「戦争し得る国への歩みと
          反戦平和の営み」

  ――――創刊の言葉の補遺(*1993年1月執筆)

                           
津吹 純平




 一九九一年と一九九二年という年は、日本の歴史に深く刻み込まれる年になることでしょう。
 九一年には湾岸戦争において[戦費拠出]が行われ、また九二年にはカンボジア紛争において[自衛隊のPKO派遣]が断行されました。
 [一国平和主義]を排し、[国際貢献]を果たすというのが大義名分ですが、国民の多数が同意でき得る、憲法にもとづく真の国際貢献の道が厳然と存在するにもかかわらず、あくまで自衛隊の海外派遣に固執したそれは、アメリカの要請が強い動機となったとはいえ、冷戦終結と超大国米ソの凋落後の覇権をめぐる[盟主国願望]――国連の常任理事国たらんと画策することとも連動した――の表象ともみなすべきでありましょう。
 併せて、日米安保体制の下、過去の歴史を贖罪することなく、再びアジアを切り捨てながら[一国繁栄主義]の道を猛進してきた日本の、[既得権]と[予定利益]を死守せんと欲する国家エゴイズムの表象とみなすべきでもありましょう。

 事の本質がこうしたものであるとき、日本の行動が、[戦費拠出]や[PKO派遣]をもって完結することにはならないことは明らかだと思われます。
 早晩、日本の[平和]と[憲法]は、なおいっそう深刻で危険な状況に立ち到るでありましょう。
 具体的には、こんにちの時点でたしかに予測できる事として、PKFへの派遣、多国籍軍への参加をあげることができます。
 換言すれば、日本の自衛隊が、他国の軍隊やゲリラなどと交戦する事態が生じるということです。戦闘によって日本の若者が死ぬような事態が起きるということです。また、他国の若者を殺すような事態が起きるということです。
 もっとも、政府自民党は、そうした事態に立ち到っても、まだ、憲法が禁じている武力行使にはあたらないとか、平和維持活動であるといった詭弁を弄するでありましょう。
 しかし、それが過去の日露戦争や、日清戦争や太平洋戦争などの戦争とは様相を異にしているのだとしても、戦後日本の国是としてきた平和主義に悖る行動であることは疑い得ないはずです。戦後の日本人の圧倒的多数、たとえば自民党支持者でさえその多くが求め理解してきた平和と平和維持の在り方とは決定的に異なる事象には違いないでしょう。
 その意味で、日本は、まさに決定的な平和の危機をむかえることになると言わなければなりません。端的に言って、[戦争する国]への大変貌を遂げることになると言わなければなりません。

 あまつさえ、危機は、[戦争する国]という実態を呈するだけではないのです。[戦時体制を確立する国]という実態をも呈することになるでしょう。
 もっとも、こんにち懸念される戦時体制の確立とは、過去の軍国主義と侵略戦争の時代におけるそれとは、かなり様相を異にしたものになると思われます。当面、軍国主義一色、戦争一色という極端な体制を志向することは避けられるでしょう。
 戦争遂行者たちは、おそらく、その一方で、市民社会の機能をできるだけ維持することに努めるでしょう。またそれ以上に、国際的には平和主義を遵守する国として認知されるように、国家としての体裁を保つべく苦心するでしょう。一方で、自国の覇権や既得権や予定利益を死守するために、軍事行動を展開しながら、他方で、発展途上国への経済援助にも本音はともかく表面上は積極的に応じるといった二面外交を展開するものと思われます。
 しかしながら、そうした戦前とは異なる様相の下で、やはり、偏狭な国策の絶対化(強権政治)や、天皇と国家への忠誠心の強制が計られることでしょう。あるいは政治の場で、あるいは教育の場で、またあるいはマスコミの場で、挙国一致体制の必要が叫ばれるでしょう。天皇に、「国と国民を守るために自衛隊のみなさんが多大な犠牲を払っていることは、心が痛みます」などと語らせることもあるかもしれません。
 そこでは[反戦平和]を唱えることは、戦死者にたいする冒涜であり不謹慎であるとしてタブーとされ、非国民との非難を浴びることさえ起きてくるでしょう。さらに、本島長崎市長襲撃事件や朝日新聞神戸支局襲撃事件などのようなテロも多発する恐れが出てくることでしょう。
 そして国を守る気概が求められる必然として、徴兵制度の復活が画策されることになるでしょう。(もっとも、この点は、たとえば青年の社会奉仕活動の義務化を唱え、そのなかに国際平和協力隊といった組織を組込むなどの形をとって、憲法改正を必要とする徴兵制度は当面回避するという手の込んだ方法を取るかもしれません)。
 こんご予測される戦時体制の確立とは、当面こうした日常と非日常とが併存する形になるのだと思われます。戦争遂行の妨害になるものにたいしては陰湿な攻撃を加え、国策に抵抗しないものにたいしては時代の逼塞をあまり感じさせないように配慮することになると思われます。

 こんにち進行しつつある戦争遂行と戦時体制確立とは、おおよそ以上のような展開を示すことになるでありましょう。
 もっとも、事態は幾多の不確定要素を含んでおり、より流動的な展開を示すことも考えておかなければなりません。
 たとえば、PKFや多国籍軍への参加によって実績をつんでいった場合、局地的な紛争の担当責任者のような役割を日本が担う事態も出てくるかもしれません。そして、さらにイニシチアブを掌握したのちには、現在のアメリカがそうであるように世界の憲兵としての役割を自ら積極的に担おうとする意図もみえてくるかもしれません。
 こうした緩やかな戦争への傾斜とは別に、一挙に戦争突入という事態の発生も予測しておくべきでしょう。
 たとえば、過去に日本の侵略の犠牲となった国にPKFや多国籍軍の一員として介入した場合、日の丸を標的とした武力攻撃が発生しないとは誰が断言できるでしょうか。そのとき、日本政府は主権が侵されたとして、強硬な措置をとることになるでしょう。直ちに自衛隊の全面出動とか、宣戦布告といった過激な措置が講じられることはないにしても、限りなくその危険が大きくなるような事態をまねきかねない方向で強硬手段を用いることは間違いないでしょう。
 殊に、これは絶対にあってほしくない事ですが、不幸にして万が一、朝鮮半島で紛争が勃発した場合や北朝鮮で内乱などが勃発した場合に、日本が軍事介入してさきのような事件が勃発したとしたら、ほんとうに、事態は最悪のシナリオを展開する恐れがきわめて大きいと考えなければなりません。その折り、「日本の主権を守れ。あんな国になめられてたまるか」と叫ぶのは、けっして政府自民党だけに限られるわけではないでしょう。こんにちも日本国民に広くみられる朝鮮民族にたいする長年の差別と偏見に満ちた感情が一挙に爆発する恐れは多分にあるのではないでしょうか。
 現在の時点では、こうした危険は、幸いにほとんどないわけですが、しかし、わたしたちは、今後の予測として、最悪の場合も考慮しておかなければならないと思われます。

 戦費拠出と自衛隊のPKO派遣という二つの出来事が指し示しているのは、今後おおよそこのように事態が展開していくということではないでしょうか。国際貢献とか、平和維持活動といった建前とは裏腹に、こうした危険がわたしたちを襲っているのだと認識すべきではないでしょうか。
 まさに、平和は、そして憲法は、戦後最大の危機をむかえていると言わねばなりません。

 ところが、甚だ残念ながら、国民世論においては、自衛隊のPKO派遣にたいしては大きな反対や不安の声が上がりはしたものの、必ずしも今後の予測が的確になされているというわけではありません。カンボジアへの自衛隊のPKO派遣という個別の問題として捉えているだけで、こうした事が起きてくる[時代]の問題として捉えているというわけではありません。
 事はカンボジアへの自衛隊のPKO派遣によって直接発生する弊害や危険にとどまるわけではなく、換言すれば、たとえば地雷処理に失敗して自衛隊員が死傷するという程度の不幸を覚悟しさえすれば、事は済むというわけではなく、PKFや多国籍軍への参加など、[戦争遂行]と[戦時体制の確立]に向けて、事は動き出しているのだといった時代認識が生まれているわけではありません。
 「たしかに、カンボジアへの自衛隊のPKO派遣は、日本の平和主義にとって必ずしも正しい選択ではなく、遠い将来に禍根を残すことになる恐れもあるとはいうものの、しかしこれで日本の平和主義が崩壊したとか、崩壊の危機に晒されたとかいうものではないだろう。日本の平和にとって、たとえば防衛費の一%枠突破のように、好ましくない一つの現象には違いないとしても、日本は、まだまだ平和な国としてやっていけるだろう。日本の平和が損なわれる危険はほとんどあるまい」。
 カンボジアへの自衛隊のPKO派遣に迷いながらも賛成した人々や、反対した人々の多くの観念は、こういうものではないでしょうか。一部にはより深刻な認識を抱いている人々もいるでしょうが、国民的なコンセンサスという観点で言えば、事態にたいする認識はおおよそこのようなものだろうと思われます。

 一方マスコミも、事態の深刻さを的確に伝えているとは到底いえないでしょう。今後の予測を緻密に分析している報道は皆無ですし、PKO報道も、「国会の承認を必要とするのはPKF派遣であって、PKO派遣は閣議だけで決定される」といった事や、「今後は紛争地域にいる在留邦人を保護するために自衛隊が出動する話も出てくるだろう」といった事などの重要な指摘が、法案成立後になって初めてなされるというお粗末なものでした。
 こんにちの時点から振り返るとそれなりのキャンペーンを展開したかのような印象がありますが、しかし、肝心の法案成立以前の段階ではけっして的確な検証を行ったとは言えないのです。明らかに後手後手に回った報道でした。
 国民の多くに平和の砦として観念されているマスコミも、もはや過大な期待は慎むべき実態にあることを、わたしたちは認識しなければなりません。
 国民世論やマスコミとならんで日本の平和を守る主体として歴史的に大きな役割を果たしてきたものに、日教組をはじめとした労働組合と、護憲平和の民主勢力がありますが、これらもこんにちの反動的な潮流を押しとどめるほどの力は失われていると認めなければならないでしょう。特に労働組合は、日本最大の組織である「連合」など、改憲問題をタブーとすべきではないという立場を取るほどに到っており、もはや護憲平和勢力とは呼び難いものに変貌しております。
 他方、民主勢力は依然として毅然とした態度を貫いておりますが、如何せん、政治や文化など広範囲での左翼革新の退潮現象のなかで自己防衛に必死という事情があり、平和運動の主体として政治的・社会的に少なからぬ影響力を行使するには到っておりません。

 かくして日本は戦費を拠出し、カンボジアへPKOを派遣するという重大な過ちをおかすに到ったのです。そして、近い将来に決定的な破局をむかえるやもしれぬという危険を、こんにち抱えてしまったのです。
 繰り返しますが、まさに、平和は、そして憲法は、戦後最大の危機をむかえていると言わねばなりません。

 それにしても、時代が戦争遂行と戦時体制の確立に向けて傾斜していきつつあるのを、わたしたちは黙って見過ごしてしまうのでしょうか。
 このままわたしたちが何も行動を起こさないとしたら、事態は決定的な破局へと突き進むことになるのは間違いないと思われますが、ほんとうに、わたしたちは、このまま許してしまうのでしょうか。
 過去の天皇制軍国主義時代とは異なり、平和憲法があり、その憲法で言論の自由が保障され、マスコミが発達し、主権在民の時代である今、結局、わたしたちは、祖国が「戦争する国」になっていくのを傍観してしまうのでしょうか。再び、国策に協力することを強いられるままに、己の手を汚してしまうのでしょうか。
 わたしたちは、ほんとうに、それほどにも、無力なのでしょうか。

 否、わたしたちは、今こそ、反戦平和の声をあげるべきでありましょう。一人ひとりが反戦平和の誓いを心に堅く結ぶべきでありましょう。そして、その誓いを人々と共有すべきでありましょう。
 戦後日本の歴史において、反戦平和運動は、何度か大きな盛り上がりを示しました。六〇年安保闘争しかり、ベトナム反戦運動しかり、基地闘争しかりです。もちろん現在も引き継がれている原水爆禁止運動もその一例でしょう。こんにちに到るまで、こうした歴史を日本の国民は体験しております。
 しかも、これらの平和運動の対象となった危険はそれぞれ国際紛争になんらかの形で関与していることであり、厳密に言えば[参戦]と言えなくもないわけですが、換言すれば、他国民・他民族にたいして加害者の立場にたったとも言えるわけですが、考えてみれば、直接日本が軍事行動を取る、それも海外の地で武力を行使するという形の危険ではありませんでした。
 もちろん、事と次第によっては、そうした危険が生じる可能性もけっして皆無だったわけではありませんが、取り敢えずは、直接の戦争を想定して反対運動を展開したということではなかったわけです。
 しかし、今現在かかえることになってしまった自衛隊のPKF派遣や多国籍軍への参加、そして他国軍の報復攻撃とそれにたいする自衛(!)の逆報復攻撃などの危険は、まさに、日本が直接、他国民を相手に戦争する危険であります。
 言わば、戦後日本の平和運動が直接想定してきたわけではないとはいえ、常に危惧してきた究極の危険、幸い体験することなく済んできた危険が、今現在発生してしまったわけです。
 であれば、わたしたちは、過去にも増して、今、反戦平和の運動を展開すべきなのではないでしょうか。戦後政治の総決算・戦後理念の総決算などと保守反動の側は叫び立てますが、わたしたちは、戦後の平和運動の総決算として、今現在の危機に立ち向かうべきではないでしょうか。まさに、戦後理念も、戦後平和運動も、正念場にさしかかっていると言わなければなりません。

 しかしながら、ここで大切なのは、戦後の平和運動の総決算とは言うものの、こんにち必要とされる反戦平和の運動は、過去のそれとは些か異なった展開を示すべきであろうという点です。
 それは、なにより、国民的コンセンサスの形成を目的にすべきであろうと思われます。
 既存の運動は、とかく、[対立]と[断絶]に終始しがちでありました。たとえばPKO反対という主張を抱いた場合、他者を、その己の主張に好意的な人々(仲間)と好意的でない人々(異論者・反対論者と中間者)とに、ほとんど無自覚的に分別しておりました。この無自覚的な意識の前提にたって、運動は、なによりも異論や反対論を唱える人々との間には[対立]を、中間的な立場にたつ人々との間には、[断絶]を生じせしめました。そして、対立意識は必然的に[闘争]を求め、また断絶意識は[無視]という行動形態を取りました。
 その結果、言論は、仲間内に理解されることを期待したものに閉ざされることになりました。異論者・反対論者と中間者に理解と合意を期待した言論ではありませんでした。
 当然のことながら、それは、運動が国民的コンセンサスを形成できないことを意味します。戦後左翼・革新の運動は、大きな盛り上がりを示しながらも結局は体制側の暴挙を抑止できずに政治的に敗北するという結果をもたらしました。たまたま運動の外で、自主的な国民の反対の意思が明確になったことによって政府与党が意図を断念することはありましたが、左翼・革新運動そのものによって体制側の暴挙を抑止し得たことはなかったのです。おかれた状況のなかでの彼らの努力を顧みれば、些か酷な厳しいことを言いますが、左翼・革新運動は、体制変革においてこんにちまで敗北を続けています。
 こうした運動の逼塞は、その革命主義がもたらした必然だったとも言えます。革命思想にはもともと対立・断絶を生じせしめ、闘争を至上とする観念が存在しますが、ほんらい革命は、民主化されていない社会において、一部の帝政やブルジョア階級にたいして圧倒的大多数の国民やプロレタリア階級によって実行されるものであることによって、その非民主性を免罪され得ているわけです。ところが、戦後日本のような一応にせよ民主主義制度が確立している国家社会において革命は、少数者による多数者支配という結果をもたらしかねません。民意を無視した独裁的な行動を生じかねません。対立・断絶と闘争は、そのまま民主主義に悖る暴挙となります。
 戦後日本において、一貫して、平和と民主主義を擁護する立場でラジカルに戦ってきた左翼・革新運動ですが、そしてその功績も歴史にとどめるべきものがありますが、しかし、運動形態という根本的な次元で、民主主義に悖る観念が潜む矛盾を抱えていたわけです。
 こんにち、反体制的な運動を志すものは、なにより、民主主義に即した運動形態をとらなければならないでしょう。あくまで、民意を尊重しなければならないでしょう。国民的コンセンサスの形成を目的としなければならないでしょう。
 そのために、異論や対立、中間や無関心などにたいしても、けっして敵対することのない運動が必要でしょう。その言論も、異論者や対立者、中間者に理解と合意を得られるようなものでなければならないと思われます。
 その意味で、運動は、なにより仲間内の論理と言語に自己完結することを厳しく戒めなければならないでしょう。

                                 <未完> 

1993年1月


高原だより表紙 陽光氷解の綴