『真の反体制
     の志』
        ―――平和への希求と祈り

津吹 純平




「革新・反体制無効論の陥穽」

 わたしは、この「八ヶ岳高原だより」において、プロフィールに示した「わたしの信条」に即した執筆活動を展開していくことになるが、とりわけ、「体制」との闘い、「反体制の論理と言語の構築」を成就すべく、微力を尽くしたいと願う。

 近年、保守対左翼・革新、体制対反体制という構図は意味なくなったと頻りに言われる。
 何が保守で何が革新か判別つかなくなっている。またそもそも戦後長い間、知識人やインテリ、そして学問やジャーナリズムの間で、保守は反動且つ悪で、革新は進歩且つ正義という観念が定着してきたが、その信憑性も根本的に揺らいでいる。
 二大対立構図の無効を説く人々の認識は、このようなものだ。

 確かに、たとえば現実政治の位相をみれば、この認識と主張は概ね妥当であろう。
 相次ぐ政界再編劇、とりわけ旧社会党の与党化、現実主義への大幅な転換という事態は、進歩と革新、反体制の側に身を置く人々に大きな衝撃と困惑をもたらすものである。
 社会主義革命の放棄と資本主義の容認、日米安保の容認、自衛隊の容認とPKO派遣容認、日の丸・君が代の容認などなど、戦後左翼・革新の大きな原理となってきた問題での根本的な軌道修正は、まさに「転向」という言葉を用いるべきほどの意味をもつものである。過日来、沖縄基地の使用をめぐって大田沖縄県知事と対立したのが、ほかならぬ旧社会党の党首である村山前総理・政権であったという事実が、先の構図の無効を象徴的に物語るものであった。

 事は、政治の場に限るわけではない。
 たとえば教育の場においても、日教組の事実上の解体という実態がある。
 ここでも日の丸・君が代の容認という重大な方向転換を行なっている。また、あれだけ対立していた文部省とも和解し、協力関係の構築に踏み込んでいる(それ自体は、評価すべき点もあるが)。
 労働界においても、連合の存在がある。憲法や日米安保や自衛隊などにたいするこの組合の対応をみれば、嘗ての左翼労働組合の総評との相違はあまりにも大きい。労働組合は、革新的な立場であり、反体制運動の担い手であるという図式は完全に破れている。
 さらに、先の構図の無効は、実は、国民大衆の位相においても、浸透しつつあると言ってよい。
 たとえば、護憲問題にたいする意識も、湾岸戦争における戦費拠出やPKOへの自衛隊派遣といった問題などを通して、微妙に変化がみられるようになった。
 また問題を政治的な次元から日常的な社会生活の次元に移してみた場合にも、いろいろな局面で、従来の保守や体制に同化したと思える意識・感情や行動を認めることができるのである。これが進歩と革新を志向する人の言葉だろうか、行動だろうかと疑いの念を抱かざるを得ない局面に立ち会うことは稀ではない。

 このように、社会の各位相において、保守対革新、体制対反体制の構図がほぼ崩れかけていることは否定し得ない事実である。

 しかし、である。しかし、それは、現実の位相、それも表面に出ている既存の位相における話である。社会的実態として表面化している位相での話である。
 位相を、実は社会において確固として存在するも、人々の明確な意識にのぼっていない位相にまで深めてみた場合には、体制と反体制の分別は、未だに明確に存しているのである。保守と呼ぶべきものは強固に存在しており、また革新と呼ぶべきものも殆どの問題で少数派ではあるものの、一定の割合において存在しているのである。
 先にみてきた社会の各位相において露呈している事例をもって、日本の社会と日本人の精神の中に確かに存在する体制と反体制、保守と革新の分別を看過するわけにはいかない。乖離と対立は今もなお鋭くわたしたちを揺るがす。

 次に、昨今の論調として目立つのは、今や革新などというもの、反体制などというものは消滅すべきであり、既に時代遅れと化しているというものである。さらに、これは、そもそも革新や反体制の存在は、歴史的に負の役割を果たしただけであり、今もなんら意義と価値を認めることのできないものだという批判に結びつく。
 これは、先の構図の崩壊に示されるごとく、革新や反体制の側の根本的な方向転換という事実が、彼らの年来の主張の正当性を失わせしめているのである。
 日米安保や自衛隊の存在を悪と断じて、その打倒を叫んできた革新や反体制の殆どがこんにち容認へと転換した事実をもって、過去における彼らの認識と判断の誤謬を指摘するというわけだ。
 実を言えば、こんにちの革新や反体制の根本的な方向転換の正当性自体も問われるべきであるが、仮にそれが正当だと見做されるとしても、その現在の事実をもって、過去の歴史的立場と行動を直ちに誤謬とするのは、飛躍した論理だと言わなければならない。
 たとえば、日米安保についても、「革新や反体制は安保によって日本が戦争に巻き込まれると批判してきたが、そのような事実は起きなかったではないか(だから、安保反対は間違っていたではないか)」との言葉をよく耳にする。これは一見事実に即した正当な認識であり見解であるようだが、実は、状況の力学という視点を欠く思考の陥穽に嵌まった認識であり見解である。
 つまり、「安保によって戦争に巻き込まれる」という現実は起きなかったとするが、それは第一に、日本が参戦することを考慮するほどの有事が発生しなかったという事実ゆえのことだ。万が一、そうした有事が発生していた場合には、反安保側の人々の懸念は現実化していたかもしれないのである。
 第二に、たとえば、ベトナム戦争の場合、日本はアメリカの政策を全面的に支持した数少ない同盟国であり、その中で、一部の企業が軍事物資の生産をするなどの協力をしている。その意味では、日本は平和憲法の下で、戦争荷担国という重大な過失を犯したことになる。決して、戦争にたいして身の潔白を主張できる立場にいるわけではないのである。その事実は直視しておかなければならないが、ただ、安保論争によって問題になっていた意味での「戦争巻き込まれ論」という観点で言えば、確かに、自衛隊が参戦するとか、日本の領土が戦場と化するというような事態は起きなかったではないかとは言える。
 ただ、それも、安保反対という革新・反体制の存在、またそれに「戦争に結びつく形での安保の発動は嫌だ」という意識・感情を有して一定の理解と共感を抱く国民大衆の存在があったからこそ、多くの国民が危惧する事態は回避できたとも考えられるのである。参戦するのも当然とするほどの過激な立場に身を置くわけではないのであれば、反安保の誤謬を指摘する人々は、この点を真摯に検証すべきであろう。
 自衛隊の問題や教科書、日の丸・君が代問題などでも同様の事が言えよう。批判勢力としての反体制や革新の存在が、保守反動の主観的野心を自制させてきたという事実は、容易に認められるのである。
 「勝てば官軍」という言葉のある日本では、衰退する勢力はいちどきに、あれもこれもと批判の矢を放たれる。全否定されてしまいがちである。
 だが、事は公平にみるべきであろう。戦後日本において、革新や反体制が、平和と民主主義の擁護という点で、重要な役割を果たしてきた事実は、認めるべきである。
 彼らを批判し、否定しさる立場に身をおく人々も、平和や民主主義は尊ぶべきであると考えるなら、その点は、事実をしかと受け止め、評価すべきは評価すべきであろう。

 ただ、それとは別に、革新や反体制に問題が全くないというわけではない。否、極めて大きな問題が存するのである。
 確かに、革新や反体制は、平和と民主主義を擁護する立場を様々な問題に貫いてきた。
 が、実は、それは、平和と民主主義そのものを価値原理として意志してきたことではなかった。その価値原理の底に存する愛とヒューマニズムという人類の普遍の思想にもとづくものではなかった。
 それは、マルクス主義・社会主義といったイデオロギーに基づくものであった。
 彼らにとって重要なのは、マルクス主義・社会主義による〈革命〉を成就させることだった。それこそが、彼らの第一義の目的であった。
 その目的が、ソ連の崩壊や東欧の崩壊、中国や北朝鮮の行き詰まりなど、歴史的な出来事によって、完全に道を断たれてしまった今、彼らは、あれほど狂信的に標榜してきたマルクス主義・社会主義を捨て去ることになった。その全盛時においては、マルクス主義・社会主義を志向しない者は、馬鹿か悪人かといった傲慢な、脅迫めいた言動を繰り返してきたそのイデオロギーの旗を、実にあっさりと引き下ろしてしまったのである。
 が、マルクス主義者・社会主義者ではない者の立場からみれば、人間の良心という位相において己を責め続けてきた一種の権力と権力者たちの崩壊と挫折は、首肯すべきことである。
 が、看過でき得ないのは、マルクス主義・社会主義との決別を行なった彼らが、同時に、平和と民主主義擁護の立場も捨て去ろうとしている事実である。
 言うまでもなく、本来、平和と民主主義擁護の闘いは、マルクス主義・社会主義の闘い、〈革命〉の成就への希求とは別個に存在するものである。その闘いを終焉させるべきか否かは、あくまでも、平和と民主主義にとって、危機が存するか否かにかかっているはずだ。
 なるほど、マルクス主義・社会主義の崩壊は、一つの、危機の終焉をもたらすだろう。東西冷戦の終結は、平和と民主主義にとって、一つの、明るく歓迎すべき出来事ではあろう。
 だが、こうした事実が、日本と日本人の精神に宿る平和と民主主義に抗する意識や観念、平和と民主主義への敵意と反感、時には憎悪といった〈負〉を完全に解消させると考えるのは、幻想である。日米安保や自衛隊や教科書や日の丸・君が代などなどの問題に表象された平和と民主主義の危機という事実が、東西冷戦の終結とともに、消滅すると認識したり、期待するのは、非現実的である。平和と民主主義の危機は、日本人自身の精神構造の中からも、もたらされると認識すべきである。
 その認識が欠如しているという事は、彼らにあっては、マルクス主義・社会主義の実現こそ第一義であり最大の目的であって、平和や民主主義の擁護と確立は第二義的なものであることを示すものである。
 もちろん、その闘いは、何よりも、平和と民主主義そのものを価値原理とする位相において持続されなければならない。その底流に存する愛とヒューマニズム、人間の尊厳といった価値原理の位相において、第一義のものとして闘われなければならない。
 その点で、マルクス主義・社会主義の位相において平和と民主主義擁護を捉えてきた革新や反体制は、根本的なところで大きな過ちを犯していたのである。
 様々な局面で平和と民主主義擁護の立場を貫いたことそれ自体は、決して、歴史における負の遺産として断罪すべきことではないが、マルクス主義・社会主義の位相において、〈革命〉の成就への希求の下に、平和と民主主義擁護を志向してきたという点に、彼らの最大の誤謬が存すると言わなければならぬ。
 そうした左翼的な革新と反体制は、確かに、歴史に大きな負の遺産を残した事になる。そして、それゆえに、こんにち、その役割は終息したと見做すべきであり、消滅するのも必然であろう。

 だが、これらの事実が証すのは左翼的な革新や反体制の存在の無効であって、決して、革新や反体制の役割と存在意義を全面的に否定するものではないのである。実は、左翼的なスタンスとは全く異なったスタンスに立った革新と反体制の存在は、こんにち、ますます、必要とされるべきなのである。
 わたしの「体制」との闘い、「反体制の論理と言語の構築」とは、その意味、その位相においてのものである。


「状況と体制とは如何なるものか」

 わたしは、はじめに、「保守も革新もない」とか、「革新は歴史的に負の役割を演じた」といった批判は、マルクス主義による旧反体制・旧革新に対しては有効な場合があるものの、左翼とは一線を画した反体制にたいしては無効であることを指摘した。
 そして、愛とヒューマニズムを原点にし、真に民主主義的なスタンスに立った反体制の存在が、こんにちの状況において必要であると指摘した。

 それでは、そのこんにちの状況とはいったい如何なるものであろうか。その状況を形成する〈体制〉とは、如何なるものであろうか。
 状況の具体的且つ詳細な分析は、今後の執筆によらねばならないが、わたしは、ここで、日本が、再び、戦争に関与する危険性、他民族・他国民を日本の事実上の軍隊である自衛隊によって殺傷する危険性、そして日本の領土と国民が被災する危険性の存在を簡単に指摘しておきたい。
 湾岸戦争の際、戦費拠出を行なったり、PKOに自衛隊を派遣したりと、国際紛争に関与することが既成事実となってしまっているが、果たして、この事実の意味を明確に認識している国民はどのくらいいるだろうか。
 国際貢献という美名の下に行なわれたわけだが、その政治的・軍事的意味を理解している国民は決して多くはないのではないか。
 もちろん、国際貢献そのものは、果たすべき義務である。日本は戦後あまりにも無関心で過ごしてきた。経済大国となった今、また技術先進国となった今、日本もまた、国際社会の一員として相応の働きをなすべきである。その事を否定する意図は全くない。
 だが、先に述べた事例のような形での国際貢献の果たし方は問題が多いと言わざるを得ない。
 湾岸戦争における資金援助は、それによって生活物資の負担が軽減された多国籍軍の、戦術的・戦略的行為を円滑に運ばせる効果をもたらした。戦費拠出と断定する所以である。イラクのフセインの野望それ自体に対しては批判する立場にある者としても、子供や老人を含む一般市民の殺傷という事実から目を外らすわけにはいかない。
 また、PKOへの自衛隊の派遣問題についても、指摘しておかなければならない点が存する。
 それは、現在に到るまでの派遣では、湾岸戦争における戦争荷担とは異なる働き、意味合いのものにとどまってはいる。さすがに、事実上の軍隊である自衛隊の派遣であるだけに、政府与党も、事を慎重に運んでいるようにみえる。当初、反対していた革新派の人々の懸念は外れたかのようだ。国民全般の理解と支持を得つつあるのが現状であろう。
 だが、こうした経緯にもかかわらず、自衛隊のPKO派遣が、危険な賭けであり綱渡りである事実は変わらない。
 事を、朝鮮半島や台湾や尖閣列島などで不幸にして紛争が勃発した場合を考えてみれば、問題は明らかであろう。
 とりわけ朝鮮半島での紛争・戦争は、日本にとって大きな意味をもつ。尤もこれは、日本政府による「朝鮮半島は日本の死活問題」との認識を肯定するものではない。むしろ、そうした認識の存在ゆえに大きな意味を有することになるといったことなのである。
 朝鮮半島における紛争の勃発は、自衛隊のPKO派遣を、PKFに向けて大きく踏み出させることになるだろう。
 朝鮮半島に、日の丸を掲げた自衛隊が闊歩するのである。その時、朝鮮の人々は、どのような感情を抱くであろうか。不測の事態が発生することを危惧しないわけにはいかない。
 そして、北にせよ、南にせよ、自衛隊への報復攻撃は、日本政府の専守防衛政策・自衛権行使にどのような影響を与えるだろうか。
 自衛隊のPKO派遣問題は、過去の歴史を清算していない日本にとっては、国際貢献という美名で済ますことができない事情を有するのである。

 ところが、昨今、行なわれた日米首脳会談によって、論議された「極東有事体制」の確立は、さらに危険な方向に大きく踏み込むことになった。
 ここでは詳細な分析はできないが、事の本質は、要するに、日本がアメリカの戦争に同盟国として軍事的に参画するという点に存する。政府与党の中からは、日本が他国からの攻撃を受けた場合の集団的自衛権の行使の可否という位相で論じようとする声があるが、現実の可能性から言えば、それよりも、むしろ日本の荷担行為のほうが大きいと思われる。他国からの攻撃というのも、その結果として発生する危険が、現実的には大きなものと考えられよう。
 日米の協力関係というそれ自体は是とすべき問題ではあるが、そこで論議されているのは、日本はアメリカの軍事行動にどこまで協力できるか、どこまで共同行動に踏み込むか、どこまで戦えるのかという問題にほかならない。
 換言すれば、戦争への参画の体制を確立することそのものなのである。
 そして、わたしたち日本人にとっては、当のアメリカ国民とは異なり、国家が戦争に参画した場合には、個人の自由と権利、社会的な民主主義といった戦後価値・戦後理念・戦後原理など、いっぺんに放擲されかねないというもう一つの重大な危機を孕んでいるのである。
 それが、直ちに、過去における「軍国主義」の復活を意味するわけではないものの、日本と日本人にとって、極めて不幸な時を迎えることになると言えよう。
 ――状況は、今、このようなものとなっているのである。

 だがしかし、こうした反戦平和に抗する道を歩む主体は、政治的には必ずしも明確になっているわけではない。政府与党の中でも、危険視する声もある一方、野党の中に、積極的に呼応する声もある。現実政治の世界において、こんにちの段階で、主体を特定するのは困難かもしれない。
 が、既存の組織や集団をその主体として認知することが不可能だという事実は、この日本において、戦争参画の体制確立の道を歩まんとする勢力が存在しないことを意味するわけではない。
 否、たしかに、主体は存在すると言わなければならないし、またそれは現実にたいする大きな影響力と支配力を有しているものであり、まさに〈体制〉と呼ぶべきほどの存在であると言わなければならない。

 さて、これとは別に、わたしが〈体制〉と呼ぶものに、歴史認識の問題がある。
 言うまでもなく、中国や朝鮮にたいして行なった侵略の歴史にたいする認識の問題である。
 その事実について、日本政府の公式見解は、個々の事例については侵略行為があったことは認めるものの、あの戦争全体が侵略戦争であったことは認めていない。「後世の歴史家の判断に求める」と、事実上の否定発言を行なう首相も相次いでいる。
 殊に対米戦争については、帝国主義間の覇権争いであるとの主張が保守派から繰り返されており、昨今では戦後世代の若者にもそれがトレンディーでラジカルな認識だとして歓迎されている向きがあるが、たしかにそういう側面はあったと思われるものの、しかし、ファシズム対自由主義国家・民主主義国家の対立という側面があった点も否めず、日本の不正義を免罪することは思うほど容易ではない。
 そして、中国や朝鮮をはじめアジア諸国にたいしては、大東亜戦争との呼称が、一部の純粋な青年たちの間には紛れも無く存してあったとしても、それこそ全体としては、欺瞞の響きとなって聞こえるものであることは論を俟たない。
 そうした歴史認識、とりわけ、日本と日本人の罪に関する過去の事象にたいする厳しくも明確な認識の欠如は、戦後50年の月日に亘って一貫して多くの日本人にみられる事実なのである。
 従軍慰安婦にたいする補償問題の停滞も、そうした歴史認識の欠如と贖罪意識の希薄さの証であると言わねばならない。
 先の阪神大震災の際に、在日朝鮮人と日本人の間に懸念された軋轢はほどんど発生せず、むしろ協力関係が築かれたことが、有力な知識人たちに感銘をもって受け止められていたが、しかし、その事実は、市民が国家からも切り捨てられかねないような状況の中で、個人の尊厳の意識が、国家的・民族的感情に優ったことを示し得たに過ぎず、「極東有事」という国家的・政治的位相において危機が勃発した際には、一気に、国家的・民族的感情が、個人の尊厳の意識を覆い尽くしてしまう恐れは多分に存するであろう。
 日本人の中に孕むアジア人蔑視、とりわけ朝鮮人にたいする蔑視の意識・観念・感情が、それでもなお、〈体制〉を形作っていることは否めないのである。
 〈体制〉は、確かに存在すると言わねばならない。

 ところで、戦後日本の思想的対立は、資本主義対マルクス主義・社会主義という構図として描かれてきた。
 このイデオロギー対立が日本人を二分しているかのように描かれてきたわけだが、実を言えば、その対立以上に、精神の根本的な位相において日本人を二分していたのが、ほかならぬ歴史認識の問題であり、日本と日本人の美徳についての認識の問題であり、愛国心についての認識の問題である。
 過去の歴史の罪を直視して心からの反省と償いを果たすことによって隣人との和解を求め、日本の新生を成就することに美徳を見いだす人々と、過去の歴史をあくまで擁護することによって日本の美徳の存在を証そうという人々との相克である。日本と日本人が、過去の過ちを認め得る勇気をもっていることを証すことに誇りを求める意味合いでの愛国心と、祖国の恥になるようなことを認めないことをもって忠誠とするという愛国心との相克である。
 位相を変えて言えば、謝るべきだとする立場と、もう充分に謝った・謝る必要などないとする立場との対立こそ、日本人の精神を二分する相克である。過去に重大な罪を認める立場と、全く認めないか・軽微にしか認めない立場との相克である。
 この相克の存在こそ、安保や自衛隊やPKO覇権や君が代・日の丸などの問題における国民的対立の要因となってきたのである。昨今、「世界の常識・現実」とか、「当たり前の国家」といった言葉の下に、日本の進路を追い求める向きがあるが、これに対して、「世界平和に先駆的な役割を担う国」となることこそ日本の進むべき道であるとか、「当たり前の国家」たる資格をまだ有していない・そのためには過去の清算が不可欠だといった意識・観念が抗しているが、これも、さきの相克のこんにちただいまにおける反映である。

 こうした相克は、先にも述べたが、今や既存の政治勢力や組織・団体によって表象されているわけでは必ずしもない。そこでの実態は、混迷の度を増している。体制・反体制を判別することが容易ではなくなってしまった。
 だが、日本人の精神という位相においてみれば、相克の存在は明らかであり、その意味で、体制・反体制の判別は容易である。しかも、そのうちの体制の側は、国家や社会を支配する運動体として存在し、現に、状況をその体制の志向の下に、動かしつつあると言うべきである。まさに、〈体制〉は、そのようなものとして、確固として存在しているのである。

 わたしは、ここで決意を述べるならば、ぜひとも、この〈体制〉を阻止したいと願う。この美しい自然と歴史と文化をもつ日本に、ミサイル攻撃を浴びる悲劇が起きないことを願う。小津作品に表象されているような、笠智衆に表象されているような美しく、慎ましい日本と日本人が、再び、南京大虐殺に象徴されるごとき、おぞましく残忍な行為に走ることのないように心から願う。


「真の反体制とは如何なるものか」

 さて、こうした体制の存在は、その支配を嫌う者にとっては、必然的に、反体制の存在を求めることになるが、それは、如何なるものであるべきであろうか。

 わたしは、国民的コンセンサスの形成を目的とする反体制の存在こそ、最も重要だと考えている。
 これは、二つの事を意味する。
 第一は、革命主義の否定である
 第二は、政治主義の否定である。
 さらに、第一の革命主義の否定とは、次の二つを意味する。その一つは、異論・反論との対話を求めることである。またもう一つは、大衆の観念・感情との対話を求めることである。
 一方、第二の政治主義の否定は、次の事を意味する。即ち、考察すべきは全て考察するという事を意味するのである。

 これら、国民的コンセンサスの形成という上位位相、革命主義の否定・政治主義の否定という中位位相、そして異論・反論との対話や大衆の観念・感情との対話という下位位相等々、三つの位相において、述べた事が成就されることが真の反体制の確立にとって重要である。そして、これらの三つの位相は、いずれも緊密に結ばれているのである。

 そのうち、ここでは、中位位相の革命主義の否定という主題を入り口として述べていくことにしよう。
 言うまでもなく、戦後日本の反体制運動・革新運動は、革命主義の立場を取るか、それに結びつく形で展開してきた。
 ここで言う革命主義とは、マルクス主義・社会主義というイデオロギーの事ではない。また、暴力によって権力を奪取するという意味合いでもない。
 己の主義主張を社会的に現実化するために、国民的コンセンサスの形成を目的としない考え方の事である。同志の結集を第一義とし、その外側にいる人々、とりわけ異論・反論を唱える者を敵と断じ、その打倒の対象となすという考え方の事である。
 もちろん、革命主義に立った左翼・革新勢力とて、国民的コンセンサスの形成を願ってはいただろう。己の主義主張が国民的多数派となることを夢見てはいただろう。
 戦後日本の左翼・革新勢力の最大の存在であった社会党とマルクス主義の総帥日本共産党のいずれもが議会政治の場で権力奪取を求めたことはその証である。殊に、日本共産党の議会主義は、その徹底ぶりゆえに、他の左翼勢力から非難され糾弾されてきたほどである。
 だが、それにも拘わらず、彼らは、やはり革命主義に立ってきたと言わなければならない。
 厳しい事を言うが、彼らは、国民的コンセンサスの形成を結局、目的とはしていなかったのではないか。第一義にあるのは、あくまでも、己の主義主張の社会的勝利であって、国民的コンセンサスの形成はその実現を可能にする一つの方法であったに過ぎなかった。
 そのため、彼らには、国民的コンセンサスの形成を目的とするならば当然不可欠な異論・反論との対話と、大衆的観念・感情との対話が、欠如していたのである。
 たとえば、君が代・日の丸問題。彼らはそれらが過去の天皇制軍国主義の象徴であるとして反対してきたわけだ。この認識は、戦後日本においては、かなり多くの国民の理解を得られてきた事ではある。が、君が代・日の丸賛成の立場に立つ国民は言うまでもなく、左翼・革新の立場に理解を示す国民の間にも、国歌や国旗にたいする憧憬の感情は存している。
 もちろん、この場合、君が代・日の丸が天皇制軍国主義の象徴であると理解するなら、その国歌や国旗にたいする憧憬の感情は、君が代・日の丸とはまったく異なった歌と旗を求めるという展開を示してもよいはずだが、実際は、そういう積極的な声が国民一般から上がることはなかった。
 多くの国民は、君が代・日の丸が過去の天皇制軍国主義の象徴であることを認識し、ゆえに反対する左翼・革新の立場にも一定の理解を示しながらも、君が代・日の丸という国歌・国旗それ自身には罪はないと考えたか、とにかく大相撲の千秋楽で起立して君が代を歌い、オリンピックでの日の丸掲揚に胸ときめかせてきたのである。
 こうした国民感情との乖離を、左翼・革新の人々は、明確に直視することがなかった。およそ国家の存するところすべて存する国民の国歌・国旗にたいする憧憬と、現実の過去にたいする拘泥との相克を止揚する論理と言語を、彼らは、国民大衆に与える努力を怠ってきたのである。
 また、昨今、その歴史認識が希薄な若者が増えるにつれて、君が代・日の丸は、単に国歌・国旗を意味するものであるに過ぎなくなってきている。左翼・革新にとって前提となってきた認識が欠落した者からみれば、君が代・日の丸に反対するという事は、国歌・国旗に反対する意味になってしまう。それは、無政府主義の表象であるか、ソ連や中国など国際的な共産主義に同化することの表象であるかのような意味に受け取られることになる。
 こうした実態にたいしても、左翼・革新は有効な論理と言語を発することが無かった。

 自衛隊の問題でもこの事を指摘しなければならない。
 周知のように、憲法九条で、戦力を保持しないことを明確にしていながら、現実には自衛隊という名で存在し、事実上、世界有数の軍事力を有するに到っている。
 これにたいして左翼・革新勢力は、護憲の立場から、その違憲性を指摘してきたわけだ。
 だが、非武装中立を国家の理想と認識する国民は決して少なくはないものの、現実には、自衛隊廃止を求める国民はほとんどいない。
 他国からの侵略を危惧し、自国の領土と主権を守るためには、軍事力の保持もやむを得ないとする観念を抱いているためだ。実際の軍事力行使という局面をリアルに認識した上での判断ではなく、むしろ抑止力としての効果を期待しているのである。
 戦後左翼・革新勢力は、こうした国民感情との対話も怠ってきたと言わざるを得ない。
 愛する家族や故郷を他国の野望から守りたいとする当然の感情に応えることなく、ただ、護憲をスローガンに、自衛隊の違憲性を叫ぶだけであった。

 もう一つだけ具体的な問題を指摘しておきたい。日米安保の問題だ。
 戦後左翼・革新勢力は、長い間、安保即自破棄を主張してきた。その主張の激しさは一切の妥協を許さないものであり、たとえば段階的解消論なども保守反動に手を貸すものとして厳しい批判がなされたほどのものである。
 しかし、国民の多数派は、安保は日米関係の観点からも、日本の安全の観点からも必要であるとの認識を抱いていた。また、安保反対の立場に身を置く国民の間でも、安保破棄後の日米関係に危惧を感じる人々は少なくなかった。安保破棄が反米イデオロギーの表象となっていることに不安を感じていたのである。
 これらの認識や危惧を、戦後左翼・革新勢力が真摯に受け止めたとは、到底言い難い。
 彼らは、安保即自破棄のスローガンを声高に叫ぶだけであった。
 国民の本音に応えて、それでもなお己の主張の正当性を説得するという手続きを踏むことはなかった。
 たとえば、左翼・革新の立場に身を置く左翼系知識人や進歩的文化人なども、極めて積極的に言論活動を展開してきたが、しかし、集会と言い、講演会と言い、雑誌等への執筆活動と言い、ほとんどすべて、共通の思想的・政治的立場にある者への働きかけに終始してきたのである。その席にいなくても、その雑誌を購読しなくても、オピニオンの役割を担う彼らに同意することが決まっている国民に向かって、発言し、書いてきたのである。
 そこにあるのは、自己の分身との対話だけである。他者との対話はない。異論・反論との対話は完全に欠落している。
 彼らの思考と感情は、結局、仲間内に向けられていた。その論理と言語は、仲間内にしか通用しない閉塞したものであった。
 これではいくら彼ら自身の主観においては、国民多数の支持を求めるつもりであっても、不可能であろう。国民的コンセンサスの形成は幻想だと断ずるほかない。

 この革命主義とならんで戦後左翼・革新が陥っていた誤謬のもう一つは、その政治主義である。
 ここで言う政治主義とは、議論を、真理に到達するために不可欠な方法、国民の前に真理を明らかにする極めて重要な営みとして捉えるのでなく、己の主義主張を勝利させるための一つの武器という認識をもつ立場のことである。
 その結果、真理を追求するなら当然、議論しなければならない問題があっても、それを回避することが多々存するのである。
 尤も、これは、現実政治の場において度々みられるような、政府与党が予め結論を抱き、それを撤回するつもりも修正するつもりもない時に、形式的な委員会や公聴会を開くなどして手続きだけは踏んで己の主義主張を強行しようとする欺瞞的な議論を免罪するものではない。彼らもまた、議論を真理に到達するための不可欠な方法、国民の前に真理を明らかにする極めて重要な営みとして捉えているわけではない。戦術として利用しているだけである。マスコミや国民の中に、野党の審議拒否に強い批判が存するが、この点は、同時に、議論の前に頭を垂れることのない政府与党の側の強引な手法もまた厳しく断罪されなければならないのである。
 しかし、そうした現実政治の場の話はともかく、戦後左翼・革新勢力の人々のむしろ思考と感情の位相において、己に都合の良いところだけを議論し、己の主張を通す上では都合が悪い議論は無視する傾向がみられるのである。
 この点についても、具体的な事例は、今後の執筆に待たねばならないが、ここでは、現在、重大な問題となっている住専問題を取り上げておきたい。公的資金を投入するという住専処理法案に反対の立場に身を置く人々は、その理不尽さを厳しく批判する。もちろんそれは至極当然の主張なのだが、問題は、政府与党が指摘している住専処理法案を否定すれば、経済危機が訪れるという極めて大きなテーマについての議論を無視していることだ。
 尤も、この点も、政府与党のいろいろな場での説明によっても、得心のいく論理と言語は出て来ない。従ってその主張の信憑性にも大きな疑念を抱かざるを得ないのが実態だが、しかし、それゆえ議論を避けてもよい、ということにはなるまい。主張を行なっている者の論理が出鱈目で説得力を有していないという事実と、彼らの主張の内容が客観的に間違っているという事実は必ずしも同一ではない。場合によっては、彼らの主張の営みに虚偽が認められるにも拘わらず、その主張自体は客観的に正当であることも有り得ないわけではないのである。経済危機が訪れるのかというテーマを真摯に検証してみたら、住専処理案に当初批判的だった立場の人が、その危険を認めざるを得なくなるといった事も、己の主張に固執する政治主義的立場を取らずに、あくまで真理探求に忠実な思考を重ねた場合には、有り得ないわけではない。
 もちろん、個人的な思いを言えば、やはり経済危機の不安が解消され、政府与党の主張の欺瞞性が主観的のみならず客観的にも明らかになり、住専処理案が否定される事態となる事を期待するのだが、しかし、万が一、経済危機に陥ることがあれば、公的資金の投入などと比較にならないほどの損失がひとりひとりの国民に襲いかかる事を考えれば、住専処理案を主張する政府与党の信憑性に欠陥があるとしても、とにかく、経済危機の到来について、政治家だけではなく、学者・専門家を交えた徹底的な考察が必要だと考えるのである。
 たとえ、その議論の結果が、公的資金投入というそれ自体は、到底承伏し難い理不尽な政策を受け入れねばならないという事になったとしても、やはり、議論は、避けるべきではあるまい。
 ところで、この問題では、現実政治の場において政府与党と対立しているのは、戦後左翼・革新だけではなく、それとはまったく異なる新進党もそうなので、政治主義の汚名を戦後左翼・革新だけに被せるのは公平ではなかろうが、この「創刊の言葉」の主題は、「真の反体制の志」という点に存するため、ここでは、戦後左翼・革新の誤謬の事例として指摘しておく。
 みてきたように、政治主義は、議論を単に政治的な駆け引き程度のものとして扱い、己に都合が悪い事は議論の対象としないことがある。時には、相手を言い負かせることに有効ならば詭弁さえ用いるのである。また、相手の発言を怒号や罵声で封じ込めることも憚らない。真理に達するには、できるかぎり豊富な事実情報と緻密な思考が要求され、考察すべきは全て考察することが不可欠となるが、政治主義は、己の自己主張を一方的に通そうとしがちである。言わば、真理探求よりも、自我欲求のほうが勝ってしまうのである。
 ところで、こうして得た勝利は、果たして、ほんとうに、人間の変革を成就するであろうか。社会変革を可能とするであろうか。
 このようなやり方で、たとえ、万が一国民的コンセンサスを形の上で成立させたとしても、それはほんとうの国民的コンセンサスとは言い得まい。人間精神の内部に宿る意識と思考と感情に深く働きかけない政治主義は、結局、多くの場合、民衆自身によって、崩壊させられてしまうことになるのではないか。

 ――革命主義の否定と政治主義の否定。この二つの中位の位相における主題を、戦後左翼・革新の実態に即してみてきたが、そこで顕著なのは、彼らが、革命主義と政治主義の誤謬を犯している事実であった。国民的コンセンサスの形成を真に希求しているとは到底言い難いという事であった。
 このことは、この「創刊の言葉」の第一部でも指摘したが、結局、彼らにおいては、真の民主主義とは如何なるものであるか、という戦後日本の大命題について、的確な認識が欠落していることを証すものである。
 とは言え、もちろん彼らの戦後民主主義を守る闘いの歴史の全てを否定する意図はない。彼らの肯定的側面については、後に続くものは敬意を払いつつ継承していくべきである。
 しかし、真の民主主義を希求する者は、彼らの革命主義と政治主義を超克しなければならないのもまた事実である。
 つまり、真の反体制は、戦後左翼・革新における革命主義と政治主義を否定したところに存立するのでなければならないのである。

 実際、わたしの描く「真の反体制の志」の構図は、少数の革命家たちとその仲間内の多くの大衆――しかし、社会的にはやはり少数派――という革命の構図ではない。より広範な民衆の結集の構図である。はじめから同志であるか、そう成り得ることが明白な者たちの結集と連帯を求めるのではなく、当初は他者や異者であった人々をも含めた広範な民衆の結集と連帯を求めるのである。他者や異者を、己の主義主張に敵対する打倒すべき対象と断じるのではなく、己の主義主張を社会的に成就するためには彼らの理解と共感が不可欠であると認識し、真摯な対話を求めるのである。
 即ち、真の反体制は、あくまで国民的コンセンサスの形成を目指すのでなければならない。

 とは言え、わたしは政治運動・社会運動としてそれを実現しようと言うのではない。客観的には、今、政治運動・社会運動の位相においても、真の反体制の存在が必要であり、然るべき社会的立場にある人物によって、その運動が起こされることをわたしは切望するが、わたし個人の実践は、思想運動の位相において行なうことにしたい。
 つまり、個人個人の精神により深く関わる形で行なおうというのである。
 わたしが希求するのは、一人の人間の精神に直接働きかけ、その個人個人における精神の主体的な営みを通して、国民的コンセンサスの形成を成就するという事である。
 それを可能にする反体制の論理と言語の構築を、わたしは目指す。
 尤も、わたしの反体制の論理と言語の構築だけで、反体制に与する多数派の形成は困難であろう。
 わたしが主に働きかけるのは、体制と反体制の力関係に影響を与える層である。この人たちの認識と判断が変われば、反体制が国民的コンセンサスとなるという境界線に位置する人々への働きかけである。それを、わたしの守備範囲としたいのである。
 尤も、この境界線に位置する人々というのは、具体的にこれこれの人たちと既存の組織・団体、集合体として示すことができるわけではない。実際には、個々の問題において、個別に層をなすのである。従って、特定の個人について言えば、ある時には境界線に位置することになったり、ある時には、わたしの説得の埒外になったりということになろう。ただ、いずれにせよ、わたしのメッセージは、その問題の時々において、過半を決定し得る位置にある人々にたいして発せられることになるであろう。
 そのようなスタンスの下に、わたしは、国民的コンセンサスの形成を目指した反体制の論理と言語の構築に微力を尽くしたいと決意する。
 そして、戦争も辞さない国家体制の確立に向けて急速に動き出した状況の中で、反戦平和の灯を掲げたい。
 過去の侵略と戦争の罪を償うどころか、また新たに、戦争への道を切り拓こうとしている体制に抗し、この美しい日本と本来慎ましくけなげな日本人が、戦争の前線基地となり、戦争被災地となり、また戦争犯罪者となり、戦争犠牲者となる事態の到来を絶対に防ぎたいと希う。
                                                                             了


 高原だより表紙  陽光氷解の綴