「歪んだ小選挙区制報道」についての、コメント

                        津吹 純平

 国会が閉幕した。いよいよ事実上、秋にもあるとされる総選挙に向けて、戦いの火ぶたが切られたと言える。
 今度の選挙は、小選挙区制比例代表並立制で行なわれることになっている。金権政治の打破、反倫理的政治家への厳しい審判、政権交代可能な二大政党制の実現、そして政治的無関心層の防止・投票率の向上といった「政治改革」の名のもとに導入されたこの選挙制度の真価が問われることになる。
 様々な非民主的な要素の他に、この制度が、ファシズム政党の台頭を可能とする構造を本質的にもっている点に、最大の問題をみる私は、今でも、一刻も早く、一度も実施することなく、廃止することを強く求めたいところだ。
 この論点については、いずれ折をみて、論じたいと思う。
 今回は、マスコミ・ジャーナリズム批判を主題としたい。実は、マスコミ・ジャーナリズム批判は、私の主要なテーマなので、今後も度々取り上げることになるだろう。
 マスコミ・ジャーナリズムの堕落については、既に良識ある人々の中に厳しい立場が存在する。私のように執拗にマスコミ・ジャーナリズム批判を繰り返すことをも、甘い期待と幻想を抱いているとする冷めた目だ。批判しても、今や、マスコミ・ジャーナリズムは再生する能力を失っているというのである。
 この厳しく冷めた目の省察の正否はともかく、私の批判は、マスコミ・ジャーナリズムの再生はなるかという点に最大の主題を有するものではない。
 とにもかくにも、現実には、マスコミ・ジャーナリズムは、国民世論を形成する大きな役割を果たしており、人々の期待と信頼を集めている。
 再生する能力を失っているとまで批判されるマスコミ・ジャーナリズムがしかし、現実には、第四権力と言われる実態がある。
 私は、その欺瞞を解明したいだけだ。マスコミ・ジャーナリズムの虚像を白日の下に曝すことによって、善良な人々が、マスコミ・ジャーナリズムに対しても、健全で賢明な批判精神を向けることを願うのである。
 さらに結論めいた事を言えば、マスコミ・ジャーナリズムが真にその名に値する言論活動を実行し得ないならば、いっそ諸々の事柄について、わたしたち国民が思考し、判断する際の、的確な情報を提供する役割に徹する機関に甘んじることを求めたいのである。

 このような主旨から、私はマスコミ・ジャーナリズム批判を展開していくことにしたい。その第一弾として、今回、小選挙区制の報道の際にみられた歪みをテーマにした文章を掲載することにした。これは、以前、1991年7月に発表したものだが、こんにちのマスコミ・ジャーナリズムの問題点を明確に露呈したものであり、また、小選挙区制をめぐる論議が惹起しつつある時期でもあるので、敢えて、掲載する次第である。


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