第1週  

12月25日(土)   はじめに――表現の位相

 聖なる日の残照の輝きと黄昏の静謐と宵闇の深さ。そして透明な月の明かりと――。
私は、己の意識を、まずは、沈思黙考に向かわせなければならぬ。
 自己内対話。
 物心ついた頃より習慣となっていた思索。
 脅迫観念に憑かれたとも言える大きな不安と強い懐疑を孕んだ、執拗に繰り返される己の思索に対する反省。
 そうして、自己洞察と自省への、絶え間ない志向性の働き。

もちろん、魂を病む危険をもたらしかねない意識の営みは、ここでは、繰り返すまい。が、表現者としての私の存立に先だって、今、何よりも、私は、私自身に立ち戻るべきだろう。

 そうして、究極的には他ならぬ私自身の自己形成の為に営んできたとも言える、思索と反省と自己洞察と自省を、綴ってみることにしよう。

何よりも、過去の時をそのように生きて来、また晩鐘の今を、そのように生きる己を、対他者と対世界の間に、定立させることを願って。


12月26日(日)   「内省的世界――
             弦楽四重奏曲 嬰ハ短調」

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いている。第14番 嬰ハ短調 作品131。演奏は、スメタナ四重奏団。彼らが全盛期の1971年6月に、プラハで録音されたもの。
実に気品のある格調高い演奏だ。さりとて、様式美に偏った演奏ではない。ベートーヴェンの晩年の内省的世界を十分に表出している。

 ベートーヴェン晩年の内省的世界。単に作曲家という枠を超えた一人の人間として成就した偉大な精神と純潔な魂。その精神と魂が晩年に到達した未踏の境地。哲学的な深みと宗教的な高みを兼ね備えた稀有の内省的世界。
 そして、孤独と諦念。通俗的社会という位相の中での不可避の孤独と諦念。
 しかし、破滅をもたらす自己崩壊としての孤独ではない。虚無に通じる諦念ではない。
 その深層には、無限の愛がある。虐げられし人々への共感の絆がある。小さく弱き者への大きく強き慈しみがある。

 内なる平和と外なる平和の統合。人間の尊厳の確立。それを誠実に希求し、闘う者が余儀なくされる孤独と諦念。
 そして、静謐な祈りを秘めた内省的世界。
 そこには、なお内奥から湧きいずる魂の歓びも。精神の真の、晴朗とも言える躍動も。

 ――そして、芸術作品への具現化。完璧なまでの芸術的達成。


――内省的世界の位相において、表現行為に努めること! 
 この私も。……たとえ、ささやかなりと。


12月27日(月)   「七大テーゼの希求」

 愛と美と真実。自由と正義。平和と民主主義。  ――たしかに、これらは、少年期よりこんにちまで、私の思考と行動を、根底から突き動かしてきた原理だ。意識の志向性を、いや、無意識の位相においても、私は、そこに向けてきた。  むろん、聖人君子ではない私は、幾たびか過ちをおかしてきた。己の未熟さと弱さに、後悔の念に苛まれもする。  
 私は、この七つのテーゼを、自らの人格と生活の上で成就したと自負する意識から語るべきではない。  しかし、同時に、それゆえに己が絶えずこのテーゼを希求して生きてきた事実を語ることに躊躇すべきでもないだろう。今後もさらにその志を抱いて生き抜く決意であると語ることに怯むべきでもないだろう。

 私の人格と思想と行動の自己形成は、たしかに、愛・美・真実、自由・正義、平和・民主主義――これらの価値の具現化への希求と、これらの価値による絶え間ない検証とによって育まれてきたと言える。そう、それは、事実だ。  

 私は、今一度、それと自己認識しよう。  そして、この孤独な闘いを、晩鐘の時、挽歌の時に、最後まで貫く決意を、ここで新たにしたい――。



12月28日(火) 「殺されないために、そして、殺さないために」

 平和の危機。12年前から、<日本が再び国際紛争に軍事的に関与し得る国家体制の確立に向けて動き出した>と、近い将来の戦争の時代の到来を憂えて、平和の危機を訴え、その平和の砦の再構築を呼びかけたものの、殆どの知識人・文化人たちから無視された事実を、今更ながら、深い憤りを込めて思い起こす。――しかし、今、ここで書き留めておくべきはその事ではない。それはまた別な折りに省みることにしよう。

その平和の危機が、今年は、ガイドライン法案の可決によって、いよいよ政治の日程に具体化した。それと、一連の、北朝鮮への反感と敵意の増幅、護憲意識・絶対平和主義意識の衰退、といった国民意識の変化と転向が、政治を後押しする。

尤も、今現在認められる平和の危機を作り出す観念と意識は、多分に防衛的なものだろう。私は、状況の異常さ、深刻さを強調するあまりに、事態の真相を歪めてはならない。客観的な事実を、冷静に直視することが必要だ。
そこに存するのは、「殺されないために」という意識だろう。
こんにちの反動的な流れを作り出している意識は、本来、人として、また国民・民族として認められるべき正当なものだ。

私たちは、「殺されないために」、何事かを為す必要がある。たしかに、過去のアウシュビッツをみても、南京をみても、またカンボジアをみても、相手を殺す意志さえ持っていなければ己の命と生活は保証されるというものではない。若き母親の目の前で、赤子を銃剣で刺し殺す野獣のごとき人間が、軍隊が、民族が、国家が存するのも、また事実だ。
「殺されないために」、私たちは、何事かを実践すべきだ。

しかし、何を?

こんにちの反動的潮流の誤謬は、「殺されないために」という防衛意識の裏で、敵意と反感と憎悪を自らの心に増幅させていることだ。
その事は、「殺されないために」、有効なもう一つの道――相互理解と共存共栄を徹底的に追求する平和の道――を、閉ざすことになる。

さらに、こんにちの反動的潮流の、もう一つの誤謬は、「殺さないために」という意識を欠落させていることだ。

戦前の日本帝国主義時代・植民地支配の時代からアジア諸国への侵略戦争へと突き進んだ歴史と、その幾多の罪過に対する心からの反省と謝罪と償いをいまだ十分に果たしていない戦後。

私たちは、「殺されないために」という意識と同時に、「殺さないために」という意識をも、抱かなければならない。
「殺されないために」という意識の下で行おうとすることが、「殺す」ことに繋がりはしないか、と自省する必要がある。
 たとえ「殺されないために」という意識ゆえに志向した事であっても、己の精神と脳裏に、ネガティブな意識と観念と感情が孕んだままであるとき、そして、そこに新たに、反感と敵意と憎悪が加わったとき、「殺さないために」という意識の欠落は、何をもたらすか――。

 私たちは、今、「殺さないために」という位相での平和論を構築しなければならない。――そう、私は、肝に銘じよう。



12月29日(水)   上祐出所

 広島刑務所に服役していたオウム真理教の最高幹部の上祐史浩が懲役3年の刑期を終えて出所した。彼は教団への復帰を表明した。今でも、彼は、麻原彰晃こと松本智津夫被告への帰依を変えていないという。彼は正大師の地位にあり、現在集団指導体制で教団の運営に当たっている正悟師の長老部の6人より上位に占めることから、今後の教団の事実上の指導者として活動を再開するものとみられる。

地下鉄サリン事件をはじめ、オウムによって命を奪われたり生活を脅かされた被害者やその家族の方々は、どのような思いを抱いて、今日の出来事を受けとめただろう?

一方では、教団解体への追求も、促進されつつある。
オウム問題では、考えるべき課題がたくさんある。
感情に流されず、固定観念に偏らず、冷静に、柔軟に考察を進めなければならない。
私たちは、歴史の過ちを再び、繰り返させてはならない。>
と当時に、もちろん、彼らの犯罪そのものは、絶対に許すべきではない。
また、今後、2度と再び、新たな犠牲者を、絶対に生じさせてはならない。




12月30日(木)   「愛することの辛さ」

 相手が人であれ、動物であれ、愛するという行為は、私にたくさんの恵みをもたらしてくれる。愛することによって、私は、大きな歓びを得ることができる。
だが、愛する行為は、また同時に、辛く苦しい思いをも味合わせる。特に、愛の対象となるものが、いたいけな、言葉も話せない小動物であり、怪我や病気にみまわれたりした時、愛すればこそ、心配は募り、いたたまれない苦しさに胸が締め付けられる。

今夜、愛するブーレが、目に異常をきたした。青山どうぶつ病院の先生には連絡が取れなかったが、ネットで検索して知った熊本の龍之介どうぶつ病院の先生から親切なアドバイスを受けて、とりあえず、刺激性の弱い人間用の目薬を1滴落とした。

まだ、時々、目を擦るようにしているが、喉をゴロゴロ鳴らしたり、甘えた声を出したり、異常に気づいた時は、じっと蹲っているだけだったから、幾らかは回復に向かい出したのかもしれない。ぜひ、そうであって欲しい。

私も、頭の中が真っ白になり、心も激しく動揺したが、とにかく落ち着かなければいけない。そして、心の奥深くから、祈ることだ。




12月31日(金)   「ブーレ、頑張れ!」

休診日だったが、青山先生は治療をしてくださった。笑顔で迎えてくださった。
やはり、思い切って電話して良かった。もしいつものように、遠慮して、万が一の事が起きていたら、と思うと、ぞっとする。

時には、迷惑を承知でお願いしてみることがあってもよいのかもしれない。人の厚情に甘えさせて戴くことがあってもよいのかもしれない。もちろん、甘え過ぎてはいけないが。

心から感謝するとともに、どうぶつ病院の案内のページをさらに充実させてお礼を申し上げよう。


 ブーレ、愛しているよ! 早く良くなるんだよ!



2000'1月1日(土)   「Y2K問題」

静かで穏やかな元旦も宵闇が深くなっている。

心配されたY2K問題も、今のところ、大事には至っていない。電気・ガス・水道、通信・放送、交通、原子力、医療などなど、ライフラインにも重大な支障はきたしていない。

世界的に心配されていたミサイルの誤発射や、ロシア・ウクライナの原発なども、異常な事態は発生していない模様だ。あと懸念されるのは、中近東の原油産出のシステムダウンだが、現時点ではそのような報告はされていないようだ。

もちろん、まだ油断はできない。
4日以降に国内で始動する各企業・各工場の生産ラインにトラブルが発生しないか。通常の作業とは異なる特殊な作業を行った場合にも、異常は発生しないのか。

もし生産ラインにトラブルが発生すると、むしろ問題は、2月以降に起きる可能性が高い。
今日1日の無事で、終わった事とせず、今後も関心を持ち続け、注意深く動向を見守ることにしよう。



ブーレは、今日一日で、目立って回復に向かっている。良かった。
これからは、もっと、身辺に気を配ってあげなければ。

「八ヶ岳高原だより」