9月11日のアメリカ・ニューヨーク貿易センタービルへの「同時自爆テロ」と、それに対するアメリカによる<報復戦争>――。そして、そこへ事実上の「参戦」を果たした日本。
87年以来、「日本が再び国際紛争に軍事的に関与し得る国家体制の確立に向けて動き出したばかりか、現状のままではその具現化を回避し得ない」として、”反戦平和”は現実的課題であると、多くの著名人や有識者たちに切実な思いで訴えてきたわたくしは、しかし、極めて複雑な感慨を抱いて、こんにちの「状況」に向き合う。感じること、考えること実に多し。
そのなかにあって、己の魂の奥底にある意識は、イエスの眼差しを感じたところに生まれる意識だ。
自爆テロによってあまりにも不条理な死を強いられた数多の人々。
そして、ビンラディンの命とひきかえに犠牲になってしまったアフガンの少なからぬ人々。
報道ではアフガン難民の姿、特に犠牲となった女性や子供達の姿が再三映されるが、貿易センタービルの1階にあった幼稚園の幼子が犠牲となったことも忘れるわけにはいかない。
そして、人間たちの憎悪の惨劇によって命を奪われたのは、罪なき人々ばかりではない。
たくさんの鳥や獣や小動物たちも、殺されたことだろう。
もちろん、山や森や草花も、死んだ。
大義のためと称して行った事ではあるが、自然界からみれば、人間の傲慢と映るかもしれない。
わたしたちは、罪を、犯していると、感じなければならない。
罪を犯していることを認めなければならない。
そのような意識と認識を前提にして、「反戦平和」を志向する必要があるだろう。
そのような魂を抱いて、「和解」を求めるべきだろう。
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