この論文についてのコメント



 一つだけお断りしておきたい。わたしがここで問題にしている近代理念批判・戦後理念批判の営みは、実は昨今展開されているポスト・モダンの一側面を示すに過ぎない、という事である。
 読者のなかには、近代主義批判、ポスト・モダンの営みにたいして、好意的な印象を抱いている方もおられるかもしれない。わたしの捉え方に疑問を感じる方もおられるかもしれない。あまりにも偏った見方ではないか、否定的に過ぎる判断ではないか、と。
 実は、ポスト・モダンには、ここでわたしが取り上げたものとは大きく異なる側面がたしかに存することを、わたしも認識しているのである。
 少なくとも、軽々しく「反動」と断罪するわけにはいかぬ営み、近代主義の弊害を真摯にみつめている営みもまた、存するのである。それらの、言わば「保守体制」イデオロギーとしてのポスト・モダンではない営みのなかにも、近代主義の価値と前近代主義の弊害に関して些か的確さを欠いた認識が認められることもあるが、しかしそうした場合でも、前近代にたいする超克としての近代主義に反感や憎悪や敵意を抱いているわけではない、誠実な精神が明らかなのである。
 わたしは、そうした近代主義批判、ポスト・モダンの営みにたいしては、充分に敬意を表しつつ、批判的対話を試みたいと考えているのである。

                                              了



「新・八ヶ岳おろし」
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