第11週  


3月8日(水)   「体調」

 このところ体調が思わしくなかった。首が凝ったり、頭が重くどんよりした感じだったり、微熱もあった。口がとても乾いた状態で空腹感はあるものの食欲もなかった。が神経は異様に覚醒して眠れず、麗子から安眠剤をもらって寝た。
 でも、一昨日あたりから回復に向かい、昨日、今日と食欲も以前のように増し、おいしく食べることができた。が、精神の緊張感がまだ戻らず、文章にするような思考の展開が捗らない。朝から日中にかけては順調に展開しつつあるのだが、夜、執筆の時間頃になると、頭の働きが鈍くなり、精神の集中力も衰えてしまう。
それでも構想のほうは、今日或る程度進めることができたので、明日からは思考も展開できるだろう。

 今日メモしたのは、マルクス主義に関する問題。理解・共感ができる点と、疑問や批判を発せねばならない点を整理してみた。
 搾取の問題、階級社会の問題、人民解放・人民が主人公という問題、プロレタリアート解放・プロレタリアート独裁という問題、独裁政治の問題、個人崇拝の問題、個人の尊厳の問題、自由の問題、武力革命の問題、革命至上主義の問題、上部構造・下部構造の問題などなどについて、書いておかなければならないことがある。


3月9日(木)   「正義と愛国心」

 いつ頃からそういう事になったのか分からないが、私が大学生になった頃には既にそうだったが、<正義は左翼・革新の側に、愛国心は右翼・保守の側に、有るもの>として、語られることが多い。

 左翼・革新の立場に身を置く人は、平和の問題であれ、人権の問題であれ、己の観念と意思は絶対に正しいという固定観念を抱いて、他者の言動や行動を、その正当性の有無を検証することなしに、一方的に裁く。
 また、右翼・保守の立場に身を置く人は、自国の歴史と文化への敬愛と忠誠心を自らこそ最も抱いている日本人であるとの絶対意識を前提にして、他者の言動や行動を、やはりその祖国と同胞への愛情と信義の有無を想像することなしに、一方的に裁く。

 彼らに裁かれた者は、己の認識・思考と意識・感情が、正義に悖るものではないことを、或いはまた、愛国心に背を向けるものではないことを、まずは己自身に対して、次には他者に対して弁明しなければならない意識に苛まれる。

 しかし、いずれの問題も、こんにち、そうした先験的な構図は白紙に戻すべきではないか?



3月10日(金)   「執筆活動上の3つの原則」

1.異論・反論との対話を成立させ得る思考・言論の展開。

2.他者に向けてのアピールとしての発言ではなく、自己内対話としての内的発言。

3.思想的観点からみた場合のモチーフ・主題の展開。

 このうち、1は、平和の砦の構築のために必須の条件。つまり、私以外の人々にもあてはまる普遍的な原則。2と3は、私自身の個人的原則。

 ただし、1の場合、自己主張を否定するものではない。その自己主張が異論・反論をふまえてのものである必要があるものの、異論・反論を受け入れるべきだとか、自己主張を控えるべきだというわけではない。

 また、異論・反論をふまえない自己主張もいっさい禁止されるべきというわけでもない。或る問題の判断・選択の是非を考える場合、相手の意思や感情に即しているだけでは、真実に迫らない場合もある。相手の意見も一理あるので、それ自体を批判・否定できないものの、他の面を斟酌して総合的に判断すると、結局、相手の判断・選択は非であるという場合があるから。



 

「八ヶ岳高原だより」