第4週  

1月16日(日)   「知識の偏向」

 ネット上で飛び交う主張をみていると、今の若者――30代も含まれるが――も、昔と同様、知識の獲得の仕方が、非常に偏っているようだ。私の学生時代には、絶対真理を主張する左翼系の人々に顕著だったが、今では、保守的な立場の若者が目立つ。昨今の時流がそうさせるのか、とにかく、彼らの勢いがやたらに目につく。

 その主張――、たとえば南京大虐殺論なども、彼らに言わせると、大虐殺をあったとする側の主張は、全くの虚偽を捏造したり、些末な事実を極大化したものであり、その論証はデタラメなもので、簡単に崩壊してしまうような脆弱なもの、という事になる。
 ここでは、その真偽は問わない。

 彼らは、そこまで強く断定するほどの知識を、どのようにして得たのか?

 残念ながら、彼らが、糾弾する<デタラメで脆弱な>論証を行っている当の原典を読んでいる形跡はない。
 要するに、その原典を、反感や敵意や憎悪など感情的な位相から非難し糾弾している人物の主観的な主張に接しているだけだ。
 原典に対する認識も、評価も、その人物の目を通したもの。
 ある事実に対して、直接それに触れずに、その事実に悪意を抱いて触れた人の主観にのみ接して、そのある事実を知り得たような錯覚を抱く。そして、一方的に断定し糾弾する。

 テロリズムとファシズムの思想的な萌芽。

 それにしても、なぜ、双方の主張に耳を傾けないのか?
 一方の知識だけを吸収し増殖させて、他方の知識を排斥するのは、なぜか?

 異論・反論に触れることによって、持論が否定される怖れ。己が崩される不安。
 ――しかし、そこまで、若くして、特定の意識感情が凝結し凍結するのは、なぜか?

 私たちには、「精神の自由」がある。自ら、それを放棄して、精神の奴隷となる必要はないのに。



1月17日(月)   「死刑求刑」

 オウム真理教の井上被告の裁判が結審。弁護側の最終弁論の中で、既に検察側から死刑を求刑されていることに対して、「死刑は重過ぎる」と陳述したと、NHKのニュースは報じている。

 これは、事実なのか? 本当に、「重過ぎる」という表現を用いたのか?

 たしかに、井上被告の場合、「麻原の指示を断れば、裏切り者として殺されていた」だろうし、マインドコントロールも受けていた。しかも、逮捕後は、深く反省し、麻原とも対決するなど事件解明に協力した。
 尤も、井上自身、「検事から(死刑について)心配しなくていいと言われて迎合した」旨の告白をしている。この告白の意図は違うところにあるのだろうが、自らの延命を期待しての協力だと認めていることになる。

 が、そうした心情があったとしても、今までの報道によれば、彼が、犠牲者たちに対して、彼なりの謝罪の気持ちを抱いているのは事実のようだ。

 それやこれやを考えると、私が裁判長なら、死刑は回避する判決を下すかもしれない。

 だが、「重過ぎる」という理屈を主張するのは、どうか?
指示を断れば殺されたというのは、仮定の話だとしても、ほぼ間違いない事だったろうが、問題は、彼がそうした自覚を当時抱いており、自らの保身のために、その行為の悪と理不尽を承知していて、拒否したい意志を抱いていたにもかかわらず、やむを得ず、服従したという事であったか否か、という点にある。

 事実は、当時の彼は、麻原の指示が宗教上の正当行為である認識して、率先して荷担したのではなかったか?
そのような場合、彼の運命が客観的に負わされていた事実をもって、免罪し得るのだろうか?

 それとも、この点について、彼は、裁判の中で、自らの客観的な立場を自覚していたと証言しているのだろうか? だとしても、その証言は、現時点での是非判断から推量したものではないと言えるのだろうか?

 むしろ、マインドコントロールという事実のほうが、彼の罪過を判断する上で大きな要素になることだろう。
しかし、これも、己の意志や思考や判断力や自我を完全に消滅させるほどのものだったのかどうか? それに、当初、自ら進んでマインドコントロールを受けるような状況に身を投じていったのではなかったか?
 とは言え、マインドコントロールをもたらす非合理的世界への没入の責任と殺人の責任とは同一ではないが。

 結局、私が弁護士なら、彼のやった行為について、「重過ぎる」――不当な求刑だ――とは主張しないだろう。

 全く罪もなく、不当に殺された坂本弁護士やその奥様、そしていたいけなあかちゃんをはじめ、オウムの犯罪で犠牲になられた人々の命の重さを考えれば、殺した者のその罪について「重過ぎる」か否か、不当な求刑か否かと理屈の問題として論じ主張するのは不謹慎だと認識して、あくまでも、犠牲者への謝罪と償いの心情を大前提とした上で、当時の彼の頭と心が、一定の束縛の中にあったことを加味して、「死者や、そのご遺族の心情をおもんばかると、甚だ辛いものがあるが、ここで死刑に処するのではなく、生涯を賭して、その謝罪と償いを果たしていく機会を、与えてやってほしい」と、格別の温情を懇願するだろう。



1月18日(火)   「平和ボケ」

 湾岸戦争の時以来、<平和ボケ>という言葉がよく使われる。もちろん、これは、護憲平和主義と絶対平和主義をさして、彼らの立場からみて、その非現実性を揶揄する言葉として用いられている。平和は、常に他国の野心によって脅かされており、それを守るためには、軍事力も必要であり、時に戦争も辞さない覚悟が必要であるとして、軍事力に反対し、如何なる戦争にも反対する立場、そういう姿勢を堅持し、平和を祈願していれば平和が保たれるとする考え方や意識を、平和ボケと非難しているわけだ。
この問題も考察しておかなければならない。

 が、ここでは、別の意味における平和ボケのことを書きとどめておく。
たしかに、今、多くの日本人が、平和ボケと言っても過言ではない意識観念を抱いている。それは、どういうものか?

 幾つかの位相で言い得るが、今日は、そのうちの一つを確認しておく。
 戦時体制の実態に対する認識が非常に甘いというか、欠如していること。

 国家が戦争に突入していく時、とりわけ、日本のような国家がそうする時、反戦平和や自由と民主主義の擁護の叫びなど、認めないという事実に、無頓着な人々があまりにも多い。
 そこでは、言論の自由も、発達したマスコミも、平和を願う国民意識も、或いは公式に、或いは非公式に、弾圧と排斥を受けるに違いない。昔の治安維持法のごとき悪法――有事立法がそこに近似するか――と、それこそ国策に迎合するマスコミの扇動と、職場や地域や学校などの身近な場所での威圧と、一部の狂信的な団体や個人のテロ行為などなど。

 現代の日本人は、戦争と言っても、アメリカをイメージしているのかもしれない。たしかに、アメリカは、ベトナム戦争の時も、湾岸戦争の時も、徴兵拒否の自由があったし、ブロードウェイでは連夜ミュージカルが上演されていたし、野球やバスケットボールやアメフトも、平時と変わらず行われていた。人々は、戦時下とは思えない社会生活を送り、娯楽や趣味に興じてもいた。

 だが、日本では、それは無理だろう。国家権力が、それを許さないし、また国家権力に阿る人たちによって、それは許されまい。

 徴兵カードが来たら、破り捨てると答える若者がいるが、それは平時において可能な発想だ。

 この国には、国家そして天皇の意志に背く個人の尊厳など、まだ確立してはいない。
 平時においてこそ、それは認められるが、戦時体制下にあっては、それは許されない。もし本当に徴兵カードを破り捨てたりしたら、本人が、軍法会議(に類するもの)にかけられるか、テロの標的にされるかだけではなく、家族の命と暮らしも保証の限りではないだろう。

 国家が戦争に突入していく時とは、そういう状況をもたらすということだ。
決 して、平時の論理や行動は、通用しない。
 平和の危機、戦争の危険という問題を考えるとき、戦後日本の、まがりなりにも平和の空気を長く吸ってきた揺りかごから、一度、降りてみなければならない。


1月19日(水)   「戦時体制の成立は?」

昨日のテーマ。戦時体制においては、平時の様相は一変するとしても、その戦時体制は成立するや否や?
――その成立如何には、言論の自由や発達したマスコミや平和を願う国民大多数の存在は、大きな影響を与えるのではないか? 戦時体制下において戦争を阻止する力は有していないとしても、その戦時体制の成立を阻む力は、有しているのではないか?

たしかに、本来、それだけの力は有していると思われる。阻止する能力と考えるならば、能力はあると言えるだろう。
だが、その能力を有効に発揮し得るかとなれば、話はまた別だ。
そもそも言論の自由があり、発達したマスコミがあり、平和を願う国民大多数の存在がある現在の時点で、なぜ、ガイドライン法案が成立してしまったのか? そして国旗国歌法、盗聴法も。
能力の存在だけでは、現実に影響を与えることはできない。その能力をたえず発揮すべく最大限の努力を傾けることが必須だ。
その努力が不足すれば、事は、憂えるべき方向に進んでしまう。

――しかし、それは、それらの要素の問題ではなく、他の事情が生じたゆえに、成立してしまったのではないか? たとえば、問題の危険性、深刻さに対する認識が希薄だったという。

成立の事情を分析すれば、そうとも言えるだろう。だが、そうだとしても、ならば、戦時体制についても、何か別な事情が生じれば、状況認識が希薄だったならば、それらの要素の存在とは関わりなく、成立に至ることを意味することになる。

――でも、戦時体制をもたらす、たとえば有事立法などの場合には、状況認識は適切にできあがるのではないか? その時、言論の自由も、発達したマスコミも、平和を願う国民大多数の存在も、その能力を有効に発揮し得るのではないか?

平和の砦を守るために必要な状況認識という点で言えば、すでに、ガイドライン法案をはじめとしたこんにちの状況に対して、その危険性、その深刻さを、適切に認識すべきはず。それができなかった今、期待はできない。

――が、こんにちまでの問題と、戦時体制と称する今後の事態では、性格が異なるのではないか?

なるほど、ガイドライン法以上に、国民の生活にとって身近な法案とも言える有事立法は、本質・実体をより理解しやすいかもしれない。実は、そこに、反戦平和の闘いの一条の光りもまだ残されていると考え得る。

だが、それもこれも、ただ単に、「日本はこんなに平和なのだから、戦争や戦時体制になるはずがない」「言論の自由があり、発達したマスコミがあり、平和を願う国民大多数の存在があるのだから、戦争は起きない」といった無為の認識に身を委ねているだけでは成就するはずもなく、むしろ、状況は、このまま推移すれば、確実に、戦時体制の成立をもたらしてしまう――戦時体制の問題は、戦争反対の側にとってもより適切な状況認識を生じやすいものであるが、同時に、戦時体制の確立を求める側にとっても絶対に譲れない問題であり、世論の反発をそらすための様々な方策を講じてくることは間違いあるまい――との厳しい認識を抱いた上で、その流れを押し戻す意志と論理と言語を緊急に生ましめる営みによってこそ、はじめて可能となると考えられる。


1月20日(木)   「戦時体制とガイドライン法」

一昨日と昨日の考察で、自問が一つ。戦時体制の成立云々を考察するが、そもそも、ガイドライン法そのものが、すでに戦時体制を証す事実ではないのか?
ガイドライン法を戦時体制と切り離すことは、その危険性を薄めることにならないか?

――先の自問を受けて、異論が一つ。もしガイドライン法が戦時体制を証す事実だとするなら、戦時体制下においては、言論の自由や発達したマスコミや平和を願う国民大多数の存在も、戦争阻止に有効な力となり得ないほどに、抑圧されるというお前のテーゼは、自己矛盾をきたすことになりやしないか?

この自問と異論それぞれに、否と答えることができる。
たしかに、ガイドライン法自体、戦時体制を証す事実と認識すべきだろう。今後発生するかもしれぬ戦時下の状況において、その起源を辿り、平時と戦時体制の分岐点を捉えれば、このガイドライン法は、明らかに、戦時体制の証となる事実だ。
しかし、まだ、戦時体制の成立と言うほどまでには立ち至っていない。その成立に向けて、進行しつつあるというのが現状だ。

現在の平和の砦では、戦争を阻止することができないとする戦時体制とは、その成立時点の話。総体として戦時体制下と表現すべき時点の話。戦時体制の成立如何を問題にするのは、それゆえのことだ。

その戦時体制の成立を決定的な出来事と認識する立場から、平和ボケと称すべき戦争に対する楽観論の誤謬を考察している。
ガイドライン法の、それ自体の、戦時体制を証し構築する重大な事実については、これからも、確認していくことにする。


 

「八ヶ岳高原だより」