民主党の『現実主義』の陥穽       ――――「新・晩鐘抄録」より



民主党に期待する知識人やジャーナリストは少なくない。自民党を中心とした自公保の連立政権に危機感を抱いている人で、しかし共産党や社民党にも幻滅している人たちの間で期待が大きいようだ。右でもなく左でもない、がいわゆる中道でもない、リベラルで民主的な政党――、求めている政党のイメージだ。
 このスタンスは、私にもよく分かる。私もそうした政党の出現を切望している。

 だが、民主党がそれに叶う政党であるかと言えば、残念ながら首肯できない。それどころか、この政党は「大政翼賛会」を形成しかねない危険を孕んでいる政党だと、私は考えている。特に若手が危険な存在だ。
 若手と言っても、政治家の世界なので実際は団塊の世代から1周りほど下の世代あたりの政治家たちなのだが、それが極めて危惧される実態を露呈している。
 
 彼らも私と同じく、防衛という観点でみたとき平和憲法の限界を感じ、現実主義の立場から改憲を志向している。しかし、その多くはこれも私同様、軍国主義復活を容認する立場ではないと思われる。その意味では、彼らと私の間は限りなく近いようにもみえる。恐らく彼らの内的真実なり主観の位相においては私と同じ問題意識を持っているのであろう。 だが、私は彼らとの間に、決定的な溝があるのを感じている。私は彼らの「現実主義」に、大きな陥穽を認めざるを得ない。

 結論を言えば、彼らの意識には、防衛、すなわち日本が侵略され先制攻撃を受ける事への危機感は存するものの、その逆に、日本が加害者となる事への危機感はほとんど見当たらないのだ。
 昨日の「改憲」VS「護憲」でも述べたが、現政権およびそれを支える保守的国民の間に急速に拡がっている「改憲」が、「専守防衛」の枠を大きく逸脱し、集団的防衛・先制攻撃・相手基地への攻撃・核武装といった戦後日本に於けるタブーを一挙に打ち破って、日本を全面戦争に突入させかねない極めて危険な軍事的整備を目指して動いている――との認識と危機感が極めて希薄な点に、彼らの「現実主義」の陥穽がみられると言える。
 彼らには、保守派同様に、「日本が攻められたらどうするのか」という問題意識こそあれ、「防衛の名のもとに日本自身が再び加害者となるのではないか」という問題意識は殆ど見当たらない。
 日本は、未だ、過去の歴史を<超克>し得ていないのではないか、といったリアルな視点が欠落しているのだ。或いは、防衛体制の見直しは必要だとしても、それが過去の歴史の再現にならぬよう如何になすべきかという視点――、そもそも、なぜ日本は過去の歴史の過ちをおかしたか、「歴史」を成立させた日本の主体的条件・要素とはどんなものか、そしてそれはこんにち完全に除去されているのか――、といった過去の歴史に対する問題意識とそれが連綿とこんにちにも繋がっているのではないかという深刻な危機感が、彼らには決定的に不足していると、私は認識している。

 むろん彼ら自身に言わせれば、過去の歴史を再現させてはならないという意識があればこそ、有事法制等についても修正案を示していると言うのだろうが、民主党の示した修正案ではとても「被害者」から「加害者」へという動きを阻止する決定的な歯止めにはなっていないと、私は厳しく断ぜざるを得ない。
 所詮彼らの意識は、被害者となる危険を如何に防止するかという問題意識に著しく傾斜していて、その点では自民党ら保守勢力と殆ど同一だと言わざるを得ないのである。

 民主党それも若手に期待する著名人たちも、その「現実主義」の陥穽について、冷静に自省してほしいものだ。その多くが善意と良識をもった人たちだけに、民主党の若手たちがもつ観念の欠陥に甘いというか、まだ気づいていないという実態は、極めて憂慮されるべき問題だと、私は考える。

                2003年5月9日「新・晩鐘抄録」掲載

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