-「残留孤児――プロジェクトX」-

2001'4月10日 (火)


 先週に引き続き、現在私の最もお気に入りの番組「プロジェクトX」で、中国残留孤児問題を見た。
中国の養父母への感謝の念を抱きつつも、祖国の両親に会いたいという、孤児の一途な想い。
 文革の時に、鬼の国、日本の子供をなぜ引き取ったと迫害されたなかで、必死に孤児を、我が子として守り、老後になった今、孤児と離別することを恐れ、孤児の両親との再会を不可避と思いつつも、対面に反対せざるを得ない養父母の切実な想い。
 そして、満州の地に、我が子を置いてきたことへの罪悪感に苛まれ、またそれを秘して戦後を生きてきてことで、今の家族に罅が入ることを恐れて、会いたいくも名乗りでない父の、母の、苦しい想い。

 三者三様の、辛くて、悲しくて、切ない想いにふれて、激しく心が揺さぶられた。彼らの心情をおもんばかると、涙が溢れる。

 本当に、戦争は、絶対にしてはならない。
 もちろん、戦争に繋がるような植民地政策などの国家の歩みも、絶対に行なってはならない。

 今また、「日本が再び国際紛争に、軍事的に関与し得る国家体制の確立に向けて、急速に突き進んでいる」が、なんとしても、絶対に戦争は回避しなければならない。――反戦平和への思いを、新たにさせられた。




-「現実を知らぬ者」-

2001'4月11日 (水)

 いわゆる「現実主義者」を自認する人々は、絶対平和を唱えたり、反戦平和を訴えたりする人々を、「現実」を知らない者だと、こんにちでは侮蔑の眼差しさえ向ける。
 彼らによれば、「現実」を知れば、安易に平和主義を唱えることなどできないというわけだ。
 つまり、彼らは、「現実」を知っていると自負しているわけだ。

 だが、果たしてそうだろうか?
 そもそも、彼らが「現実」と称している事象が、真の現実かという問題もある。
 そして、もう一つ、彼らが異常なほど忌み嫌う、平和の現実――平和であることの尊さ――を理解しているのだろうか、という疑問が湧く。逆に言えば、彼らが安易に容認する戦争の現実――戦争の悲惨さ――を、彼らは知らないのではないか? 戦争の様々な局面に、我が身を置いて考えたことなどないのではないか? 我が愛する人々が、戦争の悲惨な状況の中で翻弄される姿を、実感的に想像して考えるなどしたことがないのではないか?

 「現実」を知ると自認し、「戦争も、国家の政治的選択の一つだ」なぞとしたり顔で口にする「現実主義」を唱える彼らこそ、実は、現実を知らない者と言うべきではないか。
 たとえ平和を守るための抑止策だと称しても、それ自身が新たな戦争を引き起こす危険について自省することなく、安易に戦争容認に傾く「現実主義」は、実は、所詮、現実を知らない者の陥穽ではないのか。



 


「八ヶ岳高原だより」