『<状況>と反体制知識人と津吹純平の<テーゼ>』



2002年9月26日掲載

 先日公開した「87年以降の私の時代状況の予測」(分析とも言ったが、実際は殆ど予測と言うべきものだった)に対しては、再三書いているように、本当に残念で仕方がないのだが、殆どの知識人――作家や評論家や学者、それにジャーナリスト――たちや政治家たちは、軽く扱ったり、完全無視したりした。
 日本が再び国際紛争に軍事的に関与する国家体制の確立に向けて動き出すこと、そして実際に武力紛争に参戦することには、恐らく心底から反対しているはずの反体制知識人たちにおいて、なぜ、わたしの警鐘は聞き届けられなかったのか?
 わたしの思索は、大きく二つの位相に分別されている。一つは、平和と民主主義の危機(戦争とファシズムの危機)の到来の予測。それは、さらに戦争遂行の側の問題と、反戦平和の側の問題に分別される。この両者の問題において、危機は極めて深刻な事態に立ち至っていることを、15年前の時点で指摘した。現在の盗聴法や有事体制ごときを明確に指摘した。反戦平和の諸勢力の弱体化を深刻に憂えた。
 そして、もう一つの位相は、極めて危機的状況にある事態に対する新たなる「反戦平和論」の構築。<平和の砦>の崩壊に対して、新たなる<砦>を構築するために戦後左翼を中心とした「革命主義」と「政治主義」による<仲間内の論理と言語>による、いわば「同志の結束」に依存した闘争ではなく、より広範な国民を対象にした、真の<民主主義>的方法――コンセンサスの形成――の必要を説き、そのために、「異論・反論との対話」をテーゼとした反戦平和の論理と言語の構築の必要性を強く訴えた。

 省みるに、この二つの位相のいずれにおいても、共感と同意を得られることはなかった。時に、わたしは、「国民・人民を冒涜している。彼らと共に闘ってきた我々をも冒涜している。もっと信頼すべきだ」と、知識人たちの怒りを買い、強くたしなめられもした。

 だが、その後の時代状況は、どのように推移していったか? わたしとかれらと、いずれが時代の真相を捉え得ていたか。

 ただ、この思索ノートで記述したなかで、異論・反論との対話に関しては、おそらく、彼らから、そんな事は承知している事で、実践済みの事だとの反論を受けるかもしれない。 だが、もちろん、彼らの「敵」との「議論」は、わたしの言う「異論・反論との対話」ではない。ある物事について、異なる立場から、それぞれの言い分を主張して、自説の正当性を主張し合うというだけでは、「対話」とはならない。
 この点については、今後、様々な問題で、具体的に実例を示していく必要があると思う。
 いずれにしても、こうして自省してもなお、わたしは、わたしの警鐘に聞く耳をもたなかった反体制知識人たちの時代状況認識と予見性に重大な過ちがあったと言わざるを得ない。わたしの警鐘を無視したその根拠と理由――かれらによる反論――に、正当性を認め難いことを、ここに記しておく。






2002年12月29日掲載
 本当に、こんにち「絶対平和主義」ならぬ私の「平和主義」の原理から現実を検証することが極めて重要だと思われるのだが、どうして、マスコミ関係者や学者・有識者たちの間に、そうした思想を展開する人が現れてこないのだろうか。或いは、私の思索と言動に注目をしてくれるプロデューサーや編集者や学者・有識者たちが出現しないのだろうか。
 1987年以来、一貫して、「状況の危機」――それも体制側の危険な策謀のみならず、反体制側の「平和の砦」の崩壊、さらには、その平和の砦の崩壊という「実態」を反体制側の知識人・ジャーナリストたちが直視しないという三重の意味での「状況の危機」――を唱え、それに対して<革命主義>と<政治主義>を否定し、真に民主主義的な「異論・反論との対話」による「状況の危機」の<超克・状況変革>を訴えてきたが、今もまた、私の声は届かないのだろうか?

 戦後日本の各時代状況に於いて、執筆と言論による果敢な反体制の闘いを貫いてこられた一級の知識人・ジャーナリストとして、私が敬意を抱き期待してきた方々の殆どからも理解と共感を戴けていないのは、本当に残念だ。
 「絶対平和主義」「護憲平和主義」と称される思想原理の位相から一歩外に出て、実態を直視することはかくも困難な事なのだろうか。己自身の思想原理が、「状況変革」を為し得る点で限界が生じていることを認めることは、やはり実績のある方々だけにむしろ容易な事ではないのだろうか。

 とにかく、こんにちの実態は、極めて憂慮される段階に至っている。1987年当時、「日本が再び国際紛争に軍事的に関与し得る国家体制」の確立に向けて動き出した――もちろん、戦後一貫して「反動化」の動きはあったわけだが、とりわけ、中曽根元首相による「戦後政治の総決算」そしてそれに呼応したかのような有力な作家や知識人たちによって「戦後原理・戦後理念の総決算」が叫ばれたあたりから反動的な動きはまた一つの時期を画したものだったと言えよう――と私が警鐘を鳴らした時には、明らかな左翼であった人物からも「杞憂」だとして理解と共感をもって受け止められなかったものだが、さすがに、湾岸戦争に於ける戦費拠出があり、日米ガイドラインや盗聴法やメディア規制法や有事立法と戦時体制を構成し得る悪法が立て続けに出てきており、アフガン戦争に於いても後方支援という名の事実上の参戦を「憲法論議」を無視して強行するといった現状下ではようやく、「戦争」の危機を実感するに至って、彼らの思想闘争、政治闘争にも火がついたようで、「戦争反対!」「憲法を守れ!」の連呼の声が聞こえるこんにちだが、既に、一般国民のコンセンサスを形成させる観点から言えば、残念ながら、彼らの思想原理、言語と論理は、殆ど有効性を失ってしまっているのだ。
 尤も、社会は実に重層的に出来ているのが実態だから、まだ彼らの言語と論理に熱い視線と声援を送り、拍手し首肯する大衆も少なくないはずだ。
 こんにち、国民的コンセンサスの形成という観点では、「絶対平和主義」「護憲平和主義」は殆ど効力を有していないとしても、彼らの存在はやはり貴重であり、少数派になってしまっているとはいえ、その言語と論理を求める人々は確実に存在する。その人々に向けて、彼ら「戦後理念」に立つ知識人・ジャーナリストたちにも彼らの「反戦平和」の志を貫いてほしいと願っている。
 それに実際、私は決して「絶対平和主義」「護憲平和主義」をその理念の位相に於いてまで否定しているわけではないのだ。私自身、たとえば「正当防衛」と認定される事態であっても、他者を殺傷して満足を得る神経を持ち合わせている人間ではないので、私の「平和主義」に於ける戦闘行為で生じた犠牲者の体を踏みつけて前進することなど到底できないだろう。平たく言えば、私はやはり「人に殺されたくないと同時に、人を殺したくもない」という感情を強く抱いている人間だ。その意味で、彼らの言語と論理、思想原理に反感を抱いたり、ネガティブな感情を抱いているわけでは決してない。

 だがしかし、何度も繰り返すが、過去の左翼全盛時代とは異なって、遙かに重層的な社会になってきたこんにち、彼らの言語と論理の効力は大きく減退してきている。それは、桝添要一や竹村健一ら保守反動派の著書がベストセラーになるのに比して彼らの著書の売れ行きが芳しくないことでも明らかであり、彼ら自身も認めざるを得ない事実ではないか。民意の多くはたしかに、変化してきているのだ。
 されば、重層的な社会の別な層を形成している国民のコンセンサスを形成する意味に於いて、私の「平和主義」による言語と論理、思想原理、さらに<革命主義>と<政治主義>を否定して、全国民的コンセンサスの形成を目的とした「異論・反論との対話」という私の「反戦平和論」に於ける重要テーゼもまた必要とされているのではないか。私は社会の実態を見、また個人的な多くの体験からも、そう断言できる。
 
 そこで思うのだが、先日来書いているように、マスコミがまだ「戦後理念」対「現実主義・実態容認」という構図でのみ取り上げているこんにち、かの知識人・ジャーナリストたちは、己の言語と論理では説得し得ない国民に対して有効と思われる言語と論理、思想原理を世に出し広める支援を為すべきではないか。己が築いた人脈を通して、己の為し得ぬ働きを、己に代わって為し得る可能性を有した論理と言語、思想原理の社会的普及に積極的に力を貸すべきではないか。
 これは、単に、自我の位相で言っていることではない。状況がそこまで切迫しているからこそ、その状況をくい止める「反戦平和」の闘いを実りあるものにするために語っていることなのだ。実際、そうした個人個人のレベルでの「支援」「連帯」が成就できなくて、どうして権力の強硬な姿勢による実態かつ過半の国民の合意を得ている実態を変革し得るだろうか――。





2002年12月30日掲載
 私は「八ヶ岳高原だより」の論文の中で、或いはまたこの「晩鐘抄録」の中で、再三に亘って、私の言論活動に対する戦後反体制知識人たちの冷遇を語ってきた。そこで、このサイトの古くからの読者で、私が作家・小田実と今は亡きジャーナリスト・黒田清「窓友新聞」のサイトを公認で立ち上げてきたのをご存じの方も少なくないはずだが、その方々は、彼ら小田実や黒田清からは、津吹純平の思想原理を世に出し広めるための支援を貰えなかったのかという疑問が生じるかと思われる。やはりその事にふれておくべきだろう。
 結論から言えば、私がまだ公の場で言論活動を為し得ていないことで明らかなとおり――彼らとは無関係のところで、新潮社の編集委員という方から「教育実践論」の執筆の依頼を受けたり、また一般のマスコミには乗らないごく専門的な次元で私の思想哲学の論文・エッセイを本にまとめる話を某大学教授から推薦戴いたことはあるが――、推薦なり支援なりは一切得られなかったというのが事実だ。
 小田実氏からはその豊富な編集者の人脈の中で誰ひとりとして紹介すらして戴けなかった。また故黒田清氏の場合、自身で発行している「窓友新聞」に私の論文・エッセイを掲載するという機会をただの一回も与えて戴けなかった。本当に、率直に言って、その事は心から残念に思う。それは私自身の自我・エゴの位相で言うのではなく、「反戦平和」の営み、民意の戦後理念との決別という実態にまなざしを向けるとき、本当に残念というか、悔しい思いが胸に去来することだ。
 なぜだろう? 私の論文やエッセイの幾らかには目を通していたとご本人自らそう仰っておられたし、故黒田清氏の場合など、小選挙区制問題の際、筑紫哲也氏の番組「ニュース23」に於いて連日に及ぶ福岡政行現白鴎大学教授による小選挙区制賛成キャンペーンを展開していたことに対して批判の文章――のちに筑紫哲也氏自身にも手紙として送ったが――を掲載した折り、わざわざ葉書を下さり、「本当に今のマスコミ報道はおかしいですね」と書いていらしたのに、なぜ、それを自らの「窓友新聞」の紙面に於いて企画し、私に執筆の機会を与えて下さることを思いつかなかったのだろう? 小田実氏も、小田氏への信望厚い編集者にひとこと紹介し対話の機会を与えることを思いついて下さらなかったのだろう?
 その点は、私自身、ずっと心の中にわだかまりとしてあり、その理由なり原因なりを考え続けてきたところだ。なぜ? どうして? この国で、現在、「反戦平和」の志を最も強く抱き、また文章も書き、講演もし、「平和展」を開催しといった具合で、積極的に活動されてこられたおふたかたがなぜ、私の「反戦平和」の思索とメッセージを世に紹介する支援をして下さらなかったのか?――

 結局、それは、戦後左翼革新を中心とした反体制の護憲平和運動を評価しつつもその限界を指摘した上で、持論の「反戦平和論」――たとえば保守反動の策謀と反体制側の「平和の砦」の崩壊と国民的コンセンサスの形成という観点からみた場合の彼ら自身の国民への影響力の大幅な減退という事実を直視しない反体制知識人たちの存在といった3重の意味での「状況の危機」の存在、およびその「状況の危機」を<超克>するための国民的コンセンサスの形成を希求した真の民主主義的位相に於ける「異論・反論との対話」の必要性、さらには先日ここで発表した私の4原則からなる「絶対平和主義」ならぬ「平和主義」――を展開していることに対して、理解と共感を抱いて戴けなかったという事ではないかと、今はそう推測しているのだが。
 換言すれば、現状況に於いて、津吹純平の言語と論理、思想原理の役割が存することを認めて戴けなかったという事なのだろう。「民意の変革」に一定の効力を発揮し得る思想原理、論理と言語を一市民に過ぎない津吹純平が有しているという事実を認め難かったのだろう。さらに言及すれば、そもそも彼らは、己の言語と論理、思想原理によって、この十数年来で大きく転換している民意の「変革」が可能だと自負していたのであろうか。それとも、自らの読者や講演に足を運ぶ支持者たちに囲まれて、その外に、その何十倍、何百倍といる彼らに背を向けた民衆が目に入らず、私の指摘する「民意の転換」を承認できなかったのかもしれない。
私としては、数ある戦後知識人たちの中では、最も反戦平和の決意も堅く、思考も敵対者たちから誤解されてはいるがその実はかなり柔軟であり、そしていわゆる面倒見もよい知識人として、大いに期待していたので、私の「反戦平和論」に理解と共感を戴けなかったのは本当に残念で仕方がない。
 
 ただいずれにせよ、私は、おふたりの「反戦平和」の志とその活躍には、今も尚、心から敬意を抱き、期待している――故黒田清氏の場合は、その業績を引き継がれた大谷昭宏氏たちの活動になるが――ので、重層的な社会に於いて、様々な国民各層の或る層の人々にともかく「反戦平和」の志を生じせしめかつ維持せしめるべく、今後ともご活躍されることを切に願っている。殊に、「良心的兵役拒否」の運動や、韓国やヨーロッパ、そして第三世界にまで広げた知識人たちとの連帯の構築、そして<本気>の「絶対平和主義思想」の展開といった、実にアイディアに富んだ、そして旺盛な行動力と行動範囲のスケールの大きな小田実氏の「反戦平和」の闘いには今後とも大いなる関心と期待とをもって見守り続けたいと、私は考えている。




2003年1月8日掲載
 先月の25日以来、私の「反戦平和論」を展開してきているが、その中で、私の闘いに理解と共感を示してくれない知識人たちおよびマスコミ関係者への批判を述べた。今、改めて読み返してみるに、その営みが決して私自身のエゴから発しているものではないと己自身確信するのだが、果たして、他者の目にはどう映るのだろうか?

 昔から、己の主観的思考を知識人やマスコミ関係者に訴えるも、完全に無視されて、逆恨みの感情を抱き、知識人やマスコミへの批判を過剰に繰り返す、激しい反感と敵意を剥き出しにする人たちがいた。己が認められないことへの不満を、「日本の知識人やマスコミなど大した事ない。ものの分かる人などほとんどいない」と、彼らは断定する。その言動の裏には、己への絶対的な評価および自我肥大が存してある。そして知識人と呼ばれることへの羨望、マスコミの場で活動することへの羨望と果たせないことへの屈辱感が存してある。己の思考の浅さや粗さや一面性など思考の未熟な点と表現力の稚拙さを自己認識し得ない、客観性が欠如した主観的で独善的な人々だ。

 果たして、私も、彼らの中のひとりとして映るのだろうか?
 私は、知識人やマスコミを批判し、己の論理と言語への評価を求めているが、その裏では、己自身が<道化>の役割を演じているのではないか、分不相応な<自我肥大>の言動を為しているのではないか――そう己自身に自我の刃を突きつけて、羞恥心と自嘲の思いにも襲われながら発語しているのだ。
 実際、もし私の発語が、<自我肥大>の主観的位相からのもの、端的に言ってしまえば、名声欲と出世欲という<エゴ>からのものでしかないとしたら、私は即刻発語を終止するだろう。私に於ける自意識はさほどに図太くはない。さほどに傲慢ではない。その証になると思うが、私は、小田実氏や故黒田清氏らをはじめ、私が関わった知識人たちに、私への評価を自ら求め、支援の要請をしたことはつい最近まで唯の一度もない。ただひたすら、彼らによって、私の存在の、今の実態・構造に於ける役割・必要性を認めて戴けることを願って待つのみだったのだ。

 問題は、私自身の立身出世に存するのではない。私の<エゴ>を満たすことに存するのではない。
 私の認識では、日本は今、急速に、「戦後平和主義」「戦後民主主義」という<戦後理念・戦後体制>を大きく崩壊せしめて、「戦争とファシズム」への道を突き進みつつあるが、それを「反戦平和」の立場から阻止するにはどうしたらよいのか――。今も<戦後理念・戦後体制>を支えている数多の知識人やマスコミ人たちに於ける「絶対平和主義」思想に基づく「論理と言語」や「行動」によって、それは十分に果たし得ているのか――。既に非武装・非暴力・無抵抗主義という「絶対平和主義」と決別した数多の国民、国際貢献と同盟国との絆とテロ撲滅という大義名分のもとで「戦争容認」に観念と意識の表層で傾きつつある国民、その彼らの耳目を集める「論理と言語」および「行動」が、反戦平和の立場にたつ知識人やマスコミ人たちから発せられているのか――。「反戦平和」への確かな手応えを感じる<状況変革>は、彼らによって起こされつつあるのか――。
 こうした実態・構造を直視するとき、私は、どうしても、「絶対平和主義」ならぬ「平和主義」という私の「論理と言語」を語らないわけにはいかないのだ。そこには、今まで個人的な対話の場で、たくさんの人々に、「現状容認・戦争容認」から「現状否定・戦争否定」へと判断を覆させた体験が存してある。私は私自身の<エゴ・自意識>に対して矜持をもつものではないが、こんにちの実態――戦争容認――に対して有効な「論理と言語」を抱いていることに些かの誇りをもっていることを隠しはしない。私は、私の「反戦平和論」からのメッセージ――「危機」の実態・構造の真相解明と、「戦後絶対主義平和論」とは異にした新たな戦争容認論批判の「論理と言語」、および国民的コンセンサスの形成のための異論・反論との対話の実施――を少しでも多くの人々に伝えたいとの切なる願いを持つ。
 無名の一介の民に過ぎない私が、マスコミにまだ一定の影響力をもつ著名な知識人たちの言動に関与し、その思想に対して批判を繰り広げることで、権力と権威をもつ人々たちやその影響下にある民衆の失笑を買う「喜劇」の主人公を演じることになるやもしれぬとの自意識に苛まれつつも、私は、語らねばならぬと、自らを鼓舞しているのである。

 ――バッハの「無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調」を、ロストロポーヴィッチの演奏で聴きながら……




2003年2月15日掲載
 何度か述べてきているが、私のテーゼが社会化されない問題。「晩鐘抄録」から「陽光氷解の綴り」へ転載するに際して、もう一度だけ書いておきたい。
 私のテーゼは以下のような構成から成り立っている。まず第一に「戦争と戦時体制」到来の危機を唱えること。それはさらに三つの構造に分析される。即ち、戦争勢力とも言うべき体制側の急速に進行しつつある数々の策略を指摘すること。またそれを阻止せんとする反体制側の「平和の砦」がほぼ壊滅状態にあることの論証。そして「杞憂論との対話」でも取り上げたが、主に「平和の砦」の崩壊について、反体制側知識人たちの認識が希薄なことの指摘。いわば、「三重の危機」の構造だ。
 私のテーゼのもう一つは、その「三重の危機」を<超克>する方法として、「コンセンサスの形成――異論・反論との対話」の重要性を提唱すること。これもまた二つの構造に分析される。即ち、2割の国民の支持を得れば体制変革は可能とする「革命主義」との決別。そして正義のため、大義のためには、事実や真実に悖る戦略的な言論や行為、それに相手の言論や行為を実力阻止することも必要とする「政治主義」の否定。いわば、「真の民主主義」による<状況変革>だ。

 ――以上が私のテーゼだが、残念ながら、未だに、公の場に於いて認知されるに至ってはいない。この事実の無念を、私は何度か率直に語ってきた。
 その事が、無名の人間の<自意識過剰>や<自我肥大>や<愚痴>や<妬み>や<逆恨み>といったネガティブな心情から発しているのではないかと冷笑されることも覚悟の上で、敢えて本心を吐露してきた。本当に、私の言動が、ネットをはじめ世間に掃いて捨てるほど目につくそうした輩と同じ類の<たわごと>であると愚弄され無視されるかと思うと、この身を刻みたい思いに駆られる。
 だが、私はそれでも、言動を思い留まることができない。これは、決して、私一個人の名声や出世の問題ではない。率直に言って、私はマスメディアのような<公>の場で書き、語ることを望んでいるが、決して<エゴ>の次元で語っているのではないからだ。これはあくまで、「<時代状況>と私のテーゼ」の問題なのだ。
 いや、こう表現すると、益々<大言壮語>に聞こえるかもしれない。それなら、「<時代状況>と反体制知識人」の問題と言い換えてもよいだろう。

 事は本当のところ極めてシンプルなのだ。要するに、知識人それぞれが、己にこう問いかければいいだけなのだ。
 即ち、<危機>は存するのか。<危機>の実態・構造とはどのようなものか。その<危機>に対して、まずは己自身の思索と言論活動は、実態・構造の全容解明と<超克>という点で十分対峙し得ているか。国民の過半の理解と共感を得る論理と言語を、己は発しているか。己の論理と言語が説得力をもつ国民とはどのような層に属する人たちか。己が説得し得ない国民の存在はどの位の割合にのぼるのか。
 またその知識人個人だけの問題としてではなく、反体制知識人およびそこにマスメディアやインテリ等も含めた反体制全体の思索と言論活動――論理と言語――に範囲を拡大して考えてもよいだろう。
 いったい、反体制全体としての思索と言論――論理と言語――は、こんにち<時代状況>を超克し得る「力」を有していると言えるか。<危機>の実態・構造を十分に解明し得ているか。その<超克>という点に於いて、一般国民に十分な説得力を有する論理と言語を放っていると言えるか。とりわけ異論・反論をもつ国民への働きかけに於いて有効だと言い得るか――。

 そこで、津吹純平の<テーゼ>なるものは、反体制全体の思索と言論活動――論理と言語――の限界や欠陥を補うものとしての<価値>が存するのか、否、存しないと断言し得るのか。こんにちの<時代状況>に於ける「反戦平和」の闘いに於いて、津吹純平の<テーゼ>なるものが<必要>とされる局面は存するのか、否、存しないと断定し得るのか。反体制的思索と言論の全体に於いて、彼の<役割>を必要とする局面が存するのか、否、存しないと言い切って然るべきか。
 それとも、上記の繰り返しになるが、津吹純平の<テーゼ>――その思索と言論、その論理と言語――は既に、反体制全体に於いて、コンセンサスを形成しており、それぞれの主題に於いて、一般国民に十分な説得力を有する知識人やジャーナリストたちの存在が数多認められると断言し得るか。彼らによって、異論・反論との対話を十分に実践していると断言し得るか。

 或いはまた、そもそも津吹純平の<テーゼ>そのものが、所詮素人の愚考に過ぎず、こんにちの<時代状況>を<超克>する「反戦平和論」として、取り上げるに足るものではないと考えるのか。やはり、「平和の砦」は強固に存在すると認めるべきか、または私が批判する「革命主義」と「政治主義」はこんにちもなお「反戦平和」の闘いに於いて、<有効>な方法であると言うのか。津吹純平の<テーゼ>なるものは到底認めるわけにはいかず、反体制全体としての思索と言論が、津吹純平の<テーゼ>なるもので批判されるとするのは、虚妄だと考えるべきであるのか。 

 ――本当に、こうした問いを自らに発してほしいと、私は願う。要するに、既存の左翼を中心とした反体制的思考と言論――論理と言語――が、こんにちもなお、「反戦平和」の闘いの<核>として成立し得ると考えるのか否か、が問われているのである。或いはまた、現在闘われつつある「反戦平和」の営みに於いて、津吹純平の<テーゼ>は、既にコンセンサスを得て実践されているものであり新たに注目すべきことでもないと言えるのか否か、が問われているのである。
 最後に敢えて繰り返したい。あなたは、あなたがたは、既存の左翼的反体制の「反戦平和論」で、現状容認に急速に傾斜しつつある<状況>を真に<超克>し得ると確信しているのか――と。あなたは、あなたがたは、本当に、時代状況に於ける<危機>の実態・構造の全容を認識し得ているのか。その<危機>の<超克>に当たって、真に国民的コンセンサスの形成の重要性を理解しているのか。異論・反論との対話の必要性を心底痛感しているのか。そして、深い危機感を抱きつつも、異論・反論の位相にある人々をひとりふたりと説得し得る論理と言語を生み出しているのか――と。


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