反戦平和論に於ける今後の執筆の課題
反戦平和における警鐘と提言
警鐘
日本が再び国際的な武力紛争に軍事的に関与し得る国家体制の確立に向けて動き出した
*日本が加害者として他民族・他国民を殺傷する危険と日本民族・日本国民が殺傷される危険の到来
戦争を遂行する側の問題
平和の砦の側の問題
主な論点
理念・原理の位相
国民意識の変化
護憲平和主義の限界
絶対平和主義の限界
具体的実態の位相
マスコミの誤謬
若者依拠の陥穽
(民主党など非左翼政党の脆弱性)
提言
平和の砦の再構築・新構築
国民的コンセンサスの形成
思想的位相
革命主義の超克
民主主義的多数の原理の尊重
政治主義の超克
事実と真実を尊重
実践的位相
異論・反論との対話
主な具体的諸問題における提言
マスコミ・ジャーナリズム論
事の是非を問うための問題点の解明と提示
憲法論
「憲法の限界」を言うほど、<憲法に即した政治>を行ってきたか
憲法に即した「国際貢献」を追求し提言することが必要
防衛費と同額の「国際貢献費」を毎年予算に計上し活用する
*勿論、難民救済や戦後復興や紛争回避、災害救助などに利用
若者論・教育論
問題提起
現代若者の<自我>は、戦争と戦時体制を阻止し得るか
天皇制権力、国家権力等の実態(個を服従させる)に気づいた時の自我の挫折
*天皇と自己、国家と自己の権力関係の事実を自覚させられた時点において
提言
天皇制国家主義時代におけるファシズムの成立と諸実態の啓蒙
現代における天皇制イデオロギーの本質を啓蒙
マスコミにおける<天皇制タブー>の存在
天皇制とテロリズムの癒着
政治・マスコミによる天皇の政治利用
天皇の<擬制超越者の権威>の有効性
対米関係論
一方的追従外交論(運命共同体的同盟国論)批判
反米イデオロギーによる対米敵視論の超克
87年以降の反戦平和の位相における主な予測
戦争し得る国家体制の確立の整備
法的整備
戦時体制の確立に必要かつ有効な法
実例:国家機密法、盗聴法、有事立法、住基法など
政策的・政治的整備
実例:日米ガイドライン
国際紛争における解釈改憲レベルでの事実上の参戦
米軍への支援
実例:湾岸戦争での130億ドルの拠出
実例(予測):PKFへの参加
政治・マスコミにおける反戦勢力の解体
共産党のぞきから社会党の解体に至る総与党化現象
天皇逝去の際の異常な儀式とマスコミ報道による神聖化
小選挙区制度の成立
社会的位相における護憲平和主義(戦後体制)の解体
戦後理念への攻撃と過去の歴史の正当化
歴史的事実に対する歪曲
日韓併合の合理化
満州支配における価値なるものの主張
南京大虐殺事件問題
従軍慰安婦問題
実例:新しい歴史教科書問題
マスコミによる皇室崇拝報道
反戦意識の衰退
ナショナリズムの扇情
戦争容認感情の発生
国際的暴挙や国際関係の緊張を利用
「正義」を守るには「力」が必要という現実論の台頭
私の「反戦平和論――時代状況の予測も含めて」が「革新的立場」の知識人たちにも、共感と同意を得られない事実の存在
「(防衛力強化・軍事体制化への動きはあるが)、危機感は、杞憂に過ぎない」
*戦争も戦時体制も起きない・成立しない
戦争主体の脆弱性
反戦平和勢力・護憲勢力の存在
経済学的実態
「そんな事は分かっている」
*危機は存在するが、お前の警告と提言は、既に多くの人々によって為されていることだ
私の当初の疑問
私の反戦平和論の主旨そのものが認識・理解されていないのではないか
平和の砦が事実上ほぼ崩壊したと指摘していること
絶対平和主義・護憲平和主義がほぼ崩壊した
マスコミ・若者などに、平和の砦を依存することは非現実的である
異論反論との対話(国民的コンセンサスの形成)の重要性を訴えていること
私の疑問の対象となっているもの
「戦争杞憂論」に対しても向けられている
正に私が「危機」の根拠としている点を根拠として、「杞憂」だと断定しているという事は、主旨を認識・理解していない証
*私の反戦平和論の主旨を理解すれば、己の「杞憂論」の根拠に於ける同一事項での対立が明確になり、そこでの論争を行うはず
*つまり、私の見解を承知の上で、それに対する反論という形で、憲法やマスコミや若者たちの存在の確固たるを主張するはず
私が明確にしている「危機」の根拠を、認識・理解自体していないという事は有り得るだろうか?
有り得る。「見ていても、見えていない」ということはある。
己の観念・意識に固執して対象を見れば、的確な客観認識ができないことはよくある。
「常識論」に対しても向けられている
戦後理念・戦後原理の位相内に於ける言動に<終始>していることは、国民意識・観念との乖離を認識し得ていない証拠
私のテーゼは理解(認識)しているが、それに同意していない場合も、上記の現象は発生するではないか
同意していないがゆえの事なら、「そんな事は分かっている。既知の事であり、独自性はない」との批判にはならないはず
*「お前の言いたい事は分かる。だが、その認識・主張は間違っている」という批判となるはず
コンセンサスを成立させ得る国民の層に於ける声に、真摯に耳を傾けていないことも、私のテーゼを理解していない証拠
その根拠
仲間内の言語と論理に終始していること
一方的に、自分たちの視点・主張だけを展開していること
認識・理解はしているが、同意していない場合も、上記の現象は発生する
でも、それなら、「お前の求めている事は、実践している」という批判にはならないはず
*「<異論反論との対話>は必要ない。国民的規模の同志の結束こそ大事」といった批判になるはず
私の当初の思惑(期待?)
私の反戦平和論の主旨を、今まで以上により強調して明確に証せば、事態は変わるのではないか
「杞憂論」は、「なるほど、戦争主体は手強いし、平和の砦は崩壊寸前で、<危機>は、確かに存在する」との認識に至る
「常識論」は、単に「護憲平和」を叫び、「反戦感情」を吐露し、戦後左翼・革新の「力」を過大視する陥穽を超克するに至る
私の当初の疑問と意識は、事実上、目的を成就でき得ないのではないか?
*「私の反戦平和論の主旨そのものが認識・理解されていないのではないか、その特徴をより強調し明確化すれば、事態は変わるのでは……
「杞憂論」者も、「常識論」者も、彼らの認識と判断と主張を、私の主旨の解説のみによる認識・理解だけで、変更する可能性は殆ど無い
*つまり、私の主旨(テーゼ)を現時点で認識・理解していないのは事実として、事後、彼らはやはり反対するだろう
結局、私の主旨自体の正当性を、さらに論証しなければならない
*彼らの意識・観念・思考・判断等の誤謬と対峙して、その自省を促すほどの論証が必要になる
彼らとの「論争」について
論争は必要か?
論争によって、彼らの認識や判断や行動は、改められるだろうか?
彼らには、私のテーゼは、結局、納得し難いか、もしくは受け入れ難いのではないか?
私の「危機感」を形成している認識の実体・リアリティを伝え、正当な認識・理解を求めるのは殆ど不可能ではないか
私の「反戦平和論」の主旨(テーゼ)を、より明確に表象することにはなる→私自身の存在証明
「杞憂論」者の浅い状況認識程度の認識や思考で、「危機」を警告したり、「反戦平和論」を構築しているのではないこと
「常識論」者の閉塞した固定観念を超克した、客観的事実にたいする構造的・深層的認識による「反戦平和論」の構築を行っていること
*私の認識が、深層的歴史認識や哲学・思想や意識・感情・観念等にたいする構造的・深層的・総合的認識により形成されていること
論争としてではなく、「危機感」を抱くに至った私の認識と思索の全容を、存在証明として具象化する必要はあるかもしれない
Yatugatake-Kougen-dayori
http://www.dcn.ne.jp/~skana4/yatugatake.htm