<八ヶ岳おろし>No.1


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「沖縄の県民投票」

沖縄の基地の整理・縮小と日米協定の見直しをめぐる県民投票で、賛成が実に9割を超えるという結果が出た。投票率が7割を下回ったものの、沖縄県民の過半数が事態の改善を求めたことになる。棄権の予想外の多さを指摘する向きもあるが、これは反対の意思表示とは異なる。日米安保を支持するというイデオロギーの位相からの反応ではなく、やはり、基地の縮小や解体によって生じる失業や事業の破綻という悪影響にたいする懸念があってのことと解するべきだろう。
 ともあれ沖縄県民のコンセンサスは、基地の整理・縮小を求めるところにあることが明白になったのである。
 予想されていたとはいえ、この明らかになった事実のもつ意味は大きい。法的根拠はないと言うが、政治は、もともと民意を反映させるべきものであるのだから、今回の事実は政治に反映されなければならない。
 しかし、ここで注意しなければならないのは、沖縄の基地の整理・縮小が、本土の基地の拡大に形を変えるだけに終わってはいけないということだ。旧社会党(現社民党)もが安保堅持を明確にした現政権において、そこに支障が生じる形での解決はまず有り得ないだろう。沖縄にたいする配慮は、本土への負担の増大という形になる危険性が極めて高いと言えよう。
 実際、さきの日米合意があり、有事立法体制の確立に向けての動きがある。
 沖縄の本土化ではなく、本土の沖縄化が促進される危険にたいして、基地のない平和な日本を志向する国民は、充分に注意していかなければなるまい。今度の投票結果は、平和勢力には、良いニュースであると同時に、新たな厳しい闘いの始まりを示すニュースでもあると言わなければならない。

                                                     了


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「民主党旗揚げ」

 菅厚生大臣と鳩山由紀夫氏ら4人が発起人となって、自民党、新進党にたいする第3極を目指す政党が誕生した。官僚主導の政治からの脱皮と行政改革、小さな政府と地方自治の確立、個の確立をもとにした市民社会の形成など、表明されたスローガンは、概ね首肯できるものだ。現実の保守二大政党の弊害と危うさをおもうとき、またそれに対抗するのが政権獲得を期待し得ぬ共産党ただ一つという政治の実態をみるとき、<民主リベラル>を志向した政党が誕生したことは歓迎できる。
 問題は、「新党問題は、何が問われるべきか」でも述べたが、その<民主リベラル>が真にその名に値するかの試金石となるところの、わたしの言う「体制」との対決が明確に示されているかという点だが、その一つ、「歴史=現代史」との対峙では、基本政策の第一項目に「歴史認識」を挙げ、「日本社会は何よりも、アジアの人々に対する植民地支配と侵略戦争に対する明瞭な責任を果たさずに今日を迎えている」と明確に述べている。この点は、率直に評価したい。この認識を反映させた政治の実行こそ、21世紀におけるアジア諸国民との友好関係と日本の国際社会での健全な活躍を担保するものであろう。
 ただ、もう一つの問題、すなわち、有事立法体制の確立に表象される反平和主義・国家主義にたいする認識・姿勢がまだ明確ではない。具体的には、集団自衛権の行使を認めるのか否か、国連の常任理事国入りを目指すのか否かなど、不明だ。この点をあやまれば、「歴史認識」の前進も、無意味なものとならざるを得ない。
 その事に関わって言えば、明らかに国家主義的な色彩の濃い保守主義の立場にたつ船田元氏との連携を志向しているというのも納得のいかないところだ。
 また、先にあげた首肯できる各スローガンも、それを認めぬ圧力のなかで、どれだけ実行に移せるかという点の、彼らの実力のほどもまだ不明だ。これまで<民主リベラル>を志向する政治勢力は、実は単に<反共>イデオロギーをアイデンティテーとした体制内政党に過ぎなかったり、意志半ばにして挫折したりと、現実政治の実態として根づかなかったが、この民主党も、また雲散霧消する危険なしとしない。
 だが、現実政治の閉塞状況のなかで、自民党および新進党という二大保守政党のいずれでもないアンチ保守体制を志向する政党が誕生したことの意味は決して小さくはない。
 今後の、同党の形成如何を、注意深く見守りたいと思う。

                                                了



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「社民党議員は
 何を考えているのか」


 社民党が、組織ぐるみで、民主党への参加を決めたと報じられている。ほとんど無原則的な転向を繰り返して今や二大保守体制のなかで埋没しかかっているこの旧マルクス主義政党が、崖っぷちでみせた<民主リベラル>志向は、護憲と反戦平和にたつ国民にとって、本来なら後退の終わりを感じさせる意味で首肯したいところだ。
 が、社民党の組織ぐるみで、民主党に参加するという話は、言語道断である。彼らには、新党の存在意義が分かっていないと言わざるを得ない。新党結成が、政治不信のなかで、国民に希望と期待とを抱かしめ得るその根拠を全く理解していない。
 国民が望んでいるのは、単に、政党や組織の組み替えではあるまい。はっきり言えば、現在の政治家の大半に辞職してもらいたいとさえ思っているのではないか。いくら政党組織を新しくしても、その構成員としての政治家の顔ぶれが全く同じでは魅力がないのである。本来なら、文字どおり清新な政治家の誕生こそを願っているところなのであるから、せめて、既存の政党や組織の殻を打ち破って個人として行動することを求めたいのである。脱官僚政治が言われているが、脱皮しなければならないのは、既存の政党や組織の在り方でもあるのだ。政党や組織にたいする政治家個人の意識の在り方それ自体の変容もまた求められていると言えよう。
 その点で、社民党として組織ぐるみで、新党に参加を決めるなぞ、そもそも新党結成の意義すら理解していない愚行と断じるほかはない。真に時代の要請、国民の期待にこたえようとするならば、社民党の議員は、民主党への参加に当たっては、既存の政党や組織としての行動に依拠するのではなく、あくまで一人の政治家として、決断すべきである。
 実際、組織ぐるみの参加は、社民党議員の政治家個人としての見識の欠如を証すものであり、また、社民党としての政治行動という点からみれば、庇を借りて母屋をのっとる魂胆ではないかと勘ぐられても仕方あるまい。衰退の一途をたどる落陽の同党が、無党派層にも触手を伸ばし得る菅氏らの人気にのって、組織と政治家個人の安泰を意図した保身の悪あがきと断じられても無理からぬところである。社民党議員各自の猛省を促したい。
 また、菅氏や鳩山氏には、社民党組織ぐるみの参加は、断固として拒否することを求めたいし、マスコミ・ジャーナリズムも、それを<排除の論理>と混同することのないよう求めたい。

                                             了


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