第9週  


2月20日(日)   「日の丸・君が代問題」

 この問題で、反戦平和の立場に身を置く者は、何を語るべきか?

 もちろん、この旗・この歌が、あの天皇制大日本帝国の植民地支配と侵略戦争の象徴となっていたがゆえに、平和憲法をいただく戦後日本にとって、国旗・国歌としてふさわしくない、ということを語らなければならない。
 その際、日本同様、過去に汚点をもつ国における事後の、国旗・国歌の扱い方如何が問題になろう――歴史は、清濁併せ持つものとして引継ぎ、民族・国歌の象徴は、一時期に限定させるべきものではない、という国旗国歌論が叫ばれよう――が、日本においては、過去の歴史に対する反省と謝罪と償いを、自ら主体的に果たしてきたとは言い難い実態が存する、という事実を対置すべきだろう。

 また、特に「君が代」は、その歌詞の内容そのものが、天皇制国家を象徴するものであって、主権在民に立つ民主主義国家のそれに抵触することを、繰り返し強調しなければならない。
その際、これは、反天皇制の立場から主張しているのではなく、戦後日本の象徴天皇制という実態に即して考えても、「君が代」を国歌とすることは合理性がないと指摘する必要があるだろう。

 さらに、特に「君が代」が顕著だが、「日の丸・君が代」を国旗・国歌とすることについて、国民的合意が成立しているとは言い難いという実態についても、語るべきだろう。
 そこでは、自国の国旗を仰ぎ見て涙し、国歌を高らかに斉唱するには、国民の自由で自主的な感情と意志の発露が不可欠であり、国旗・国歌がまさに国民統合の象徴であり確認であるとするなら、そうした国民による、国民的合意は、その大前提となすべきことであると語る必要があるだろう。

 しかし、これらにも増して、私たちが、語らなければならないことがある。
 こんにち、日の丸・君が代問題に決着をつけ、法制化を目論んだ真相は、ガイドライン法を一例として具現化してきた「日本が再び戦争をし得る国家の体制成立」を目指す動きと密接な連関があるという事実。国家主義の土壌づくりとして、画策されたという真相について、臆せず語らなければならない。
 今回の法制化については、単に実態の形式化に過ぎないと受けとめる向きもあるが、事はそう楽観できるものではない。特に教育現場などではやはり有形無形の圧力が既にかかってきているし、今後、有事立法・憲法改悪と続くであろう時代状況の中で、この法制化は、大きな意味をもってくるだろう。

 私が、「日の丸・君が代問題」を、独立国家・独立民族にとって当然な事として受け入れることができず、心底、憂えざるを得ないのは、まさに、「護憲平和」と決別し、「戦争容認」へと急傾斜して行こうとするこんにちの状況、それを意図的に推進させて行く人々によって画策されているという事実をみるからだ。
 もちろん、そこに、より多くの素朴で善良な人々の、祖国と同胞への純粋な心情を見て取ることも可能だが、しかし、それを利用して「戦争し得る国家」作りへ暴走する権力の影響力こそ、事態の真相を露呈するものだ。

 反戦平和を志す者は、臆せず、こんにちの国旗・国歌問題が、「日本が再び戦争をし得る国家の体制成立」へ傾斜する時代状況に深く関わっていることを、繰り返し語らなければならない。
 「日の丸・君が代」は、かつて、植民地支配と侵略戦争と天皇制軍国主義のシンボルだっただけでなく、今また、新たな戦争の象徴と踏み絵となる危険が大きいと――それゆえの反対であると語る必要があるだろう。



2月21日(月)   「国旗・国歌」

 「日の丸・君が代」に反対する際に語らなければならぬ事について確認した昨日に補足すること。

 一つは、「日の丸」については、「君が代」と異なり、それ自身には平和憲法と抵触する性格があるのではないとして、容認する向きがあるが、この問題の本質が、昨日確認したごとく、戦争前夜とも言えるこんにちの状況と深く関わっている限り、「日の丸」の国旗としての<美と観念>の卓越性を以て、今、国旗として法制化されることを容認すべきではない、ということ。
私たちが、「日の丸」に対して抱く観念と期待する役割とは全く異なった危険な観念と役割を孕むものとして、状況に関与し定立させることを、反戦平和を志す者は認めるべきではあるまい。

 もう一つ。現実の政治的・イデオロギー的策謀に対しては、些かも妥協すべきではないとして、しかし、一方、私たちの反対が、決して、現存する国と民族が、その統合と連帯とアイデンティティーの象徴として国旗・国歌をもつことを拒否しているわけではないこと、
また、特に日本と日本民族がその歴史の総和において国旗・国歌をもつことも拒否しているわけではないこと(そこで「日の丸」の国旗としての<美と観念>の卓越性を述べてもよいかもしれない)、
さらに、歴史の総和において、祖国愛と同胞愛、祖国と同胞への誇りを否定するものではなく、私たちも「日の丸・君が代」を容認する人々と同じく、そうした素朴な心情を強く抱いていること、等々について、率直に、そして明快に語るべきだろう。



2月22日(火)   題「戦争ニヒリズム論」名

 「戦争は、いつの時代にもあった。人間は愚かで争いを好む動物だから、これからも戦争がなくなることはない。」として反戦平和の闘いに参列しないばかりか、その志を無意味と斥ける戦争ニヒリズム――。
 一見、事実を言い当てているかにみえるこの観念に対して、私は次のように問いかけ、また答えよう。

 あなたは、その不可避とされる戦争が起きた時、あなた自身ばかりか、あなたの愛する家族や友人、あなたのふるさとの山や森や生きものたちが、殺され、破壊され、汚されるのを、これは不可避の出来事だとして黙認できるのか、と。怒りに身を震わすことはないのか、と。その苦しみや哀しみに耐えられるのか、と。

 また、あなたは、もし、他国民を殺せ・陵辱せよと命じられたら、どうするのか、と。無力な個人にとっての、そのような極限状況においては、最早、国家権力に抵抗する術もなく、罪を問われるも無情とするなら、そこに至るまでの状況――たとえば、こんにち現在の時点――において、戦争への道に傾斜しつつある国家に対し、それを容認する人々に対し、異を唱えることをしなかった、反戦平和の志を示さなかったことに、罪はないと言い得るのか、と。

 そして、戦争が不可避とすることについては、次のように答えることができる。たとえ、この先も人類の歴史から戦争がなくならなくとも、「この戦争」は、未然に防ぐことができるのだ、と。換言すれば、戦争の可能性を孕んだ状況の全てが現実に戦争を引き起こすわけではないのだ、と。全世界、全人類という視点で見るならば、戦争はいつでも起きており、戦争をなくすことは不可能とみえるが、しかし、「特定の」戦争を回避することは可能だ、と。

 もちろん、これは、「だから日本の現在の状況は憂える必要がない」という話にはならない。日本の現在の状況が、「最早、戦後ではなく、新たな戦争の時代の始まり」とする私の<戦争危機論>に矛盾するものではない。
 私の<戦争危機論>は「宿命論」としてのものではなく、現実の分析のなかから、状況の主体者であり、国の主権者である国民の意志が反戦平和に示されないとしたら、「国際的状況如何によっては、戦争は不可避だ」と言っているもので、だからこそ、反戦平和の志が重要になってくるのだ。その有無如何が、戦争を不可避にもし、「特定の」戦争を回避させもする。

 戦争宿命論――戦争ニヒリズム論に対しては、私たちの意志によって、「特定の」戦争を防ぐことが可能だという点を強く指摘しておきたい。


2月23日(水)   「権利意識」

 左翼的な人によくみられる、はき違えた権利意識をもつ人。
個人の善意と奉仕によって提供された場を、行政が市民に対して行っているものであるかのように錯覚する。
行政に対してそうするように、一方的に、義務と責任を求める。自分の意志や要求を受け入れるのが、その個人の当然の務めであるかのように主張し、それが受け入れられないと、クレームをつける。

 そこには、その個人の善意と奉仕によって初めて可能となったチャンスが与えられたことへの僅かな感謝の念も認められない。
己が相手になすべき・為し得るのは、期待や願望であって、要求や抗議ではないのではないか、という自問の声も起きないらしい。

 問題をなんでも政治的闘争の位相で捉えてしまうのも、困ったものだ。こういう誤った闘いは、良識ある人の目には、単に乱暴にも、偏屈にも見えるだけだろう。
政治の場であれ、社会の場であれ、そこで闘い、発言する者には、とりわけ人間的成熟が必要だろう。



2月24日(木)   「そうあるべき・そうなる」

 戦争杞憂論・戦争楽観論の中にみられる思考の陥穽。
「そうあるべき」事と「そうなる・そうである」事との関係。

 今から10年以上前、戦争とファシズムと偏狭なナショナリズムが今後日本と日本人にとって現実的な問題になる状況に立ち至ると、平和と民主主義の危機を訴えた私に、文学評論を書いた或る研究者は、「これからは国際化の時代だから、天皇制軍国主義や民族主義の時代ではないでしょう」と言って、私のアピールを斥けた。

 もちろん、様々な領域で地球規模で問題が噴出している現代、偏狭な民族主義・一国主義で自国が解決を迫られている課題に対処できるはずもなく、今や国際化は世界の欲するところだ。
日本も、その埒外ではない。日本も、「国際化」に、早急に対処すべきであって、それに逆行するような「戦争とファシズムと偏狭なナショナリズム」に傾斜している場合ではない。

 しかし、「そうあるべき」と、「そうなる・そうである」とは、全く別の話ではないか。

 実際、文学研究者の言った「国際化」は、まさに、連合国との「戦争協力」という<国際化>と形を変えてしまった。

 「国際化の時代」という、客観性はあるものの、決して、だれもが不可避な絶対的な歴史的必然とは異なり、突き詰めれば、主観的な価値判断であるものを、そのまま、日本にもあてはめて、あたかも、<客観的事実となるもの>と、混同し錯覚したところに、かの文学研究者の認識の陥穽があると言える。


2月25日(金)   「小沢一郎」

 ガイドライン法が成立した今でもそのように言う人がいるのかどうか分からないが、少し前まで、「戦争杞憂論」に立つ人がよく言っていたことに、「小沢一郎を嫌う人は多い。彼が権力を握ることはない」というものがある。
これは、私の「平和と民主主義の危機」のアピールに対する遠回しの反論として言われるものだ。

 だから、「小沢一郎が志向し、あなたが心配するような、戦争だの、ファシズムだのに突き進む国家には立ち至らない。」と、彼らは考える。
 つまり、「当たり前の国家」を主張する小沢一郎以外に、平和と民主主義を脅かす危険人物はいないという認識を抱いているわけだ。

 この認識は、正当なものだったか?

 私の、危機感は、そこにもあった。戦争やファシズムに突き進むイデオロギーを、単に小沢一郎という政治家個人に体現させてしまって、彼以外の数多の人物にも孕む危険を見逃してしまうこと。
「日本が再び、国際的な紛争に、軍事的に関与し得る国家体制の確立に向けて動き出す」のは、ひとり小沢一郎だけの問題ではない。むしろ、保守自民党の一部を除いた圧倒的多数と、公明党や、当時で言えば民社党、そして社会党のいわゆる現実主義路線を志向していた人たちに及ぶ、実に広範な人々によって、意識的に、ないしは無意識的に、推進されるであろうと、そう私は認識し、主張した。

 だが、彼らには、極論に思えたらしい。
当時、戦後体制を崩壊させる危険は、ごく一部の特殊な人物たちにだけ見られることだと、彼らは本気でそう思っていたようだ。
だから、私の警鐘は、彼らの耳に入らなかった。私の危機感を、「杞憂だ。心配のし過ぎだ」と簡単に斥けたのだった。

 今、彼らは、どう考えているのか?



2月26日(土)   「226」

 今日は、226事件の日。ドラマや映画などでは、かの将校たちを、純粋で正義感に燃えた憂国の士と描くことが多い。

 が、それは歴史の真実を伝えているのだろうか?

 たしかに、歴史を考える場合、その時代状況を重視すべきというのは分かる。その意味で、当時の腐敗した政界・経済界・軍の支配層に比して、かの将校達の一途な心情が際立つことになる。

 だが、それにしても、と私は思う。
 彼らは、天皇制軍国主義・天皇制ファシズムの地獄を超克したわけではなかった。植民地支配を是とする大日本帝国そのものを超克したわけではなかった。たとえ彼らの一部に、貧しい日本の民と、欧米の帝国に蹂躙されるアジアの同胞の解放を、彼らなりの主観的心情において、本気で願った者がいたとしても。

 新左翼に妙に甘いマスコミ人の、観念的な、ある種のロマンティシズムが、同様に、かの将校達をも、実体以上に美化することに至っているのではないか?


 

「八ヶ岳高原だより」