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「社民党議員は
何を考えているのか」
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社民党が、組織ぐるみで、民主党への参加を決めたと報じられている。ほとんど無原則的な転向を繰り返して今や二大保守体制のなかで埋没しかかっているこの旧マルクス主義政党が、崖っぷちでみせた<民主リベラル>志向は、護憲と反戦平和にたつ国民にとって、本来なら後退の終わりを感じさせる意味で首肯したいところだ。
が、社民党の組織ぐるみで、民主党に参加するという話は、言語道断である。彼らには、新党の存在意義が分かっていないと言わざるを得ない。新党結成が、政治不信のなかで、国民に希望と期待とを抱かしめ得るその根拠を全く理解していない。
国民が望んでいるのは、単に、政党や組織の組み替えではあるまい。はっきり言えば、現在の政治家の大半に辞職してもらいたいとさえ思っているのではないか。いくら政党組織を新しくしても、その構成員としての政治家の顔ぶれが全く同じでは魅力がないのである。本来なら、文字どおり清新な政治家の誕生こそを願っているところなのであるから、せめて、既存の政党や組織の殻を打ち破って個人として行動することを求めたいのである。脱官僚政治が言われているが、脱皮しなければならないのは、既存の政党や組織の在り方でもあるのだ。政党や組織にたいする政治家個人の意識の在り方それ自体の変容もまた求められていると言えよう。
その点で、社民党として組織ぐるみで、新党に参加を決めるなぞ、そもそも新党結成の意義すら理解していない愚行と断じるほかはない。真に時代の要請、国民の期待にこたえようとするならば、社民党の議員は、民主党への参加に当たっては、既存の政党や組織としての行動に依拠するのではなく、あくまで一人の政治家として、決断すべきである。
実際、組織ぐるみの参加は、社民党議員の政治家個人としての見識の欠如を証すものであり、また、社民党としての政治行動という点からみれば、庇を借りて母屋をのっとる魂胆ではないかと勘ぐられても仕方あるまい。衰退の一途をたどる落陽の同党が、無党派層にも触手を伸ばし得る菅氏らの人気にのって、組織と政治家個人の安泰を意図した保身の悪あがきと断じられても無理からぬところである。社民党議員各自の猛省を促したい。
また、菅氏や鳩山氏には、社民党組織ぐるみの参加は、断固として拒否することを求めたいし、マスコミ・ジャーナリズムも、それを<排除の論理>と混同することのないよう求めたい。
了
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