学の八木誠一先生はじめ、作家O.M氏、奥様で画家のH.Sさま、また（当時）筑摩書房のH様に、この場を借りまして心より御礼を申し上げます。


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